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『まあ、散かっていますがどうぞ』
本人は散かっているといっているが机の上に紙が広がっているぐらいで汚い印象は無い、むしろ生活感を感じないオフィスにベッドがあるといった感じだった。
机の上には3台の大型ディスプレイ、机の下には大型のPC、冷却ファンが唸りを上げている。
呆然と立ち尽くす俺をよそに揚は小さな折り畳みのテーブルと座布団を出してくれた。
『まあ、どうぞどんな要件か聞きましょう』
確かに要件も大事だが気になって仕方が無いことから聞いてみた。
『その画面は投資をやっているのか』
『ええ、僕はかなり前から自宅で資産運用をやっていますので。徐々に蓄えを増やし、設備も少しづつ揃え今ではなかなかの金額になっていますよ』
揚は小遣いを溜めて買いました程度の感覚で話をする、これだけの設備の金額を捻出するのがどれほどのことか…
『そんなことは大したことではないでしょう。要件はなんです先輩』
そんなことか…
それとなくといってもどうしたらいいものか…
『揚、1日昼に教室にいなかったが何かあったのか』
揚は何も答えない…
これは畳み掛けるしかない。
『今年度の始めに校門のところに女の子がいただろ、その子が泣いていたんだが何か知らないか』
揚は沈黙を守っている…
俺は揚から目をそらさずに静かに待った…
『先輩はあの子、檸檬から頼まれて来たのですか。それならば即刻帰っていただきたい』
揚は表情一つ変えずに俺の目を射抜くような視線で話しかけてくる。
俺は腹に力を入れて気合負けしないように目を見開く。
『今日は俺の意志で来た。あの子に頼まれたわけではない』
『ならばこの話は終わりです。先輩自身の要件で無いならば話すことなどありません』
こうなったら話を戻すことは不可能か…水谷さんごめん。
なんか下が騒がしいな。
『揚、揚、早く降りて来ないか。今日はなんて日だ』
『もう私気を失いそうよ』
『ママ、しっかり、気をしっかり持て』
ただ事でない雰囲気にも揚は動揺せずに俺を連れて下へと降りていく。
『僕に客が来ているのに何事ですか』
俺は客と認識されていたのか、なんか嬉しいな。
『揚様、謝罪に来ました。知らなかったこととはいえお弁当を開ける瞬間を邪魔してしまい申し訳ありませんでした』
玄関先で土下座をして謝る水谷さん…
『そんなことをする必要はない、僕が勝手に腹を立てただけのこと』
それを聞いても水谷さんは動かない。
揚の両親も突然の出来事に動けない。
『揚、水谷さんはお前が出て行った後、大量の涙を流していたんだぞ』
それを聞いた揚は一瞬体を震わせた。
『この、馬鹿者が』
揚のお父さんが壁に吹き飛ぶほどの力で揚を殴りつける。
『揚、女の子を泣かせた上に謝罪も受け取らない…お前にとってそれほどのことか、答えろ揚』
『ごめんなさいね。さあ、立って頂戴。謝らなくていいのよ。中にどうぞ、狩野君も入って』
揚のお母さんに促されるままにリビングに入る俺たち。
そこからみえる小さな庭に引きずられて揚とお父さんが来る…揚は口と鼻から少し血を流している。
『俺に言えることがあるなら言ってみるがいい。俺が常日頃お前に言っていることを踏まえてそれでも言えることがあるなら言ってみろ』
『何も、ありません』
『ならばお前がすべきことは解っているな』
楊はこちらにふらふら歩いてきて水谷さんの方を向き頭を下げた。
『よし、では来い』
揚は振り向きながらお父さんの顔を思いっきり殴った。
そんな衝撃的な光景の後、なぜだろう皆で普通に7並べをしている…
揚とお父さんの鼻につまったティッシュが気になる…
『誰ですか、スペードの9を止めているのは』
『揚様、すぐに出しますので』
『檸檬ちゃん、揚の言うとおりにしないの。これは真剣勝負なのだから』
『お父様、真剣勝負だからこそこの身を捧げて揚様に勝利をもたらすのです』
『勝利の価値は人それぞれか…』
なんだろうこの笑顔の裏に交錯する勝利への意志。真剣と書いてマジだ…
気がつけば揚、水谷連合の圧倒的な勝利で7並べは終わりを告げる、一勝もできなかったお父さんが涙ぐみながらポーカー勝負を挑んできた。
お母さんと水谷さんは夕飯作りに向かっていった、お母さんの嬉しそうな顔が輝いていたな。
敵意むき出しの父子に挟まれて俺はカードをシャッフルする。個人的には鼻のティッシュはそろそろいいんじゃないかと思いながら一枚、また一枚と運命を決めるカードを左右に振り分ける…
ルールは簡易式、手札交換は1回のみ、チップ等の賭けなし、運要素が強い方法。
相手より弱いと感じたら降りることはできるが降りた側の方が役が上なら負け。
慎重になりすぎれば自滅…
夕食の準備ができるまでに勝ち点の多いほうの勝ち。
勝負はシーソーゲーム、大きな差がつくこともなく進んで行く。台所から漂ってくる匂いが残り時間を教えてくれる…勝ち点同点、これが最終…
鼻からティッシュをはみ出させたポーカーフェイスの父子にカードを配る…本当にティッシュはもういいと思う。しかし、この空気に余計な進言は無用。
『狩野君、2枚チェンジだ』
俺は二枚のカードを差し出す…俺は見逃さなかった、お父さんの左の目じりがわずかに動いたことを…
揚はそれに気づいたか分からないが静かに5枚の手札を置き、静かに。
『5枚チェンジで…』
『揚、諦めて運頼みのようだな』
『ちち、勝負は最後まで気を抜かないことですよ』
俺は揚に5枚のカードを配る。それを確認すること無く。
『勝負です』
『ロイヤルストレートフラッシュだと…』
お父さんはストレートの役をその手に持ったまま後ろへとひっくり返った。