第8話 囚われのクリツァ
ひま。
本当に、
何もすることがない。
スマートフォンは取り上げられ、
服も、囚人用のものに着替えさせられた。
……スマートフォンが欲しい。
そう思ってしまって、
少しだけ苦笑した。
これじゃ、
スマホ中毒だった
娘と同じだ。
隣の檻は、
やけに煩い。
最悪だ。
……なのに。
飯まで、旨い。
ちゃんと温かくて、
変な臭みもない。
栄養も、
計算されている感じがする。
鍵を見る。
どう見ても、
電子ロックっぽい。
……なんで?
ここ、
ファンタジーっぽい世界だよね。
なのに、
この砦だけ、
やたら近代的だ。
そういえば。
道も、
壁も、
つるつるに磨いてあった。
ごみ一つ、落ちていない。
悪の帝国なのに、
こんなに清潔でいいんだっけ。
檻の中も、
同じだ。
壁も床も、
やたら滑らか。
穴なんて、
掘れるわけがない。
力技も、
通用しない。
さて。
どうしたもんかな。
お隣さんと、
話そうとしてみる。
だが、
聞こえてくるのは、
荒い息遣いと、
低いうめき声だけだった。
言葉には、
ならない。
多分、
人間じゃない。
何かの――
魔獣だ。
アリッサは、
小さく舌打ちする。
当然だ。
オペレーターがいなければ、
会話はできない。
そして今、
そのオペレーターは、
ここにいない。
……もしかして、
詰んだかな。
はっとして、
顔を上げた。
自分を呼ぶ声が、
確かに聞こえた。
「アリッサ」
一瞬、
心臓が跳ねる。
――誰だ?
視線を巡らせて、
ようやく気づく。
声は、
壁に埋め込まれた
小さな格子から、
漏れていた。
スピーカーだ。
砦の館内放送用の、
それ。
確かに、
檻にスピーカーとマイクがあっても、
おかしくはない。
帝国の砦だ。
監視用の設備くらい、
いくらでもありそうだ。
それが、
確実に、こちらを呼んでいる。
「……やっと、気づいたか」
低く、
ぶっきらぼうな声だった。
「お前のことは、
アリッサと呼べばいいんだよな」
確認するような言い方。
だが、
断りを待つ口調ではない。
横柄だ。
反射的に、
身構える。
――魔獣?
隣の檻の、
荒い息遣いが頭をよぎる。
でも、
今の言葉は、
はっきりしすぎていた。
――通訳?
無意識に、
オペレーターの名を呼びかけそうになって、
口を閉じる。
ここには、いない。
なのに、
言葉は通じている。
だが――
どうやって?
「……あなたは、誰?」
アリッサの問いかけに、
一瞬、間があった。
「しっ」
低い声が、
すぐに続く。
「兵士が来る」
言われる前に、
足音が聞こえた。
アリッサは、
反射的に口を閉じる。
聞きたいことは、
山ほどあった。
だが、
今は、黙るしかない。
鉄格子の向こうから、
兵士たちの会話が聞こえてきた。
「例の魔法使いだがな」
「砦までは、
来なかったらしい」
アリッサは、
思わず身を乗り出す。
――どういうこと?
息を潜め、
耳を澄ませる。
「輸送の途中で、
襲撃があった」
「屈強な勇者が一人、
正面から突っ込んできたそうだ」
「馬鹿な話だ」
「だが、事実だ」
「あの魔法使いは、
そこで奪われた」
アリッサは、
思わず、
小さく息を吐いた。
――助かった。
少なくとも、
生きてはいる。
だが、
安心は、
長く続かなかった。
「奪ったのは、
相当な手練れだったらしい」
「誰だ?」
「……メイトリックスだ」
一瞬、
空気が変わった。
「生きてたのか」
「ガルバン王国は、
もう滅びてるのにな」
「当然だ」
別の声が、
淡々と続ける。
「大国は、
二つも必要ない」
「政治のリーダーは、
一つだけの方が合理的だ」
誰も、
反論しなかった。
それが、
帝国の理屈だった。
アリッサは、
その言葉を、
檻の中で聞いた。
……メイトリックス
その名前を、
アリッサは、
まだ知らない。
ただ、
ひとつだけ、
はっきりした。
ここには、
シンディはいない。
胸の奥が、
少しだけ冷える。
安心と、
落胆が、
同時に押し寄せた。
――だから。
ここを出なければならない。
この砦を脱出して、
シンディを探す。
やることは、
もう決まった。
兵士たちの足音が、
完全に遠ざかる。
しばらく待ってから、
アリッサは、
ごく小さく息を吸った。
「……オペレーター」
囁くように、
声を出す。
「いるんでしょ?」
「どこから、
繋いでるの?」
一拍。
〈原始的な方法です〉
相変わらず、
温度のない声。
〈放送用の操作卓を
使用しています〉
アリッサは、
思わず眉をひそめた。
「……それ、
原始的って言う?」
〈この世界の基準では、
高度です〉
〈私の基準では、
原始的です〉
納得できるような、
できないような答えだった。
アリッサは、
壁の向こうを意識する。
「……お隣さんと、
また繋いでくれる?」
一瞬、
間があった。
〈可能です〉
だが、
続く言葉が重い。
〈ただし、
あなたの隣人は
魔獣です〉
アリッサは、
小さく頷く。
「分かってる」
「その中でも、
最強クラスの
竜種族です」
その一言で、
空気が変わった。
アリッサは、
思わず壁を見る。
――やっぱり。
あの煩さは、
伊達じゃなかった。
「……待って」
アリッサは、
ふと思い出したように言った。
「あなた、
どうやって操作卓まで行けるのよ」
一拍。
〈私には、
ナノマシンが内蔵されています〉
「……は?」
〈ごく短距離であれば、
移動可能です〉
アリッサは、
一瞬、言葉を失った。
「……知らなかった」
〈開示の優先度が
低かったためです〉
「どれだけ
高性能なスマホなのよ……」
だが、
そんなことはどうでもよかった。
今は、
隣の檻だ。
「……竜が、
私の名前を知ってるくらいだから」
「もっと、
色々分かってるんでしょう?」
〈調査しました〉
一瞬の間。
〈どうやら、
名前が存在しないようです〉
「……それだけ?」
〈はい〉
アリッサは、
小さく舌打ちした。
「役立たず」
〈合理的な
評価ではありません〉
「いいの」
「今は、
感情の話だから」
アリッサは、
壁に向かって言った。
「……じゃあ、
通訳して」
〈通訳を開始します〉
こうして、
断片的に聞き出せた情報は、
多くなかった。
竜が捕らわれたのは、
約一ヶ月前。
大声で吠えたり、
炎を吐いたりしないよう、
金属製の口輪を付けられている。
だから、
出せるのは、
囁くような声だけ。
仲間を呼びたくても、
吠えられない。
食事も、
不満らしい。
――まずい、と。
「……いや」
アリッサは、
思わず口を挟む。
「結構、
美味しいと思うけど」
返ってくるのは、
不機嫌そうな鼻息だけだった。
「……まあ、
竜だしね」
食べるものも、
感覚も、
違うのだろう。
アリッサは、
少し黙り込む。
「……さて」
「どうやって、
ここを出る?」
その時、
ふっと、
ひとつの考えが浮かんだ。
「……帝国のシステム、
乗っ取れたりしない?」
〈不可能です〉
即答。
〈セキュリティレベルが
高すぎます〉
〈成功確率は、
ほぼゼロ〉
「……だよね」
アリッサは、
すぐに切り替えた。
「じゃあさ」
「あちこちにある、
あの放送用の外部スピーカーは?」
一瞬、
間があった。
〈接続可能性があります〉
〈スピーカーは、
情報を“流す側”として
設計されています〉
〈情報を“受け取る側”としての
想定がありません〉
アリッサは、
静かに息を吐いた。
「……それだ」
しかし、
アリッサには、
まだ一つ、
引っかかることがあった。
「……それじゃ、
あなたはなんで」
「原始的な方法で、
喋ってるの?」
一拍。
〈館内放送は、
セキュリティの範囲内です〉
〈外部スピーカーのように、
乗っ取ることは
できません〉
アリッサは、
小さく頷いた。
――なるほど。
兵士への指令は、
館内放送。
外部への威嚇や、
一般向けのアナウンスは、
外部スピーカー。
役割が、
最初から分けられている。
そして、
守られているのは、
内側だけだ。
「……帝国らしく、
合理的ね」
アリッサは、
そう呟いた。
壁の向こうへ、
声をかける。
「ねえ、
お隣さん」
「ちょっと、
お願いがあるんだけど」
返事の代わりに、
不機嫌そうな、
低い鼻息が返ってきた。
……駄目か。
アリッサは、
小さく息を吐いた。
少し、
ご機嫌取りをする必要がありそうだ。
「……名前を、
付けてもいい?」
壁の向こうで、
竜は、
すぐには答えなかった。
鎖の擦れる音。
低い呼吸。
やがて、
短く言う。
「好きにしろ」
「呼ばれる理由が、
あるならな」
アリッサは、
一瞬だけ考えた。
「……じゃあ」
「クリツァ」
また、
間が空く。
「それは、
どういう意味だ」
問いは、
淡々としていた。
「……強くない生き物の名前」
正直に答える。
長い沈黙。
そして、
低い声が、
少しだけ柔らいだ。
「……悪くない」
アリッサは、
少しほっとしながら、続けた。
「じゃ、オペレーター、クリツァ」
「二人とも、
私の計画を聞いて」
返事は、
すぐには返ってこなかった。
代わりに、
壁のスピーカーから、
短い電子音が鳴る。
そして、
隣の檻から、
少しだけ機嫌が良さそうな、
低い鼻息が聞こえた。




