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ちょっと待って、頭の中を整理しないと。取り乱してはいけない。頑張れあたし。
藤村が5年前あたしと付き合い出した頃の事をあたしがあんまり覚えていないのは、この女のせいなんだ……駄目だ、まだ頭が冷めてない。
揚子江様が長年探し求めていた魂と、藤村を含む魔王の天敵聖戦士の魂を半分ずつ融合して生まれた女性。魂を抜かれても肉体のみで動ける聖戦士が彼女をその惑星に呼び寄せて殺し、魂を奪おうとした事件があったの。ちなみに死ぬと肉体から魂が抜けてその惑星に集まるの。でもそこは天国じゃない。集まった魂が分離分割し、浄化されるか転生するかが決まる惑星。
そんな神みたいな審判の下る場所を聖戦士が許す訳がない。裁くのは神なのだから。
だけど宴脆様と八つ裂き丸様、藤村、故斬鬼様の四人でその惑星を守ったから、こんなややこしい事件が起きてしまったの。それに巻き込まれたのが聖戦士の魂を半分持って生れてしまった三樽別川繭鋳さん。
彼女に悪気がないのは知っているし、誤解も解けたんだけど、あたしは同棲生活を邪魔されたあの事件を結構根に持っているんだ。どちらかと言うとあたしの嫉妬深さと藤村の案外軽薄な喋りが招いた痴話喧嘩の登場人物なの。言われてみればお姉様の同級生、年齢は一つ上、最華学園の卒業生で、揚子江様の弟子でもある能力者に数えられるんだ。
半分聖戦士の魂を持っているから、シルヴィスさんと同じで神系に攻撃が出来る。普段魔界で暮らすあたしはまったく思い浮かびもしなかった。いえ、忘れようと頭の中でかき消していたのが本当の所。
ちょっと頭冷やしたいから他に名前の出た人の説明を先にするね。
鷹刃氏かなみさんはお姉様の一歳年下の現役学園生で、高等部の三年生。高等部生徒総代でもある人。地球に存在する助力魔法を全て無意識に使える天才。そして先程から名前の出ているシルヴィスさんの実の妹。ちなみにシルヴィスさんは偽名で、本名は誰も知らないの。かなみさんの苗字も4家の一つから借りた苗字なので、この兄妹の本名を知っている人は殆ど居ないのね。なんの罪かまでは聞いていないけど、鷹刃氏の跡取り息子は現在服役中なの。かなみさんはその鷹刃氏六郎さんの恋人らしいって話は聞いた。
未曾有麻生さんは最華の卒業生でお金持ち。現在は最華学園の理事に名前を連ねている。勿論最年少。現在のように生徒総代と呼ばなかった去年まで生徒会長を務めていた。学園理事長佐藤ミドリさんの後継者に指名されている一番弟子。
藤村は説明するまでもなくあたしの彼氏でこの世界に居る七人の王の一人。
そして揚子江さんの息子さんでお姉様の弟さんは、さっきも言ったね。でも聖戦士の大軍を堕天させる能力者だなんてあたしは聞いていないよ。
「瞬間移動能力を持つ者が少ないのは解りますが、藤村もそんなに上手ではありませんよ」
あたしは取り繕うように咳払いをして、なんとか笑おうと試みた。
八つ裂き丸様もお姉様もあたしの叫び声で気付いているけど、二人とも大人だね、聞こえなかったフリをしてくれた。
「確かに藤村がサポートってのは奇妙なメンバー構成に思えるが、お前なら義弟の言っている意味が解るか?」
「シイちゃんは時々私の考える事から外れます。今回はそれに該当しますね」
「まったく……この連絡方法はまどろっこしいな。あいつ、こっちに来る能力は無いんだったっけ?」
「ええ、極度の乗り物酔いする体質ですから、自分の周囲に張った結界で移動すると酔います。誰かが連れて来ても酷い乗り物酔い状態ですから、話になりません」
あたしは何度かこのシイくんに会っているんだけど、会う度に具合が悪そうでぐったりしているの。最初に会った時は揚子江様に背負われていたし、次に会った時も藤村の肩を借りていた。でも地球上ではシルヴィスさんとまともに殴り合えるのは彼と揚子江様くらいしか存在しない。あたしと妹にかくれんぼによる修行方法を教えてくれた以外で、良いイメージは殆ど無いに等しい。
「最も殴り合いに向いているあいつが堕天担当だというし、その堕天方法も気になるな」
八つ裂き丸様は独自の判断で地球に行く事を許されていない。宴脆様の依頼が無い限りは地球側の能力者がこちらに来る決まりがあるんだよ。それは他の王も同じ。
「それは俺が行く事になりました」
飲み物を持った圭介くんに案内されながら藤村が入って来た。宴脆様を説得しに行った筈なんだけど、逆に任務を押し付けられたみたい。八つ裂き丸様の前で一礼する。これは同格の王だけど先輩である八つ裂き丸様への礼儀ね。
「なにもこちらから出向く事もあるまいに」
「まあ、時間もあまりないようだし、行方不明の揚子江に依頼したのは宴脆様のようですからね。少しは負い目も感じているんじゃないですかね?」
そう受け答えしながら藤村があたしの頭を撫でる。愛情表現でもあるんだけど、魔物は大抵人間の頭に手を置くだけで数年分の記憶を読む事が出来る。その撫でている手が一瞬止まったけど、あたしは気付かないフリをした。きっと宴脆様とも似たようなやり取りがされ、シイくんに問い合わせをしたかも知れないけど、メンバー表は送って貰わなかったんだよ。あたしの記憶を読む時に藤村の手が止まるなんて事は他に考えられないもん。今のあたしはまだまだ子供で成長過程だけど、その内胸が最大になったら年齢を止めてやるんだ。藤村はロリコンだけど巨乳好きなのよ。あたしより後に出会った三樽別川さんの身長が今のあたしくらいで巨乳だったからって。
「その考えも読めるんだが……」
まだあたしの頭の上に藤村は手を乗せていた。折角冷めかけたのにまた頭に血が昇るじゃない。ほんの10分くらいの記憶を見るのにそんなに時間掛けないでよ。
「ああ、悪かった」
やっと頭から手をどけた藤村があたしの額にキスしてくれた。八つ裂き丸様とお姉様が見ている前ではしたない。でも、あたしはこのキス一つでかなりとろけた。
ちなみにこれ以上のエッチな事はしていないからね。年を取らないんだから藤村にとってあと数年待つくらいなんともない筈だし、これ以上ロリコン扱いされるのも嫌だろうし、あたしはまだ13だし、これでも日本を守って来た由緒正しい家柄の女の子だから、その辺はわきまえているわよ。
八つ裂き丸様もお姉様もこの光景を微笑ましいと思ってくれたようだ。こんなに好きな人に撫でられたり額にキスされたりしただけでドキドキするのはこの年齢のこの時だけだとあたしは思っているんだよ。お姉様はあたしとそんなに変わらないけど、なんと言ってもあの揚子江様のご息女だから、経験豊富に見えてしまうの。スタイルもかなり違うしね。
「その手紙を見せてもらえますか?」
藤村がそう言ってあたしから離れる。ちょっとは羞恥心もあるらしく、顔が少し赤くなっていた。何千年も生きていてもウブなのはあたしとそんなに変わらないのはおかしいね。大分頭に昇った血も下がり、あたしは少し機嫌が良くなった。
「地球人類を滅ぼすって話はとりあえず保留って事になった」
藤村が手紙に目を落としながら言う。
「とりあえず?」
「ああ、宴脆様がお前に語られたように、地球人類がいつになっても同族同士の戦争やら領土争いやら、くだらん事にうつつを抜かしているからこそ、今回神系に付け入る隙を与えたようなもんだからな。神学と魔学を極めている人間が揚子江一人しか居ないという事を大変お嘆きだったよ。今回はその人間の中から有能な奴が提案して来た作戦に乗っただけだ。愚行を繰り返すだけの人間にはいずれ滅びの道が待っているんだとさ」
それはシイくんの事だ。八つ裂き丸様は苦笑いだったけど、宴脆様にはかなりあの堕天作戦は気に入られたそうだ。
「どうせあたしは、戦力を整えて迎え撃つ事しか考えられない程度の低い人間よ」
「それは私もですねぇ。攻めて来る軍勢が居るから迎え撃つ軍勢を作るというのは人間の常識だと思い込んでおりました」
「オヤジはその堕天を承認したんだな?」
「はい」
こうして、人類としては初めて、神の任命した聖戦士の大軍との戦いが決まった。
ひと月の間で、あたしは藤村や八つ裂き丸様に稽古をつけてもらい、地球側の代表とも会談の場を設け、大忙しの毎日だったよ。
そして、地球攻略を信じて疑わない聖戦士二十組百六十人は先鋒の報告を待たずに命令通り八月十八日に指定された20ヶ所のトンネル前に現れた。これはその一例よ。
地上に降り立った八人の聖戦士の眼前には、三日前に地球攻略の為に地球に降りた聖戦士がその背にある羽と頭の上にある輪を黒く染めて一人で立っている。勿論八人全員を堕天させたけど、他の十二か所は別の作戦。それはあとで説明するから、今は堕天した聖戦士の場合ね。シイくんの考えた作戦は簡単過ぎて呆れるばかりだったけど、神系には物凄く効力を発揮した。
聖戦士は卑怯な真似が出来ない。
つまり、今トンネル入り口前には元聖戦士が一人で立っているの。降りて来たのは八人。八人掛かりで一人を倒すのは卑怯よね。聖戦士にも個人差があるけど、この時点で何も考えず元聖戦士と戦おうと思った人数が二人以上なら、その人数分堕天する。だって卑怯な考えを持ってしまったのだから、最低二人、最大八人をその場で堕天させる事が可能。
元聖戦士を含めた九人が味方になる訳。そして、八人の内四人が堕天する時点まで聖戦士は攻撃出来ない。四人堕天の時点で聖戦士四人対堕天使五人になるからよ。これは卑怯ではないもんね。そして、聖戦士は卑怯な真似、つまり多対一は出来ないけれど、魔界に堕ちた堕天使は魔物だから、どんな卑怯な事をしても良いの。彼等聖戦士に許されている多対一は、相手が魔王クラスだった場合のみなのね。確かに今回の侵攻は大攻勢に恥じない軍勢、大天使クラスであれば独自判断の権限が神から与えられているから、融通も利くんだけど、生憎今回の降下部隊メンバーが全て聖戦士だったって事。
聖戦士は戸惑った時点で堕天して、悪の道に堕ちた。つまり魔界の味方になってしまった。そして多対一になった時点で魔界の勝利は確定する。元々が似た戦闘能力しか持たない聖戦士同士だから、人数が多い方が勝つよね。そこで偶然は起きず、必ず一人こちら側が残る仕組みが出来上がって、八か所で圧勝の報告があたしに入る。
こんな馬鹿な勝ち方があるのをあたしは知らなかったよ。神系の戒律の厳しさと潔癖さを逆手に取った作戦ね。それを思い付いたのが悪魔ではなく人間であるシイくんだってのが、あたしを戦慄させていた。
元聖戦士八人を配属した以外の十二ヶ所ね。その入り口付近にはシイくんが選んだ最華学園生の十二人が一人ずつ配置されていたの。戦闘能力は殆どゼロと言っても良い人たち。だけど、この人たちがただ者ではないって思わせたのは、その豪胆さと無神経さ。聖戦士が降り立った洞穴の前に彼等は文字通り寝ていた。
眠る者は悪事を企む者ではなく、聖者に近しき者なり、故に殺すに能わず。
神系の者にはそういう決まりがある。つまり、夜襲なんて最低って意味ね。しかもトンネルの真ん前で毛布にくるまって本気で寝ているたった一人の人間に対するのは、精鋭を揃えた聖戦士八人。多対一が聖戦士にとって卑怯に分類されるのはさっきも言った通り、しかも相手は無防備にお腹なんかかきながら眠る聖戦士の足元にも及ばないような人間一人。
聖戦士と対等に戦えるような人間は皆トンネルの中に配置され、外の様子を眺めているだけだった。あたしとシルヴィスさん、シイくんと繭鋳さんのコンビがそれぞれ担当のトンネル内に瞬間移動能力者と一緒に居るの。瞬間移動能力者は人間一人くらいなら転送させる事が可能な能力者。万が一トンネルの外で寝ている生徒が殺されてトンネルに侵入された場合、緊急に転送される。寝ている生徒を殺した聖戦士は堕天するので、最大七人の聖戦士と戦う事になるのね。ちなみに七人くらいならあたしでも相手が出来るようになったよ。藤村と八つ裂き丸様の修行はそれ程ハードだったんだ。
でも、それも起きなかった。シイくんが居るトンネルに堕天した元聖戦士が集められ、各地の防衛に割り振られて行く。必ず奇数人数で、八人より少なく構成するの。そうすると数の多い聖戦士は攻撃に躊躇するから、必ず先手が取れる仕組み。殆ど戦闘らしい事は起きなかった。
初期に降下して来た聖戦士百六十八人中百十一名の堕天に成功。人間と魔物に被害は無く、完勝だったよ。
続いて降下して来た二十組にも似たような作戦を展開、それはトンネルの中間地点に置かれた本陣で、あたしとシイくんが元聖戦士を駒のように使って配置する作業をするだけだった。もう最華学園生の応援もシルヴィスさんの助力も必要なかった。
「こんなつまらん作戦をよく承認したな」
あたしの隣で憮然とした表情で腕組みして呟いたのは、シルヴィスさん。地球最強の戦士であるシルヴィスさんは、戦闘に参加出来ない事を嘆いていたのね。
「なんならシルヴィスさんも戦闘に参加しますか?」
机の上に聖戦士が降り立つ場所の書かれた世界地図を広げながら、シイくんが受ける。
「いや、やる気のある奴ならまだしも、お前の作戦にまんまと嵌まって次々寝返る連中と戦う気にはならんよ」
シルヴィスさんは戦闘が好きな人なのよね。あたしは出来れば殴り合いなんてしたくないけど、藤村に鍛えられてもいるから、複雑な気分だよ。
「こんな事を聞くのもどうかと思うが、魔界に嫁いだ少女よ」
そんな前置きがシルヴィスさんの口から出た。この本陣に来てから、あたしは難しい顔をして、殆ど誰とも喋っていない事にこの時初めて気付いた。
「はい?」
「これが俺の勘違いであれば許して欲しいんだが……」
そう言いながらあたしの顔を見下ろす。あたしの身長はシルヴィスさんと比べると頭四つくらい低いから、こうなるのよね。シルヴィスさんは2メートルくらいあるんじゃないかな。
「お前には姉が居るんじゃないか?」
「妹ならおりますが」
時間の流れ方が違うから、素子に身長も成長も抜かれているんだ。だから双子の妹が姉に見えてもおかしくはないよね。それにしてもなんでシルヴィスさんはあたしの妹を知っているんだろう? シルヴィスさんは4家の中では揚子江様一家と鷹刃氏の跡取りくらいしか知らないんじゃないのかな。そう疑問符を付けた視線を送ると、シルヴィスさんは視線をあたしから外してシイくんを見ていた。
「おい、お前の彼女の名前はなんといった?」
釣られてあたしの視線もシイくんに向く。シイくんは苦笑いしていた。
「あんまり言いふらさないでくださいよ。一応母さんや姉さんにも内緒だったんですから」
「お前の母親に内緒なんぞ通じるものか」
え? え? 何? 二人はなんの話をしているの?
うろたえるあたしの頭に、シルヴィスさんが、藤村がするみたく手を乗せた。ひょっとしてあたしの身長って、これくらい大きな男の人が手を置くのに丁度良いんじゃないかな。
「ええ、まあ、だから一応ですよ。このまま僕等が育って結婚しようものなら、4家が一つ滅びちゃいますからね。藤村さんに頼んで早くそちらで子供を作るように急かしてはいるんですけどねぇ」
はぁっ?
「お前の妹はこいつと付き合っているという話だ。何度かお前には会っているんだが、こいつと付き合っている彼女を見たのは一度きりなんでな。気のせいかと思っていたんだが、そうではないらしいな」
「ちょ、ちょっと待って。素子に彼氏? それが揚子江様の長男で、将来結婚? 神埼が滅びる? え? え? 何がどうなってそうなるのよ?」
あたしは完全にパニックだよ。藤村助けて。
「去年かな。三年前の飛行機事故でご両親を亡くした彼女がウチに暫く滞在してね。まあ、こういうのはどうかと思うけど、4家の中で修業しながら神埼を継ぐ決心を彼女は固めたんだね。その挨拶に夏休みを利用して来たんだよ。君が魔界に落ちた時も僕は母さんと捜索に行ったでしょ? 藤村さんに一目惚れした君は帰るのを拒んだじゃない?」
「ええ、確かにそうね。」
「4家の跡取りが失踪しても、依頼が無ければ母さんは動かない。だから僕と魔界に捜索に出る前に、ショックを隠せない素子ちゃんの所にお見舞いに行ったんだよ。僕はその時にハートを撃ち抜かれていたんだけど、向こうは去年会うまで僕の事を忘れていたんだってさ。まあ、照れてそう言っていたみたいだけどね」
「お前は13だよな?」
「うん、そうだよ。だけど、まだ早いって言うのは無しだよ? シルヴィスさんの彼女も13歳じゃない?」
なんなの。このロリコンたちは?
「あの娘はたまたま知り合いに頼まれただけだ。そういうんじゃないぞ?」
そう言いながらシルヴィスさんの顔色が少し変化した。藪を突いてなんとかって奴?
「いやぁ。シルヴィスさんがどう思っていても、あの娘のシルヴィスさんを見る目は本気だよ」
「……この緊張した戦の最中にお前たちは何を話しているんだ?」
そう言いながら藤村が現れた。その後ろに成長した繭鋳さんを連れて。
シイくんはあたしに気を使ってくれていたらしく、この作戦中、彼女とあたしと藤村を微妙な距離が出来る位置に配置していた。あたしの気性が激しいって事を数度会っただけで見抜いたのかと思ったんだけど、それは素子に聞いて知っていたと考えるべきね。
「こういう話を俺から振ったのは悪かったよ」
シルヴィスさんが頭をかきながら謝る。藤村は少し怪訝な顔つきで、あたしの頭に手を乗せた。こういう時は説明の手間が省ける便利な能力なのよね。
「…………」
藤村が固まった。それでも何かを口に出そうと頭を回転させている。
「……この、ロリコンめ」
「それは藤村さんでしょ? 僕と彼女は同い年だよ」
「ツッコミ所が違うぜ藤村さん」
シイくんとシルヴィスさんが同時に口を開いた。繭鋳さんは顔にはてなマークを付けてあたしたちを観察していたが、何か思い当ったようだ。
「間違っていたらごめんなさいね。中等部総代、最華の卒業生として、先輩として聞くけど、昨年のあの娘の件ね?」
あたしたちの顔を見てどうするとそう結論出来るの? 当たっているだけに怖い。それにしても、去年の夏休みに一体なにがあったと言うのだろう。お姉様も在学中だった筈だけど、そんな話は聞いていないよ。
「はい、三樽別川先輩、その話をしていました。本当はこの作戦終了後に僕が魔界に出向いて藤村さんと諒子さんに説明しようと思っていたのですが、シルヴィスさんに見破られまして、御両人を驚かせてしまったようです」
「だから早いとアドバイスしたじゃない。そりゃあ、あたしも結婚を考えたのは15の時で、その時真剣に考えたからこそ、今も彼と上手く行っているんだとは思うけどね」
あたしに言えた義理じゃないけど、皆人生短く考え過ぎじゃない? 藤村を除いても、この中で一番上はシルヴィスさんで、まだ20代後半の筈。シルヴィスさんの年齢は見た目じゃ全然わからないのよ。
「本当は素子ちゃんも連れてご挨拶に行かなきゃと思っていたんだけどねぇ。まあ、お二人ともいらっしゃる事だし、この際ご挨拶しておくかな?」
「……嫁同士が姉妹だと、親戚になるのか?」
「ええ、地球ではなるわ」
「待て。綾乃とお前は姉弟じゃないか?」
「だから、魔界にご挨拶に行かないといけないんですよ。八つ裂き丸さんにも報告する義務があるでしょ? それに、母さんが戻ってませんからね。依頼主が宴脆様だって事は聞いていますが、母さんが六ヶ月も戻らないのは珍しいので、その点も問い合わせたいと思っていたんですよ」
素子が結婚するとなると、両親とBB様を失って滅びかけている神埼の家は一気に親戚が増える計算になる。しかも地球最強とまで謳われた揚子江様が義母になるのよね。なんだか聖戦士の侵攻なんてどうでもよくなって来たわ。
「そこでご相談なんですが、藤村さん」
指名された藤村が引いていた。
「な、なんだ?」
「僕と素子ちゃんの間に子供が出来た場合、勿論4家の筆頭である僕の家の名を継いでもらいます。複数人数作る予定ではありますが、万が一出来なかった場合、そちらのご夫婦間に出来たお子さんを一人神埼に養子に出して欲しいんですよ。三樽別川先輩を始めとして、後継能力者は育っていますけど、束ねの4家は弱体化していますのでね。それとシルヴィスさんにもお願いです」
矛先を向けられたシルヴィスさんも、地球で五指に入る能力者とは思えない程のうろたえ様だ。
「シルヴィスさんの妹さんの意志は固いと信じて疑いませんが、鷹刃氏の後継者、六郎先輩との結婚は考え直せませんか?」
「む? かなみと六郎は既に結婚したつもりになっているが……跡取りの事か?」
シルヴィスさんの顔が少し引き締まった。
「ええ、かなみ先輩は能力者としては申し分ありませんが、シルヴィスさんが札幌を出る羽目になったあの事件で、子供を授かる事が出来ない体になっていると聞いています。鷹刃氏家も六郎先輩の代で潰えさせる訳には行かないんですよ」
なんて4家の事を考えているんだろう。とてもあたしと同い年には思えないわ。
「一応その辺の事は俺も考えているさ。俺が結婚して子供を作った場合はその子を鷹刃氏に養子に出す。俺は家の名なんぞ残したいとは思わんからな。あとは鉄朗さんと約束しているんだが、鉄朗さんが地球の人間を娶った場合で複数の子供に恵まれれば、その中から一人養子に貰う約束をしている」
「……魔界は親戚だらけだな」
父の顔も母の顔も知らない藤村が困惑の表情を浮かべていた。
「そう言えば、あたしが揚子江に弟子入りする時にも約束させられたわ。現在の彼との間に子供が出来た場合で、その子に能力が認められれば、10歳までに4家の何処かに養子に出す事……だったかな。あんまり実感は沸かない条件だったけど、頷いたのは覚えてる」
皆、若くして未来の事とか考え過ぎなんじゃない?
「八つ裂き丸さんの所にも打診はしましたが……羽が生えていて頭に輪がある子供は地球にゃ住めんだろう。との返事をいただきました。一応食い下がって、姉の血を濃く受け継いで、羽と輪がない子供が生まれた場合は養子にくださいとお願いしてあります」
4家の長の家柄に生まれると大変なのね。しかし、子供を作るねぇ。
そう思いながら、藤村を見上げると目が合ってしまった。なんだか恥ずかしくなってすぐに視線を反らす。そりゃあ、あたしだってもう13歳な訳だし、詳しい仕組みは知らないけど、方法くらいは知っているわよ。あたしと藤村は魂で惹かれあっているんであって、そのうちそういう行為はするんだろうけど、まだしてないんだよ。皆夫妻とか呼んでくれるけど、正確には同棲しているだけだしさ。
こんな会話をしている間に、地球を襲った未曾有の危機に対する作戦は終了していたの。ある意味神罰執行を止めた人間はシイくんが初めてなんじゃないかな? しかも基本的に武力を使ったのは聖戦士と堕天した元聖戦士だけ、地球側の能力者が二人程その能力を失ったとは聞いたけど、こちらの損害はそれだけだったの。
藤村と三日振りに私邸に戻った。シイくんは改めて来訪すると言い残してシルヴィスさんと繭鋳さんと一緒にトンネルの向こうに帰ったよ。
邸宅前にはいつもの副官が待っていて、宴脆様からの手紙を預かっていた。それによると、任務御苦労につき、報告は今週中にでも来てくれ、今日はゆっくり休むが良いとの事。
それであたしも藤村も自分の部屋に引き揚げようとしたんだけど、どうしても気になる事があったから、藤村をあたしの部屋に呼んじゃった。本当は藤村が王なんだから、あたしから出向くのが筋なんだけどね。
「ねぇ」
「ああ。なんだ?」
「藤村は、あたしと子供を作るって考えた事ある?」
あたしの質問が突飛に聞こえたのか、シイくんの言葉で簡単に流された軽い頭の持ち主と思ったかまではわからないけど、藤村は椅子に座って考え込んだ。
「俺たち魔物は寿命がないからな。あまり王同士でも跡継ぎがどうこうって話をする事がないんだよな。宴脆様が奇数にこだわるから、前に斬鬼殿が死んだ時は結構簡単に鉄朗を任命したし、俺と相魔の奴が入る前は五人の王という体制だったしな。そもそも宴脆様が王になる前は、それなりに秩序のある世界だった訳で、住民にとっては結構どうでもよい事としてこの世界の王制は成り立っているんだよな」
年齢を止める魔力を習得した後、魔物である藤村が戦闘以外で死ぬ事はないの。
「だから、世継ぎ問題なんて言葉は、揚子江が魔界に接触するまで聞いた事が無かったんだよ。家柄云々とかもその時初めて聞いたかな。子作りの仕方はお前の住んでいた地球と殆ど同じだが、特に人間型の俺や鉄朗はその意識が希薄だ。宴脆様に至ってはその姿からもわかるだろうが、子孫を残すより、魔界全土を調べる事が優先なお方だからな。八つ裂き丸殿は元々大天使でそっち方面は旺盛なんだと聞き及ぶが……」
「はぁ……せめてあたしが16歳越えていればねぇ……」
口に出してから恥ずかしくなった。俯くあたしの頭を藤村が撫でてくれる。
「まあ、そう急ぐ事もねぇさ。今回の任務は激務だったんだから、お前は少し休めよ。たっぷり寝て、大きく育ちな」
「繭鋳さんみたいな体形に?」
「……そこで繭鋳の名を出す所が子供だぜ?」
「だって、繭鋳さんを下の名で呼び捨てにしているじゃない……」
「……俺は地球人に関して、全員下の名前を呼び捨てだぞ? 気にし過ぎだろ?」
「全然気付いてなかった」
「諒子は焼きもち焼きだな」
「だって……あたしの周りに居る地球人は、皆奇麗なんだもん」
「その中でもお前は遜色ねぇって。俺の中での一番は常にお前だ」
そこまで言わせて、あたしは藤村をベッドに押し倒した。
「おいおい。こういうのは男がするんじゃないのか?」
油断していたのか、藤村は一緒にベッドに倒れてくれる。あたしは構わず藤村の唇を奪う。確かにこれって逆だよね。
「こらこら。それ以上は駄目だ。少なくともあと三年待てよ」
藤村があたしの両肩を抑えて持ち上げる。体重差は歴然だから、簡単に持ち上げられた。
「三年待ったらしてくれる?」
またもや恥ずかしい事を口走っている。
「おう。俺は約束を守るって。その時はお前が嫌がってもしてやるからな。それまでは良い子にして修行に励め。それに、俺はお前の魂に惚れたんだぜ? 子作りだけが愛の形ではないと教えてくれたのはお前だぞ?」
「うん」
頷くと、ベッドに降ろされた。子供っぽいなぁ、あたし。
「ねぇ。何もしないから今日は一緒に寝てくれない?」
「……ああ、いいぜ」
藤村は横に詰めたあたしの隣に寝転がる。
「シイくんにあんな事を言われて、あたし焦っちゃったのかな?」
「そうだなぁ。あいつは今も子供なんだが、前から考え方が年寄りっぽいんだよな。まだ自分の世代にもなってねぇのに、未来の事ばかり心配しやがる」
翌朝、目覚めたあたしの横で藤村が眠っている。基本的に眠る事で魔力は回復しないんだけど、人間の女であるあたしに藤村は付き合ってくれているの。あたしとの婚約で藤村は貯められる筈の魔力を十年は損したと言われている。あたしはもっと頑張って早く魔界でも認められる魔王の妻に成長しなくちゃならないんだ。今回の神系侵攻阻止作戦もあたしが一応の総責任者だけど、作戦の立案も実行も殆ど人に頼ってしまった。シイくんの人間離れした感覚が無ければ、地球は壊滅し、魔界に続くトンネル内でまだ戦闘が行われていた筈なのよね。
ベッドの上に起き上がり、暫く藤村の顔を眺めながらそんな事を考えていた。