饒舌な口
ぼくたちは,だれもが嘘つきでした。「嘘つきは詩人のはじまり」*1。嘘つきのはじまりはじまり。嘘はさながら窓からの眺望,窓辺に伝う蔓草のように,風に問われるがはやいか,すぐに隠れてしまう,いっこうに窓に這入ることがない,およそ禅問答だな,ああなんだ哲学のことか,さながら哲学のように,在りようを決められない葉脈がいちまい,またいちまいと,まるでわたくしの心のように,深緑に縁取られた廃線が田町から郊外へと繰り出していったまま,文化大革命! けれど論理などどこへいけども見付かりませんでした,現代思想とでもいいながら,なおも逃げまどうのですか,ぜんたい,どこへ。嘘はさながら哲学のように,在りようを決められない,さながらわたくしの心のように,いつだってうわの空で,じっさいのところわたくしたちはだれもが詩人で,そのだれもが嘘つきでした。つまりそれは,だれもが詩人ではないということなのか,はたまた,詩人のだれもが嘘つきなのか,ああ詭弁ですね,途端にライトモード,わたくしたちのだれもが嘘つきであることを,ことさら疑いようのない事実にするもの。
ぼくたちは,だれもが嘘つきでした。
薄っぺらいことばを,さらにうすく引き伸ばして,
透けてしまうほどに,
ついでに石臼でごりごりと粉みじんにしたあと,
もはやそれに意味はなく,
原形もなく,
質量のないものを,
自ら煎じて飲み込んで,
反芻して,
しばしの反芻を経て,
しまいには捏造したべつものを吐き出すのです。
幸せなことを幸せだといわずに,
美しいことを美しいともいわずに,
楽しいことも,素敵なことも,
何かしら難癖をつけたがってさ,
天邪鬼なのかしら,
気分屋なのね,
いいや,嘘つきなのです。
ぼくたちは,
忘れもしない,
ぼくたちは嘘つきだから,
悲しいことを悲しいと言えず,
寂しいことを寂しいと言えず,
苦しいことを伝えることができず,
質量のないものを飲み込んで,
反芻して,
しばしの反芻を経て,
しまいには捏造したべつものを吐き出して,
悲しいことを悲しいままにして,
寂しいことを寂しいままにして,
立ちすくむことしかできない,
ぼくたちはどこへ行けるだろうか。
――どうぞ自由に。どうせ,どこへも行けやしない。
どこまで行けどもここは,
ここ以外のどこでもないし,
悲しいことは悲しいままで,
寂しいきもちは寂しいままに,
苦しみはいつしか質量を帯びて,
苦しみ以外のなにものでもないのだから。
ぼくたちのはきだす嘘は,
うまく繁殖するすべを知っていて,
きづけばそこかしこに溢れている,
そしてどこにも根ざしている,
地下茎のごとき,ぼくたちのはきだす嘘だ。
饒舌な口は,
みずからが語りえるもの,
騙りえるもののまえでのみ,
そしてそれのみに生きている。語りえぬもののまえでは,
沈黙しなければならない,むしろ,
沈黙せずにはいられない,その美しさに,その悲しみに,
騙ろうとするそばから腐るそれらに,
おやすみなさい,饒舌な口よ。
2013年 02月24日 13時00分
ID:eR0ge/vC「嘘つきは詩人のはじまり」http://unkar.org/r/poem/1165567228