燃え盛る命
籠もった雨音は依然止まず、潤った空気が篝火の元で焼ける薪を僅かに湿らせていた。
「……そういやガンザ。この雨、いつから降ってんだ? 俺達があの塔に入るまではまだ晴れてただろ」
「多分作戦が始まった直後に降ってきたんだろう。嫌な雨だ……」
木製の簡素なジョッキに注がれた水を飲み干して、ガンザはテントの天井を眺めた。篝火から煙を逃す為の排気口から外の雨音や早歩きの憲兵達の足音などが微かに聞こえてくる。
「はぁ……」
溜め息の後、モーガンは静かに瞼を閉じた。
篝火の仄かな熱に、疲弊した肉体が溶けていく。
出来れば小一時間程度はこのまま微睡んでいたかった。
視界がボヤけ、意識が遠のき始めていた所、それを阻止する言葉が投げ掛けられた。
「おい、モーガン。まだ作戦は終わってないんだ。今はまだ後続隊があの虫の死亡確認と放棄された最前線に残された小さな蟲達を潰し回っているんだ。彼等の武運を願う事が、俺達の役目だろう」
ガンザは糞真面目な事を言って、眠りに就こうとするモーガンを戒める。
だがそれに反論する言葉も気力も、彼は持ち合わせていなかった。
「……あぁ、そうだな」
そう言って上半身を起こしたモーガンに、ホイットマンは尋ねた。
「あ、そういやオメェ、武器とか全部置いてきたのか?」
「え?」
その時モーガンは、自分が何の武器も持っていない事に気付いた。
恐らく体液の奔流に流された時にツヴァイヘンダーを手放してしまったらしい。
愛用のメイスも弟王子戦の際に壊れてしまった為、今は完全に丸腰状態という訳だ。
「……憲兵が丸腰なんて、情け無い。ほら、其処の木箱の中に備品の武器が入ってるから、それ貰っちまいな」
「え? でも……良いんですか? 備品を使う時には確か申請を通さないと……」
「俺はこれでも第五部隊隊長だ。今俺が、備品を使う事を許可しよう。ホラ、眠気覚ましに漁ってみろよ」
「あ、ありがとうございます……」
モーガンは備品としてテントの隅に積み込まれていた木箱の蓋を開けると、その中を覗き込んだ。
やはり天下の憲兵団、武器の品揃えは武器店などにも引けを取っていなかった。
憲兵団規定の直剣の他にもショートボウやダガー、挙句の果てには拳に括り付けるセスタスなども入っていた。
「……凄え、ラインナップが豊富過ぎるだろ……。セスタスなんて、今時格闘家も使わねぇのに……」
「え? そんな物もあるのか」
「他にも色々ありますね……モーニングスターとかショーテルとか……」
「オメェの大好きなメイスは?」
「あぁー……少し探してみます」
身を乗り出して木箱の中を物色していると、不意にテントの入り口に掛けられたカーテンが開けられる。
髪先に水を滴らせてテントの中に入って来たのは、憲兵団団長エクティ・スタンドリッジだった。
彼女はいつものラフな格好ではなく、傷一つ付いていない純白の鎧をその身に纏っている。やはり戦場だからだろうか。
「お疲れ様です、皆さん」
「団長……」
「現在別働隊が後始末をしていますので、それが終わるまではどうぞごゆっくりと」
彼女は微笑むと、そのまま篝火の方に歩み寄った。
「少し私も暖まって良いでしょうか? 外は寒かったので」
「あ、はい……構いません」
「それでは、失礼します」
互いの息遣いと薪の爆ぜる音しか聞こえない暫しの沈黙の後、スタンドリッジは嬉しそうに笑いながら話した。
「それにしても……本当に貴方達はよくやってくれました。あのレベルのサイズの生物の撃退作戦は長いガーランド王国の歴史の中でも初めてだったので、安心しました。中は一体どんな様子でしたか? 結構な間放置されていましたが……」
「えっと、全体的に暗かったな。それに雑兵紛いの蟲もかなり……警備の憲兵に聞いたけれど、確か前線にあれの子供みたいなのが出てきたんだろ? それが居た」
「あぁ、あの螻蛄の様な形状の……」
ホイットマンは人差し指の先をクルクルと回しながら説明を続ける。
「それに馬鹿でかい蜂とか、頭だけが虫の兵士も居たな。特に蜂なんかは、これが無かったら確実に刺されてた」
不意に彼の手の平が緑色に発光する。すると、その光の中から拳大程のサイズの球体が出現した。
恐らく魔法使いが最初に習うであろう『魔法の光球』。
恐らくそれを連発する事によって飛ぶ虫を撃ち落としていたのだろう。威力は弱くとも、脆弱な羽虫の翅を破くくらいの芸当は容易い筈だ。
「流石に近接武器だけじゃあ敵わない。だからガントレットの手の甲に小さく切り取った杖先を仕込んだ。団長は狭い塔内じゃ距離を取れないって考えて剣士を突入させたが、まさか虫が蔓延ってるとは思ってなかっただろ?」
「……はい、恥ずかしながら」
「別に、俺達は構わない、生き延びたんだから。だけど、死んだ八人にはちゃんと謝っておけよ。墓前でな」
目を伏せて視線を膝に落とすスタンドリッジを横目で眺めながら、ホイットマンは篝火に新たな薪を投げ込んだ。
「……まぁ、俺の指揮が至らなかった所もあったけどな……申し訳無い事をした。もし俺がもう少しでも賢明だったのなら、あと二人程度は命を落とさずに済んだかもしれないのに」
そんな彼等の様子を気にしながら、モーガンはゆっくりと物音を立てない様、注意を払いながら木箱からメイスとそれと共に珍しい道具類を取り出すと、静かに篝火の側に腰を下ろした。
葉巻でも吸おうかと思ったが、テントの端に置かれた防具類とポーチは砦蟲の体液で濡れている事を思い出し、防具に伸びかけていた手を止めた。
そもそも葉巻は作戦前に既に吸い尽くしていた。
「あ、そうだ。ねぇチェンバレンさん」
「はい、何でしょう」
「……出逢えましたか? あの人に」
「…………あぁ、成る程」
あの人とは、恐らくモーガンがガンザと共に倒したセルヴィ弟王子の事を指しているのだろう。
彼は先程木箱から取り出した備品のメイスを弄りながら、答えた。
「ハッキリ言って、弱かったです。挟み撃ちにしたらあっという間に……立ち回りから察するに、多分戦闘自体に慣れていなかったんだと思います」
「……慣れて?」
「はい。あの人は扱う術こそ強力でしたが、防御が不完全でお粗末。大槌を使っていたんですけど、片方に注力し過ぎて余裕が無さそうでした。だから、簡単に背後まで近寄れて、そのままザクリと」
指先まで揃えた右手を剣に例えて、それで左手を斬る様な動作で、モーガンはその先に起こった結末を簡潔に伝えた。
「まぁ、流石に無傷じゃ済みませんでしたけど。背中に遠距離から攻撃を受けて……火傷してます」
「それだけで済んだなら万々歳ですね。という事は、その頰の傷は道中で?」
「はい。色々とありまして……」
その後は暫く、作戦開始から『帰還の日向土』で帰投するまでの流れを説明した。
時々雨音に掻き消されそうな程か細い声になりながらも、モーガンがその全てを伝え終えた時、神妙な顔でスタンドリッジが頷いた。
「成る程、そんな事が……」
彼女は整った顎に手を置いて、瞼を閉じた。
「それにしても、錬金術と降霊術を同時に扱えるとは……国が違えば、歴史に名を残す程の偉人になっていたかもしれないのに……そう考えると、残念ですね」
実際にガーランド王国と隣接する国家、インルートでは錬金術は『神の領域に踏み入れる事の出来る唯一の術』として重宝され、その希少な才を持つ者は王家に雇われる側近として高い給金が支払われるという話だ。
それとは真逆に、ガーランド王国では錬金術は『神を侵食する禁忌』として排他され、もしそれに手を出そうとすれば弟王子の様に投獄されてしまう。
国と土地、環境が違えば思想も違う、それが人間という物なのだろう。
とは言っても、モーガンは啓蒙思想や哲学には疎いので、それから先を煮詰める事はしないが。
「……錬金術で作った肉体に降霊術で死人の魂を注ぎ込む、そうして様々な兵や虫を創り出したのですね。あのギアちゃんも」
スタンドリッジは額に浮かんだ汗を手の甲で拭い取った。
「彼女の狂信的な忠誠心も、創り出された事による恩義から来ているのかもしれませんね。それならあの蟲妖精にあるまじき自己顕示欲の無さにも合点が行きます」
「成る程ねぇ……」
ふとその時、床に寝そべっていた筈のヘナメルが上半身を起こして、モーガン達の方を見た。
その顔には、まるで滝の様な汗が流れていた。
「あの、すみません。出来れば篝火を消して欲しいんですけど……暑くないですか?」
「あ、あぁ。そうだな。俺も暑くなってきた。いいよな? 団長にチェンバレン、シュライデンも」
「はい、構いません」
「いいですよ、俺も」
「分かりました」
ホイットマンは緊急時の為に備えられた消火用の壺の中に入っていた水を篝火に掛けて、燃え盛っていた火を止めた。
水を被ると同時に、パチパチと炭化し始めていた薪が弾ける様な音を立てて炎が消える。
だが、まだ暑い。
「……誰か、氷結魔法か何か使えますか? これは余りにも……暑過ぎます」
「生憎、スペルを覚えてないので無理だ。お前らはそもそも魔法の適正が無いだろ?」
モーガン達下っ端憲兵の三人は一同に頷く。
「雨はまだ降ってんだろ? なら何でこんなに……」
ホイットマンがそう言いかけた刹那、突如テントの屋根が凄まじい勢いで燃え始めた。
「ッ!?」
一瞬篝火の灰から引火したのかと思ったが、その程度の火では耐火性強化の加工が施された布が燃える事など無い。
だとすれば、もっと強力な炎。
反射的に武器を持って立ち上がると、憲兵達はテントの外へ飛び出した。
其処にはやはり、凄惨な光景が広がっていた。
憲兵達が待機していたテントの群れには火が灯り、巨大な火柱が至る所で立ち上がっている。その下では突然の事態に動揺する者や背中に着火し逃げ惑う者など、まさに混沌とした状況になっていた。
「い、一体何が……!」
そう嘆いた刹那、モーガンの顔に不自然な程明るく熱い光が当たる。
彼は咄嗟の判断で後ろへ飛び退くと、泥濘んだ泥の中に飛び込んだ。
すると、一瞬前まで彼の立っていた地面が、突如爆ぜた。
「外した、か」
悔しがる様な声がモーガンの頭上に降り注ぐ。それは若い少女の物だった。
泥の中で立ち上がると、彼は首を上げて声のした方に目を向ける。
其処に居たのは。
「あのまま、火に当たって、焼かれる苦しみを、味わいながら、死ねば、よかったのに」
紛れも無く、ギアだった。
「ギ、ア……?」
「我が主人、セルヴィ様を、殺した代償、は、その苦しみと、絶望で償わせる」
その声は余りにも冷淡で、感情が無く、死刑執行人の持つ首刈り鎌の様に鋭利な物だった。聞くだけで背筋が凍る程に。
降り頻る雨の中を、透明な翅を羽ばたかせて宙に舞う彼女の身体は、赤く燃え盛る炎に包まれていた。
「やはり、貴方達、だったか。テントに居て、気付かなかった、けど、魂に、穢れを、感じる。血痕、という、穢れが」
ギアは気付いているのだ、自分の主人がモーガンとガンザの手によって殺された事に。
「許さない、許せる訳が無い。ボクが、引導を、渡して、やる」
彼女は身に纏っていたローブの中から短い杖を取り出すと、それをモーガン達に向けた。
何やら不穏な気配を感じた彼等は飛び退くと、急いでその場から立ち去ろうとした。 それとほぼ同時に、ギアは詠唱を終えて、仕上げとして術名を小さく呟く。
「『熱波』」
刹那、ギアを中心として強い衝撃波が放たれた。
「ッ、うおぉ!」
モーガン達は圧縮された魔力に弾き出され、大きく吹き飛んだ。
そして地面に激突すると同時に、背中を覆い尽くす激しい高熱の存在に気が付いた。
「あっつ……!何だこれ……!」
鎧を着ていなかった為か、背中と皮膚が焼け爛れるのではないかと不安になる程の熱と激痛が彼を襲う。
幸い鎧を着込んでいた面々は無事だが、やはり熱のダメージは大きいらしい。
「一旦離れるぞ! こっちだ!」
ホイットマンの声に導かれ、彼等はテントの残骸の影に飛び込んだ。
「大丈夫ですか、皆さん」
「はい……まぁ……何とか」
他の憲兵達も皆軽い火傷を負っているが、命に別状は無さそうだ。
治癒魔法で回復する必要もまだ無い。
「突然の奇襲なんてな、しかも憲兵団の野営地に……しかもあれ、セルヴィの従者だろ? 主を殺された怨みでの行動か……クソッ、全部終わったと思ったのに……」
「泣き言は後。まずは彼女を無力化する事が最優先です」
スタンドリッジは瓦礫の影から僅かに顔を出して、此方を静かに眺めているギアの様子を見た。
そして首を引っ込めると、大きな木片の面に背中を預けて、細い息を吐く。
「ギアちゃん……」
彼女は少し俯いたが、直ぐに顔を上げた。
その双眸には慈しみや優しさなどは一切無く、紅の底にはただ、正義を執行する上で立ちはだかる障壁は何者だろうと打ち砕くという冷たい闘志と冷酷さが静かに輝いていた。
彼女はモーガンとガンザの姿を見ると、憮然とした表情を浮かべた。
「それにしても……貴方達防具を纏っていませんね。これをどうぞ」
彼女は懐から杖を取り出すと、それをモーガンの胸に突き立てた。
そして短い詠唱の後に、
「『分厚い魔法防壁』」
すると、モーガンの身体が薄い黄金の光に包まれた。
それと同時に背中に走っていた熱が消え、程良い冷気が皮膚を撫でた。
「こ、れは……」
「魔法による属性効果を無効化する魔法です。これであの熱気を防げますがその分近接的な攻撃には弱くなってしまうので、注意して下さい」
続いてガンザ、ホイットマン、ヒューストンにも、その魔法が施された。
「ギアちゃんの狙いは貴方達二人です、恐らく貴方達を重点的に攻撃してくるでしょう。私とホイットマンは一時離脱して、他の憲兵達の先導をします。ヒューストンさんも私達と一緒に。チェンバレンさん達はあの子の陽動を。思いもよらない連戦ですが、ご武運を」
「……はい」
スタンドリッジは大きく頷くと、ホイットマンとヘナメルに目配せをした後に瓦礫の影から飛び出した。
「……やらなければ、駄目なのか……」
「…………あぁ」
モーガンは瞼を閉じると、胸をドンと叩いて、メイスの柄を握り締めた。
もう呪術の媒体は残っていない、『毒霧』や『淀み』などの下級呪術の物が十数個、中級呪術が数個、上級呪術に至ってはもう底を着いている。
その上少し休息を取ったとはいえ、体力も気力も完全に回復したとは言い切れない。
そして、名前も顔も見知った者を殺す、この行為は想像以上に精神的な苦痛をもたらす。
今まで自分に向けられていた笑みは苦悶の表情に、語りかける声は怨嗟の籠もった呻き声に、優しかった眼は殺意混じりの視線を放つ様に変わる。
例え友人だろうと、親だろうと、恋人だろうと、部下だろうと、例外無く。
「……クソ……」
モーガンはその点半端だった、本当に非常な狂戦士には成れないのだから。
彼は非人を相手取る剣闘士として、地域に寄り添う憲兵としてなら完璧に等しい。
だが、彼はあと一歩を踏み出す事が出来なかった。
感情を捨てる事が出来なかった。
「おい、モーガン。モーガン!」
ふと、そんなくぐもったガンザの声でモーガンは思索の海から引き摺り出された。
「いつまで精神統一やってるんだ。早く行くぞ」
「あ、あぁ……!」
彼等は息を合わせると、一気に物影から飛び出した。
ギアは手の平の中で小さな灯火を弄りながら、翅を動かして宙に浮かんでいた。
先程から何か動いた様子は無い。
「やっと、来た。打ち合わせ、でも、してたの」
「あぁ、そうだ……」
モーガンはメイスを構えると、少しだけ顔を上げて口を開いた。
「なぁ、ギア…………!」
だが、そこで彼は言い淀んだ。
彼女の帯びる哀愁と突き刺す様な殺気に気圧された事もあるが、彼女がこの様な蛮行に及んだのは全て自分達が主人を倒した為。
創造主、つまり唯一の家族が殺されたのだ、その怒りと悲しみ、絶望は並大抵の物ではないだろう。
その感情を理解出来るからこそ、モーガンはギアを止める事が出来なかった。
「何」
「いや……何でも無い」
「そう、それなら、行くよ」
ギアは杖を立て、それと同時にモーガン達はそれぞれの得物を構えた。
本作戦に於ける最終決戦が今、幕を開けた。




