僕のアオハルについて
自分でもよくわかっている。この歳でこんなことじゃだめだってことくらい。
僕の頭の中にあるこの考えは、僕が今まだ高校生ならたぶん不安定な思春期にありがちなことなんだろうし、そのうち大人になって「あの頃は青春してたよな、俺らも」とか言いながらみんなでお酒を飲んだりして思い出すっていうお決まりのパターンにうまくハマって、別に誰も何も言わないんだろうし、自分でもきっと悩んだりしないで今頃は世の中に溶け込んで楽しくやっているに違いない。
でも25歳になって、いまだにこういう感じだと、自分でもちょっと不安になってくる。
アオとか青とかタイトルに付けてる歌とかマンガとか映画とか、世間では結構流行ってるし、別にティーンエイジャーだけではなく、僕くらいの歳のでも、もっと年上の大人たちもそういうのに結構ハマってるみたいだから、そんな気にする必要なんてないって思う自分もいるんだけど、でもやっぱり駄目かなって毎日のように大波が僕の頭の中を飲み込んで、どうしたらいいかわからなくなってくる。このまま、あの青春小説の古典ともいうべき作品の著者みたいに、世をはかなみ人を嫌って、世の中から姿を消してしまいたいという欲求と、きちんと社会人として世の中に貢献しなきゃいけないんだという義務感との葛藤が脳内で繰り広げられる。でも、世をはかなんで隠遁できる資産はなく、かといって世をはかなんで命を絶つなんて選択肢もおくびょうな僕にはない。ただただ、何もできずにぐるぐると同じところを回っているだけ。
そんな時、僕がいつも不思議に思うのは、あの青春小説は今でも超有名だと思うんだけれど、僕の周りにはそれを読んだヤツがいないってこと。僕が読んだのは高校の時だったけど、周りに小説を読むような友達もいなかったから、読書の話をすることはなく卒業した。浪人自体は、予備校と家を往復するだけの1年で、友達は一人もできなかった。大学に来てからは、ますます中学の時とかでもいいんだけど、ソレにハマったとかいうヤツ、最近読んで沼ったヤツでもいいんだ。そういう見たことない。
売れてることは事実なんだ。いまだによく雑誌の特集になってるし、某有名アニメーション映画の主人公の部屋に背景っぽく置かれてたり、ググったら青春小説の古典とかって出てくる。ガチでシンクロさせた僕の大好きなSFアニメも何度も観た。だけど、僕がいるリアルワールドでは、読んで影響受けたって人間に会ったことがない。芸能人とか小説家とか研究者とかそういうんじゃなしに。
でも実はひとりだけ知ってる。ただし僕はその人と話をしたことはなくて、直接会ったのもたったの2回だけ。斎藤の幼なじみで、斎藤がよく僕にその人の話をしてくれるから知ってるだけなんだ。
斎藤っていうのはいまだに僕の面倒を見てくれる学部の頃からの友人で、たまに会うとメシはオゴってくれるし、酒持って僕の部屋に来て、挙げ句は小遣いまでくれようとするくらい、僕に何やかやと世話をやく。もちろんさすがに小遣いは断ったけど、とにかく色々かまってくれるんだ。
でも、別に、齋藤が僕に対して恋愛感情とか抱いてるとか、そういうのじゃないんだ。学生時代から齋藤の恋愛相談とか僕が聞いてたし、最近は職場の同僚と真面目に付き合ってるみたいだしね。それに僕だけじゃなくて、他にも僕みたいに面倒見てるヤツが何人かいるんだ。ようは世話好きなんだな。
その中に坂本っていって僕も知ってるヤツがいる。坂本は僕とは学部は違うんだけど同じ大学で、齋藤の高校からの友達なんだ。同い年だけど、2浪したから普通にいったら社会人1年生ってとこなんだけど、まだ卒業できにいる。いわゆるモラトリアム人間っていうと聞こえはいいけど、最近はちょっとヤバい話も別ルートで聞くようになった。知り合った頃はいいヤツだった。結構熱くなるヤツで、学費払えなくて休学しようかって悩んでたサークル仲間のためにカンパに奔走したり、学祭のときは幹事やっ手みんなを引っ張ってくれたり、頼れるヤツだったんだ。だけど今は、大学は来ないし、試験も受けない、卒論どうするかの計画もなし。このままじゃ卒業できない。指導教員ももう諦めてるっていうか、前は他のゼミ生から僕が坂本の知り合いって聞いて、様子を聞いてきたこともあったんけど、最近はその話題はタブーになった。斎藤との約束だってすっぽかすらしい。親からはとにかく卒業だけはしてほしいって学費は出してもらってるらしいけど、下宿はできない、でも実家にはいたくないとかで、知り合いの家を転々として、今は誰かの家に居候してるらしい。
僕がこんなプライベートな話まで知っているのも、斎藤が聞きもしないのに僕に話してくれるからなんだ。もっと詳しい事情、というかその居候している相手の話とかそういうのも聞いたように思うんだけど、ぜんぜん覚えてない。君だってどうでもいいヤツの話なんて面白くないから、すぐ忘れちゃうだろ?でも、とにかく昔はいいヤツだったんだ。昔はね。だからその頃付き合いがあった人間で、坂本の面倒を見るのがまだ何人かいるってわけ。
立派に社会人やってる斎藤はその中でも坂本にとっては重要人物な訳だけど、坂本は今じゃ斎藤のこと、メシづるくらいにしか思ってないんじゃないかなと思う時がある。もちろん斎藤は否定するけど。
僕は斎藤に、もう付き合うのやめたらって何度か言ってみた。婉曲的にだけど。でも斎藤はやっぱり斎藤で、坂本からスマホにメッセージが入ると嬉しそうに出かけていって、またメシ食わせて、酒飲ませて、カラオケで一緒に歌って、別れ際に、早く卒業しろよとか言いながら、飯代とかいって2000円くらい渡すんだって。もちろん坂本が断るはずがない。
多分斎藤は、寂しいんだと思う。
もし君が斎藤に会ったら、第一印象は「キレモノで、人付き合いの悪いヤツ」だと思う。で、君がもし劣等感旺盛の陰キャなら、あの目つきを見て、馬鹿にされてるんじゃないかって思うはずだ。僕もはじめはそうだった。もしそういうキャラクターでなくて妬みなく素直に人を称賛できる素敵な人なら、齋藤がいつも余裕綽々でキレキレのコメントをしたり、難しい仕事を見事に片づけてしまったりする姿を見て、一目置くと思う。だから普通の人間は、斎藤と対等には付き合えない。同期でも、先輩か上司と付き合うようなもんで、自分は斎藤と対等に付き合えるなんて言うヤツは、決まって何も判っていない。つまりね、自分の能力を冷静に判断できてない人間ってことになる。
「普通の」人間っていうのは、僕があこがれる人たちで、適度に優しくて思いやりがあって、適度に自分中心で上昇志向で、だけど決まって謙虚な人たちのことなんだ。斎藤と対等に付き合えるのは、斎藤自身がその相手の能力のどこかをすごいと思ったり、一目置いたり出来るところがある人間でないと駄目なんだ。だから「普通」では駄目で、ましてや自分自身を冷静に見れないヤツなんて論外で、変わったタイプ、英語で言うなら unique personって感じのでないと駄目。それを斎藤も判っていて、坂本なんかの相手を嬉しそうにするんだ。「こいつくらいしか、俺のことはわからん」ってね。確かに坂本は変なヤツさ。
そうすると斎藤が面倒みてるんだから、僕自身も変わった人間ってことになるけど、僕は全然uniqueではなくて、なんていうか中途半端なんだ。斎藤は「お前はマシなんだからフツーに働けよ」ってよく言うんだ。
この「マシ」っていうのは、つまり普通に近いってことで、それなのに僕がいまだにこんな風にうだうだと暮らしてるのは、結局僕が中途半端で臆病だからだと思う。普通になれたらどんなにいいのに、と思うことがある。変わった人になれる程の何かは僕にはない。
僕が例の小説にこだわってしまうのも、中途半端のなせる技だと自分では思っている。ほら、あの小説の作家は、別の作品では、長男を死なせたりするし、本人もリアルワールドで普通の社会生活を送らない選択をしてある意味社会的死を選んだわけ。作家の戦争体験と人間不信が根底にあったらしいし、今の僕とは比べものにならないくらいのいろんな苦悶の果ての選択なんだから、僕なんかと比べるのも失礼な話だってことも分かってる。だって、青春の悩みってのは、そういう時期を過ぎたら、あの頃は青かったなあって懐かしむもので、ずっとやることじゃないと思うもの、僕もね。
もう一人、山本くんっていう、僕と斎藤との会話でよく登場する人物がいる。山本くんは斎藤が貢いでいるヤツじゃなくて、山本くんの方が斎藤を崇拝しているんだ。ホント、崇拝なんだ。
すこぶる線の細いヤツで、人と話す時はいつも下の方を向いちゃって、絶対目を合わせない。対人恐怖症ってああいうのを言うんだと思う。僕とは目を合わせて話してくれてた。今思うと僕はわりと仲の良い方だったんだろうな。彼もSFファンだったから話があったのと、向こうが僕を斎藤の友達ってことで気を許してたからだと思う。根っこが同じってお互い気づいたのかもしれない。
でも、SFっていくつか方向があるだろう?スペースオペラからサイバーパンク、サイエンス・ファンタジーから歴史SFとかいろいろだし、宇宙戦争と体内ワールド、クラシカルな分類だけど、好き嫌いは分かれると思う。テクノロジーも、AIやロボットみたいな工学系だけじゃなくて、物理学から考古学まで何でもありって感じだよね。僕と山本くんはその頃、登場人物が超能力とか特殊能力を持ってる作品にハマってて、貸したり借りたりしてた。だけどそういうジャンルって行き過ぎると精神世界に入っちゃうこと、あるよね。それで結局、山本くんはそっちの方へと行ってしまって、誰とも話さなって、仲間うちでも消息不明となった。
だけど斎藤とだけは、それでも連絡とっているみたいで、というわけで、僕も山本くんが今どうしているかを知っているわけなんだ。まだ僕が山本くんと付き合いがあったころ本人から聞いたんだけど、どうして山本くんがこんなに斎藤のこと崇拝しているかっていうと、山本くんが初めて斎藤に会った時、斎藤のことを生まれて初めて自分を理解してくれる人だと思ったからなんだって。なんでそう思ったのかは良くわかんないらしいんだけど、とにかく直感的にそう思ったんだって。でもとにかくそのせいで斎藤は彼と話が出来る唯一の人物としての栄誉を受けることになっている。ただ僕は坂本なんかよりずっと山本くんに共感するんだ。やっぱり何処か似ているところがあるのかも知れない。ただ彼は純粋すぎて、僕は中途半端なんだ。
斎藤の偉いところは、山本くんみたいな、普通だったら面倒だなって思っちゃう人の話しもちゃんと聞けるところかな。ひょっとするとこれも、自分の寂しさ癒すためかなって思うこともある。でも僕なら出来ないんじゃないかな。わからないけどね。
例の小説の話に戻るんだけど、この小説を読んでたっていうのは中川という、斎藤の幼なじみで、斎藤は僕と会うといつもそいつの話をする。斎藤は自分の話はあんまりしないで、自分の知り合いの話を延々と話してくれるんだ。本当、めったに自分の話はしない。それに斎藤の知り合いで僕が知ってるのは、さっきの坂本と中川くんと山本くんだけど、山本くんは、さすがの斎藤でもしょっちゅう会うわけじゃないから、どうしてもこの二人の話が多くなる。最近、坂本の話は少なくなったけどね。坂本の話をすると、僕の機嫌が悪くなるっていうのにようやく斎藤も気付いたらしい。
僕は中川くんと二度会ったことがあるんだけど、二度とも結局何も話さなかった。一度目は大学1年生の時、斎藤が骨折して入院していたとき。僕が見舞いに行ったら、中川くんが来ていたんだけど、僕の顔を見るや帰ってしまった。ほんとに何も言わずに。
斎藤は僕が腹を立てたと思ったのか、
「あいつは人見知りがひどいからな。今度注意しとくよ。」
と言ってくれたけど、僕は別に腹なんか立たなかった。それに斎藤が紹介する間もなく帰ってしまったから、初め見た時はこれが例の中川くんだとは思わなかったしね。
二度目は、坂本がまだ熱血の頃に開いた忘年会兼クリスマスパーティの時。このパーティの時に、坂本は当時付き合ってた彼女にプロポーズして、学生結婚するとかいって大盛り上がりだったんだけど、坂本だからね。事後談を聞いたら、君だってきっと坂本ってヤツがほんとにひどいヤツだって思うよ。きっとね。でも話してると腹が立ってくるからしないんだけど、そう思わないヤツはいないさ。絶対いないと僕は思っている。
とにかくこのパーティの時に、僕は再び中川くんを見た。缶ビールを右手に持ってぼんやりと立っている姿は、今でもはっきり思い出せる。でも、やっぱり話はしなかった。向こうも僕のこと気付いてたそうだ。後から斎藤が教えてくれた。でもあの時は全然知らないっていう感じだった--僕も自分からは話しかけようとしないほうだから、向こうの人見知りだけを責める訳にはいかないけどね。
僕は中川くんのことをいろいろと知っている。斎藤から聞いてるから。たぶん中川くんも僕のこと斎藤から聞いてるんだと思う。それに、斎藤に言わせると僕らは趣味が似ているらしい。小説やなんかの。だから、斎藤はよく、「これ、中川から勧められて読んだけど、たぶんお前も気に入るんじゃないかな。」と言って、僕に新人作家の小説とか新作のSFとかコミックとかを貸してくれたりする。
僕が自分の気に入ったのを斎藤に貸すこともある。僕が人に勧める時ってのは自分でもかなりはまってるヤツなんだ。だから、勧めたい相手はまだ知らないんだけど、読むと感動してくれるかもしれないし、そうしたら感動を共有できるし、それだけじゃなくて相手が感動するきっかけを僕が与えることが出来たっていう満足感みたいなものを得られるんじゃないかなとかいろいろ期待している。それなのに斎藤はたいてい、僕の勧めた本を見るなりにんまりして、
「それな、中川も面白いって言ってたよ」と満足げな顔をする。
何でもお見通しって顔されると誰だって嫌だろう?それに僕が膨らませていた期待も一瞬のうちに消えてなくなってしまう。こんな時僕はほんとに嫌になるんだ。だけど斎藤だからな、僕がどうこう言える相手じゃないんだと胸の中で溜め息をついて、しかたないからアタマはいまだ未知の人、「中川くん」へと飛ばすことにするんだ。
同じ物が好きな人同士ってあんまり話したことなくてもすぐ仲良くなっちゃったりするだろう。あれとおんなじさ。僕は中川くんと話したことないけどでもなんとなくわかるような気になっている。でもだからって会って話がしたいとか思う訳じゃなくて、ただ、自分と同じようなのがいるっていう安心感かな。だって例の青春小説はあんな売れてるのに、そういう人間が僕の周りにはいないからね。斎藤は、はっきり「まあ古典だからな、読んだことはあるけど、俺にはピンとこないなあ」と言ったしね。
あの小説を読んで僕が一番に思ったのは、僕も世の中の子供たちの"the catcher"=「つかまえ役」になりたいってことだった。世の中、理由もなくただがんばってるヤツが多いけど、僕は子供たちが落ちそうになった時だけがんばって、後はただぼんやりと楽しそうな様子を眺めているだけで幸せなんだ。もちろん子供っていうのは僕にとっては象徴的な表現で、実際にはおじいちゃんでも、おばさんでも、誰でもいいんだけど、とにかく落っこちそうになっていたらつかまえてあげる。そんな風に暮らせたらって今でも思っている。
一度だけ斎藤にこの話をしたことがあるけど、そんなこと言ってるから今もでもふらふらしてるんだって言って、あきれた顔をされた。もっともな反応だよね。僕自身いまだにこんなこと言ってちゃ駄目だよなって思うから。それにそんなにタイミング良くつかまえてあげる能力が自分にあるんだなんて思うこと自体、うぬぼれもいいとこ。虫が好すぎるんだ。
それにこれってすごく都合のいい考え方だろう。つまりね、僕は自分では人と接触するのが嫌なんだ。面倒だし、もめてたりするの嫌だからね。だけどやっぱり誰かに必要とされたいって思ってるんだな。正直なとこ。一人は寂しいから。でも「誰か」特定の人間を見つけようなんてのも無理だって思ってるんだと思う。多分。だから、自分はこぼれ落ちそうな子供を受け止めるっていう仕事があるんだって思っておくんだ。そうすればなんとなく役に立ってる気になって、なんとなく寂しい気分を紛れさせることが出来るように思うんだ。
だけどこの考え方がすごく都合のいい考えだっていうのは自分でよく判ってる。嫌になるよ。どうしていつもこんな考え方しか出来ないのかなって。僕だってしっかり年相応になりたいんだけどね。ほんと、憂うつ。
青春とはよく言ったものだよね。青春の「春」っていうのは春画の「春」と同じで大人って意味だろ、「青」は未成熟っていうことだから、青春っていうのは「春=大人を迎えきっていない、これから大人になろうとしている」状態ということなんだろうけど、僕は、春はやっぱり若葉あふれる春、つまり「若い頃」で、青は「憂うつ"blue"」。つまり青春って「憂うつな若き頃」ってことに違いないって思ってる。そりゃ今の僕がこんなこというのは、やっぱり変なんだけど。
そうだな、今までに一番寂しいと思ったのは、由子と別れた次の日。今までいつも隣にいた人がいないっていうのは、寂しいだけじゃなくって、少し怖い感じがした。それまで電車の中でも街中を歩いていても、僕らはいつも一緒で、周りは「動く背景」みたいなもので、何か考えたり話をしたりするのは、僕と由子だった。
なのに彼女がいなくなった時、僕もその背景の一員になってしまった。例えば電車の中。僕は自分の頭の中で、目の前に座っている女子高生を吟味したり、疲れて眠り込んでいるサラリーマンを観察したり、携帯電話で話す若い学生っぽいヤツの声とか会話の内容で相手がどんな子か想像したりしていた。それから晩ご飯何食べようとか帰ったらあの本の続きを読もうとか、とにかくいろいろ考えるんだけれど、だけど、それを一緒に考えたり話したりする相手がいなかったから、僕も考えたり話したりしないただの「動く背景」になってしまっていた。変な気分だった。透明人間にでもなったようで、誰も僕のこと見ていない気がして怖かった。
今ではそんなのにすっかり慣れてしまって、由子と会う前の一人の生活に戻ってしまったから、また誰かといつも一緒にいるだなんて考えただけでもぞっとするけど、でも、斎藤が坂本のことをしつこく--って言ったらヤツは怒るだろうけど--面倒見てるのは、たぶん斎藤は坂本といると、「動く背景」じゃなくて、自分でも考えたり話したりできる登場人物のような気分になれるからじゃないかな。結局のところ、斎藤も寂しいんだ--そりゃ、登場人物といったところで主役とまではいかないだろうけど、坂本相手じゃさ。
いなくなると言えば、この前僕のルームメートが死んでしまった。
もし僕が第一発見者だったり、あいつの死顔なんか見てしまってたら、僕は今でもまだベットの中だと思う。這い出てくるのは、水を飲む時とトイレに行く時だけ。でも彼はその時夏休みで実家に帰っていて、この部屋にはいなかった。
戻ると言ってた日に帰ってこなかったから、メッセージでも送るかなと思い始めた時に、スマホの電話が鳴った。あいつのお母さんだった。
「雅也がいつもお世話になって...」から始まったのだけは覚えているけど、後はどういう順番でどういう風に話してたかよくわからない。とにかく、一週間前の朝、雅也が起きてこなかったことと、お葬式がもう済んでしまったこと、もしよかったら一度来てやって欲しいと言われていることを何とか理解して、電話を切った。
たぶん「明日、お伺いします。」とか何とか言ったんだろうな。覚えてないけど。だって起きた時、とにかく出かけなきゃって思ったから。
次の日はうそっぽかった。何もかも。
まず朝起きて、昨日の電話は夢だったに違いないと思った。
顔を洗って服を着替えながら、雅也のヤツがすぐそこまで帰ってきてて、今にもドアのチャイムが鳴りそうな気がした。
電車の中では、あいつの家に行ったら、
「お前、何しに来たの。」とか、妙な顔されるんじゃないかって気がしてきて、何度も引き返そうかと迷ったりしていた。
チャイムを鳴らすと、優しそうな中年の女の人が出てきて、僕を出迎えてくれた。目はなんとなく赤かったけど、何だかすっきりした顔で僕をもてなしてくれた。お母さんは、まず僕に何も言わずにお葬式が済んでしまったことを謝った。何でもお葬式の段取りは全部親戚の人がしたから、僕の名前が落ちてしまったそうだ。急だったでしょう、とお母さんはにっこりと微笑んでみせたけど、僕は親戚のおじさんやらおばさんが慌ただしく家中を走り回っている横で、ぼんやりと遺影を眺めているお母さんの姿が目に浮かんだ。とりあえず喪服にだけは着替えたけど、何をするでもなくただぼんやりと座敷の隅っこに座っているお母さん。でもお母さんがそうして座っている時、僕は何をしていたんだろうか。どうせマンガかなんか読みながらへらへらしてたに違いない。雅也がいなくなったことも知らずに。
それで僕はいつも田舎でおじいちゃんの仏壇にやるみたいに、線香に火を点けて拝んだ。田舎の仏壇とは違って、お位牌の代わりに白い布にくるまれた箱が置いてあった。頭の中は空っぽだったけど、いつもよくやる動作って普通にできるものだよね。それから荷物の運び出しの話やら部屋代の話とか事務的な話をして、雅也の家を後にした。僕は夏休みだけれど、普通に平日だったから、お父さんには仕事で会えなかった。
部屋に帰ると、僕は誰にも言ってないのに、どこから聞きつけたのか、雅也が死んだことを知った連中からのメッセージでスマホがジージーなり続けてて、僕が返事をしないものだから、何人かは急に部屋にやってきて大変だった。部屋に来た連中が他のヤツも呼んだりして、ここに住んで初めての人口密度で、雅也も結構知り合いいるんだなと妙なことに感心していたのは覚えてる。でも、後は誰が来てたのかよく覚えてない。いつも一緒に飲んでた2、3人だけ、最後まで付き合ってくれて、雅也の部屋で朝まで飲んでた。
次の日の昼過ぎ、ようやくみんなが帰っていったけど、僕はひとりでがらんとした部屋にぼんやりと座っていた。
僕らが一緒に住んでたのは、別に無二の親友だったからとか、付き合ってたとかじゃ全然なくて、ただ単にその方がお互い安上がりだったからだけなんだ。この広さをこの値段でなんて、ひとりじゃ借りれない。あいつも地味なヤツだし、それに相手に干渉するタイプじゃないっていうのがわかってたから、実家を出たいと思って部屋を探していた時、卒業する先輩たちからこの部屋の話を持ち掛けられて、雅也の顔が浮かんだ。話したら、すぐオーケーしたよ。だって大学の近くに住みたがってたからな。すごくいい条件だったんだ。
もともと単なる知り合いだったけど、一緒に住むようになってからもやっぱりただの知り合いで、別に親密になったりしなかった。雅也と僕、趣味が全然違うんだな。専攻分野も全然違うし。あいつは一日中でも聴いてて飽きないくらいの音楽マニアだけど、僕は音楽を聴くよりは本を読んでる方が好きだったから、お互い休みの日なんかそれぞれの部屋に閉じこもって、向こうはヘッドフォンつけてなんだかよく分からない音楽を聴いたり作ったりしてるし、僕はSFか何か読みふけって、相手が居ることすら知らずに日が暮れるなんてことしょっちゅうだったからね。悩みを打ち明けあったりしたこともない。あいつが何悩んでたかなんてホント、こっれっぽっちも知らない。でも、僕は心地よかった。実家で暮らしてた時よりも、一人暮らしの今よりも、雅也との暮らしがずっと快適だった。そう。居心地は抜群さ。だから5年近くも一緒だったんだと思う。
お互いの部屋を行き来することも全然なかった。だから雅也の部屋にこんなに長い間いたのは、この時が二度目だった。でも二度目は雅也抜きだったけどね。
一度目というのは、僕らが初めて二人だけで徹夜で飲んだ時のこと。何でそうなったか覚えてないんだけど、とにかく僕らはすっかり出来上がっていて、口もずいぶん軽くなっていた。
人の悪口から、自分の生い立ち、挙げ句はどっちがひどいふられ方をしたかで盛り上がった後、僕はあいつがぐっと近くなったような気がして、ふと僕の夢は"catcher" になることなんだと言ってしまった。だけどヤツときたら野球のキャッチャーだと思ったらしく、
「お前が野球してるとこなんか見たことねー。それに、お前見たくいいかげんなヤツは、守備の要にはなれねーんだよ。」と言って、あきれた顔をしてみせた。
僕は、そのキャッチャーじゃないんだけど、と言いかけてやめた。でも判って欲しい。いつもみたいに「どうせ話しても無駄だ」って思ったから言い返さなかったんじゃなくて、この雰囲気をぶち壊したくなかったからさ。違う種類の人をこんなに近く感じたことなんて僕にはなかったから。
雅也の部屋にはオーディオセットやキーボードみたいのがあって、レコードやCDなんかも無造作に並んでいた。ほとんど見たことのないアーチストばかりでジャンルすら僕には全く分からなかったけど、僕でも知ってる最近はやりのJ-PopアーチストのCDが目に入った。僕が見てるのに気づくと、ちょっと照れくさそうに、「それ、結構いいんだよ、お前も聴いてみろよ」とCDを渡そうとしたから、CDプレーヤーなんて持ってないと断ったら、いいから聴け、みたいに無理やり押し付けられた。
その後も飲み続けて次の日二人ともひどい二日酔いだったけど、この日を境に僕の中ではあいつのポジションが今までと変わっていた。相変わらず、しゃべったり一緒にどこかへ行ったりといった普通の友達付き合いはなかったけどね。
借りたCDがまだ自分の部屋にあったことを思い出して、部屋に取りに行った。また雅也の戻ってきて、CDプレーヤーに入れて雅也のゴツいヘッドホンずっと聴いていた。CDが終わった後も、雅也の部屋にずいぶん長い間いたんだと思う。どれくらいぼんやりしてたかわからないけど、ようやく僕は雅也の部屋から這うようにして自分の部屋へと戻り、そのままベットに潜り込んだ。
それから三日目に、僕はようやくベッドから這い出た。本当は何日くらい家に閉じこもってたか覚えていないんだ。こういう場面でよくあるセリフだけど、ほんと、一年くらい経ってしまったようにも思えた。時間の感覚がなくなってたという方があってるかな。でも紗里の話だと、みんなで飲んだ日から三日目に紗里が僕の家に来たそうだから、結局たったそれくらいの短い時間だったんだけど。
紗里というのは、斎藤と同じで僕の面倒をみるのが好きなヤツで、よく作りすぎてあまったからとかいって肉じゃがやらとん汁やら僕が自分では作りそうにないものを持ってきてくれたり、僕らんちの台所に上がり込んで作ってくれたりする。一度この事が原因で、彼氏ともめたらしいけど、いまだにやってくる。言っとくけど、僕が頼んだわけじゃないんだよ。斎藤と同じさ。僕の面倒を見てると、自分を感じられるんだな、あの子は。というわけで彼女は自分を確認できて、僕はおいしいものが食べられる。共生関係だね、僕らって紗里に言ったらしばらく来なくなったことがあった。
その日は、いつもおしゃべりな彼女が一言もしゃべらなかった。ドアを開けると、挨拶もしないでずかずかと入り込んで、部屋中の掃除を始めた。掃除が済むとスーパーの袋からいろいろ取り出して料理を始めた。
僕は布団を干されてしまったから、空気の新しくなった部屋の隅っこの床に座ってぼんやりと彼女がすることを眺めていた。だって僕のすることなんかなかった。彼女は失敗なんかしないし、それにもし困ったことが起きたって、僕なんかには相談しないさ。だけど、ほら、急で他に助けが呼べない時なんかもあるかもしれないだろ。今なんかだったら僕しかいないからな。もしもの時は僕が受け止めてあげないといけないだろう。これで紗里も僕も登場人物になれるし、僕は念願の"catcher"になれて上機嫌さ。やっぱり共生関係なんだよ、僕ら・・・ただ僕は雅也の"catcher"にはなれなかったんだけれど。
その日から紗里が毎日来るようになったのと、僕もやっとやらないといけないことを思い出したのとで、普通の人っぽい生活が再び戻ってきた。いろいろと考えるのを止めたからだと思う。とにかく体を動かし、紗里の作ったご飯を食べることが毎日を支えていた。
部屋は、雅也の荷物を運び出してしまったからすっかりがらんとしてしまった。帰ってくると誰かが雅也のために持ってきてくれた百合の花の香りが出迎えてくれる。こういう時、動く背景じゃなくて、登場人物になれる気がする。主役はいなくなってしまったけど。
でも本当言うと、最初に誰かが持ってきてくれたのはもう枯れちゃってるんだ。今生けてあるのは、自分で買ってきた百合。だってもし帰ってきた時に百合の花の匂いがしなかったら?まだ僕にはそんな恐ろしいこと試してみる勇気はない。だから今のが枯れる前に、次の百合の花を買いに行く。百合っていってもいろいろあるんだよ、今まで知らなかったけど。このしばらくの間にいろんな百合の名前を覚えたよ。カサブランカ、ル・レーブ、ピンク・パール。僕のすきなのはアーリーローズ。紗里もアーリーローズが好きだと言ったんだ。よく分からないけどちょっと嬉しかった。
実は今日これから紗里と会うことになってる。斎藤は、お前には合わないからやめておけって言うけど、そう言うんじゃないんだ。ただちょっとあの子と一緒だと落ち着くから。ただ二人でいると落ち着くんだ。向こうはどうか知らないけど。それだけさ。それに、紗里も僕のこと斎藤が言うみたいには思ってないさ。だってこんな頼りにならないヤツとどうかなろうだなんて、あの子が思うはずがないもの。
でも、もう少しのんびりして、百合の花のにおいがなくても自分を登場人物だと思えるようになったら、僕もちょっとだけ頑張って、紗里に見直してもらえたらなって思ってる。(了)




