蘇る燻り
「はぁ……はぁ……!」
モーガンは周囲一面に広がる炎の海の隙間を駆ける。
ギアからそれなりの距離を離したので、最早音に気を遣う必要は無いと、激しく息を荒げながら全速力で走っていた。
ギアに術を掛けた場所から反対側へ、大きく回り込んでから向かう。
勿論目立った行動は無い様に、誰の目にも留まらない様に。
今『欺き』の効果で、視界からモーガンの姿が消えているのはギアだけ、他の人間は彼の姿をちゃんと視認出来るのだ。
もし他の憲兵と出喰わせば、ギアの目からは一人の憲兵が何も無い空間に話している様に見えるだろう。
明らかに怪しいと思う筈だ。
だからこそ、誰とも会わない様にしっかりと周囲に目を配りながら走り続ける。
「確か、あの時ホイットマン隊長はあれを持ってなかった筈……!」
脳内に映るビジョン、それは先程モーガンがギアを引きつけ、倒す為に団長達と別れた時の物だった。
その時のホイットマンの装備、それが一番重要だ。
上半身はインナーだけになり、ジーンズ生地に膝から下が鉄板の装甲に覆われているグリーヴを履いていた。
勿論腰のベルトには携帯用の小さなダガーが入ったホルスターが付いていた筈だが、他の武器は持っていなかった筈だ。
いや、その右腕には鞘に入ったバスタードソードと、極小の杖が仕込まれた籠手が握られていた。
だが、彼の手の中に、あれは無かった筈だ。
「……一縷の希望だ、本当に」
暫く走ると、遂に目的の場所へ辿り着いた。
炎で何もかもが燃えてしまった所為で、其処には先程までどんな光景が広がっていたかは忘れてしまったが、足元の地面に残る『帰還の日向土』で描いた消えかけの召喚サインが、この場所が先程彼とその仲間達が休息を取った地である事を証明していた。
「よし、此処だ……」
ゆっくりと首を回すと、其処に聳え立つのは木材や屋根代わりの布生地を薪に、赤く燃え上がる炎。
この中に、ギアを倒す為の武器が。
モーガンは静かに息を吸って決意すると、視界を埋め尽くさんばかりの炎の中に、足を踏み入れた。
「………ッ」
やはり直の炎に炙られるというだけあって、その熱気と苦痛は先程とは比べ物にならない。
先程自分が休息を摂っていたテントの残骸、身体を撫でる熱気に歯を食い縛りながら瓦礫を掻き分ける。
すると、その炎の紅の中に、輝く一筋の光を見つけた。
「これだ……!」
支柱と思わしき巨大な木材の下に、それは落ちていた。
轟々と燃え盛る炎に照らされて鈍く輝き、まるでその周辺だけが別の世界と繋がっているかの様な異様さを感じた。
やはりモーガンの憶測は合っていた。
彼は会心の笑みを湛え、瓦礫の隙間からそれに手を伸ばした。
それの表面は滾る獄炎の中に置かれているとは思えない程冷たく、ヒンヤリとしている。
「よし……」
彼はそれを紅蓮の中から引き上げると、右手に携えて、静かに火中から出た。
するとその時、不意に右肩に奇妙な違和感を感じ、思わず眉を顰めた。
どうやら『分厚い魔法防壁』の効果が切れかかっているらしい、僅かにしか感じなかった火の熱も徐々に苦痛に思い始め、皮膚は日焼けしたかの様に少し赤くなっている。
このままだと皮膚は焼け爛れ、内臓はグツグツに煮立ってしまう。
それは即ち死、逃れられぬ最後だ。
だからこそ、この一振りに賭けるしか無い。
最早望みは、それしか残されていないのだから。
首を回すと、遠くでモーガンを見失ったギアが怒りと苛立ちに任せて暴れ回っているのが見える。
「おいおい、あのままだったらマジでこの一帯マントルになっちまうぞ……」
苦笑を漏らした後に、得物の柄を握り締めた。
「……急がねぇと」
モーガンはそのままギアに向けて、一直線に走り出した。
彼女は依然として炎の嵐の中心で、歴戦の勇者の様に鋭く腥い眼光を光らせ、宿敵の行方を探していた。
かなり離れている筈なのに、骨髄ごと身体が焦げてしまうのではないかと錯覚してしまい程の熱気が波となって襲い掛かる。
彼は燃え続ける馬車の荷台の影に隠れて、そんなギアの様子を観察していた。
(相当ヤバイ事になってんな……)
ふと空を見上げる。
鉛色に染まった雲から降り注ぐ雨はテントなどの瓦礫を薪に燃える炎の勢いを僅かにだが、確かに弱らせていた。
「…………よし」
モーガンは息を整えると、荷台の影から飛び出した。
そして、いつ魔法攻撃が飛んで来ても対処出来る様に、神経を張り詰めながら歩く。その行く先に居るのは、勿論、ギア。
「よう、ギア。待たせたな」
牽制と撹乱を目的で、モーガンは彼女に声を掛けた。
左手を挙げ、気さくな笑顔を浮かべる。だが、その視線はギアを捉えたまま微動だにしない。
彼女はゆっくりと顔を上げ、此方へ顔を向ける。
その分厚い氷壁の様な表情がモーガンの視界に映ると同時に、彼女は杖を構えた。
「『太陽の火種』」
仰々しい技名通り、まさしく己の身を焦がしながら全てを焼き尽くす太陽の様な、巨大な炎の球体が放たれた。
いや、太陽よりもそれは熱く、強大で、眩しい程に輝いている。
あれに直撃し、飲み込まれれば、一瞬で血肉が蒸発し、骨すらも焼け焦げてしまうだろう。
その軌道から避けようという考えが浮かんだが、思いの外火球の進むスピードは速く、あっという間に距離を詰められた。
最早残された手段はただ一つ、それに全てを賭けるしか無い。
「やるしか、無ぇよな……!」
モーガンは重心を下げて体幹を整えると、右腕のそれを真っ直ぐに構えた。
そして、巨大な炎の球が眼前まで迫った瞬間、彼は右腕を伸ばして、それを突き立てた。
「ウラァァッ!」
それは一瞬の出来事だった。
渾身の咆哮と共に弾き出された刃先は螺旋を描いて炎の球に突き刺さった。
刹那、モーガンの身体を埋め尽くさんばかりの炎の球が爆ぜたのだ。
いや、消し飛んだという表現の方が相応しいかもしれない。
迫り来る火球は石製の刀身が触れた瞬間に、この世から消し飛ばされたのだった。
「…………何が、何が、起こった」
ギアはあくまで無表情を貫き通しているが、その声は震え、明らかな動揺の色が見える。
「……ハハハ、凄ぇな。この国宝ってヤツは……」
モーガンはその驚異的な力に、思わず感嘆の言葉を口にした。
解魔の剣、先程地下塔の入り口に掛けられていた錠前の魔法を打ち砕く為に使用した物だ。
凡ゆる魔法を無効化出来る、まさしく対魔法用兵器であるレイピア。
刀身と柄は別々ではなく、同じ材質の物が一本の棒の様に、一体化しているという形状になっている。
感触からして、材質は恐らく石。しかも彫像に使われる様な、刃物を使えば簡単に削れる程柔らかい物。
まるで地中から引き摺り出した巨岩からそのまま掘り出したかの様に無骨だが、まるでその素朴さを掻き消す様に施された過剰なまでの装飾が、逆に刀身の味気無さを強調していた。
人間や生物を貫くには脆過ぎる、というスタンドリッジの言葉を改めて理解出来た。
確かにこの様な造りでは武器とは呼べない、貴族の屋敷に骨董品として飾られる方が似合っている。
「メイス、じゃなくて、レイピア、か。それも、魔法を、打ち消す、効果。厄介」
「ハハハ、だろ? お前を倒すには、こんな物引っ張り出さなきゃ到底無理なんでね。卑怯とは言わないな?」
「ふん……」
「悪いが、俺は卑怯になるぜ。プライドやら意地やらを捨ててでも、守りたい物があるからな」
そう言うと、ギアは無表情のまま、能面の様な感情の無い顔で尋ねた。
「……そこまでして、王都を、王国を、守りたい?」
「え?」
「ボクも、昔は、王国に仕える、人間だった。その時は、王国こそ、全てだと、盲信、していた。でも、奴等は、セルヴィ様を、放逐した。確かに、錬金術は、禁じ手。だけど、こうも、追放まで、する必要は、無かった」
「…………」
「奴等は、怖いだけ、国が、思い通りに、いかない事が。自分勝手に、政治を進めて、自分勝手に、誰かを、貶める」
その時、ギアの顔が俄かに歪んだ。
怒りや悲しみ、愉悦、喜び。そのどれとも取れない様な複雑で醜悪な顔だ。
「だからこそボク達は決めたんだ。一度王国を根本から破壊して、新たな国を創り出すと。国王の名の下に、市民達による会議を開いて、平等で平和な政治を話し合いで行うんだ。誰も不幸な目に遭わない、貧乏人も浮浪者も救われる。いや、先ずは腐敗した貴族制度を無くそう。それで皆が平等になれる。錬金術を使えば羊や牛も量産出来て、食料問題も無い。暴動も無い。不平不満も何も無い。どう? 素晴らしい考えじゃない?」
まるで堰が切れたかの様に急に饒舌になったギア。
その口から流れ出てきたのは、モーガンにはよく理解出来ない政治に纏わる話だった。
「平等、だと? ふざけんな。お前の目指してるのはただの似非革命だ。魔法の力に任せただけの、蹂躙。革命ってのは民衆が手を合わせて蜂起して初めて成立する物よ、それをお前、たった一人でやるなんて……それは意味の無い暴力、目的を失った怒りだ」
「……そう」
「悪いが、王国が焦土になるのは勘弁だな。働き口も無くなるし……何より、命を賭けたいと思ったからな」
ギアは首を傾げた。
「この腐敗した国に?」
「あぁ」
「糞真面目な現国王の愚かさを知っても尚? 媚びへつらうだけの貴族を見ても尚?」
モーガンはほぼ無意識の内に、舌打ちをしていた。
もう面倒な御託は御免だった。
「……別に、そんな王様達の覇権争いなんかには興味無ぇよ。俺はただ、出来る事にやるだけ。見える範疇の人間だけは、出来るなら救いてぇんだよ。同じ部隊のヤツに、顔見知りの商人とかな」
モーガンは目を細めて、解魔の剣の鋭利な剣先を眺めながら、まるで談笑する様な軽い口調で言った。
「…………矮小」
嘲る様な声で罵倒するギアに、モーガンは微笑みを漏らした。
「言っとけ。……人間ってのはそんな物だよ、みんな。弱くて、脆くて、傷一個で簡単に死んじまう。そんな弱くても、勇気だけは一端でさ、見える物は何でも守ろうとするんだよ。丁度、俺みてぇにな」
彼は解魔の剣を見様見真似の体勢で構えると、その鈍く輝く剣先をギアに向けた。
最早慈悲は無い、今自分が対峙しているのは紛れも無い、王国に害を及ぼす犯罪者だ。
少女の皮を被った、最強の魔法使い、怨嗟に囚われた敵。
これは試練なのだ、最強の呪術師を目指す上で立ちはだかる、避けては通れない壁。
運命、そして敬愛する師匠が与えてくれた、全てを凌駕しうる程強大な力、全てを蝕む蠱毒。
親を失い、人生を見失ったモーガンに手を差し伸べ、十年間も面倒を見てくれた師匠の為にも、呪術師として更に高みを目指さねばならないのだ。
「さぁ、来いよ。お前の無敵の魔法を使って!」
そう挑発の言葉を叫ぶと同時に、ギアは杖を頭上に掲げて詠唱を始めた。
魔法は解魔の剣で打ち消す事が出来る。
だからこそ、今は出来るだけギアとの距離を詰めなければならない。
「……『這う大蛇』」
地面に降り立った彼女の足元が突如発光すると、其処から炎が地面を這う大蛇の様に伸び、弾丸の様なスピードでモーガンへ向かって来た。
それが一瞬で足元まで近付き、ドン、という爆音と共に凄まじい勢いで炸裂した瞬間にローリングをして、その爆風と衝撃を上手く回避した。
「危ねッ!」
左手で地面を叩くと、その勢いで両足を地面に着け、再び走り出す。
我ながら軽やかな身のこなしだ。
「……化け物じみた、動き。何か、装備してる、の? 木目の付いた、指輪、とか」
「ハッ、知らねぇな!」
モーガンは遂にギアの眼前まで辿り着くと、左手に提げていたメイスを引き抜きざまに薙ぎ払った。
だがその一閃を、ギアは身をヒラリと翻して回避すると、至近距離で魔法を放った。
「『熱波』ッ!」
それと同時に高熱を帯びた衝撃波が放たれ、それを間近で浴びたモーガンの身体はまるで蹴られた人形の様に軽く吹き飛んだ。
「うぐぅ!」
地面を数回転がった後に立ち上がったが、流石にダメージが大きい。
頭を金槌で殴られたかの様な痛みが全身を襲い、視界はユラユラと酩酊しているかの様に揺れている。
それに加えて、身体に感じる炎の熱もかなり鮮明になってきた、恐らく『分厚い魔法防壁』も限界が近いのだろう。
(くそっ、早くケリを付けなきゃな……次あの魔法を喰らったら、流石にマズイ。立ってられたら良い方だ……)
モーガンは朦朧とする意識の中でも、戦況を確実に、冷静に分析していく。
ギアの少しだけ疲れの見える表情と激しく上下する薄い胸に目を向けながら、一体どんな行動をする事が最適なのかを、今持ち合わせている思考力の全てを注ぎ込んで考えていた。
(多分ギアの方も限界だろう。この退魔の剣を盾代わりにして耐久戦に持ち込むってのもあるが……いかんせん心配なのはガンザだな……負傷してるし、早く助けに行かねぇと……)
気持ちは焦る一方だが、事態は好転しない。
切り札を使ったものの、依然有効打には出来ていない事がモーガンの精神を責め立てていた。
一発で倒し切る武装はしているのに、あと一歩近付けない、このジレンマ。
自然とモーガンは僅かながらの苛立ちを覚え始めていた。
だからこそ、ギアの素早い初動に対応するのが一瞬だけ遅れてしまったのだ。
その一瞬が何よりも重要な意味を持つ事を、モーガンは嫌という程理解していた。
ギアが瞬時に構えた杖、その先は真っ直ぐモーガンの方を向いていた。
必死に思考を巡らせていた彼は咄嗟の判断と行動が出来ず、回避も攻撃も出来なかった。
「『太陽の火………」
先程と同じ様に、あっという間に形成した超弩級の火球を放とうと杖を天高く掲げたその瞬間、
ギアの右腕、上腕部分に突如鉄の棒が生えた。
一瞬の沈黙が流れる。
再び時が刻み出した刹那、彼女は目を大きく見開いた。
「あ、あぁぁぁぁぁぁ………!!」
最早言語化出来ない程醜く、嗄れた、呻き声にも似た悲鳴がその白い喉から搾り出される。
改めて見ると、その鉄の棒には鋼鉄の鏃が付いていた。軌道安定用の羽も付いていた。
それはまさしく、矢であった。
「い、一体、何処、から……!!」
噴き出す血を何とか止めようと矢を引き抜き、杖を当てて治癒魔法を掛けるギアの頭上に巨大な影が降り注いだ。
危険を感じた彼女は反射的に翅を動かして、空中に逃げた。
それと同時に、彼女が一瞬前まで立っていた地面が鉄塊にも似た巨大な剣で両断される。
風圧で巻き上げられた、夥しい量の土埃の先から姿を現したのは赤褐色の鎧にその身を包み込んだ見上げる程高い背丈の憲兵だった。
モーガンは思わず、その憲兵の名を叫んだ。
「う、ウィッテン隊長!」
刀身が地面に埋まった特大剣を引き抜いたウィッテンは兜のスリッド越しに此方を見ると、その蒼い双眸を輝かせた。
「すまぬ、遅れてしまった。他の憲兵達の避難の指示で忙しくてな、よくぞ今まで持ち堪えてくれた!」
「隊長……!」
モーガンはその時、ハッと息を吸った。
ウィッテンがこの場に居るなら、あのギアの右腕を貫通した矢の持ち主は、もしや。
「大丈夫かしら、怪我は無い!?」
物陰から姿を現したのは、大弓を構えたアテンシア・クレイドだった。
先程の弓は間違い無く、彼女が放った物だ。
「ッ、ガンザくんは何処! 団長に聞いたら、二人で行動してるって!」
「……ガンザは……」
その時、また新しい声が聞こえてきた。明るく元気で、活発な声だ。
「此処におるばい!」
声の主はアスコウ・コズロースキーだった。そして、彼女の背中には火傷を負ったまま動かないガンザの姿があり、四肢を力無く垂らしている。
「酷い火傷だけど、息はある。安心しなっせ!」
「アスコウ……」
彼女の背後にも、やはり見慣れた人影が。
大鎌を携えたトレイス・ドバラーラと小さな魔法使い、サヴィルア・バルディリスだ。
これでアンナを覗いた全員が集結したという事だ。
呆然としていると、大盾を構えたウィッテンがモーガンの元へ駆け寄って来た。
「先程団長から貴殿達が二人でギアの相手をしていると聞いた。まさかあのギアが、とは思ったが、まさかこの様な事態になっているとは……。いやはや、驚いた」
「えぇ……」
ふと、俯いて右腕の貫通傷を抑えていたギアがゆっくりと顔を上げる。
その顔は傷口から噴き出した自らの血液で赤く濡れていた。
「この、若造、共、が。焼き尽くし、て、くれる」
そして、再びその身体を燃え滾る炎が覆い隠す。
その勢いは先程とは比べ物にならない程強かった。
「な、何だこの火力……さっきよりも強くなってやがる……!」
「……ギアは自らの命を焼べてでも、私達を殺すつもりであろう。 恐らく持久戦は通用しない、一瞬で叩かねば……」
ウィッテンは特大剣を掲げると、第二部隊隊員達に向けて叫んだ。
「気だけは抜くな、常に警戒し続けろ!」
その声に呼応して、彼等もまた吼えた。
まるで自分達の闘志に無理矢理炎を灯すかの様に。
何でいきなりブックマーク登録が何件も削れるんですかね……
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