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刺青の王女  作者: 川井
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7.道

 

 終章


 東向きの窓から差し込む眩しいばかりの午前の日差しを受けながら、クロエは事務机の上に広げた新聞(ニュースペーパー)に目を通していた。整然と並んだ活字は、聖マイアス通りで犬が異形化した件、ライガルド塔で数名の警備隊員が同じく異形化した件について、その犯人が逮捕されたと伝えている。

 犯人はチャーリー・フィッシュという男だ。舞踏会にて王太后を襲撃しようとしたその男を取り押さえる際に、ジュリア・アトキンズという女性魔警局員が負傷の末、名誉の死を遂げたとのことである。

 完全な誤りである。しかも王太后が負傷したことに至っては触れられてさえいない。しかしこういった報道をしているのはこの新聞だけではない。なぜならこれは王室から正式に発表された事件のあらましだからだ。

 事前にベッドフォード公爵からそう発表すると知らされていたとは言え、やはり後味は良くない。復讐を望んだジュリアにとって、王太后を守るために死んだことにされるのは無念に違いないだろうが、それでも残された彼女の親類は王太后一派からの謗りを受けずに済む。それに犯人として引っ張り出された男は存在しない人間だ。処刑の前に獄中で病死するということになるらしいが、それもこれも公爵が負傷してまともに口をきけない王太后の枕元で、彼女が一方的に不利にならないように配慮しながら取引をした結果、こういう筋書きに落ち着いたとのことだ。それはクロエ宛に今朝届いた公爵からの手紙にぼかして書かれてあった。

 具体的にどういう取引があったのかクロエには知りようもないが、今回のことについてきつく口止めされていることからして王太后にジュリアが犯人だということを知らせていない可能性もある。公爵直筆の流麗な文字からは無表情で、しかし楽しげにペンを取る彼の姿が目に浮かぶようだ。

「……結局さ、ジュリアはクロエちゃんのこと守ろうとしたのかな」

 クロエは新聞から目を上げた。フレッドが隣の席で頬杖をついて遠くを見ている。

「犬の件、ジュリアの遺書には理由までは書かれてなかったけど、あれはクロエちゃんが警備隊と諍いにならないようにって……」

「私はきっとそうだと思う」

 この区署のジュリアの私室は、舞踏会の後すぐに捜索された。魔種や共犯者の存在を示すようなものは出てこなかったが、代わりにジュリアが自身の犯行を認める内容の遺書を残していたのが見つかった。復讐が果たせる果たせないに関わらず、彼女は最初から死を覚悟していたのだ。ただそこには犬の件、ライガルド塔の件に至った詳細な理由は記されていなかったし、魔種の寄生を成功させる方法についても何ら触れられてもいなかった上、その遺書自体すでに公爵の下へと押収されてしまった。

 ジュリアが口にした姉の自殺も、当時は理由の分からないものとして片付いていたらしい。自殺が王太后に追い詰められた結果だということを示すものは何一つ残されておらず、実際のところどういった経緯であったのか、辿ることは難しいだろう。それに下手に掘り返せば、今回の件も含め、ジュリアの親兄弟に火の粉が降りかからないとも限らない。

 結局、ジュリアがどういう気持ちを抱えていたのかは、彼女の言動から推し量るしかないのだ。

「ジュリアは優しい人だったもの、ライガルド塔でのこともきっと処刑を止めようとしたのだと思うわ」

 ただ、罪無き人を救うべく他の人間を死に追いやってしまった。それはクロエからすれば最良の方法ではなかったと思える。警備隊に所属している者が、死んだ者が悪の根源であった訳ではないからだ。

 しかしジュリアはそれを分かっていてあの方法を取ったのだろうとクロエは思った。己の意志を貫き通すため、ジュリアにとってはそれが最善の方策だったのだろう。

「だとしたら、本当に良かったよ。処刑されようとした人達が皆解放されて」

 ヘンリーが言うように、警備隊に狩られていた数名の人々は王太后が無事であったことを神に感謝しての恩赦という形で釈放された。それもベッドフォード公爵が手を打ったに違いない。

 コツコツと背後の窓が叩かれ、三人はそちらに眼を向ける。伸び上がって窓の外から覗いているのはダレルとエミリーの兄妹だ。

 剣術を教えてとせがむ二人を連れ、フレッドが裏庭に向かうのにクロエとフレッドも付き合い、廊下の窓を開けて剣術指南を見学する。フレッドの用意していた練習用の木剣を握らせてもらい、ダレルは目を輝かせ、エミリーはその隣で興奮して飛び跳ねている。

「良かった、あの子達が悲しまなくてすんで。……でも」

 兄妹の父親も恩赦によって釈放され、無事に彼らの元へと帰ったのだ。しかしクロエにはライガルド塔で処刑を止めるだけの力はなかった。どうにかしたいという気持ちだけはあっても、実際にはどうもできなかったはずだ。もしもジュリアが魔種を使わなければ兄妹の父親は処刑されてしまっていただろう。

 だが、一方で魔種により命を落とした者もいる。彼らにも親兄弟が、妻子がいただろう。それがダレルとエミリーでなかったというだけで、悲しんでいる者が同じ空の下にいるのは事実だ。

「……ヘンリーさん、やっぱり、私にはジュリアのしたことが正しいことだとは思えないの。それでも私にはあの処刑を止められるだけの力がなかった。だからジュリアのしたこと全部が間違っているとは言えないわ。……結局どうすることがよかったのか、何が正しかったのか」

「難しいかもしれないけれど、君は納得できる道を探すといい。まだ君にはそれだけの時間があるよ」

 復讐に走らなかったクロエにはまだ猶予がある。この区署で魔警局に属する一人の少女として日常の中で考えるだけの時間がまだ残されているのだ。

「僕にとっての君のように、ジュリアにも誰か支えになってくれる人がいれば彼女も命を落とすことはなかっただろうに。――僕はあの時君が、笑ってと言ってくれたから……だからずっと、苦しくても笑って、笑って我慢できたんだ」

「あの時……」

 ヘンリーは庭を眺めながらも遠くを見るような目をしていたが、クロエへ顔を向けて見下ろした。彼の微笑を見上げれば、クロエの中で既視感が膨らむ。いつかのあの時もこうして顔を見上げて、ヘンリエッタの手を握って――

『どうか泣かないで。笑って』

 ごめんなさいと言って泣きそうな顔をしていたあの人に、私は大丈夫だからと笑って見せたのだ。もうとうの昔に忘れていた、クロエにとっては何でもない小さな言葉だ。

(でも、この人にとっては)

 また一緒にティーガーデンへと誘ってくれた言葉が自分にとって何よりも嬉しかったように、ヘンリーにとってはその言葉が途轍もなく大きなものとして響いたのだろう。

 だから彼はあんな風にいつも笑っていたのだ。君にだけはそんなことを言われたくないと、そう拒絶した理由も今ならば分かる。

(私の言葉がこの人を助けて、苦しめてもいたのね)

 クロエは自然と俯いていた瞳を上げ、ヘンリーに正面から向き直った。

「ヘンリーさん、これからつらいことがあったら、今までのように笑って。でも、せめて私の前では耐えないで。今度は私があなたを助けるわ」

 ヘンリーの緑の瞳が瞬きもせずクロエを見つめ、それから困ったように床をさまよう。

「……そんなことを軽々しく言うと、僕は勘違いをしてしまうよ」

「勘違い?」

「最初はただあの時の小さな女の子を守りたくて、政治や復讐から遠ざけたくて君を子供扱いしていたけれど、でもいつの間にか君を……君を好きになっていた」

 窓から飛び込んできた一陣の風が二人の間を駆け抜けていく。それが過ぎ去ってからようやくクロエは乱れた髪を押さえ、首を振った。

「う、嘘、そんなの嘘」

「え? いや」

「だって他の人にも私に言ったのと同じようににこにこして綺麗だって」

 思わずおかしなことを口走っている。何を言っているのかと我ながら呆れるのだが、それでも混乱してクロエの顔は赤くなっていた。

「………………」

 驚いたように何度か瞬いた後、ヘンリーはクロエを真顔で見下ろす。

「本当に綺麗だったよ、クロエ。他の誰にも負けない、君が一番綺麗な女の(レディ)だ」

 そう告げて今にも泣き出しそうな彼は、あの時のヘンリエッタと同じ表情だ。どこか頼りない、しかし一つの嘘も偽りもないヘンリーの気持ちそのもの。

「あ、ありがとう」

 どうしてこんなにも鼓動が早くなるのだろう。クロエは不思議な感覚に溺れそうになりながらやっとの思いで謝辞を告げた。

「信じてくれるかな、僕の気持ちが本当だと」

「……あ、あの、私、そういうことよく分からなくて、好きとか分からなくて、でも、その……」

 闇の淵から引き戻してくれた温かな言葉が再び思い出される。それがあったから、踏みとどまることができた大切な言葉だ。クロエは緊張で強張る唇を小さく動かした。

「また、あなたと一緒にティーガーデンに行きたいの」

「もちろん!」

 耳までほんのりと赤く染めて照れくさそうに、しかしはっきりと答えたヘンリーに、クロエは深い安堵の息を吐いた。それからしばしの間、二人は庭ではしゃぐ兄妹とヘンリーの姿を静かに見守っていた。

 その他愛もない景色こそが自分の守りたいものだとクロエは思った。失った過去を取り戻すことはできないが、今ここにあるものを守るべく努力していくことはきっとできるはずだ。

「……ヘンリーさん。私、いつか公爵の望むとおり、いるべき場所へ戻ろうと思う」

 意外にも、隣から驚くような気配は伝わってこない。ただ柔らかなそよ風がクロエの髪を撫でる。

「でもそれは復讐するためではなくて、王太后(あの人)のしていることを正すため、国民ができるだけ傷つかないですむような国にするため、多くの人に望まれてそこへ戻ろうと、いいえ、戻りたいの」

 名も知らぬ誰かが、大切な人を失う悲しみを味わわなくてもいいように。復讐ではなくささやかな幸せで心を満たせるように。

「そしてこの国のために、国民のために祈りたい。きっとあなたは反対するだろうけれど、それでも私はいつか――」

「いいや、もう反対はしないよ。君がとても強い女の子だと分かったから。いや、僕が守らなければと勝手に思い込んでいただけで、初めて会ったあの頃から君は強かったんだ。自分で誓ったことを守れる君なら、きっと大丈夫」

 ヘンリーは穏やかな声でクロエの背中を押した後、神妙な顔つきのままでクロエに向き直った。

「ただ、一つだけお願いがあるんだ」

 そう言って彼は大きな手でクロエの細い指を取る。

「君がそこに戻ってからだと色々と大変だろうから、できるだけ早く結婚しよう」

「は?」

「ドレスは僕が見立ててあげるよ。レースやフリルでたくさん飾ったものがいいね、きっと幼な妻にはよく似合うよ」

「おさ……な?」

 二度瞬き、クロエは彼の手を強く振り払った。

「――や、やっぱり小さな子と結婚したいんじゃない! 嘘つき、変態!」

 慌てて後ずさるクロエに、焦った顔でヘンリーが追いすがってくる。

「待って、クロエ。誤解だよ。僕は君と結婚したいんだ。小さな子に興味はないよ、君の小さい子のような幼い体に興味があるだけで」

「ひ……っ、嫌、へんた――んんっ」

 クロエの罵り声は庭の三人に届く前に消えた。ヘンリーの唇に吸い込まれてしまったからだ。軽い体を半分抱き上げるようにして、ヘンリーはクロエに口付けている。三秒、クロエが我に返る前にヘンリーは彼女を手放した。

「………………」

 まだヘンリーの温もりが残る唇に指先で触れながら、クロエは彼を見上げる。そこには、いつものように何を考えているか分からないにっこりと笑った顔。

「――っ!」

 さっきまでの泣きそうな顔は、照れくさそうな顔は、神妙な顔は何だったの! そう思い切り叫びたいのに、混乱のあまり声が出ない。魚のように口をパクパクと動かすばかりだ。そしてそれを楽しそうににこにこと鑑賞しているヘンリーに余計に腹が立つ。

「な、何てことを――」

「私の前では耐えないで。君がそう言ってくれたからね」

 悪びれた様子も見せずヘンリーは目を細めてもう庭へと視線をやっている。

「僕は君を全部僕のものにすることにしたよ。もう何も我慢せずに、君の可愛い笑顔も体も、喜びも」

 彼は言いながらすぐ隣の扉を開け放ち、庭へと下りていく。振り返ってまだ顔の赤いクロエへと優しく微笑んだ。

「――背中の傷も、どんな苦しみも、全て僕のものだよ」

 ヘンリーはフレッドと兄妹へと歩み寄る。彼らは四人で楽しそうに何かお喋りを始めた。

 クロエは涙を堪えていた。突然唇を奪われて驚いたからなのか、それとももっと違う理由なのか、彼女には分からないでいる。

 ただ、クロエは思い出していた。冷たい石造りの部屋から逃れ、あてどなくさまよう幼い二人が繋いだ手の温もりを。

 それは今触れたばかりの唇と同じ、心強く、何よりも幸せな温度だった。

「本当に変な人……私なんかと一緒だと嫌なことばかりだって分かっているのに」

 これから進む先が平坦であるはずがない。泣くことも傷つくことも数え切れないだろう。それでもこの道を選んだことに悔いはない。

 クロエは開け放たれた扉から飛び出し、青空の下、地面を蹴って駆け出した。澄んだ瞳にヘンリーの姿を映し、彼女は自ずと笑みを浮かべていた。

 大丈夫、この人とならきっとどこまででも歩いていける。



 

このお話は一旦これで終わりです。いつか続きを書きたいと思っています。

次は↓の話を投稿していきます。

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