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「じゃあ、行って来るね。」
あたしは藤村の頬にキスして、リュックサックを背負った。これから地球に行くの。嫁いでから初めての里帰り。まあ、行くのは札幌なんだけどね。揚子江様に服のお礼とシイくんの足の事をお詫びしに行く許可を貰うのに数日掛ったの。宴脆様が第二階層以下の階層探検に行きたくてうずうずしているみたいで、それにまたしてもあたしを同行させようって話を藤村が引き延ばしてくれたお陰なんだよね。
藤村はあたしの護衛にミヤ様が付いて来てくれるから、安心して出立させる事が出来た。地球にも結構強い能力者で、正義の味方は居るからね。あたしに自覚は無いけど、あたしは悪魔の妻候補になった堕落した人間で、そういう人たちから狙われる事もあるんだ。正義っていうのは融通が利かないからね。地球に害を及ぼす魔物って矢魔と相魔を除いては殆ど居ないんだけど、同じ世界に住んでいる魔物も一緒くたに考えるのは人間らしいけどね。
トンネルは藤村の領土にある物を使う。これは地上にあるから、空中浮遊も要らない。トンネルの中間点に揚子江様や地球の能力者が張った結界があるけど、許可も連絡もしているから、その網に引っ掛かる事も無い。
「俺も地球に行くのは久し振りだな。俺はもう独りではない。」
ミヤ様はあたしと接触事故を起こした後、地球にまで吹き飛ばされている。犬の咆哮砲とかいう能力の威力は、それくらい凄いんだって。下層に行けばそれより凄い能力の魔物も居るらしいから、本当は宴脆様の探索には付き合いたくない。休暇期間は10日貰って来たから、その悩みは帰るまでに考える事にする。第六階層まで進んだ事のあるミヤ様から色々聞き出しておこうっと。
ミヤ様の要望で、あたしたちはトンネル内を歩いて地球に向かっているの。一定の道を外れてしまうと別の世界に落ちたり、酷ければ永遠にトンネル内を彷徨ったりするし、別に壁がある訳じゃないから、風景は見放題なの。周囲は暗くとも夜空の星みたいに奇麗に見えるんだ。まあ、最初に落ちた時はそんなの見る余裕も無かったけどね。
ミヤ様は感覚をあたしに合せてくれている。化け猫であるミヤ様に時間の感覚なんて本当は無いのよ。だから、久し振りって言葉を本来ミヤ様は使わない。それは魔界の王たちもね。
「ミヤ様は地球に出たらどうなるの?」
「ん? 特に変わらんよ。諒子様は尻尾の事を気にしているんだろうが、地球に出れば霊感の強い者には俺が見えるだろうし、弱い者には見えんだろう。見えたとしても、触れる事も出来んさ。それが俺という生物の特徴だからな。俺はもう独りではない。」
一日歩くと流石に疲れたので、後半はミヤ様の結界に乗せて貰った。基本的な体力をもっとつけないと、これから先が思いやられる。宴脆様は第六どころかもっと下まで行きたがるだろうしね。
トンネルの出口付近に迎えが来ていた。繭鋳さんだ。
「こんにちは。繭鋳さん。」
あたしの成長に驚く繭鋳さん。そりゃあ、話に聞いていても、実際先日会っている人間がひと月もしない間に身長が伸びていたら驚くよね。身長は繭鋳さんを越えているもん。まあ、胸の大きさは全然及ばないけど。
「魔界に住む人の成長は判らないわね。揚子江に話は聞いていたんだけど、見違えたわ。」
視線があたしを上から下まで眺め、足元で止まる。勿論繭鋳さんにはミヤ様が見えている。
「……あたしも異世界に行ったけど、こんなに恐怖を感じる猫に会った事はないわ。」
ミヤ様は、シッポが4本ある以外は普通に可愛い黒猫なんだけど、繭鋳さんは外見ではなく、ミヤ様の内面にある魔力を見て言っている。宴脆様と同等の魔力を持つ生物が地球に現れるのはこれが初めてかも知れない。あたしと接触事故を起こした時は、魔力を相当消費していて、あたしに名前の二文字を預けたばかりだったから、その時と比べる事も出来ないくらい今のミヤ様は強い。
「ウム。君とは初見だな。俺は魔界第二階層の王で、諒子様の永遠の従者、ミヤという名だ。現在は第一階層の王の一人である藤村殿の所で副官扱いの客将をしている。俺はあまり鼻は良くないが、君は揚子江と似た匂いのする娘だな。俺はもう独りではない。」
「……ええ。あたしは揚子江の弟子で、一緒に住んでいますから、似た匂いなんでしょう。あたしは札幌在住の退魔士の一人で、名は三樽別川繭鋳と申します。ミヤ王。」
「ウム。よろしくな。俺の呼び名はミヤで結構だ。俺はもう独りではない。」
「ええと、ではミヤ様と呼ばせていただきます。」
ほぼ完璧な日本語を発声する猫も異常に思えるだろうけど、繭鋳さんはミヤ様の語尾に付く言葉の意味を考えてしまっているみたい。ミヤ様に聞いた所、語尾に意味不明な言葉を付ける理由は犬対策で、長年そうして来たので癖になったんだって。犬の成れの果ては鼻は地球に住む犬以上だけど、頭はそんなに良くないそうなの。だから、言葉の末尾に付いた言葉しか覚えられないんだって、言葉尻を引用した呪詛を防ぐ為とか言ってたね。第二階層は魔界以上に不思議な場所だって事だけは判る。
「車乗って来たから、ご案内します。」
あたしに普段喋る言葉とミヤ様への敬語が混ざってしまう繭鋳さんは、困っているみたいだ。
「繭鋳さん、普段の言葉で大丈夫です。ミヤ様はあたしの従者なんですからね。」
「まあ、そうなんだけど……その魔力はちょっと……委縮してしまうわ。」
「ああ、それならもう少し待ってくれ。地球上に居る魔物や幽霊、異世界人や宇宙人に俺の存在を知らしめたら、すぐに気配は消すさ。俺の探査結界に掛らない奴が十五人か、結構地球も危ない星になったな。俺はもう独りではない。」
「地球全土に探査を飛ばせる?」
「ん? 魔界程に広大なら出来ぬが、この程度の大きさの惑星なら出来るぞ? まあ、あんまり長くやると頭がイカれてしまうのでやらんが、相変わらず騒々しい星だな、ここは。俺はもう独りではない。」
流石に第二階層で一人王を名乗っているだけあって、ミヤ様の魔力は強大。あんまり感覚が鋭いと体中舐め回されているみたいで、気が変になりそう。
「ウム終了。これで諒子様を狙う者が居ても迂闊に近寄れんだろう。俺の姿は知らずとも、俺の気配と魔力は充分に伝わっただろうからな。俺はもう独りではない。」
「諒子ちゃんの前で言うのも恥ずかしいけど、なんかこう……体全体を舐め回されて、エッチな事された後みたいよ。」
そんな事、した事ないからわかんないよ。
「ウム。言い得て妙だな。確かに中途半端に能力を持つ女性能力者なら達したかも知れんし、男性能力者なら射精したかも知れんな。俺はそれくらい温い感じの魔力を地球全体に撒いた。流石に揚子江のやつは防いだようだがな。俺はもう独りではない。」
「ミヤ様。13歳の多感な時期の女の子の前でエッチな言葉は禁止。」
「オウ、それはスマンかった。しかしこれ以外の方法となると、頭を破裂させたり、ひと月程地球人全員を便秘にしたりする術しか知らんのだ。俺はもう独りではない。」
「もう。他の方法を考えるから、今言った術はなしね。」
「わかった、我が主に従おう。俺はもう独りではない。」
「繭鋳さん、変なの連れて来てごめんなさい。」
繭鋳さんは車のボンネットに手を付いて肩で息をしていた。
「いいえ。大丈夫よ。まだまだ修行不足なのを痛感したわ。淫術系の防御をもっと覚えなきゃダメね……感じちゃったわ。」
最後の一言余計だよ、繭鋳さん。
「だが、諒子様の安全を考えての事だ、許して欲しい。俺はもう独りではない。」
「ええ、それは判っているから、怒ってはいないよ。でも、あたしの仲間と思っている人たちに迷惑掛けちゃダメだよ?」
なんとか立ち直った繭鋳さんが車を運転して、あたしたちは札幌の街中に向かった。
「それで、その……シイくんの様子は?」
「そうね。普段と変わらないわ。今日も普段通り学校に行ったし、生徒会執行部の仕事もして、さっきまで秋田に出張して幽霊退治をして来た所よ。変わった事と言えば、帰る場所が自宅ではなく西区先輩の経営する病院になったくらいかな。」
シルヴィスさんの友人で闇医者の太郎さんは、札幌市内で堂々と看板を掲げて病院を経営している。繭鋳さんの発言通り、太郎さんも最華学園の卒業生。ちょっとこの街は変わっているのよね。まあ、北海道知事のハルミンさんも最華の卒業生だし、札幌市長もそうなんだって、だから無免許の医師が一人くらい病院経営していても問題にならないんだと八つ裂き丸様に教えて貰った。それにしても、シイくんは方足無いのに普段と変わらない生活をしているって、揚子江様スパルタ過ぎるんじゃないかな。
「安心しなさい、あの子は例え自分が死んでも、絶対に人のせいにはしないから。それに、今回の件で最も責任があるのは宴脆さんでしょ? 揚子江を救う作戦行動中に防御結界を解くなんて有り得ないわ。同じ魔界でも表層と第二階層じゃまったく違う世界なんでしょ? 異世界でもそうだけど、あたしたち能力者にとって最後の砦は防御結界、その世界を知る為とは言っても、それを解く理由にはならないよ。」
「まあ、確かにあの時の宴脆様の行動は納得出来ませんけど、呆然としていたあたしも悪いと思うんです。宴脆様の防御結界に甘えていたと言いますか……頭で解ったのに、自分で防御結界を張る行動が出来なかった事が許せないと言うか……」
ミヤ様はこの会話を後部座席に丸まって寝ながら、片耳だけ立てて聞いている。
「そっか。諒子ちゃんは魔界で結構甘やかされているって事ね。そして、誰もが諒子ちゃんは悪くないと言うのね?」
繭鋳さんは察しが良いよ。
「じゃあ、叱ってもらおうか?」
「揚子江様にですか?」
「揚子江に叱られたら、無事では済まないよ? それに揚子江は特に怒っていないしね。」
「じゃあ、誰に?」
魔界でも地球でも、あたしに本気で怒ってくれる人なんて居ない筈。
「まあ、病院内だから静かにお願いしたいけどね。」
繭鋳さんがそう意味深に言った時、病院の駐車場に着いた。太郎さんの自宅兼医院。一階は受付、診察室、処置室。二階は入院病室。三階と四階が居住スペースなんだって。地下には放射線機器や集中治療室もある。町医者レベルの設備を遥かに超えた病院だった。
「この時間帯なら、闇パートの無免許看護士も居ないし、入院患者はあの子だけだから、多少騒いでも問題は無いかな。」
そう言いながら繭鋳さんが病院のドアを開けると、見た事の無い女の人が立っていた。
「あ、三樽別川先輩。おかえりなさい。」
スラっとした印象の奇麗な人。
「あれ? 花梨ちゃん。今日は手伝いの日だっけ?」
かなみさんのパートナーを務める藤花梨さんだった。先日の堕天作戦の時はメンバーから外されていたけど、除霊能力はかなりの腕だと聞く。実際に会うのは初めてだね。
「いえ、太郎先生に実験室を使わせて貰っていました。」
「ああ、そっか。コンクール近いんだっけ?」
「はい、今年は獲ります。」
「コンクール?」
説明なく話が進んでいるので、口を挟む。
「え? ああ、失礼しました。神埼諒子さんですね? はじめまして、私はフリーで除霊師をしている藤花梨です。」
「花梨ちゃんは、除霊師を辞めたい子なの。調香師って職業を目指しているのよね?」
「はい、簡単に申し上げますと、香水を新しく生み出す職業です。」
そう説明されて握手を求められた。びっくりする程細い指。なんで驚くかと言うとね、かなみさんは助力魔法の使い手で、戦闘はしないの。パートナーである花梨さんが戦闘を担当していて、武器は木刀だと聞いた事があったのね。それなのに、花梨さんの手は豆ひとつ無いの。
「プロになるのは試験を受けて資格を取れば良いんだけど、新人登竜門みたいなコンクールがあるのよね?」
「はい、そこで優秀賞を貰えると、その後の人生設計が難しくなくなると言われる賞なんです。ごめんなさい。あまりにも似ていたので、私勘違いしてしまいました。」
「えっ?」
「考えて見れば、先程シイくんの部屋を見に行った時と服装が違うと気付くべきでした。」
「ああ、そっか。」
何? 何の話? あたしはまた置いて行かれてるよ。
「諒子様は鈍いな。俺はもう独りではない。」
「えぇっ? ミヤ様まで?」
あたしのうろたえる姿を見るのがそんなに可笑しい? ちゃんと説明してくれないと、判んないよ。
「ゴメンゴメン。可愛さなら諒子ちゃんの圧勝だよ。出している気配が近くて気付けないのかな? ああ、揚子江が結界張っているから感じられないのか……」
まだ解らない鈍いあたし。その考えを吹き飛ばすように階段から誰かが駆け下りて来る。
「!?」
「お姉ちゃんっ!! 歯ぁ食い縛りなさぁぁぁぁいっ!!」
思い切り病院の廊下を走って来たのは、あたしにそっくりな女の子。成程、素子の事だったのね。なんて思っていると、言葉の悪くなった素子が拳を振り上げているのが見えた。
「ちょっ……」
言い終わる前に拳があたしの顔面目掛けて飛んで来た。思わず防御結界が発動して、その拳を弾き飛ばす。第二階層に行った時より、瞬時に防御結界が張れるようにあたしはなっていた。弾かれた拳を抑えた素子があたしを睨む。
「繭鋳先輩っ! 防御結界を破る方法を今すぐ伝授してくださいっ!!」
「いや、素子ちゃん。それは出来ないよ……防御結界同士をぶつけて相殺するか、結界以上のパンチを叩き込むしかないし、それに、あんたのお姉さんだよ?」
「お姉ちゃんは、かくれんぼの最中に消えたまんまです! 死んだと思ってましたっ!! だから! 5年も想い続けたのに告白する事が出来ずに! 素子は神埼を継ぐ決意をしました! それを打ち砕いたのは、お姉ちゃんが魔界で生きていると教えてくれたシイくんです!! 告白しましたっ!! シイくんはいつもの表情で笑ってオッケーしてくれましたっ!! 文通から始めてっ! この前春休みにやっと会えてっ!! ファーストキスをあげましたっ!!!」
これは矢魔の激昂より、勢いがあるんじゃないかと思わせる咆哮だった。そして、ちょっと恥ずかしい事まで叫んでいるよ、素子。
「それなのにっ! それなのにっ!! 昨日山籠りから出て来て、会いに来たら!! 足が片方無くなっているじゃないっ!! それもお姉ちゃんを庇ってですってっ!? 素子がどんなにシイくんの事が好きで好きで堪らないかっ!! お姉ちゃんに解る!?」
「……そっか、そうだよね。」
そう言ってあたしは自分で防御結界を消した。今度は素子のビンタが飛んで来て、あたしの左頬に直撃する。拳よりはマシだけど、本気で妹に叩かれたよ。でも、それは当然の事だとあたしには思えたんだ。あたしも藤村が同じ事になっていたら、繭鋳さんを絶対に許せないと思っただろうし、女は愛する男の為に本気で怒れなきゃダメだもん。
「ゴメン、素子。」
そう言って、血の味がする口を閉じた後、あたしは左手に念を集中した。
「イカン! お主ら離れろ!! 俺はもう独りではない。」
体の周囲に最大防御結界を張ったミヤ様が、あたしの左手に突進して来る。あたしの左手は無意識に振り上げられ、自分の左足に向かって振り下ろされていたみたい。ミヤ様の防御結界が無かったら、あたしの足は吹き飛んで塵になっていただろうね。
そして二階から瞬間移動して来た揚子江様が、あたしの左手を掴んでいた。
診察室と書かれたドアが開き、見事な金髪ロングヘアの男の人が顔を出す。花梨さんの無事を視線で確かめて、口を開いた。
「お客さ~ん。病院ではお静かに~。それと、患者が増えるような真似は勘弁してねぇ~。それから揚子江さ~ん。病室でジンギスカンは禁止だよぉ。」
診察室から顔だけ出した太郎さんは、そう言ってドアを閉めた。流石にシルヴィスさんの知り合いだけあって、こういう騒ぎには慣れているみたい。
「ああ、ヒツジの肉か。あれは美味いよな。だが俺の居た第二階層より下の階層でヒツジの成れの果てである『スーパーヒツジン』に出会ってからは、食う気になれなかったんだが、揚子江、今度俺にも御馳走してくれ。俺はもう独りではない。」
あたしの左腕の攻撃を防御結界で防ぎ、病院の廊下に簡単に着地して軽口を叩いたミヤ様が、出会ってから初めてふらつくのを見たよ。
揚子江様はいつもの苦笑いみたいな表情だけど、凄い気力を込めた右手があたしの左手首を掴んで放さない。左手はミヤ様の忠告を無視した素子の首筋に向かって伸びていた。
「ミヤ様、ジンギスカンは後で美味しいのを御馳走させていただきます。諒子ちゃん?」
「はい。」
「自分を傷付けないと約束出来る? 出来ないと私はこの手を放せない。」
「はい。」
「素子ちゃん?」
「……はい。」
「あなたのお姉さんは魔界の王に嫁いだ身なの。迂闊に手を上げると、魔界と地球の全面戦争を引き起こす事になるのは理解出来る?」
「……はい。」
やっと揚子江様が手を放してくれる。あたしの手首はなんでもないけど、揚子江様の掌が焼け爛れていた。そう見えたのは一瞬で、すぐに手は元に戻ったけど、あたしは、なんて迷惑を掛けているんだろう。
「揚子江様、あたしはそんな強大な魔力を使っていましたか?」
「ええ、ミヤ様の最大防御結界と私の結界を合せてやっと止められるクラスの魔力だったわ。八つ裂き丸様から連絡を貰っていなければ、咄嗟に防げないレベルだった。究極魔帝の相の力が無意識に発動したのね。」
宴脆様にもシイくんにも、秘密にしておいた方が良いと言われた、あたしの魅了を含む能力の総称、究極魔帝の相。関係者は皆知っているんじゃないの。
「まあ、流石は我が主だよ。俺の尻尾二本分の能力が戻っただけで、発揮する能力が格段に上がったようだぞ。俺はもう独りではない。」
「それってミヤ様の能力が下がったって事?」
「否、俺の能力は変わらん。そもそも諒子様の能力は、俺には使いこなせないのだよ。宴脆が言った魔王のパワーバランスは、俺が加わった事ではなく、諒子様の無意識の能力があまりにも上がったからなんだな。俺はもう独りではない。」
「そっか。ところで素子。」
「……はい。」
素子は繭鋳さんと花梨さんに両腕を押さえつけられていた。一時の激情だったようで、その目はあたしを睨んではいない。
「あんたを鬼にしたまんま姿を消し、神埼の家の事を悩ませた事。お父様とお母様が飛行機事故で亡くなられた時、地球に戻れなかった事。あんたに黙って藤村と婚約した事。あんたの大事な人に庇われてあたしが助かり、シイくんが方足を無くした事。そして6年の間あんたが一人で悩んでしまった事。すべて含めて謝るわ。ごめんなさい。」
あたしは藤村の婚約者で、本来宴脆様と八つ裂き丸様くらいにしか頭を下げる事はないの。でも、素子にはずっと謝りたかった。あたしの勝手のせいで、素子が苦しんだ事は事実だから。
「それから、ミヤ様、揚子江様。この未熟な能力を止めてくださって感謝します。」
「俺は諒子様の従者として、当然の事をしたまでだ。その意は要らん。俺はもう独りではない。」
「私は感情的になっている素子ちゃんと、無意識下で能力を発動しようとした諒子ちゃんを止めただけ、地球を割る程の手刀だったんでね。」
無意識下で究極魔帝の相の能力を使うと、地球が割れるというのは初めて聞いたよ。コントロールをもっと覚えないといけない。そう思っていると、また診察室のドアが開いた。
「そうだ。シルヴィスから聞いていたけど~。初めましてだったねぇ~。神埼諒子さん。僕は西区太郎っていう医者だよぉ~。以後味方である事になるからぁ~。よろしくねぇ~。それからぁ、24時間この病院は開いているけどぉ、面会時間は守ってねぇ~。」
「はい、よろしくお願いします。」
「ちなみにぃ。僕は霊視能力云々を持っていないからぁ、見えないけどぉ~。変に間延びした喋りをする時はぁ~、近くに霊体の何かが居る時なんだぁ~。諒子さんの足元になにか違和感があるからぁ~、そこに居るんだろうけどぉ~、ペットの持ち込みは禁止だからねぇ~。そんじゃごゆっくりぃ~。」
「ごめんなさい、諒子さん。先生は診察室に居る時はいつもあんな調子なんです。」
ドアが閉まるのと同時に花梨さんに謝られた。確かにこの中で病院の手伝いをしている関係者は花梨さんだけだけど、怪しいな。
「いえ、それは大丈夫です。注意事項を守っていないのはあたしのようですから。ミヤ様、外で待っていてくれる?」
「ムウ。俺はペットだったのか。この分だと八つ裂き丸なども羽を持つから病院には入れぬな。もう俺は独りではない。」
ぶつぶつ言いながら、ミヤ様と繭鋳さんは病院の外に出て言った。花梨さんは太郎さんに用があると言って診察室に入ってしまう、益々怪しいな。
残されたあたしと素子は、揚子江様に伴われて二階の病室に入る。シイくんはベッドの上で上半身を起こして、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「やあ、振り上げた手刀の威力で雲が割れたのを、窓から見ていたよ。姉さんに聞いたけど、究極魔帝の相っていうんだってね。凄い威力なんで感心したよ。」
窓の外の空に大きな雲があるんだけど、シイくんの言う通り真っ二つに割れていた。しかし、味方といえどもあたしの能力って全然秘密になっていないね。
「シイくん、ごめんなさい。素子のせいなんだよ。」
あたしより先に素子が謝っていた。
「まあ、何事も起きず、札幌は平和な街のまんまだよ、素子ちゃん。僕としては姉妹仲良くして欲しいと願うだけさ。」
「揚子江様、ひとつ聞きますが……」
「何?」
「暫く地球に戻っていないので、情報量が少ないのです。この前の堕天作戦以降の能力者の恋愛事情をお聞かせください。あたしの知る範囲の能力者の事で構いません。」
事情を聞かされずに人間から恨まれるのは、あたしとしては素子で最後にしたかったの。
「シイくんと素子ちゃん。シルヴィスさんとリンちゃん。かなみちゃんと鷹刃氏の六郎くん。花梨ちゃんと太郎くん。繭鋳と彼……彼は名前を名乗りたがらない一般人よ。あとは、私と未来の旦那様かしら?」
「……あたしの知っている能力者には、殆ど彼氏なり彼女なりが居るんですね。」
「ええ、フリーと呼べるのは……洋泉くんくらいかしら? でも、確か東京のテレビ局に務めるプロデューサーとお付き合いしていると聞いたような。それに洋泉くんは能力者ではないし……ああ、麻生ちゃんに彼氏が居ないわ。」
ちょっと知らない名前も出て来たけど、大体理解した。基本的に能力者には、能力者の恋人が居るんだ。シイくんとお姉様の本当の父親も揚子江様の事が理解出来なくて別れたと聞いたし、BB様と結婚したJJ様は一般人扱い、BB様の能力を理解出来なかったとしても責められないもんね。まあ、年齢差は別として、上手く鞘には納まっている訳ね。
「解りました。ちょくちょく地球に顔は出すつもりですが、その手の情報にあたしは疎いので、出来ればすぐに教えてください。」
「お姉ちゃん……」
先程までの勢いのすっかり消えた、あたしも知っている普段のおどおどした素子が、申し訳なさそうに進み出た。
「素子、挨拶がまだだったわ。」
「え?」
「久し振り。」
そう言って、あたしは素子を抱き締めた。
「お姉ちゃん?」
「ありがとう。殴ってくれて、叱ってくれて……あたしが無能なばかりに迷惑を掛けているのに、魔界でも地球でも誰も叱ってくれないの。あんたが居て良かった。あんたがシイくんの彼女になっていてくれて良かった。」
そう、あたしは失敗には怒って欲しいの。魔界の住人は皆、そういう意味ではおおらか過ぎるのよね。
「お姉ちゃん……」
「あたしは人間から見ると、悪魔に魅了された堕落した娘なの。魔物の全てが悪いとはあたしには思えないけど、あたしはバカだから、乗せられて間違えを起こす可能性は否定できないの。だから、あたしが間違えている時は、遠慮なく叱って頂戴。ただし、いきなり殴り掛からないでね。説明なく殴られるのは今回で終わりにして、次からはちゃんと説明してね。あたしが万が一死んだ場合、藤村は怒り狂って地球を破壊し兼ねないからさ。」
「お姉ちゃんは……藤村さんに愛されているの?」
「少なくとも、あたしは相思相愛だと思っているよ。」
「そうじゃなくて……」
「あんた、そんなエロい子だった? 興味を持つのは悪い事じゃないと思うけど、少なくともあんたの彼氏とその母親の前で話す事じゃないよ。あんたはさっき殴り掛かって来る時にもなんか叫んでいたけどね。」
真っ赤になって俯く素子は、やっぱり可愛いあたしの妹だった。
「揚子江様、シイくん。あたしは魔界に戻ったら、宴脆様と共に魔界の地下に広がる階層を探検する命令を受けています。また暫く妹には会えないと思いますので、素子をよろしくお願いします。それと、先日の件ですが……」
「諒子さん。それはもう良いよ。僕は本当に気にしていないんだからさ。魔界の第二階層で犬らしき奴に左足を食い千切られるって事は、地球に住んでいる限り無いと思うけど、地球でも事故とかで足とか手とか失った人は沢山居るだろうし、僕も少し甘えがあったと反省している所なんだよ。」
「私は最初から気にしていないわよ?」
「酷いな母さん。元はと言えば母さんが第二階層に行ってなかなか戻らないから、こうなったんでしょ?」
「宴脆様がお爺ちゃんの姿で好々爺に見えるからって、ホイホイ安請け合いしたのはシイくんよ? 宴脆様はそういう姿なだけで、立派に魔界を統べる王なんだから、悪魔である事に変わりはないの。悪魔にその能力を認められ、惚れられた人間以外は悪魔を信じちゃダメだと教えたじゃない? 綾乃ちゃんや諒子ちゃんみたいにね。」
「そう言えばあの時、何故か宴脆様は防御結界を張らずに第二階層に入られたんですが。あれは一体どういう事ですか?」
八つ裂き丸様に説明は受けているんだけど、人間の能力者から見た場合の意見も聞きたくて、あたしは揚子江様に質問した。
「宴脆様は悪魔なの。探求する悪魔。だから、諒子ちゃんの究極魔帝の相が発動するかどうか確かめるつもりだったに違いないわ。そうでなければ、聖戦士との戦で疲れた諒子ちゃんとシイくんを連れて、私の捜索なんてしないわよ。私も含めて、相を持つ人間を研究対象くらいにしか思っていなんだからね。」
成程、宴脆様らしいと言えばらしいね。探求者であるというのも、八つ裂き丸様と一致する。
「とにかく、僕の足の事は気にしないでくれるかい? 僕はそのお陰で素子ちゃんとより親密になれたし、一緒に居られる時間も増えたから、むしろ喜んでさえいるんだよ。素子ちゃんの本気で怒る姿に、僕への想いの深さも感じられたしね。」
素子は、穴があったら入りたい気分らしく、お腹の辺りで指をくるくるさせながら、何かブツブツ言っている。可愛い妹ね。
「そう言えば、さっきのエロエロ結界も諒子さんの仕業なの? 僕等は母さんの結界で防いだけど、あれをまともに食らったら、皆エロエロになっちゃうよ?」
「ああ、あれはミヤ様。何も言わずにいきなり地球全体にあれを広げたらしいから、あたしも少し当たったよ。繭鋳さんもかなり防御が遅れていたみたいだしね。」
「あれのお陰で、地球に住む四分の一くらいの能力者は、明日一杯動けなくなってしまったわ。まあ、矢魔殿や相魔殿の地球侵攻とか、この前の聖戦士軍団が攻めて来るとか無ければ、問題はないけどね。」
「聖戦士は判りませんが、矢魔と相馬、蝋羽には藤村と鉄朗さんが牽制していますから、大丈夫だとは思いますよ。藤村があたしの能力を試すような真似はしないでしょう。それに、シルヴィスさんが王の領土内を歩き回って、かき回しています。宴脆様に修行の許可を貰っているので、かなりの勢いで暴れ放題なんですよ。」
「成程、それも宴脆様の計略のひとつね。彼は暴れるのが大好きだから、魔界向きの性格ではあるんだけど、正直地球の守護者が減るのは困るわね。折角私が楽出来ると思ったのに……」
揚子江様も宴脆様に負けないくらい冒険好きだからね。守護者の任務が無い時は殆ど家に居ないと聞いた事がある。そのお陰で、お姉様とシイくんはおそろしく料理が上手い。
「ところで諒子ちゃんはお腹空いてない? 私たちはこれからご飯なの、良かったら一緒に食べない?」
「……先程此処の主に、病室でのジンギスカンについての注意を受けたばかりですが?」
「じゃあ今日はちゃんちゃん焼きね。今朝釧路で水揚げされたのを買って来たのよ。」
太郎さんは、ジンギスカンだけでなく、病室での飲食を禁止すべきね。禁止事項を限定すると、この人は上げ足取るんだから。そして、この一家は昼からこんな重たそうな食事をする家なんだ。素子、北海道はただでさえ食材が美味しいんだから、太らないように気をつけてね。
シイくんの居る病室は、多分6人部屋なんだけど、ベッドはシイくんの分しか無く、他は廊下に出されてしまっている。代わりにソファやテーブルが持ち込まれ、その中には炊飯器やガステーブルも含まれていた。この部屋で生活の全てが賄えるようになっている。まあ、トイレとお風呂は別の場所だけどね。
しかし、揚子江様は4家の長の家系で、家長なのに、私用で瞬間移動や空中浮遊を使いまくっているんだね。此処は札幌、同じ北海道内でも、釧路はかなり離れているでしょうに。今朝早くに漁港で直接買い付けて、特急に乗って戻っても、こんなに早く病室でくつろいでいられる筈がないもん。釧路の空港から丘珠まで飛行機って手段もあるけど、それはそれで交通の便が悪いし、そうなると飛んだり瞬間移動したりする方が早いんだけどさ。まあ、こういう何にも縛られていない感じが、揚子江様らしいんだけどね。
「手伝います。」
所在なさげだった素子が、目を輝かせて揚子江様の手伝いをする。今の所、嫁姑問題は無さそうで安心したよ。あたしは料理出来ないから、丸椅子に腰掛けて、待たせて貰う事にする。
「その足、痛みは無いの?」
「ああ、言ってなかったっけ? 僕は痛みを感じる神経が殆ど無いんだよ。血が大量に出て、貧血を起こして具合が悪いって感じにしか思えないんだよね。だから止血して、血の元になる食べ物を沢山食べれば、基本的に何も問題無いんだよ。」
「シイくんは人間よね?」
「さあ、僕はそう思っているけど、母さんの生まれ方がイマイチ不明だからさ、年齢を重ねないという能力は母さん固有の物みたいだけど、その血を継ぐ僕が、果たして人間に数えられるかは不明だね。痛覚の殆どが無いっていうのは僕固有の能力みたいだし、乗り物酔いするのも、我が家では僕だけなんだよね。僕の父親という人が、乗り物酔いしないと聞いた時はショックだったなぁ。」
確かに揚子江様の出自は不明な点が多いと聞く。千年前には既に生まれていたとも聞くし、五百年という説もある。その息子であるシイくんが人間に数えられるか不明だと答えるのは当たり前かな。痛覚の話は今初めて聞いたよ。しかし、痛みと乗り物酔いをする神経は別物なんだろうけど、同じ神経でも随分差があるんだね。偏っているというか……
「まあ、足を食い千切られれば、発狂するくらい痛いという知識はあるんだけどね。実際食い千切られた時は目で見て、痛いと思ったのは確かなんだけどさ、痛みを感じる神経があんまり用意されていないから、突然左足が動かなくなったみたいに感じただけだったよ。まあ、頭はそうだけど、体は勝手にのたうちまわったから、体には痛覚があるんじゃないかな?」
「綾乃お姉様もそうなの?」
「いや、姉さんはちょっと違うかな。少なくとも痛覚はあるよ。でも、小学生の時に癌になって、かなり進行するまで気付かなかったくらいだから、鈍いといえば鈍いんじゃないかな」
シルヴィスさんの我慢強さにもあきれたけど、こっちにもあきれたわ。
「そう言えば、スポーツ義足を付けると聞いたけど、ミヤ様の術は使えないの?」
「ああ、あの術は習ったばかりのせいもあるんだけど、母さんでも上手く使えないんだよね。僕が自分でやると余計な物がくっついてしまって、足の形を維持出来ないんだ。」
「……ミヤ様外に居るけど、作ってもらう?」
「いや、僕はこれでも地球で二番目の能力者に格上げになった身だからさ、自分でなんとかするから大丈夫だよ。」
シルヴィスさんが居なくなったと仮定すると、一番が揚子江様で、二番がシイくんになるんだ。素子が嫁ぐ家は凄い家だよ。
御馳走になったちゃんちゃん焼きは、魔界で食べた物の何より美味しかった。
暫く話をしたけど、シイくんの足の件は殆ど触れられず、あたしは楽しい昼食の会を満喫した。素子が食器を洗う為に部屋の外に出たので、あたしもそれくらいは手伝う。
「二人が居ないから聞くけど、本当にあたしの事を許した?」
「……お姉ちゃん、その話はもう止そうよ。素子だってお姉ちゃんが悪いんじゃなく、究極魔王である宴脆さんが結界を解いて見物していたのが悪いって思うよ。その宴脆様の誘いに、揚子江様の捜索の為と言っても、ぽんぽん乗っかったシイくんも悪い。今のお姉ちゃんの魔力を素子も感じられるけど、その時のお姉ちゃんは、まだこんなに凄い魔力じゃなかったとも聞いたし、さっき感情的になってしまったのは反省しているよ。」
「確かに、あたしの知る妹の姿じゃなかったね。でも、その原因を作ったのはあたしじゃない? あたしは人間だけど、魔王の妻候補。その妻候補ともあろう者が人間に守られたってのは、格好悪いなんてもんじゃないとも思うんだよね。」
「……シイくん、格好付けたがりだから。お姉ちゃんに素子との関係を認めて貰おうと思って、格好良い所も見せようと思ったんじゃないかな? だって、お姉ちゃんはシイくんの格好悪い所しか知らないでしょ? 揚子江様に背負われた具合の悪そうなシイくん。」
「そうね。この前まではその姿しか思い浮かばなかったけど、聖戦士の堕天作戦の時、格好良かったんだよ? その時初めてあんたと付き合っているって聞いたけど、ちょっと羨ましいとさえ思えたもん。」
「……いくらお姉ちゃんでも、シイくんを取ったら、素子も激怒じゃ済まないよ?」
「大丈夫、それは無いよ。あたしは藤村を本当に愛しているもん。」
「それを聞いて安心した。でも、これからも何度も任務を宴脆さんから言われて、チームを組む事もあるでしょ? 素子はそれが心配で……それに……」
そう言って素子はあたしの胸を見た。この前までなら完全にあたしの負けだったと思うけど、今はあたしの方が大きい。
「シイくんとチームを組んでも、あたしにその気は一切ないから、安心して。ところで、 シイくんは胸の大きな女の子が好きなの?」
「っ!! そんな事ないと思うけど、揚子江様も綾乃さんも大きいじゃない?」
「……母親や姉の胸の大きさが、シイくんの好みだとすると問題だけどね。それに、あんたまだ13歳でしょ? まだまだこれからじゃない?」
まあ、あたしも13歳だけどね。魔力の差で成長するんだから、魔界在住と地球在住では、双子でも比べられないよ。
「そうかなぁ? 素子の胸、これ以上大きくなる気がしないよ。」
「ちょっと早いけど、シイくんに揉んでもらいなさいよ。嘘か本当かは知らないけど、大きくなるって、なんかアニメで言っていた気がするわ。」
「お姉ちゃんは、そんな事言うアニメとか見ているの?」
「まあ、あたしは7歳で魔界に落ちたから、日本語がそんなに上手くないからね、大人の言葉とか覚えるのに見てるよ。意味が判んない所もあるけど、地球の勉強はある程度しておかないとね。ちなみにそのチョイスはお姉様がしているから、シイくんも見た可能性はあるんじゃないかな?」
「っ!! シイくんはそんなエッチじゃないよ!?」
「……エロくない男なんて居ないよ。あんたは自分で思っているより、ずっと可愛いから。」
自分とほぼ同じ顔の妹に、そんな事言うのも恥ずかしいね。まるであたしが可愛いって言っているみたいじゃない。これじゃあ、高飛車女だよ。ちなみに、あたしと素子の区別はホクロの位置で出来る。あたしには左目の横に泣きボクロがあって、素子は右目の横に同じく泣きボクロがあるんだよ。
「……お姉ちゃんは、藤村さんともうそんな事しているの?」
藪蛇だよ。恥ずかしい。
「してないよ。あたしが16になるまでしないって約束してるもん。長生きする魔王にとってはそんなに長い時間じゃないし、あと3年経ったらするわよ。」
あたしは、妹に何を宣言しているんだろう。
「そっか、藤村さんは千年も年上なんだもんね。シイくんは素子と同い年だから、3年後はまだ犯罪かなぁ……」
「あんた、そんなにエッチがしたいの?」
「うん、シイくんなら、今でも許せると思っているよ。」
あたしの妹はこんなにエロい子だったかな。近くにエロ魔物でも居るんじゃないかと思って、思わず探査結界を飛ばしてしまったよ。
「お姉ちゃんは子供欲しいと思う?」
「そりゃあ、女に生まれたからには、あたしだって欲しいよ。」
「そうだよね、それが好きな男の人との子供なら尚更だよね。」
「まあ、日本の法律上、あんたよりあたしの方が先に子供が出来るでしょうから、その時に感想は述べるよ。」
「……ごめんね、お姉ちゃん。久し振りに会ったのに、素子がエロい話ばかりして……」
「良いんじゃない? 姉妹なんだし、あんたが何処ででもそんな話をしていなければオッケーだよ。ところで、あたしも経験無いんだけど、いざその時が来た場合、あたしから藤村を誘うべきなんだろうか? それとも、藤村に任せるべきなんだろうか?」
「っ!!」
素子はそれを想像したらしく、顔を赤くして俯いた。あんたから振った話じゃないのさ。
「……素子は、シイくんに任せる。」
「初めての時は痛いと聞くけど、どうなんだろうね?」
「っ!! ~~~~っ!!」
からかうのはこれくらいで止めておこう。この分だと、素子は想像だけで妊娠しそうだもん。まあ、真面目な話をすると、7歳で魔界に落ちて育ったあたしに、果たして生殖機能が育っているかは不明なんだよね。人間と人間型の魔物の間に子供が出来るのかも、前例がないらしくて、よく判らないんだ。今度お姉様に相談して詳しく調べて貰おう。
「それはそうと、この手の話をする人は選びなさいよ。女同士でもそういう話を嫌う人も居るんだからね。あんたが此処に住むつもりなら、シルヴィスさんの妹さんの前では厳禁だよ?」
「かなみさん?」
「ええ、かなみさんは普段明るいし、多分あんたがそういう話をしても、表情ひとつ変えないとは思うけど、子供を作れない体だと聞いているからね。」
「そうなんだ……素子知らなかったよ。」
「あたしも最近知った話だからね。鷹刃氏家の六郎さんとお付き合いしているらしいけど、子供に関しては作れないから、一応4家では問題になっているのよ。まあ、シルヴィスさんが彼女さんと結婚して、子供が出来れば、養子に出す話が纏まっているみたいだけどね。」
「そっか、そんな話があるんだ。気を付けなきゃ……シルヴィスさんの彼女って、リンちゃんの事?」
「そんな名前だと思ったけど、あんたの知り合い?」
「うん。花梨さんと一緒に何度かこの病院にも手伝いに来ていたよ。一緒に日本語を教えたりもしたかな?」
皿を洗うあたしの手が止まったよ。考えて見ればシルヴィスさんは傭兵で世界中を転戦している人なんだから、友人に預けられた子供が外国人であってもおかしい事は無いけど、全然頭に無かった。
「日本人じゃないの?」
「ええ、アジア系だとは思うけど、初めて会った時は、日本語を殆ど喋れなかったよ。」
「そっか……シルヴィスさんは地球の言語が全て喋れる人だったんだ。」
これは見える物が全て殴れるシルヴィスさんの持つ、もうひとつの能力なんだよね。シルヴィスさんは、出会った人の顔を見ただけで、その人の母国語で喋る事が出来る。地球帝の相の能力だと考えれば納得だよね。だからシルヴィスさんは、地球の人間と言葉の聞き違い、行き違いによる争いを生まない人なの。
「お姉ちゃんは、リンちゃんと会った事はないの?」
「ええ、話にしか聞いていないわ。あたしたちと同い年だという話を聞いただけだよ。」
「そっか、じゃあ、会ってみると良いよ。信じられないくらい可愛いから。」
「まさか、金髪美少女?」
「アジア系だから髪は黒だけど、顔立ちがシイくんに似ている程整っているの。」
素子の彼氏自慢にも聞こえるけど、それは置いておこう。
「ただ、育った環境が環境だから、ちょっと翳がある感じはするけどね。」
素子からある国の名前が出て、あたしは妙に納得した。暫く地球から離れているあたしにでも判るような独裁者国家の名前だったからね。
「そこの革命指導者の養女で、更に親衛隊員だったの。」
「……13歳で?」
「ううん。6歳で指導者に拾われたんだって。家族全員を目の前で殺され、泣き叫んでいる所を救われたと聞いているよ。それから兵士になる勉強をして、国家軍と戦っていたとか……」
日本生まれのあたしには、想像も出来ない程過酷な環境で育った少女、10歳にも満たないうちに自分の背丈と似た大きさの自動小銃を持たされ、最前線で革命の為に戦っている美少女を思い浮かべてみた。
「シルヴィスさんの友人というのは、その革命指導者だったの?」
「うん。その人は革命指導者であり、その地域にある魔界と続くトンネルの守護者でもあったんだって。」
革命指導者でも、独裁者でも、トンネルの守護者に任命される能力者である事は不思議じゃない。シルヴィスさんは傭兵でもあるけど、その守護者たちに欠員が出た場合の補助守護者でもあるんだよ。
「成程ね、その友人でもあった革命指導者に託された女の子か……話の流れからすると、その指導者は死んだのね?」
「うん。国軍の総攻撃で、革命軍は壊滅して、リンちゃんが唯一の生き残りなんだって。」
その美少女の話を除いても、地球という星は争い事に溢れている。巻き込む人数も多過ぎる。宴脆様の言う事も一理あると思えた。地球人類を滅ぼす事ね。
「その子と会って話は出来るかな? あたしは英語もろくに話せないけど。」
「うん。大丈夫だよ。日常会話くらいは出来るようになってるもん。」
あたしは、揚子江様とシイくんに改めてお礼を言い、太郎さんに病室での食事事体を禁止する事を提言して、繭鋳さんの運転する車に乗り込んだ。妹との再会は大した話も出来なかったけど、元気であればまた会えると思い、今回は切り上げさせて貰った。