激闘の足音が
まず始めに。
長いです。めちゃくちゃ長いです。初めて6000文字超えました。
読み辛いとの声があれば、直ちに編集して二部に分けようと思いますので、どうぞ意見を宜しくお願いします。
薄雲が覆い隠す月が朧気に照らす深夜の王都。
南区の西側に流れるドナーダ川に架かる、とある石橋の傍に、三台の馬車が連なって停まっていた。
木製で、何の変哲も無い其れ等を引く黒毛の馬に跨がる御者達は頻りに懐中時計を確認している。
その馬車の中でも一番後ろの車両、その中にモーガン・チェンバレンの姿があった。
彼は二列座席の前方右側席に腰掛け、静かに瞑想していた。
腰のベルトに括り付けたポーチは大量の媒体が詰まった小ガラス瓶でパンパンに膨れ上がっており、その逆側にはメイスが提げられている。
憲兵の鎧を身に纏っているが兜は被っておらず、さらけ出た双眸には闘志の炎が燃え盛っているのが分かる。
そんな彼に、同僚であるアスコウ・コズロースキーが話し掛けた。
「何緊張しとるとね、モーガン?」
彼女は独特の訛った口調で、俯いたモーガンの顔を覗き込んだ。
「いえ、緊張してはな……」
と言い掛けた所で、彼は目を閉じて首を横へ振った。
「……緊張、してるんだろうな。初陣だという事で」
「あら、そうとね! 意外ばい……」
「お、俺だって気を張る事もあるぜ?」
モーガンは事実、闘技場での六年間も含めた二十二年の人生の中でも、手を合わせた人間は師匠であるエルミータ・ブラッシュと第二部隊隊長ホネスト・ウィッテンだけだ。
その上本気で命を奪い合いをしたのは免許皆伝と旅立ちの許しを請う為に受けた卒業試験の時だけで、闘技場でも日々死闘を繰り広げていたのは対怪物の試合のみで生身の人間と剣を交えた事は一度たりとも無い。
だからこそ初めての身内以外との対人戦に、モーガンは身構えざるを得なかった。
人間の身体を殴った時の感触は?
人間に呪術の蠱毒は効くのか?
仲間との連携は取れるのか?
考えれば考える程、不安要素は湯水の様に湧き上がってくる。
「……まぁ、気張らんくてよかよ。もし危ない事があっても、うちらが守ってやるけん!」
ドンと鉄製のチェストプレートを叩くアスコウの姿は頼もしい、というよりも子供が無理に背伸びしている様に思えた。
「ふふふふ……そうか、それなら危ない時は背中を頼むか。お前に」
父性にも似た笑みを湛えながら、モーガンは真っ直ぐな視線をアスコウへ向けた。
「そう、ウチに任せんね!」
後部座席に座っていたサヴィルアが窓を覆う黒いカーテンを少しだけ開けて外の様子を眺める。
「…………まだ……作戦………始まらないのかな」
その独り言に、モーガンは答えた。
「いや、もうそろそろ始まる筈。俺は時計持ってねぇから分からねぇけどな」
いくら機械工業が発達し、懐中時計などが出回ったとはいえ、量産されるには至っていない。
その為絶対数が少なく高価である為、時計を手にするのは裕福な商人や役人、そして凄腕の冒険者に限られているのだ。
モーガンは闘技場での収入の殆どを呪術の媒体を買う為の費用に充てていた為、時計などを持つ機会すら無かった。
彼は馬車から顔を出して、御者をする第一部隊の憲兵に小声で話し掛けた。
「御者さん、今の時刻は?」
「……十一時五十九分、そろそろ時間ですね」
御者が突き付けた懐中時計の二本の針は真上で重なろうとしていた。
「分かりました、ありがとうございます」
「いえ…………ご武運を」
モーガンは首を引っ込めて、硬い革の座席に座り直した。
「あと一分で零時になる。その瞬間、一番前の馬車に居るガンザとトレイスが突入して、そのまた二十秒後に俺達もその後を追うって訳だ」
作戦の細かな流れを自らで確認すると共に暗唱する。
「大変……だよね………」
「あぁ、かなり大変だ。敵も多いから、全方位からの攻撃に備えねぇと下手したら死ぬ」
「『安堵の壁』で……ずっと護っておけば………安心だけど…………」
「いや、そうしたらお前の体力が尽きちまうだろ。本当に危なくなった時だけ、それで囲えばいい」
呪術とは違い、魔法には持続効果がある術が多い。
だが、常時魔法を展開させるのは体力的にかなりのダメージを負うらしく、隊員全員分となれば尚更。
いくらサヴィルアの魔法使いとしての腕が素晴らしいとしても、厳しい筈だ。
「でも……怪我しちゃったら………」
「死なない限り、お前の魔法で治す事が出来るだろ」
「だけど……みんなが痛がる所………見たくないから…………」
カーテンの隙間から差す憂鬱な月光が、サヴィルアの俯いた顔を照らした。
モーガンは一瞬戸惑ったが、微笑を浮かべて、銀色に輝く長髪を生やした彼女の頭に手を置いた。
「安心しろ、サヴィルア。俺達は簡単には死なねぇつもりだし、怪我するつもりも無ぇ。少なくとも、お前の手を煩わせるつもりは無ぇよ。俺も、アスコウも」
親指を立てた先のアスコウも、笑みを浮かべて頷いた。
「そうたい! うちもモーガンも、団長も、みんな、そう易々と死ぬような奴じゃないけんね!」
ふとその時、馬車に背を預けていた御者が懐中時計の秒針に目を向けながら独り言の様に告げた。
「零時になりました。これより、制圧作戦を開始します」
刹那、馬車内は時間が静止したかの様に静まり返った。
それと同時に、外から微かに聞こえた、ドアを勢い良く開けた音。
慌ててカーテンの隙間から外を覗くと、夜の黒洞々たる闇に紛れて、疾風の如き俊敏な動きで土手を駆け下りる人影が二つあった。
全身に鉄鎧を纏ったガンザと、大鎌を携えたトレイス。彼等である。
ガンザはいつもの様に鉄兜を頭に、憲兵団規定の剣と刀身を取り付けた盾を両手に持っている。
そしてトレイスは土手を降り切った場所で徐に立ち止まると、大鎌の先で宙に大きな円を描く。
すると、その円の軌跡に合わせて青白い炎が轟々と燃え盛り、それが空を伝う様にして広がって巨大な魔法陣が浮かび上がった。
非現実的な現象に驚愕したのも束の間、その中からトレイスの召喚獣である大鷹、メッセンジャーがその雄々しい姿を現した。
トレイスはそこで足を止めるが、彼女が召喚したメッセンジャーはガンザと共に凄まじい速度で下水道の入り口へと向かい、その小さな排水口の中に姿を消した。
「アイツ等速過ぎるだろ、化け物か……」
「こら、今から二十秒後にはもう出るとばい? ………気ぃ引き締めんね」
不意に、アスコウの表情から温度が抜けた。
その吊り上がった眉に鋭い眼光は、先程の陽気な少女というイメージとは程遠い、正義の為に命を賭す歴戦の憲兵を彷彿とさせた。
「……あぁ、そうだな」
モーガンは会心の笑みを浮かべて、その腰に提げたメイスの柄を手に取った。
そして、それを硬く握り締めながら細い息を吐く。
(…………師匠)
宙を妙に冴えた目で眺めながら、心の中で綴るのは遠い地で暮らす師匠への挨拶だった。
闘技場での死亡遊戯の直前、いつも行なっていた何千回目のルーティン。
(前と環境が少し変わりましたけれど、俺、全力で戦います。だから……)
その時、御者が声を上げた。
「二十秒経過!」
(どうか、力を貸して下さい)
刹那、彼はドアを開き、転がる様な勢いで外へ飛び出た。
その後を追う様にして、アスコウとサヴィルアも馬車から出る。
首を回して周囲の様子を探っていると、一際大きな馬車の中から赤褐色の鎧を全身に纏った巨人がその姿を現した。
重厚な特大剣と、これまた赤褐色の鉄板を重ね合わせた壁の如き大盾を手に。
ウィッテンはモーガンの姿をその兜のスリッド越しに見つけると、豪快な声で言った。
「さぁ、行くぞモーガン。貴殿の初陣の時だ!」
「ッ、はい!」
そうして彼等は斥候の二人と同じ様に、土手を駆け下り、ディンガールのアジトに繋がる下水道の入り口へと向かった。
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ちょうどそれと同じ頃。
下水道の奥で、一人の男が闇の中から姿を現わした。
そのラフな格好から察するに、彼は明らかに清掃業者や怪物退治を委託された冒険者ではない、平凡な一般市民だ。
まぁ、一般人がこの様な場所に居る時点で、その者は明らかに異常なのだが。
「ふぅ……」
彼はここ最近王都で暗躍している麻薬密売組織ディンガールの構成員だった。
売人として愛用者達にドローガを高額で売り付け、莫大な利益を生み出す。要するに男は組織の手足、言うなれば代替えの利く捨て駒同然の下っ端であった。
彼が下水道の壁に背を預け、ポケットの中を探っていると、不意に声が反響した。
「おーい」
声の方向を向くと、其処には同僚であるチンピラ上がりの青年が男の後を追って来る姿があった。
「あれ?お前確か、統計の作業あっただろ。どうしたんだ?」
「仕事全部他の奴に任せてきた」
チンピラはその場に身を屈めると、低い位置から男の顔を見上げた。
「やっぱり数字は苦手だぜ、俺は金さえ貰えればいいのによぉ」
「でも、隅々まで管理が行き届いてこそドローガで美味しい汁が啜れてるんだろ。文句は言っちゃいけねぇ」
大雑把な考え方のチンピラとは違い、男は慎重で長い物に巻かれる事が得意な人間だった。
ディンガールへ入団する前、王宮直属の近衛兵団で勤務していた時代に学んだ礼儀作法がこの様な場面で役に立つとは。
もし彼が三年前のある夜、酒に溺れて街で恐喝紛いの行為をしなければ、今頃彼は分隊長として王の側に仕え、その身を捧げていた筈だ。運命とはつくづく数奇な物だ。
「あっ、そうだ。なんかまたドローガ使ってた奴が捕まったらしいぜ」
「別にそんな大した事じゃないだろ。毎日毎日お得意様が捕まってるけど、構成員はまだ誰も尻尾掴まれてないんだし」
ディンガールが直接管理、統率する構成員達はほぼ全員が所定の位置へ帰る空間魔法の一種、『懐かしき故郷』を会得している。
その為、万が一憲兵に追われたとしてもそれを使って逃げる事が出来るのだ。
当然チンピラと男も『懐かしき故郷』を使用出来るが、いずれも精度は低い。
「でも……やっぱり捕まるリスクは付き纏うもんなぁ……」
一つ溜め息を吐いて男は葉巻に火を付けた。
「うわっ、テメェアジトで火扱うなよ。煙が籠っちまったらどうするんだよ」
「へっ、別に構わねぇだろうが。ボスも気付かねぇだろうし」
男は細い紫煙を吐き出しながら、一言呟く。
「でも、もうそろそろヤバいかもしれないな」
「え?」
「憲兵団もそこまで無能じゃない。下手したら拷問か何かでアジトの場所を割り出してるかもしれない。第四部隊の連中からすれば、そんな事容易いだろうな」
「へぇ、結構詳しいな」
「俺は結構近くで見てたからな、職業柄」
彼が主に警備していたのは謁見の間。
白梅勲章と言う、憲兵団の中でも特に優秀な者に授与されるその場所に居たからこそ、男は様々な憲兵を目にしてきた。
特に記憶に残っているのは、三年前に白梅勲章を授与された、天を穿つ程の高い身長とずっしりとした体躯を誇る男憲兵だった。勲章が与えられる程の実力者なのだから、肉体だけではなく、当然確かな実力も兼ね備えているのだろう。
もしあの高身長から頭上に特大剣でも振り下ろされれば、肉体はたちまち二つに分かれてしまうだろう。
「ガサ入れされそうになったら、俺は金掻っ攫って逃げるつもりだ」
「逃げる?逃げて、どこ行くんだよ。ディンガールはそれなりにデカイパイプ持ってるしよぉ、大都市に行けばすぐ見つかっちまうだろ」
「あぁ、だからよ、どっかの辺境の農村に腰据えて自警団になるってのも悪くはないかもな」
「ふーん……」
男の視線の先で、静かに立っていた煙の塔がユラリと揺れ、消え去った。
そして頰を撫でる、この感触。
「ん、風?」
少し冷たい、ただの風。
何の変哲も無い、ありふれた現象。
だが、その存在を知覚した刹那、男の背筋に悪寒が走る。
「……ッ!?」
このアジトは下水道に横穴を掘り、空間系魔法でその穴を無理矢理拡張して出来た空間に築かれている。
出口からの距離はおよそ七十、しかも途中で曲がりくねった迷路の様な構造だ。
だからこそ、此処まで葉巻の煙が四散する程の風が流れ込んでくる事など、到底有り得ないのだ。
そういった前提から弾き出される事実は、ただ一つだけ。
状況の変異に気付いた男は愕然としながらゆっくりと腰を上げる。
「どうしたんだ?」
「ッ、ボスへ、ボスへ報告だ!」
「は? 一体どうして……」
「な、何かがアジトに侵入してるんだ! グズグズしてないでさっさと行け! さもないと…………」
と、ここまで喋った所で、不意に男の声が止まった。
理由は至極簡単、声を出す役割を持つ声帯への息の供給がストップしたのだ。
「……、…………!?」
男の胸を貫く、煌びやかな鋼鉄の剣の手で。
「こうなるんだ、この小悪党共」
男の背中から姿を現したのは、珍妙な鉄兜を被った男の憲兵であった。
「ひ、ひぃぃぃぃ!?」
チンピラは思わず尻もちを着いたまま後退りする。
そんな哀れな姿を冷ややかな目で眺めながら、憲兵は男の胸から剣を引き抜いた。
脱力した男の身体は地面に膝を着き、そのまま体勢を崩してヘドロ色の汚水の中へ落ちていった。
「…………ふぅ」
憲兵は小さく呟く。
「……騒ぎが大きくなる前に、より奥へと近付くか」
剣に付着した血脂を手首の動きで払いながら、憲兵はゆっくりと歩み寄る。
眼球が零れ落ちそうな程目を見開き、肩で息をするチンピラは只々その悠然と歩く憲兵の姿を凝視する事しか出来ない。
「黙っていろよ、悲鳴が頭に響いて仕方が無いんだ」
それを言い終わったと同時に、不意に憲兵の影が揺れる。
その瞬間、チンピラの視界を煌びやかに輝く鋼色が埋め尽くした。
「あ、あぁ……!」
鉄兜の横一文字に伸びたスリッドから覗く瞳が、ギラリと獰猛に輝く。
それはまるで、獲物をその視界に捉えた歴戦の狩人。
今までの二十余年の人生の中で数多くの薬物中毒者や浮浪者を甚振ってきたが、其れ等とは明らかに異なる憲兵の登場に慄いたチンピラはあっという間に恐怖に支配された。
「………………増援が来ている様子は無い、騒ぎが勘付かれた気配も」
そう呟いた憲兵は一歩、踏み込んだ。
「一つ、二つ。お前の犯した罪を、奪った命を数えろ」
恐怖が、緊張が、困惑が。
全てが奇怪に混ざり合った感情が、流れ込んできた。
「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔を無理矢理止めるかの様に荒々しく振り落とされた剣の鋭い剣の刀身がその薄汚れた額を斬り裂いた。
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憲兵、ガンザ・シュライデンは鉄兜の下で溜め息を吐くと、静かに剣を引き抜いた。
そして彼は視線を上へ向ける。
「おい、メッセンジャー」
不意に虚空へ向けてその名を呼ぶと、その中にハッキリとその姿が浮かび上がった。
下水道の通路を埋め尽くす程の巨大な双翼は宙を掻いて異様なまでの推進力を生み出し、その緋色の眼光は見る者全てに威圧を与えていた。
これが第二部隊所属の召喚士、トレイス・オーレンの召喚獣である大鷹メッセンジャーである。
メッセンジャーは通路に転がるチンピラの死体の右肩の部分に鋭利な爪を食い込ませていた。
「……闘志に満ち溢れてる、みたいだな」
その鋭く輝く瞳がそう語っている。
聞き耳を立てると、遠く背後からガンザの走ってきた道程を辿る、幾つもの足音が聞こえてくる。
数は五つ、恐らく第二部隊の憲兵達だろう。
その中には同室で新米であるモーガンも含まれている筈だ。
ガンザは彼の事が嫌いではなかった。
憲兵足り得る正義感と勧善懲悪の精神こそ持ち合わせていないものの、彼の呪術師としての高度な技術と戦闘能力は間違い無く本物だ。
呪術に掛ける情熱と真摯な体勢を、ガンザは評価していた。
特に実技試験で団長と手合わせした時に見せた、勝利への執念。あれには思わず感服する程であった。
知り合って一ヶ月程度だが、それでもモーガンが愚直に呪術を崇拝し、その実力を証明する為に日々鍛錬し、更なる力を求める貪欲さを秘めている事は薄々勘付き始めていた。
その姿は大きな夢を胸に秘めた幼い子供、そして強さを求める歴戦の勇者。
その二つを彷彿とさせていた。
…………宿舎の自室で大量の毒蟲を飼育する事さえ止めてくれれば、モーガンは完璧なのだが。
あの大量のガラス瓶で埋まった、彼のクローゼットの光景を思い出し、ガンザは一人苦笑いを浮かべた。
「さて、後方が来る前に予め場を整えておくぞ。皆が安心して暴れる事が出来るようにな」
メッセンジャーが小さく項垂れた事を確認すると、ガンザは駆け出した。




