宗平は「わけが、わからねぇ」とつぶやいた。
へへ、と自慢げな顔になった宗平に、懐から書状を取り出した長親は携帯筆と墨を取り出し、問うた。
「阿久津家の当主は、長男の宗也で間違いは無かったか」
「……間違いはねぇが、なんでそんなことを聞くんだよ」
書状の宛名を書くべき空白に、阿久津宗也殿と書きながら長親が答える。
「武家の三男坊――しかも妾腹の子であれば冷や飯食いか、養子に出されるのがせいぜいだ。それよりも良い処遇を与えるための文の宛名は、間違いなく書かなければならないだろう? 旅の宗平が大名一行を襲おうとした賊を見事に打倒した、ということにして召し抱える。これは、その旨が書かれている大名直筆の書状だ」
「――は?」
とっぴな話にいまいち飲み込めない宗平へ、宛名を書き終え書状を持ち上げて見せた長親がしたり顔を向けた。
「アイツの力を見ても、人だと断言できる上に腕も立つらしいと調べが付けば、使えると思って当然だろう。突然の出世に、母御も家中のものも驚き喜ぶだろうさ。――まあ、その喜ぶ顔をみることもなく、出立してもらうことになるがな」
「ちょっと待て。話が見えねぇ」
「大名様の近習として侍る妖の頭領が、有能だと見込んで阿久津宗平を雇うと決めたという事だ」
「へ? え、あ……うえ?」
いまいち理解できていない宗平に、含み笑いを浮かべながら長親が立ち上がる。
「日が昇る前に、汀と焔を連れて第一の掘の橋で待て。仕度は何もいらん。こちらで全て、用意をしておく」
さっと裾をひるがえした長親が上機嫌で去っていくのを呆然と見送り、彼が手を着けていない蒸まんじゅうに手を伸ばす汀に目を向けて、宗平は「わけが、わからねぇ」とつぶやいた。
月が姿を消そうとし始めるころに起き出した宗平は、よく眠る汀を起こすのもしのびないと抱き上げて、厩へと向かった。人の気配を察した焔はすぐに起き、宗平が近づくのに耳と尾を振り足踏みをする。それに笑みを浮かべて汀を藁の上におろし、焔の背に鞍をつけてから眠る汀を乗せれば、心得ている焔はゆっくりと足を忍ばせるように進み出る。褒めるように首を叩き、とりあえずと用意をさせた金子だけを懐に入れて足元もおぼつかないほどの暗闇の中を歩き、長親に指定をされた場所へとたどり着いた。