2−1 遠野隆
全てが不安に包まれていた。日本全体が異常だった。普通にあるはずの、水、電気、食料がなくなった。
父親と母親は、スーパーに買い出しに行き、それでも水と食料はほぼ手に入らず、1本のペットボトルと、一つのパンを家族4人でわけあって食べた。
「米は放射能汚染されている」「雨は放射能を帯びている」
今考えれば、馬鹿馬鹿しいデマだとわかるが、当時小学生だった遠野は、それを信じて、いつか自分の家族が死んでしまうのではないかと思い、不安と空腹で寝れなかった。
親の立場になり、もし同じことが起こったら、それをデマだと一蹴し、子供に十分な水と食料を与えることができるだろうか。
「東日本大震災から、30年か…」
自分のスマホに入った娘からの「パパ、今度の週末、買い物付き合って」というメッセージ。それが、何かのおねだりであることはわかっているが、自然と目尻が下がっていた。
遠野隆は昨年本格稼働したこの最新鋭の原子力発電所の制御センター主任として着任した。
遠野が、小学生の卒業式の時に、あの地震が起こった。遠野が住んでいた千葉も大きく揺れ、卒業式は中止、その後の生活にも影響があった。
遠野が、この仕事を選んだ理由だった。家族のため、みんなのために、ライフラインを確保する。
決して目立たない仕事だが、決しておろそかにしてはいけない。
そこに必要なのは、リスペクトだ。そこで一緒に働いている人たちへのリスペクト。仲間としての尊重。遠野が仕事をする上で一番大切にしていること。
「世界一安全な原子力発電所」と言われる茨城原子力発電所。
その頭脳は全てがコンピューター制御され、何重もの冗長化構成と隔離構成が組まれている。全ての部品がこのシステム専用に作られており、世界に同じものは存在しない。
そのために、業者の選定は熾烈だったという噂だ。
多くの業者は、この原子力発電所のために国の肝煎で新たに分社化され、事実はどうかわからないが、政治家のスキャンダルもあったらしい。施設自体も堅牢に作られており、仮に東日本大震災と同じ規模の災害が起こったとしても、原子炉と制御システムは影響を受けない。その堅牢性は核シェルター以上とも言われている。
職員の快適性も十分に考慮されていて、完全循環システムがあり、衣食住の設備はもちろんだが、フィットネスルーム、娯楽室、バー、居酒屋まで用意されている。
定期メンテナンスが終わり、最終チェックのため遠野は、椅子に寄りかかって、画面上に表示されるグリーンのインジケーターを眺めていた。
放出する放射線は、国が定めた目標値の年間0.05ミリシーベルト以下に管理されている。これは自然界に存在する放射線の10分の1から40分の1。極めて低い数値だ。仮にこの数値を超えた場合は、直ちに警報が鳴り、自動でフェイルセーフ措置が取られる。
一つ一つのインジケーターが正常に動作しているか確認するために、チェック用のエラーを出しアンバーに変わることを確認していく。
この最新鋭の原子力発電所は、よく映画に出てくるような監視センターと異なり、壁に付けられた複数のモニター、そこに表示されるインジケーター、コンソール上には突起物がほぼなく、タッチパネルのスクリーンがあるだけだった。
近未来的ではあるが、知らない人が見たら、巨大なゲーム機器のように見えるだろうな。
最終チェックも含めて業者に丸投げにする場合もあるようだが、遠野は必ず自分の手と目でチェックを行っていた。
また遠野は、この発電所に関わる人間は全て「仲間」だと思っており、挨拶はもちろん、一緒に休憩を取ったり、ランチを取ることもあった。そうすることで、チームワーク意識が芽生え、結果として仕事のクオリティがお互いに上がる。
システムだけではない。人の絆が、この原子力発電所を管理している。
ありえない話だが、仮に軍事攻撃を受けても、この施設だけは無傷だ。そう遠野は確信していた。




