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咆哮





「さぁて、どう倒すか……」


メイスの柄を握り締め、ジッと正面の蟲男を見据える。

その無機質な複眼は薄闇の中で、気味の悪い光沢を放っていた。

右手には錆び付いた大鉈、当然風化していようとも武器としての性能は充分に残っている。


モーガンはジワリジワリと距離を詰めながら、攻め方の算段を整えていた。

現在、この右手の内にあるのは『聳え立つ結晶柱』と呼ばれる中級呪術を発生させる為に必要な媒体である。

この呪術は媒体の結晶粒を地面に撒き散らす事で発動し、それらを急成長させて巨大で鋭利な結晶の氷柱を創り出すという物だ。


鍾乳洞が一気に成長する様子を想像して頂ければ良いだろう。


「…………ふぅ」


モーガンは意を決すると、右手の内の媒体を蟲男の足元に振り撒くと、吼えた。


「『聳え立つ結……!」


術名を言い切ろうとしたその間際、モーガンの視界の端に赤褐色の光が映り込んだ。

それは飛び掛かってきた他の蟲男が振り下ろした手斧だった。


「ッ!?」


咄嗟にモーガンはメイスを頭上に掲げてその斬撃を間一髪で喰い止める。

刹那、視界の端で先程蟲男が鉈を振り上げて、走り寄ってきた。


「う、嘘だろ!? 『聳え立つ結晶柱』!」


辛うじて発生させた呪術で蟲男を串刺しに出来たが、もし判断が一瞬でも遅れてしまえば間合いを詰められて、腹に重い一撃を浴びていた事だろう。


『ギリギリィ……』

「はっ……この蟲畜生が!」


モーガンは蟲男の腹に蹴りを入れて無理矢理引き剥がすと、その脳天をメイスで叩き潰した。

硬い甲殻と肉を潰した、あの独特な感触に彼は思わず吐き気を催した。

だが、此処は戦場。

一々生理的嫌悪に苛まれていては、直ぐに命を落としてしまう。


「はぁはぁ……一丁上がり」


彼はその頭部からメイスを引き抜くと、周囲を見回した。


戦況は五分五分だった。

蟲男の軍勢は主に二、三体でチームを組んで一人の憲兵を囲い込んでいた。


その様子を見て、モーガンは蟲男達の生態に勘付いた。

奴等には知性がある。集団戦法を利用出来る程の知性が。


通常亜人、特に蜥蜴人や豚鬼などの異形の持つ知性は人間には遠く及ばない。

精々出来る事は武器を扱いや、棒を擦り付けて火を起こす事程度。算数を知らない様な子供でも分かる事だ。


だが、この蟲男達はそれらとは明らかに一線を画している。

我先にと一気に飛び掛かるのではなく、攻撃に順序が存在しているのだ。

誰かが攻撃すれば、それに敵が気を取られている隙にもう一体が手を掛ける。

それはさながら、人間の利用する集団戦法だ。


「……チーミング、てヤツか。ん? 違うか」


モーガンは苦虫を噛み潰した様な苦悶の表情を浮かべた。


彼は自分が一対多の集団戦に向いていない人間だという事を自覚している。

それは半年前足を洗った筈の闘技場での戦いの中で染み付いた癖が依然として残っている為なのだろうか、彼は多数の敵を一気に相手にするという事が苦手だった。

一体ずつ順番に潰す事は出来るが、同時に接近されると辛い。

呪術が無ければ、確実に苦戦を強いられるだろう。


「こりゃ……大変な事になりそうだ」


モーガンは額に浮かんだ汗を拭いながら呟いた。

戦況を見るに、圧倒的な実力で蟲男達を翻弄している者も居れば、当然苦戦している者も居る。彼はどちらかというと前者だろう。


だからこそ、モーガンには後者の手助けをする義務があった。


「『淀み』!」


彼は蟲男達に押されている憲兵を発見すると、メイスを腰に提げ、その中の二体にヘドロの塊を全力で投げ付けた。

後頭部にヘドロが命中すると、不意を突かれた蟲男達はよろめいた。

そして、モーガンの方を見ると武器を構えて全速力で駆け寄ってきた。


「この二体は任せて下さい、俺が相手します!」

「あ、ありがとう!」


近付いてくる二体の蟲男の片方に目星を付けると、その右太腿にモーガンは足元に転がっていた錆び付いた鉈を投げ付けた。

回転を続ける刃は空を斬り裂きながら直線の軌道を描き、狙い通り蟲男の右太腿に突き刺さった。


『……!?』


筋繊維を断たれた蟲男は体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。

後でじっくりと倒せば良い、その前に残った一体を片付ける事だけを考えよう。


ポーチから素早く媒体の詰まった小ガラス瓶を取り出し、左手の中で握り潰す。


「さぁ、来いよ糞虫……」


メイスを手に取り、挑発する。

その言葉の意味を奴は理解出来ないかもしれないが、別に構わない。

自分自身を奮い立たせる為に、何か特別な言葉が必要だったのだ。


得物は錆びた短剣、それにあの構え。

恐らく奴はモーガンを刺し殺そうとしているのだろう。

蟲男がメイスの間合いまで入ってくるまで、あと四歩。


三歩、まだ遠い。


二歩、もう少しだ。


一歩、来る。


届いた。


「ッ、らぁぁぁ!」


モーガンは一歩踏み込むと、蟲男の短剣を持った右手首にメイスを振り下ろした。

グチャリ、という嫌な音が鳴り、短剣は血飛沫と共に冷たい石床の上に落ちた。

突然の事態に呆然とする蟲男の顔に、モーガンは広げた左手の掌をピッタリと付けた。


「……『蟲王の御手』」


その掌からは赤黒い禍々しい色をした煙が放たれ、その瘴気を蟲男は直に吸い込んだ。

刹那、蟲男は操り糸が切れたかの様に力無く地面に倒れた。

その口の端からは茶黒の体液が垂れ、身体は細かい痙攣を続けている。


毒は血管を介さず、脳まで直接伝わったらしい。

もうこれでは助からない、このまま放っておくだけでも死に至るだろう。


モーガンはメイスにこびり付いた緑色の血液を振るい落としながら、その死体を冷然と見下ろしていた。


「……やっぱ強化しておいて良かったな」


彼は自らの左手に未だ残る、媒体を握った感触に心躍らせた。


モーガンは最近資金が潤沢になった為、幾つかの呪術の媒体を強化した。

具体的には更に高価で毒性の強い草や虫を元の媒体に混ぜ、毒を強くしたり、即効性を高めたりしたのだ。

それにより、こうして戦闘に於いての呪術の影響力が増大し、更に有利に立ち回れる様になったのだ。


……その分財布が軽くなり、毎日の夕飯に欠かせない晩酌のランクが下がった事は痛いが、仕方が無い。


「はぁ……さて、と」


どうやら周りの憲兵達も蟲男達を倒し終えたらしい。

先程まで、あれ程鳴り響いていた剣戟も鳴りを潜め、この空間にはただただ憲兵達の荒い息遣いだけが木霊していた。


「……誰が死んだ?」

「……いえ、今の戦闘で死んだのは初っ端のレーメンだけです。他は軽傷の者こそ居ますが、命は落としていません」


ホイットマンの言葉に、ある憲兵は地面に転がった死体を指差した。


「そうか……」


これで残りは八人。

憲兵団でも指折りだとされる精鋭でも、此処まで来るのに四人も命を落とした。

それ程に今回は、危険な任務なのだ。

恐らくこれから先、何人もの同胞が命を落とすかもしれない。

それがモーガンではないという保証は、どこにも無いのだ。


「よし、それなら更に下層へ向かうか。時は一刻を争うからよ」


埋蔵する時間も、黙祷を捧げる時間も無い。

今はただ、最下層に辿り着いて砦蟲の心の臓を貫くだけを考えれば良い。


誰も、何も喋らない。

ただただ彼等は先導するホイットマンの後ろを付いて行く。


モーガンはその最後列を歩いた。

そして、ふと視界の端に入り込んだ憲兵の死体を見る。

キッチリと着込んだ憲兵の鎧が纏う純白には赤い斑点が浮かび上がり、その顔はその者が誰だったすら分からない程に醜く歪んでいた。


「……レーメン」


名前もさっき覚えた程度の、面識も無に等しい人間。

だが、彼は臨時とはいえモーガン達と同じ部隊に所属し、共に同じ志を胸に戦いに身を投じた戦友だ。


「花は添えれねぇな、ごめんよ……」


思わず立ち止まったモーガンの肩を誰かが叩く。

ガンザだ。


「立ち止まるな。この人の意志を、生きてる俺達が受け継がなくてどうするんだ」


彼は緑の返り血に染まった鉄兜を揺らした。


「生き残るんだ。生き残って、任務を遂行する事が大事だろう」

「……あぁ、そうだな……」


モーガンはガンザと共に、更に下層へと向かった。


「お前は、俺の事女々しいって笑うか?」

「別に。だが、死んだ者に向けるのは同情ではなく、敬礼であるべきだ。それが礼儀という物だ」

「そう、か……」

「感傷的になるなよ、モーガン。今はただ、任務に集中するだけだ」


そう言い残すと、ガンザは歩き去った。


「弱くなったな、俺」


その背中を眺めながら、モーガンは呟いた。






~~~~~~~~~~~~~






「あぁもう、何であんな硬いの……!?」


誰かがそんな事を呟く。

その声は辺りに鳴り響く巨大な砲撃音の中でも、特に際立っている様にも感じた。


アンナも、同感だった。

ただ砲撃が行われている様を尻目に見ているだけだが、砲撃が効いている様にはとても思えない。

砲弾が頭部に当たると同時に、その爆風と轟音で何とか怯ませる事は出来ているが、恐らく身体的ダメージは無に等しいだろう。


蟲は直進を続ける。

その禍々しい色の甲殻を揺らし、脚を蠢かせながら。

一歩、一歩と大地を踏み締め。


「クソッ、砲弾だ! 砲弾を持って来い! もっと沢山!」


その言葉に背中を押されて、アンナ達憲兵は砲弾を運搬する為に駆け出した。


「もう砲弾も少ないのに……バリスタの弾も……!」


あれ程蓄えていた砲弾も、最早切れかかっている。

砲弾の在庫が無くなれば、憲兵団側は蟲に対する抵抗策を失う。

補給部隊の到達を待つという手もあるが、悠長にしているその間にも蟲は近づいて来る。

そうすれば間違い無く、この前線は突破される。


それだけは避けなければ。


「ッ……」


だが、それは理解していても、本当に有効策が無い。

砲撃による集中放火も足止め程度で、あの巨大な蟲を倒すには到底至らないのだ。


化け物、奴はそのものだった。


「……モーガンさん……」


ふと、アンナの脳裏に同僚のモーガン・チェンバレンの姿が過ぎった。

彼は先程、馬車に乗って真っ直ぐ蟲に立ち向かっていった。

それから蟲の顔が何度か爆発したかと思うと、奴の背負う塔の表面に黒い影の様な物が覆い、塔の頂上に集まった。

すると蟲の足元から魔法の煌球が打ち上がり、それを見た指揮官が一気に攻撃指令を出したのだ。


何が起こっているか、彼女には理解出来なかった。

解る事は一つ、何か只ならぬ事が起ころうとしている。

ただそれだけだった。


「……頑張らなきゃ」


アンナは一つ息を吸い込むと、補給物資が到着する所定の場所へ向かって駆け出した。


その時だった。


不意に身体から力が抜けたのは。


「へ?」


彼女は思わず体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。

刹那、その右足首に鋭い激痛が走った。


「あっ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


アンナは思いもよらない激痛と混乱に苛まれ、喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げた。

何が起こったか、理解出来ない。

立ち上がろうとするが足に力が入らない、どうやら筋を切れてしまったらしい。


「な、何がぁ…!?」


錯乱していると、不意に彼女は自分を見下ろす者の存在に気が付いた。

ゆっくりと首を回して目線を上げると、其処に居たのは。


「…………オ、ケラ?」


それは紛れも無く、螻蛄(おけら)だった。

それも、禍々しい色の甲殻に身を纏い、両前脚が異常なまでに肥大化した。

螻蛄は先程アンナの走った地面から頭と両前脚だけを出していた。


「何、これ……」


その体躯は通常の物より、数十倍は大きい。

さながら馬か牛の様に巨大だ。

その分膂力も増しているのだろう、あの前脚に挟まれてしまえば骨一本簡単に砕け散ってしまうだろう。


アンナの胸の中に浮かんだ感情、それは恐怖だった。

螻蛄が放つ無機質な眼光に、ガチリガチリと鳴る鋏状の両前脚に、分厚い黒光りする甲殻に、彼女は凄まじい恐怖心を抱いた。


目の端から涙が零れそうになる。

歯はカチカチと情けない音を立て、秘所からは尿が溢れ出しそうだ。


死ぬ。

漠然と感じていた『死』が、眼前に迫り来ているのをアンナは感じた。


怖い。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


息が荒くなり、肩が激しく浮き沈みする。

螻蛄はやがて地中から全身を乗り出すと、ゆっくりと此方に向けて近付いて来る。


「こ、来ない……」


そう言いかけたその時、アンナは思い出した。

同じ第二部隊に所属する仲間達の輝かしい活躍と勇姿を。


彼等は強い、それこそアンナとは比べ物にならない程。

ウィッテン隊長も、クレイド副隊長も、ガンザも、アスコウも、トレイスも、サヴィルアも、そしてモーガンも。

闘技場制圧でも、ディンガール制圧でも、彼等は凄まじい戦果を挙げている。


だが、それに比べて自分はどうだ?

入団して一年近くになるが、未だに実戦経験は少ない。それは自分が実力不足である為だろう。


嫉妬心と劣等感だった、芽生えた物というのは。


そしてそれと共に、彼等に追い付きたいと切に願った。

だからこそ、モーガンに呪術を習い、ウィッテン隊長から剣技を教わった。

全ては第二部隊の一員として胸を張れる様になる為、そして誰かを守る力を得る為。


「私、だって……!」


アンナは意を決すると、身体を起こして腰の鞘から剣を引き抜いた。

そしてそれを構えると、迫り来る螻蛄に向けて叫んだ。


「私だって、強くなりたいんだ!」


左足を地面に掛け、そのまま立ち上がると怪我をしている右足で身体を支えた。

激しい痛みに思わず顔が強張る。

額に汗を浮かべながら、震える剣先を螻蛄に向ける。


「来てよ……来てよ、さぁ!」


アンナは双眸から涙を流しながら、吼えた。






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