今はおとなしく孝明にならって頭を下げている。
「これはこれは、宗平様――いつ、御帰りに」
暖簾をくぐった宗平を見た男が、大げさに両手を広げて目を開き歓迎を示す。焔を店中に入れるわけにはいかないので、孝明らは暖簾の外で立ち止まった。
「今さっきだ。息災なようだな」
「はい。皆、変わりはございません。宗平様が旅に出られてからこっち、燈籠の火が消えたように寂しい日々でした。――いや、しかし逞しくなって帰ってこられましたなぁ」
「はは。旅を進めるうちに、いかに自分が守られ世の中を知らなかったのか、思い知らされた。――こんな風体では、家にも帰ることが出来ないからな。おれが戻ったことは、誰にも内密にしておいてくれ」
「それは、ああ、そうですね――そのように汚れた粗末な着物では、奥方様や兄君様方々に驚かれ心配をされてしまいますでしょう。御召し物はこちらでご用意させていただきますので、旅の疲れをぞんぶんに癒してくださいませ。すぐに、湯の用意をさせましょう」
「ああ、すまないな――それと、連れが居るんだが、連れも共に世話になるぞ」
その言葉で、今気づいたかのように男は暖簾の先に進んで顔を覗かせる。そこで、孝明は人をとろかせるような極上の、けれど控えめな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「旅をしながら舞を披露しております、孝明と申すものにございます。こちらは、弟子の汀…………。宗平様が、領主様の元へ大名様がいらっしゃるということをお耳にし、我らの舞を献上品としてお見せしたいと仰せられ、参りました」
ここまでくれば汀も心得たもので、道中の初めのころには自分の素性などを口にし、孝明の身分のごまかしに首をひねっていたものが、今はおとなしく孝明にならって頭を下げている。ほう、と孝明と汀の姿に丸い息を吐き出した男は目を細め心得たように頷くと、手を打って下男を呼んだ。
「こちらの馬を裏へ連れ、よく磨き休ませておくように」
「へぇ」
下男が恭しく焔の手綱を受けとり、ぺこりと宗明に一礼をしてから去っていく。それを少しの間見送ってから、男は条件反射のように滲みついてしまっている商いの笑みを浮かべて言った。
「どうぞ、皆さまも我が家にいるような心地で、おくつろぎください」
通されたのは、庭を隔てた離れの一棟だった。書院造の一間だけだが二十畳ほどの広さがあり、違い棚には香炉が置かれ森林の中に居るような良い香りがしている。床の間には松が描かれた掛け軸がかけられていた。