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噴き上がる憤怒






先に動いたのはギアだった。

彼女は自らの右手に握られた杖の穂先をモーガン達に向けると、詠唱を始めた。

それと同時に彼女の右腕を紅に燃え盛る炎が覆い尽くす。


「……『弾け飛ぶ炎』」


詠唱が終わると同時に、その炎が爆ぜ、無数の火の塊がモーガンに襲い掛かった。

彼はギアを中心に円を描く様にして走りながら回避するが、その身体は重い。

連戦を重ねたモーガンの肉体は既に限界を迎えているのだ。


「クソッ、このままじゃあ近寄れもしねぇ!」


その上周囲はむせ返る程気温が高くなっている。

恐らくギアが発する炎と周囲のテントに付いた炎による物だろう、最早息をする事にさえ苦痛を感じ始めていた。

もしこの防護服が無ければ、モーガンの肉体は二、三分も保たずに焼け爛れていただろう。


(近寄れないなら、メイスが死んじまう……呪術で攻めるしか無ぇ!)


彼はポーチに手を突っ込むと、残り僅かの媒体が詰まった小ガラス瓶を取り出して、それの表面に貼られた術名が書かれたラベルを読んだ。

『淀み』、毒素を含むヘドロの塊を生成する下級呪術。


「これしか無い……『淀み』!」


モーガンは小ガラス瓶を握り潰すと、ダッシュの勢いを殺さない様に右足を軸にして回り、掌に出現したヘドロの塊をギアに投げ付ける。

だがしかし。


「『熱波』」


先程と同じ高熱を伴う衝撃波によりモーガンの『淀み』は空中で燃え尽きてしまった。

やはりこの程度では弱過ぎる、命中する前に焼かれて灰になってしまう。


「畜生……他の呪術は……」


先程体液の濁流に飲まれた時に、整頓していた筈のポーチの中身が滅茶苦茶になってしまった為、手探りで好きな呪術の媒体が詰まった小ガラス瓶を見つける事が出来なくなってしまっている。


続いて取り出せたのは、中級呪術『裏切者の墓標』だった。

一番近くに居る、術師が敵意を向ける者に何か一つ大きな不幸を呼ぶという、一見強力にも思える呪術。

だが、これは戦闘向けではない。

何故なら、その不幸が降り注ぐ瞬間を術師が自由に設定する事が出来ないからだ。


要するに、『裏切者の墓標』はこの場面では使えない呪術なのだ。


他に残ってる媒体も、この様な戦闘中には使えない物や、一瞬で焼却されてしまう様な物ばかり。

モーガンはヤケクソ気味に『毒霧』の媒体を引っ張り出すと、それを覆う小ガラス瓶を握り潰して、叫んだ。


「『毒霧』!」


毒性を含んだ霧がモーガンの手から噴射され、辺り一面に広がる。


「小細工、か。笑止」


だが、『毒霧』はギアの操る火炎で、いとも容易く浄火されてしまった。

最早有効そうな呪術は残っていない。

これで呪術による、遠距離及び中距離からの攻撃は封じられた。


「クソッタレが……!」


近距離で攻撃しようにも、纏っている炎の熱気の所為で近付く事が出来ない、メイスで頭をカチ割る事が出来ない。

もし炎に耐え得る性能を持つ大盾などがあれば別だが、そんな物は無いし、構える筋力も無い。

呪術が無いのなら、最早武器になるのはこのメイス一振りのみ。


「……早く硬質化技術開発してくれよな、師匠」


もしそれさえあればメイスにわざわざ毒液を浴びせたり、結晶を生やす事などしなくても済むのに。

確か構想段階で『毒の大剣』という、両手に凝縮した毒素を固めた大剣を創り出す呪術があった筈だ。

もし可能になれば、その術式で創り出した大剣をメイン武器にしたい物だ。

だが、今はそんな事を考えている時間ではない。


(さて、どうするか。このまま逃げ続けるのは得策じゃねぇ、じきに追い詰められて焼かれる。良くて黒焦げ、最悪炭化だな。骨すら残らねぇんじゃねぇか?)


下手すれば魂までもが焼き尽くされてしまうだろう。

それを可能にする程の熱と炎を、今のギアは纏っていた。


「……怖いな」


モーガンは本能的に、恐怖を覚えた。

怨嗟と憎悪という薪を焚べられた、魂をも無残に灼く火炎。

それは見惚れてしまう程の紅に染まり、鋼鉄だろうと易々と溶かしてしまう程の高熱を帯びる。

原始、人間は炎を操る術を入手したからこそ、大自然の生存競争を勝ち抜き、現代の繁栄に繋がったと言われている。

始まりと終わりを司る炎、畏怖するのは人間として当然だ。

ましてや、自分を焼き殺す為だけに焚かれた炎。

恐怖を感じない筈が無い。


「………チッ、やりにくい」


牽制として再び『淀み』を投げるが、それもやはりギアの『熱波』により防がれてしまう。

策は無いかと頭をフル回転させたその時、不意にモーガンはある一つの方法を思い付いた。

それしか無い、と確信した彼は先程の弟王子戦でも見せた、ガンザの超人並みの聴力を利用した情報通達を行う為に、炎の爆ぜる音に掻き消される程のか細い声を出した。


「おいガンザ。コイツはヤベェ、真っ向から立ち向かって勝てる奴じゃない。俺は魔法使いと戦った経験は少ないんだけど……多分コイツ、サヴィルアと同じくらい強ぇ」


ふと、視界の先のガンザが顔を上げた。

どうやら、この声もちゃんと彼の耳に届いているらしい。


「だから正面から行かない。ここは回避に専念しよう、ギアの精神力が枯渇して疲れ果てるまで」


魔法の発動条件は何行にもしたためられたカレルカ文字の文章で構成される呪文を唱える事と、魔力を消費する事だ。

これに加え魔法の発動時には脳にダメージが行く為、含蓄する魔力を超えての多用は厳禁なのだ。

魔力とは即ち精神力であり集中力。それが切れれば、暫くの間魔法を放つ事が出来ない。

それを狙うのだ、無防備になった一瞬の隙を突く。


「……お前、これパリィは……出来ないよな」


ディンガールの時は大量の付与魔法を掛けていたからこそ、実体化ではない奇跡を跳ね返す事が出来た。

だが今、彼の盾にはそういった強化は何も施されていない。

炎を弾くなど、出来ない筈だ。


「仕方無ぇ、兎に角ガン盾受けで守り切ってくれ。俺はローリングで避け続ける。単調で厳しいけど、頼んだ」


剣士と魔法使いの対面時、不利になるのは明らかに剣士だ。

何より大きいのは間合いの差、武器を携えた剣士が近寄る間に魔法使いが遠距離から魔法を放つ事で近付かずとも蹂躙する事が出来る。

だが、それはあくまで短期決戦時の話に過ぎない。

剣士にとっての最大の長所、それは一日中戦場を駆け回り、何百回と重い武器を振るう事が出来る程の、持久力だ。

それに比べて、並の魔法使いは簡単な魔法を撃ち続けても保つのは精々数時間。

短期決戦は魔法使い、長期決戦は剣士に軍配が上がる為、これをどう使い分けるかが戦況を大きく変える鍵となるのだ。


だから今は、耐え忍ぶ。


「…………」


そう内心で決心した彼等に、ギアは冷ややかな目線を向けていた。凄まじく燃え上がる炎を身に纏いながら。


「成る程」


彼女は彫像の様に動かない表情のまま、淡々と呟いた。


「魔法使い、が、苦手な、持久戦に、持ち込むつもり、か」


モーガンはドキリとして、ギアを見上げる。

脊髄に氷水が注がれたかの様な悪寒が背筋を走る、彼の額には夥しい程の冷や汗が浮かんでいた。


「確かに、ボク達、魔法使いは、持久戦には、弱い。それは、貴方達にも、周知の事実。だから、直ぐに、決着を、付ける」


ギアは杖を天高く掲げると、詠唱を始めた。

常人にはその文章の意味、果ては言語化する事の出来ない単語を大量に連ね、魔力を高めていく。

先程の『熱波』や『弾け飛ぶ炎』とは比べ物にならない程の長い、長い詠唱。


「止めろッ!ギアァァ!」


不穏な気配を感じたガンザが慌てて小型ナイフを投げるが、ギアはそれをヒラリと身を翻して華麗に回避する。


彼女は羽ばたきを止め、地面に着陸した。

一瞬その隙を突いて、脳天に一撃を叩き込もうという考えが過ったが、そんな思いは直ぐに掻き消される。

何故なら、彼女の周囲の地面がまるで反射炉の中の鉄鉱石の様に赤熱していたからだ。


「『マントル』」


詠唱が終わる。

それと同時に、辺り一面は地獄と化した。

比喩ではない、本当に地獄だったのだ。


突然モーガンの足元が振動したかと思うと、その次の瞬間、地面が大きく割れ、その隙間から凄まじい勢いで炎が噴出した。


「う、うぉあ!?」


慌てて後ろへ飛び退いた事で直撃こそ免れたが、『分厚い魔法防壁』越しでも皮膚が焼け爛れそうになる程の熱を感じた。


周囲を見渡してみると、異様な光景が広がっていた。


地面から赤々と燃え盛る火炎の柱が何十本も噴き出し、雨に濡れて泥化した土は高熱に晒されて、宛ら溶岩溜まりの様にグツグツに煮立っている。

地面に転がっていた、故も知らぬ憲兵の黒焦げた死体や、テントの残骸などがその底へ引き摺り込まれるのを見て、それが表面だけではなく地中も同じ状況になっている事を察した。


「な、何だこれ……!?」


これがギアの憎しみだというのか。

この熱が、この苦痛が、この強大さが、彼女の抱く感情を嫌という程顕著に表している様な気がした。


「これが、ボクの、最高傑作、『マントル』。火を噴き上げて、周囲を、火の海にする。それと同時に、少しの間、地面を、マグマみたいに、高熱に、する」


煮立った大地の中、唯一変色していない中心部分に立っているギアは手の平の中で杖を弄りながら、抑揚の無い声で説明を続ける。


「魔法で、創り出した、炎は、一瞬で消える、けど、それから、発生した、熱は、そう簡単には、冷めない。暫く、此処は、歩けない、筈」


ギアはキョロキョロと周囲を見回した後、呆然とするモーガンを嘲る様な視線を此方へ向けて、言い放った。


「どうやら、貴方の、お仲間が、巻き込まれた、みたいだね」


その言葉に、モーガンは反射的にガンザの方を向いた。

そして、驚愕する。


彼は激しく燃え上がる火柱に巻き込まれたのか、地面に倒れていたのだ。

戦場で倒れる理由など、ただ一つ。

モーガンは思わず喉を震わせて吼えた。


「ガンザァァ!」


ガンザは地面に伏したまま、ピクリとも動かない。

彼の身体を包み込み、守っていた筈の『分厚い魔法防壁』は凄まじい火力に耐え切れずに破壊されており、その皮膚の至る所に大きな火傷が出来ていた。


再起不能、その文字が浮かび上がる程の重傷だった。


「一人、復讐、完了。残るは、貴方、だけだ」


宵闇に紛れる暗殺者の様に冷酷な口調に、モーガンは更なる恐怖心を覚えた。


「チッ、クソッ!」


モーガンは再び駆け出すが、地面が持つ凄まじい高熱に歩く度にブーツを靴底を焼かれ、とても歩けそうにない。

彼はギアにはこれ以上近付けない事を判断すると、この場から移る為にギアに背を向けて全速力で走り出した。


「何処に、逃げると、いうの。逃げ場所、なんて物は、もう、焼き尽くした、のに」


逃げ惑うその背中を、ギアが追う。

モーガンは積もった瓦礫の間を潜り抜けながら、必死に頭の中で策を弄していた。


(マズイな、ここでガンザがやられちまったのは非常にマズイ! さっきみてぇな挟み討ちも出来ねぇし、何より意識の分散が出来ねぇから忍び寄る事も無理だ! そもそもあの炎が邪魔で近付けねぇから、先ずはアレをどうにかしなきゃな……)


あれ程の魔法を打ち崩せる術を、今のモーガンは持ち合わせていない。

呪術の媒体も尽きかけ、仲間は戦闘不能、極め付けに相手は攻め込む隙も無い、強力な魔法使い。

最早、絶望しか無いこの状況。


だが、希望を捨ててはいけない。

もしモーガンを殺し、復讐を完遂したギアは今度こそ、死んだ主人の願望を叶えるべく、王都へ乗り込むだろう。

そうすれば、都に住む住民や王族は悉く焼き払われ、王都は火の海。

それに合わせて、国権の中枢を失ったガーランド王国は国としての役割や体裁を失い、その領土は瞬く間に隣国に吸い取られてしまう筈だ。


その後に残るのは、何も無い。

積もりに積もった煤塵が風に巻かれて、舞うだけになってしまう。


そんな風になってたまるか。

これが愛国心、なのだろうか。それともただ稼ぎ頭が無くなるのが恐ろしいだけか、職務への責任感か。

それは分からない。

だが、モーガンには命を賭してでもこの少女と戦う理由がある。それだけは確かだった。


(クソッ、でもどうすりゃいいんだ……『平穏よりの使者』は他人の術式には使えねぇし、魔法を打ち消す方法だなんて……)


ふと、その時、モーガンは思い付いた。


(……あ)


たった一つだけ、本当に一つだけ、あった。

あの炎の壁を砕き、脆弱なギア本体を暴き出す方法が。

それは正真正銘の最終手段にして、唯一の方法。もしそれを使えば、後始末が大変な事になってしまうだろう。下手すればモーガンの首が飛ぶかもしれない。

だが、最早それしか道は無い。


「…………やるしかねぇ」


モーガンは意を決すると、ポーチの中から手探りで探し当てた小ガラス瓶を取り出した。

その表面に貼られていたラベルに書かれているのは『欺き』という字。

彼は瓦礫の側に差し掛かった所で、それを勢い良く握り潰した。


「『欺き』……」


それと同時に、彼の手の平から白い煙が噴き上がり、モーガンの身体をあっという間に包み込んだ。


「目眩し? 甘い」


ギアは再び『弾け飛ぶ炎』を飛ばして、白い煙を吹き飛ばした。

だが、晴れた煙幕の先に、標的であるモーガンの姿は無かった。


「…………何」


どうせ何処かに隠れているのだろう、今度は『熱波』を放ってモーガンを炙り出そうとした。

しかし、彼は一向に姿を現さない。


「まさか、消えた? それとも、転移?」


慌ててギアは周囲を見渡すが、其処に生物は見当たらない。

逃げられた?

いや、空間系魔法を使って転移した時に発生する、煙越しでも見える程眩い、独特の白い光は見えなかった。

絶対にこの近くに居る筈だ、それは確信を持てる。


「何処に、行った。何処に、何処に、何処にィィィィ!!」


両手で髪をガシガシと荒々しく掻きながら、発狂するギアの姿を、モーガンは静かに眺めていた。

中級呪術『欺き』、まるで自分の姿が透明になったかの様な幻覚を見せるという効果をもたらす物だ。

魔法にも似た効果を持つ術があるらしいが、それは術者自身に掛ける物で、呪術に於ける『欺き』はあくまで周囲の人間に幻覚を見せるという物。

足音も周囲の炎が瓦礫を燃やす音で掻き消され、ガンザの様な地獄耳か獣の様な気配察知能力が無い限り、今のモーガンを探し出すのは至難の技だろう。


(『欺き』の効果の持続時間は三分程度……それまでに見つからなきゃ、オシマイだな)


ギアが周囲を矢鱈目鱈に燃やしていくのを横目で眺めながら、目的の物を探し出すべく、その場を後にした。






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