噴出
モーガンとガンザは静かに、息を殺しながら階段を下っていく。
既に蓄積され過ぎて臨界点を超えた疲労に視界が何度も点滅するが、何とか足に力を込めて一つ一つの段に足を踏み掛ける。
そんな時、彼等の背後から近付いてくる者が居た。
「二人共」
その声が鼓膜に届いたと同時に、彼等は反射的に武器を構えて振り向いた。
其処に居たのはヘナメル・ヒューストンとエクスド・ホイットマンだった。
「遅かったじゃねぇか、ヘナメル。そしてホイットマン隊長も」
「あぁ、ごめん。ちょっと小さな蟲相手に手間取ってて……」
安堵の色も見える笑みを浮かべるヘナメルの隣から、険しい表情のホイットマンが歩み出て来た。
彼はモーガンの眼を睨むと、静かな口調で尋ねた。
「……此処まで来る道中、この上の階層で男性の死体を一つ見つけた。あれはオメェ等がやったのか?」
「……はい。襲われたので、俺とガンザの二人で反撃しました。その結果、殺害してしまいました」
「そうか、あれが……」
ホイットマンは憲兵団規定の兜を深く被ると、何かを悟ったかの様に薄暗い天井を仰いだ。
「…………どうかしたのですか? あの首を斬られて死んだ男が何か?」
「いや、何でも無い。オメェ等下っ端には関係の無い事だ」
「そ、そうですか……」
この地下塔に誰が閉じ込めてられているのか、そして誰が殺されたのかを一切知らないヘナメルの問いをホイットマンは有耶無耶にして搔き消した。
「それよりも、先急いでるんだろ? 直ぐに行こう、背後なら俺達に任せな」
「あっ、はい。ありがとうございます」
こうしてモーガンとガンザで前方を、ヘナメルとホイットマンで後方という布陣が自ずと構築された。
冷たい空気と微かな土の臭いが充満する階段を下っていると、不意にホイットマンが声を上げた。
「そういえば……この作戦の最終目的はこの塔を背負ってる虫の背中を攻撃して、完全に侵攻を止める事だけれども……確か背中が唯一の弱点だったよな?」
「はい……説明を聞く限りそうです」
「それならさ、誰が一番最初に攻撃するかって事を決めておいた方が良いな」
彼の問いに答えていたガンザが不意に足を止めて振り返った。
「え?」
「やっぱり何が起こるか分からないから、四人全員で突っ込むってのは無謀で軽率過ぎる。もし急に背中が爆発したらどうする? 物凄い勢いで体液を噴出したら? 全員が全員それに巻き込まれたら、本当に王都は終わりを迎える」
「…………あぁ、成る程」
四人一気に毒牙に掛かるくらいなら、先に一人を先行させて様子を見ようという魂胆らしい。
此処は霊が作動させる罠や毒虫などが蔓延る危険地帯、警戒するに越した事は無い筈だ。
「それじゃあ、誰が行く? 多分一番危険だ、死ぬ可能性もある」
ホイットマンの脅しにも似た質問に手を挙げたのは、紛れも無いモーガンだった。
「俺が行きます。恐らくこの中なら、俺の持つツヴァイヘンダーが一番一撃の火力が出ると思いますし、時間も短く出来る筈」
ガンザの直剣、ヘナメルのハルバード、ホイットマンのバスタードソード、そしてモーガンのツヴァイヘンダー。
この武器群の中で一番重量が多く、かつ一撃の破壊力が大きいのは中折れしながらも素晴らしい間合いと重量を誇るモーガンの得物だった。
モーガンが手を挙げたのは正義感や責任感からではなく、『巨大な虫を一太刀で斬ってみたい』という単純な欲望に突き動かされた為だ。
彼は虫が好きだ。特に毒を孕んだ種が。
砦蟲が毒を持っているか、彼には知る由も無いが、これ程までに巨大な体躯を誇る虫は恐らく一生に二度は遭えないだろう。
だからこそ、一太刀分でも、この砦蟲を斬りたいのだ。
「おぉ、オメェがやってくれるのか!でも……どうすんだよ。オメェは元々メイス使いだろ? 身体の運び方とか知ってんのか?」
「い、いえ……さっきも力任せに振ってただけでした……」
「そうか……」
ホイットマンは暫し考えると、不意にニヤリと笑みを浮かべた。
「まぁ……別にいいか。どうせ俺達もツヴァイヘンダーの振り方なんて知らねぇからさ。誰が使ったって一緒」
「……ありがとうございます」
「上手くやれよ、チェンバレン」
彼はモーガンの眼前に拳を突き出すと、もう片方の手で背中の鞘からバスタードソードを引き抜いた。
「さぁ、先陣は任せる。大トリはオメェだからな」
「はい!」
モーガンは右肩に乗せたツヴァイヘンダーの柄を握り締め、気持ち足早に階段を下っていった。
そんな彼にヘナメルが背中越しに話し掛けた。
「ねぇ。素朴な疑問なんだけど、目標の虫の弱点部分、それを壊した後はどうするんだろう? 退却するにも、一度上に上がらないといけないでしょ?」
「え? あ、あぁ、そうだな……」
独断で方針を決める訳にもいかず、返答に困ったモーガンは総指揮を執るホイットマンの方に目線を向けた。
彼は「忘れていた」と言わんばかりに驚くと、如何にもわざとらしい咳の後に一歩前に踏み出した。
「あぁー……退却時の事を言ってなかったな、そっからは俺が話そうか」
彼は腰に括り付けられた小さなポーチから作戦が開始される前に配られた『帰還の日向土』を取り出すと、それを三人の憲兵の眼前に突き出した。
「これ、全員ちゃんと持ってるよな?」
「勿論ですよ」
モーガン達もホイットマンと同じ様に各々の『帰還の日向土』を取り出し、見せつける。
それを見て彼は微かに微笑んで頷いた。
「よし、それで良い。もしこの下にいやがるデカブツを倒したら、直ぐにこれを割って離脱する。もしかしたら塔全体が倒れて、瓦礫の下敷きになっちまうかもしれないからな」
咄嗟に取り出せる様にポーチの一番上に置いとけ、という言葉に従ってモーガンは奥底に沈んでいたそれを引っ張り出して、ポーチの内側の側面に付いていたポケットに仕舞った。
媒体の入った小ガラス瓶も底が尽きかけていたので、石を探すのも苦労しなかった。
「確か……これを握り潰せば転移出来るんでしたっけ?」
モーガンは右手の内で石を転がしながら尋ねた。
石と言えどもかなり脆いらしく、少し力を込めただけで微かにピキッというひび割れる音が聞こえた。
「おおっと、確かにそうだけれども、ここで割るなよ? こんな所で転移しちゃ大変な事になっちまう」
「す、すみません……」
「まだ任務は終わってないから、もし手違いで転移しちまったら敵前逃亡やら職務放棄やらと見做されて首切りだ」
ホイットマンは薄ら笑いを浮かべながら親指を首元で横一文字に引いてみせた。
憲兵と言えども立派な兵士、規則や規律は絶対厳守であるのだ。
「あはは、それは恐ろしいですね。首と胴体がオサラバなんて、絶対に嫌ですよ。僕」
ヘナメルが叩いた軽口と共に、限界まで引き締まっていた空気が俄かに緩む。
作戦開始から数時間、既に八人もの同胞が命を落とした。
彼等の命が、努力が、人生が。
その全てが報われる時が最早眼前に迫っているのだ。
肩に朽ちた英雄達の御霊の重みを感じながら、限界まで疲弊した肉体と精神に鞭を打って階段を下っていく。
刹那、四人の間に鋭い緊張が走った。
「…………!」
彼等の視線の先に扉が立ち塞がっていたのだ。
それは今にも崩れ落ちそうな、粗末で脆弱な木材で作られていた。
半ば朽ちかけており、表面は薄っすらとカビや苔で覆われている。
ドアノブには一応鉄製の南京錠が掛けられているらしいが、最早それも錆びており錠前の意味を成さないだろう。
「……どうしますか、蹴破りますか?」
「あぁ、そうだな。シュライデン、頼む」
「承知」
ガンザは弾かれた様な勢いで階段を駆け下りると、そのままの速度で扉を蹴り飛ばした。
ブーツの靴底が木材と木材の隙間が貫いた刹那、錆びた留め具が外れて扉はバラバラに砕け散った。
「よし、破れ……」
そう言いかけた所で、ガンザの動きが止まった。
扉の向こう側に視線を向けたまま、静かに、何も喋らないまま。
「お、おい! どうしたんだよガンザ!」
慌ててモーガンも階段を駆け下りて、仲間の元へと向かった。
そして彼もガンザの肩越しに扉の向こうの光景を目にして、言葉を奪われた。
その後、モーガンは一言、ポツリと呟いた。
「凄ぇ……」
ただただモーガンは眼前の光景に度肝を抜かれていた。
甲殻と同じ黒と紫が混じった様な色の薄い皮膚の下に蠢く影、一定のタイミングで動するそれに合わせて巨大な肉塊自体が揺れている。
これが、砦蟲の中枢。
この薄い皮膚に隠された急所に剣を突き立てれば、この騒動は終わる。
確か虫には心臓は無いが、その代わりに人間にとっての大動脈である背脈管と呼ばれる巨大な血管が走っている。
これが拍動する事によって体液を全身に送り出しているのだが、もしその活動が止まれば間違い無くその虫は死に至る。
背脈管を破壊する事が、最優先事項だ。
彼は恐る恐る近付くと、その表面をゆっくりと撫でた。
よく見ると皮膚は薄氷の様に僅かに透けており、その直ぐ下には細い血管が縦横無尽に走っていた。
生唾をゴクリと飲み込むと、モーガンは右肩に担いでいたツヴァイヘンダーの柄を両手に握り締め、静かに瞼を閉じた。
「おい、モーガン」
「何です」
「派手にやれ」
「……分かりました」
背後から聞こえるホイットマンの言葉にモーガンは頷いた。
そして意を決すると、両腕を下ろして特大剣の刃をその肉塊に当てた。
若干刃毀れしているものの、その重量を活かした一撃なら『斬る』事は出来なくとも『叩き切る』事は出来る筈だ。
「……よし」
モーガンは身体を捻ると、遠心力の乗った斬撃をその肉塊に叩き込んだ。
最早外部からの攻撃を防御する甲殻もクチクラも無い素の皮膚、まるで溶けたバターの塊にナイフを入れる様にスッと、ツヴァイヘンダーの鋼鉄の剣が黒紫の肉塊に飲み込まれた。
刹那、その刃を押し出す程の勢いで濃緑の体液が噴出してきた。
「ッ!?」
想定外の出来事にモーガンは目を見開いたが、直ぐに冷静さを取り戻して床に落ちたツヴァイヘンダーを右手で拾い上げた。
そして歯を食い縛ると、そのまま斬り上げて更に裂傷を増やす。
だがこれだけでは足りない、この砦蟲の侵攻を完全に防ぐにはまだ傷を付ける事が必要だ。
モーガンは口の端に付着した緑色の飛沫を舐め取ると、力任せに得物を振り出した。
もう石化や毒など、使える様な呪術は残っていない。
この先は力だ、純粋な腕力のみが彼等の未来を暗示する。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
何度も何度もツヴァイヘンダーで振り続けていると、彼は緑一色に染まった視界の中で、肉の中に隠された、他とは一線を画す程太い血管を見つけ出した。
モーガンはほぼ反射的に左腕を伸ばすと、それをガシリと掴んで固定し、残った右手に構えていたツヴァイヘンダーを振り下ろした。
「これだぁぁぁぁぁぁッ!」
僅かに残った力を搾り取って与えた、最後の斬撃。
凄まじい重量を乗せた一撃は動脈と思しき血管の厚い壁をいとも容易く斬り裂いた。
「……あっ、ヤバ」
後ろに立っているヘナメルが不穏な気配を悟ったのか、そんな言葉を漏らした刹那、まるでその呟きを打ち消すかの様に、大量の体液が噴き出したのだ。
その量は、先程までの出血とは比べ物にならない程だ。
「う、あ、あぁぁ!?」
モーガンは濁流の如き勢いで溢れ出す濃緑の流れに耐え切れず、思わず足を浮かせてしまった。
それと同時に汚濁に飲み込まれ、彼は流れの中に消えていった。
「ッ、モーガン!?」
突然姿を消した同僚の名を呼ぶガンザの直ぐ足元にも体液の濁流は迫っている、他人事ではない筈なのに、よく自分ではなく仲間の心配を出来たものだ。
モーガンは生臭い体液の流れの中で、『帰還の日向土』の存在を思い出した。
彼は床を激しく転がりながらポーチの中に手を突っ込むと、直ぐに目当ての物を見つけ出した。
表面に大量の気泡が空いた軽い黄金色の小石。
かつて魔法を扱えぬ者達が『懐かしき故郷』などの転移系魔法を使う魔法使いを疎み、恨み、憧れた結果創り出した技術の結晶であるそれ。
冒険者や兵卒などが危機に陥った時、窮地から脱する為によく使われるという話を何処かで聞いた。
逃げる事の許されない闘技場でばかり戦っていたモーガンは当然それを使った事が無く、従ってどの様な原理や仕組みで転移出来るのかも知らなかった。
(クソッ……使うしか無ぇ!)
モーガンはツヴァイヘンダーを放り捨て、取り出した『帰還の日向土』を右手の内に包み込むと、それを胸の前に置いてサカサカと乾燥したそれを握り潰した。
すると、不意に視界が白み始めた。
(な、何だこれ!?)
続いて地面が高速で回転している様な不気味な浮遊感と激しく揺れる馬車に乗った後の様な酩酊感に襲われ、モーガンは吐き気を催した。
(これが、これが『帰還の日向土』の能力か……!)
二度とこんなモノ使わない、そんな決意と共にモーガンの意識は薄れていった。
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「…………ん」
目が覚めると、モーガンはいつの間にか降り頻る雨に打たれながら草原に寝転んでいた。
暫し目の前に生えている芝生を緑を眺めていると、自分が先程まで居た塔内とは環境が真逆になっている事に気が付いた。
跳ね上がる様に彼は上半身を起こすと、辺りの様子を見渡した。
「こ、此処は!?」
其処はテントが立ち並ぶ野営地の様な場所だった。
魔法により燭台に灯された『消えない炎』が照らす中を、見覚えのある鎧を纏った男女が忙しなく動いている。
彼等は憲兵だった。
突然の事態に呆然としていると、モーガンの目の前を通りかかった一人の憲兵が彼が起きている事に気が付いた。
憲兵は慌てた様子でモーガンの元へ駆け寄る。
「貴方がモーガン・チェンバレンで間違い無いですか?」
「あ、はい……俺がチェンバレンです」
「あぁ、良かった……他の隊員方が直ぐ側のテントで待機しておられますので、そちらでどうぞお休み下さい。私は団長に報告して来ます」
「分かりました……」
彼は雨が降る中を、具足が汚れる事もお構い無しに走っていった。
「何なんだ、一体……」
ゆっくりと立ち上がった時、モーガンは気付いた。
今自分の立っている場所が作戦開始前に『帰還の日向石』で召喚サインを書いた地点である事を。
そして自分の纏う憲兵団規定の鎧が生臭い臭いを放っている事に。
「…………!」
モーガンは先程憲兵から指定されたテントの中に足を踏み入れた。
すると其処には、燃え滾る篝火を囲う三人の憲兵の姿があった。
「ガンザ……ヘナメル……ホイットマン隊長……」
顔馴染みの名を呟くと、彼等は顔を此方に向けた。
「おぉ、チェンバレンか。転移に時間が掛かったようだな、待ちくたびれたぞ」
「大丈夫か? まずは鎧を脱いで温まれ、モーガン」
「お疲れ様。遅かったから心配したけど、別に何とも無いみたいだね」
彼等は一様に鎧を脱いでいた。武器も側に置き、完全にリラックスしている。
……まぁ、ガンザはやはり鉄兜を被ったままであったが。
素肌の上に毛布を巻いて、篝火に当たりながら静かに体力を回復させていた。
モーガンは一つ息を吸い込むと、ガンザに向けて尋ねた。
「なぁ、ガンザ…………終わったのか?」
咳払いをして、続けた。
「俺達は成し遂げたのか?」
彼は鉄兜の頭頂部を右手で抑えると、兜の下で笑って答えた。
「あぁ、終わった。何もかもが、全て綺麗に」
「…………成る程。そうか、そういう事か」
モーガンは篝火の側に座り込むと、そのままシートの上に身体を倒した。
「やったぞ……俺達は、勝ったんだ」
彼等が入ったテントの遥か遠く、第一戦線と第二戦線の丁度半ば程に広がる草原のど真ん中に、崩れ去った大量の瓦礫の下で臥す巨大な蟲の死骸が転がっていた。




