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揚子江様の足元に見た事のある生物が居る。それは地球上では猫と呼ばれる生物ね。顔も体も足も猫その物なんだけど、シッポが4本あるように見える。暗闇の中の黒猫なのに見える方がおかしいんだけど、揚子江様の体全体が僅かにだけど発光しているように見えるお陰で、この足元の猫は照らされているみたい。
「いかにも儂が宴脆じゃが。お主は何者じゃ?」
「俺か? 俺は闇の王と呼ばれるこの世界の住人、縁起の悪い数の尻尾を持つ縁起の悪い色をした黒猫で、名はミヤと言う者だ。まあ、俺は独りなんだが。」
日本語を喋る縁起の悪い猫、ミヤ様。多分あたしと同じに何か得体の知れない力に導かれてこの世界に地球から落ちたに違いない。でも、シッポが4本はおかしい。
「中華の国を流れる大河の名を強引に読み替えた女を助ける為に、俺が考えたのがこの方法だ。体に流れる全てのエネルギーを肉体から抜き、誰にも触られなければ、この世界から出る事も可能だからだ。しかしこの女は肉体が無いと困ると言うのでな。この地域一帯を支配する犬の成れの果て共をとっちめていたんだよ。まあ、俺は独りなんだが。」
「儂らはその女子、揚子江を救出しに来た者じゃ。お主のその能力は興味深いが、あまりこの世界に儂らは長く留まれんようじゃ。怪我人も抱えておるでのう。」
「フム。大河の名を強引に読み替えた者よ。お前の息子か? まあ、俺は独りなんだが。」
「はい、ミヤ様。私の跡継ぎで御座います。」
会話として一応成り立っているけど、ミヤ様の喋りの最後に必ず付くこの言葉は何?
「どれ、少年の形をした人間の子供で男の子よ。足を俺の方に向けて見よ。まあ、俺は独りなんだが。」
おかしい、おかしいよ。その日本語。あたしはシイくんに肩を貸しながらそんな事を思っていた。あたしの視界には本体のしっかりした意識の無い揚子江様と、少し透明感のある幽霊みたいな揚子江様が二人居る。よく見れば本体の揚子江様の座ったお尻の辺りに黒い猫が丸まって寝ている。ミヤ様も霊体なんだ。
シイくんは膝から下の無くなった左足をミヤ様に向ける。ミヤ様が舌舐めずりした。今確かにした。あたしが身構えようとすると、シイくんがそれを制した。
「大丈夫だよ。尻尾が4本でも猫に悪い奴はいないんだ。」
出血が多過ぎて意味不明の発言をしている。しかし、その言葉を聞いたミヤ様は笑顔になった。猫の笑顔も初めて見た気がする。
「念塵瓜瓜ポーン! まあ、俺は独りなんだが。」
今の掛け声は何? その疑問を解決したのはシイくんの足だった。どこからともなくこの暗闇の世界にある塵が集まり始め、シイくんの千切れた膝にくっついて行く。数秒でそれが足の形になった。なんて便利な能力なの。
「なんと? お主、塵から肉体を再生出来るのか?」
驚く宴脆様だったが、ミヤ様は残念そうに肩を落とす。
「否、猫は人に非ず。故に猫に人は治せぬのだよ、宴脆。これはこの場を脱するまでの借りの義足だ。神経も通したから、動きに問題は無い筈だぞ、シとイをくっつけた名を持つ少年。まあ、俺は独りなんだが。」
シイくんはあたしの肩を借りずに立ってみる。塵から出来上がった足は通常の動きをしていた。足の指までちゃんと動いている。
「凄いね、ミヤ様。」
シイくんは痛みまでも消えたようだ。
「礼には及ばん。死と生をくっつけた名前の持ち主よ。俺のテリトリー内ではその足が機能する筈だ。まあ、俺は独りなんだが。」
「……ミヤ様は何故喋る言葉の最後にその言葉を言うのかしら?」
ミヤ様はちょっと驚いた顔をした。こんなに表情豊かな猫は見た事がないよ。それにしても、今の会話中、この猫はあたしにまったく気付いてなかったように見えたけど、それってあたしが取るに足らない存在だから?
「なんという事だ。大河の名を強引に読み替えた女よ。何故このお方が此処にお出でになるのだ? まあ、俺は独りなんだが。」
「え? あたし?」
それまで宴脆様でさえ呼び捨てのミヤ様はあたしの前に這い蹲ってしまった。両の前足は多分鋭いであろう爪をしっかり仕舞い込み、肉球を上に向けている。これは猫の土下座の仕方だったような。
「……能力が発動したのではないかのう。」
あたしの隣に来て宴脆様がそっと呟く。
「それとも、諒子さんの知り合いなんじゃない? このミヤ様。」
逆隣にシイくん。割と好みの顔なんだからあんまり近付けないでよ。藤村と素子に言い訳出来なくなるじゃない。宴脆様はその髭が耳の辺りを掠めてむず痒いよ。
「あたしの知り合いに4本シッポの生えた黒猫なんて居ない……あれ?」
何か思い出しそうになった。その瞬間に目眩がする。これは魂の記憶? ううん。もっと近い、あたしの記憶の一部だよ。何処かであたしはミヤ様に遭っている。
「いけない。記憶の混乱が起きているわ。ミヤ様、私を体に戻してください。」
「ムウ。確かにこの混乱はこの世界では死を招く。まあ、俺は独りなんだが。」
起き上がったミヤ様が霊体の揚子江様のお尻を押す。なんかミヤ様はエッチな猫ね。押された揚子江様が壁にもたれた抜け殻の肉体にぶつかる。正確には戻る。
抜け殻だった揚子江様の肉体に血の気が戻り、すぐに目が開いた。
「宴脆様、シイくん! 離れて!」
声を荒げる揚子江様を初めて見た気がする。でもそんなの観察している場合じゃなく、今はあたしがピンチらしいんだよ。胸が苦しい。揚子江様は着ていた上着を脱いであたしに被せる、あたしはそんなに大きい訳じゃないし、苦しくて胸を抑えてしゃがみ込んでいたから、全身がその上着で隠れただろう。もっと大きくならなきゃならないのに、小さいのがバレちゃった。
「危なかったな。まあ、俺は独りなんだが。」
「この世界ではミヤ様以外がこの術を使うと死に至ります。」
「幽体離脱のような物?」
「ええ、シイくんが足を食われたと推測するけれど、あの化け物は、地球に住む犬の成れの果て、そしてその犬たちが好物とするのは魂の抜けた抜け殻である人間なのよ。」
「ヌウ……まさか魔界の奥にまだ何かを食する形態を残した魔物がおるとは。」
会話に加わりたいんだけど、ちょっとダウンしてしまったよ。それでも耳は聞こえている。
「ムウ。俺とした事が、まさかこのような場所でこの方と再会するとは思いもよらなんだ。まあ、俺は独りなんだが。」
「ミヤよ。お主は諒子ちゃんの何を知っておるのじゃ?」
「ムウ。この場で話すのはちと不味い。階層を一つ上がるか下るかしよう。俺の秘密を犬に知られればこの世界で俺は生きて行けんのでな。まあ、俺は独りなんだが。」
宴脆様が盾の役目もする結界を張り、全員中に入れた。シイくんが少し嫌な顔をしたかな。他人の結界で移動するのも乗り物酔いの発動条件だもんね。今度はあたしがシイくんの肩を借りる事になってしまった。本当にあたしは役に立ってないなぁ。
あたしの知る限り最高の能力者である宴脆様の移動用結界と、揚子江様の防御結界が張られた球体は上にゆっくり昇って行く。
「ミヤ。お主の体はあそこに置いたままじゃが良かったのかの?」
「ああ、俺の体はどの道あの場から動かせんのだ。下にも上にもな。犬の成れの果てが腐っても犬なのは、その嗅覚にあるので、お前たちの臭いを辿ってあの場に到達する事も有り得るが、肉体の周囲に張ってある結界は犬には破れぬ仕組みになっている。まあ、俺は独りなんだが。」
「まさか魔界の奥にまだこのような世界が存在するとは、流石の儂も驚いた。」
「今俺たちが昇っているのは第二階層だ、魔界は横にも広いが縦にも深い世界なのだよ、宴脆。お主の居る第一階層は魔界の表層に過ぎず、そこで究極魔王の称号を持つお主の能力を持ってしても、最下層まで辿り着くのは不可能だと思ってくれ。俺は独り故に最強だが、これだけの人数を守って第二階層に居る生物の相手は出来ぬのが現状だ。俺も若い頃に霊体の術を使ったままで六まで階層を下った事があるが、どこも俺の住める世界とは呼び難かった。まあ、俺は独りなんだが。」
「地球の能力者を井の中の蛙と評した事がある儂じゃが、その儂も井の中の蛙とはのう。やはり魔界は面白い。」
そうしている間に移動結界は普段あたしたちの住む見慣れた魔界に出た。あたしたちの入った穴の周囲には、この地域の領主である鉄朗さんが結界を張って待っている。その隣には腕組みしたシルヴィスさんが居た。
「宴脆陛下!!」
「無事だったか?」
出迎える二人、降り立ったのは四人と一匹。あたしに肩を貸していたシイくんが左膝を抱えて倒れる。ミヤ様の術は第二階層内でしか有効じゃないんだった。
「無事ではない。シイちゃんの足が食われた。諒子ちゃんは意識朦朧じゃ。この穴の奥では儂の能力は半減してしまうようじゃ。」
「この階層に出れば、俺にはこんな事も出来る。まあ、俺は独りなんだが。」
鉄朗さんとシルヴィスさんが驚いて足元に居る生物を見た。ミヤ様は姿が猫だから、巨体の二人には視界に入っていなかったし、ついでに日本語で喋るからね。驚かない方がおかしい。
「念樹瓜虚ポーン! まあ、俺は独りなんだが。」
二人の驚きを余所に、ミヤ様の変な掛け声の術がまた発動する。今度は樹と付いたから、多分木々から何かを得る術なんでしょうね。思った通り風が起き、近くの木が一本突然枯れ、落ちる筈の葉がシイくんに向かう。先程の塵同様にシイくんの左足義足が完成した。
「スゲェな。なんだいこの猫は?」
恐れを知らない顔でシルヴィスさんが訊ねる。
「俺は魔界第二階層の孤独なる王にして、魔界の探求者でもあるミヤと言う者だ。お主は名を借りる者、シルヴィス。そしてお主は宴脆に任命された最後の王、鉄朗じゃな? まあ、俺は独りなんだが。」
揚子江様に聞いていたにしても、妙に事情通に見えるんだけど、どうしてだろう。
「揚子江、藤村に連絡し、この場に急行させよ。魔界の守りは八つ裂き丸と副官二名に任せる。鉄朗はこの穴の周囲の結界を強化、この穴から出て来る者はミヤ以外全て敵だと認識せい。」
状況の飲み込めない鉄朗さんに宴脆様が命令する。鉄朗さんはすぐに作業に取り掛かった。
「宴脆王、俺は何すりゃ良いんだ?」
「お主は万が一、鉄朗の結界を破って出て来る者が居た場合、有無を言わさずぶん殴れば良い。揚子江はシイちゃんの手当てじゃ。藤村が来たなら諒子ちゃんの件についてミヤから話を聞かねばなるまい。」
宴脆様がそう言い終わった瞬間に藤村が現れた、得意ではない瞬間移動の術を使ったみたい。
「諒子!」
珍しくあたしの名前を呼んでくれた。お前とかおいとかじゃないので、皆の前で少し恥ずかしいな。
「藤村よ。ここに居るミヤという猫の王が、諒子ちゃんの記憶障害について説明出来るそうじゃ。見た目は猫じゃが、話は出来る。」
草むらに寝かされているあたしに駆け寄った藤村が、怪訝な顔でミヤ様を見ていた。
「ミヤ殿。諒子の未来の夫で、宴脆様に任命された王でもある藤村です。お初にお目に掛かる。」
その魔力の高さに驚嘆しながら一礼すると、ミヤ様もお辞儀した。
「ところで、あたしの記憶障害って何?」
やっと喋れたよ。でも、また胸が痛む。
「これは俺のせいなのだ、藤村。話す前にお主に詫びねばならん。まあ、俺は独りなんだが。」
藤村もこの独りなんだが攻撃に面喰ったようだが、理解力は鉄朗さんより上だから、簡単にその言葉を聞かなかった事に出来たみたい。
「俺がこの中、第二階層に住む犬の成れの果て共に追い立てられ、第一階層、つまりはこの世界に続く天井に吹き飛ばされたのは六年前の事だ。最大の防御結界で霊体へのダメージは防いだんだが、この場に大穴を開けてしまった。まあ、俺は独りなんだが。」
「それ程大きな戦闘があり、こんな大きな穴まで開いたのに、儂の探索網に引っ掛からんのは何故じゃ?」
「これは俺が自慢しているようで、あまり言いたくはないんだが、俺は霊体の時は気配を出さん。最大防御結界は音もなくこの場に穴を開け、俺は瞬間的に最小の存在である木の葉になった。宴脆が究極魔王でも木の葉が舞い上がるのまでは探知出来まい? 俺はそのまま第一階層の風に乗って空高く舞い上がり、見えはせぬが空に開く地球に続くトンネルに引き込まれた。まあ、俺は独りなんだが。」
「ミヤ殿は諒子が落ちて来たトンネルを通られたと?」
「ああ、これはまったくの偶然だった。トンネル内で元の姿に戻った俺の目の前にこの方が居たのだ。今と同じく意識は朦朧としていたが、魅了の術を生まれながらにして持つ方とお見受けした。まあ、俺は独りなんだが。」
うわ、あたしがつい最近知った秘密を簡単にミヤ様は見抜いているよ。
「出会って何があったのじゃ?」
「ウム。第一階層内であれば名乗っても差し支えあるまい。俺の名はミヤだが、本来の俺はミョウヤと言う。接触は偶然起きた事だ、許して欲しい。最大防御結界を解いた瞬間にこの方に出会ってしまい、俺には避ける術が無かったのだ。それはこの方の胸に多分痣となって残っているだろうが、避け切れずに俺の尻尾が二本当たってしまい、更に偶然にもこの方の名前の中に『ヨ』と『ウ』の文字を俺は見つけてしまった。その瞬間に俺は無意識に名前の二文字をこの方に預けてしまったのだ。第二階層では名前を知られるのはキツイ。名前を使った呪詛が横行しているからだ。揚子江を大河の名前を無理矢理読み替えた名を持つ者と呼んだりしているのはその為だ。宴脆クラスであれば名を知られた所で屁でもない術なんだがな。まあ、その時にこの方から意識が俺に逆流し、記憶の一部が移ってしまったのだ。まあ、俺は独りなんだが。」
「かくれんぼの時に、あたしが異世界に落ちたから、ミヤ様に出会ったから、触れたから、あたしの名前の中に自分の名前の一部を隠した……主従の契約と共に……」
ようやく起き上がれたあたしの口から、こんな言葉が出るとは思わなかったよ。一旦停まった記憶が、今のあたしの記憶とリンクする時の胸の痛みだったのね。不足していた物を取り返したあたしの体が、一回り大きくなっているのに今気付いた。
「その通りだ、地球の少女にして我が主、神埼諒子様。俺は出会った瞬間にあなた様に魅了され、名を二文字預かってもらう代わりの対価として主従の契約を交わした。揚子江も宴脆も越えるその無償の愛とも言える能力は、俺の心を虜にしたのだ。俺は第二階層の魔物の言う事もこの第一階層の魔物の言う事も聞かぬが、あなた様の命令だけは絶対の服従を持って遂行するように定められた存在なのだ。故に、まあ、俺は……」
「独りではないよ。ミヤ様。」
口に出したのはあたしだけど、取り戻した記憶の方が優先的に口を開く権利があるみたい。負けないわよ、過去のあたしの記憶。あたしはそう思って手をミヤ様の頭に乗せて撫でた。ミヤ様は頭を垂れて大人しく撫でられてくれる。霊体なのに触れる。
「今この瞬間、俺に触れるのはあなた様だけだ。シルヴィスの視認出来ればなんでも殴れる能力も俺の前では無効化されるのでな。故に俺は独りではなくなった。藤村、お主が良ければ俺をお前の元に置いてはくれぬか?」
「……王を呼び捨てにする奴は要らん。と、言いたい所だが、ミヤ殿は何があっても諒子を守る最強の護衛であってくれるのだな?」
「約束しよう。では、手始めに藤村殿と呼ばせて貰おう。俺の事は呼び捨てにしてくれて構わんさ。もう俺は独りではない。」
「そういう事になりましたが、宴脆様。」
藤村が指示を仰ぐように宴脆様を見た。
「まあ、良かろう。この世界の王が増えた訳ではないのでな。されど、拮抗を善しとする儂の意向には反する。お前さんの副官を一人鉄朗に譲るのじゃ。」
「宴脆様、それはお待ちください。」
穴の淵に立って結界の強化をする鉄朗さんが、顔だけこっちに向けて口を開いていた。
「俺は、勝手ながらシルヴィスを副官に迎える契約をしました。ご報告はこの件が片付いてからしようと思っておりましたが、話の展開上、口を挟む余裕がありませんでした。」
「シルヴィス、本当かの?」
鉄朗さんの隣に立って腕組みしているシルヴィスさんも、顔だけこちらに向ける。
「ああ、なかなか良い条件を貰ったしな。地球で傭兵をしていても、俺の敵になれる人間は殆ど見つけられないし、好敵手になればなる程、こちらの世界に近い人間ばかりだ。つまりは敵ではなく味方の場合が多い。それでは腕も鈍るし、いっその事誰かの副官になろうと思っていたんだよ。鉄朗さんは俺が傭兵になって初めて出会った魔界の王であり、命の恩人だからな。」
「条件はどんなものじゃ?」
「俺は年を重ねる。止める能力は要らん、つまりは老衰で死ぬ許可を貰った。それから、お前たちは悪魔と呼ばれる連中なのでな、俺の判断基準で聞けぬ命令がある。あとは主に妹関連の事だ。そして、俺が死んだ後の事は特に何も指定しない。これが俺からの条件だ。」
宴脆様が顎髭をいじりながら考え込んだ。シルヴィスさんは人間だけど大人だなぁ。
「ホウホウ。良かろう。その条件はお主が死ぬまで有効としよう。お主が転生した場合の事は含まぬで良いのじゃな?」
「ああ、するかどうかも解らん事に口は出さんよ。」
「フム。では藤村の副官の件は無かった事にしよう。八つ裂き丸の所が手薄じゃな。」
上着を脱いであたしに貸したままの揚子江様が、シイくんを膝の上に乗せたままで手を上げている。
「揚子江よ。お前さんの言いたい事は解るがのう、お前さんのレベルが八つ裂き丸に手を貸すのは法度じゃよ。鉄朗にたまに手を貸す父の鉄明とはレベルが違うからの。いくら義母になったと雖も、それは駄目じゃ。」
「ええ、ですから、私の分身を差し出そうと言うのです。」
はい? お姉様とシイくん以外に揚子江様に子供が居るとは聞いていないよ?
「お前さんの分身じゃと?」
「はい。私、これからある方と結婚する予定があります。その方との間にも子を儲けたいと私は思っているのです。その子を八つ裂き丸殿に預けましょう。義姉になる綾乃もおりますし、私といたしましては、それが最善策かと考えます。」
「……揚子江。お前は男女の産み分けでも出来るのか?」
呆れた顔で藤村が口を挟んだ。
「ええ、藤村殿。私は計算を重ねて綾乃とシイくんを産みましたよ?」
うわぁ、揚子江様の気分次第でお姉様が男だったり、シイくんが女だったりしたんだ。もうこの超能力者たちの会話にあたし付いて行けないよ。
こうして魔界に新たな住人が増えた。あたしの護衛に立候補した、肉体を第二階層に置いたまんまのミヤ様と、地球からの志願者シルヴィスさん。能力者としてはあたしより高度な術を使える猫と人だから、あたしはもっと頑張らなきゃ。
藤村に抱き上げられて、ちょっと恥ずかしかったけど、その場で宴脆様たちに挨拶をして私邸に戻った。勿論新しい仲間であるミヤ様も一緒にね。シイくんの義足を地球に戻った時に誰が作るかでちょっと揉めたけど、これもミヤ様が揚子江様に作る術をあっという間に伝授して解決してくれた。
「あたしって何しに行ったんだろう?」
結局今回も宴脆様とシイくんに助けられたのはあたしだった。揚子江様は下手すると救助の必要もなかったからね。あたしをベッドに降ろした藤村が撫でてくれる。
「お前は今回の任務で成果を上げたじゃねぇか。先日の神系との戦いもそうだったが、お前は自分に自信が無さ過ぎるぜ?」
「成果?」
「おう。自分が一回りでかくなった事にお前は気付いていないのか? それにミヤの事も解決したのはお前だぞ?」
「記憶の一部が戻って体が大きくなった事くらいは気付いているよ。だって胸が少し重くなったもん。だけど、ミヤ様の件は解決したって気がしないよ。」
「……服を新調せねばならんな。ミヤ、お前の能力で簡単に出せたりせんのか?」
あたしの寝ているベッドの脇にあるクッションの上に、普通の猫のようにミヤ様は寝て
いた。目は瞑っているけど、耳がこちらに向いているので、話は聞いているようね。
「俺の能力は肉体限定だよ。どこの世界に猫に服をねだる王が居るんだ? それも自分の妃候補の服だぞ? それは諒子様が自分で選んで買うべきだろう? 俺はもう独りではない。」
ミヤ様の発言の後ろには必ず意味不明な一文が付くけど、今回変わったそれは、かなり前向きに聞こえるので、あたしは気に入っている。
「それもそうか。ミヤの能力は便利だからな、つい頼ってしまいそうだ。」
「俺を便利に使うのは構わんが、諒子様の用件限定で頼むぞ? 解決云々の話は諒子様の気持ち次第だから、俺にはどうにも出来ん。だが、一つ言える事として、俺は揚子江の助力を得て犬共を駆逐していたが、味方とまでは思っていなかった。宴脆に連れられた諒子様が来なければ、俺がこの世界に来ようという意志も無かった訳だから、それは自慢げに胸を張って良いと思うぞ? 俺はもう独りではない。」
そう言われても、あたしは納得出来なかった。何もしていない事に変わりはないじゃない? なんかあたしの魅了の能力って、何もしていない感じが残って妙な気分。
「宴脆様の無茶に二度も連続で付き合って生きて戻って来ただけでも、充分にお前は強くなっているよ。シイは二度目の無茶な依頼で足を失ったが、お前は五体満足だろ?」
「それはシイくんがあたしの代わりに怪我したんだから、あたしのせいじゃない?」
「うーん。ああ言えばこう言うな。ミヤ、なんとかならんか? これは諒子限定依頼だぜ?」
ミヤ様はクッションの上で大きく伸びをして、首をぐるぐる回している。
「フム。諒子様に自信を付けさせる無理難題を、藤村殿が考えると良いのではないか? それも俺や藤村殿の力を借りずに一人でやる作業だな。俺はもう独りではない。」
藤村は腕を組んで考え込んだが、結局この日は何も妙案は浮かばなかった。あたしもそんな落ち込んでいないで考えれば良かったんだけど、シイくんが足を失って悲しむ素子の顔を思い浮かべると、凹むばかりだったの。
今日は一人で眠る事になった。基本的に王と一緒に眠るのは、本物の妃だけで、あたしはまだ候補に過ぎない。藤村は真面目だから、他の女性を部屋に入れたりしないから、それは安心していても良いかな。折角あたしの護衛兼話し相手になってくれたミヤ様は、藤村が面白がって部屋に呼んでいる。言葉が通じて、更に魔界の奥を知るミヤ様は、魔王にとって重要な人材なのね。あたしには地球の知識さえ殆ど無いも同然だからね。藤村の愛情は信じて疑わないけど、どうにもあたしが役立たずなのが気になるんだよ。
ベッドに寝転がったまま、上着を脱ぐ。鏡はベッドの脇にあるから、上半身だけ起こせば、鏡にその姿を映せる。主に見るのは大きくなった胸だね。左側の上の辺りにミヤ様に付けられた痣が薄く残る。この二本のシッポの痣があるのは、流石に気付いていたけど、あたしの記憶を抜かれているのは気付かなかったよ。魔界に落ちた日にミヤ様と衝突して付いた痣の筈なんだけど、記憶を取り戻しても、まだ思い出せない部分がある。この痣、もっと前からあった気がするんだよ。魔界に落ちる前からね。
あたしは小姓を呼ぶ鈴を鳴らす。副官は今回の件で事後処理に忙殺中だから、普段あたしの身の回りの世話をしてくれる女性型の魔物がすぐに現れた。
「諒子様っ!? なんとはしたない。」
侍女のアッキーは、露骨に驚いた顔をして、あたしの上半身に毛布を掛ける。
「アッキー。夜遅くにごめんね。急激に成長したから、なんか体がだるいんだよ。自分でお茶を淹れようと思ったんだけど、腕が重いんだ……。」
それを聞いたアッキーが肩を揉んでくれる。お茶はマッサージの後で貰えるみたい。
「諒子様は普段からお綺麗なのに、更に魅力が増しましたね。私ならばお酒の一杯も飲めば疲れも取れますが、諒子様はまだ飲んではいけないと陛下からきつく言われておりますしね。」
アッキーは、あたしに初潮が来た時に雇われた世話役なの。体に変調があった場合は、アッキーを頼りにしているんだ。地球で言うお医者さんは魔界に居ないし、この私邸で侍女はこの人だけだしね。ちょっとお酒好きなのがたまに傷だけど、面倒見は凄く良い人。お酒という飲み物を紹介したのはあたしなんだけどね。魔物の中で飲食する珍しいタイプでもあるんだよ。顔はちょっとあれなんだけど、その世話好きな所が男ウケするらしく、結構モテるんだ。副官程ではないけど、戦闘能力もそこそこあるし、以前はあたしの格闘練習の相手でもあった。お茶は淹れれるけど、料理が苦手なのはあたしと一緒。そろそろ二年の付き合いになる。藤村以外であたしが心を許している一人かな。
「最近は諒子様もお忙しかったから、疲れが溜まっているんでしょう。私はそんな諒子様の疲れを癒す為に雇われているんですから、お気になさらず使ってくださいな。」
30代後半くらいの気の良いオバサン風の容姿を持つアッキーは、そう言ってあたしを癒してくれた。
翌朝、アッキーのマッサージ効果でかなり元気を取り戻したあたしは、一人で八つ裂き丸様の所に使いに行く事になった。藤村は宴脆様に呼び出されて居なかったし、ミヤ様は実は第二階層から出る時に相当魔力を消費してへとへとだったらしいので、付いて来なくても良いとあたしに言わせたかったんだと思う。あたしは実際ミヤ様に今日一日自由行動という命令を与えている。あたしが休んでいる間も藤村と何か相談していたんだ。だからきっと何か思い付いての事だと思うの。あたしはそれに乗ってみたという訳。普通に連絡をするだけなら、副官が行くのが筋だもんね。
八つ裂き丸様の領地の上空に差し掛かると、うっそうとした森の中を歩く人を見つけた。この世界で宙に浮かずに歩いて森の中を行くのは自殺行為に等しい。あたしも圭介くんも、この世界に留まる事を決めたその日から、かなり上達するまで空中浮遊の術をそれぞれの師に叩き込まれたのを思い出す。王の領地内でも、普段悪さをしなければ魔物は住む事を許されているんだよ。その中には、ずるいのや力だけはやたら強いの等も含まれる。
でも、その人はどう見ても人間なんだよね。まあ、あたしみたいなお人好しを罠に掛ける為に人間の姿に化けている可能性もあるけど、あたしを騙すのは不可能に近いよ。それに、化けるにしてもあんなに強そうな人間に化けてどうするのよ。どこからどう見てもそれはシルヴィスさんだった。