第10話 シンディを探さなきゃ
低い風切り音が、
頭上を通り過ぎた。
クリツァが、
アリッサの前に降り立つ。
大地が、
わずかに揺れた。
空を見上げると、
竜の群れは、
すでに遠ざかっている。
一頭、
また一頭と、
雲の向こうへ消えていった。
「……一緒に、
行かなくていいの?」
問いかけに、
クリツァは答えない。
ただ、
首を低く下げ、
翼をたたむ。
何か言いたそうで、
それでも言わない。
その仕草は、
どこか――
背中を示しているようにも見えた。
「……乗れ、
ってこと?」
返事はない。
だが、
クリツァは、
じっと動かない。
近くに立つと、
改めて分かる。
大きい。
想像していたより、
ずっと。
よじ登ろうとして、
思わず苦笑した。
「……これ、
一苦労だよ?」
それでも、
クリツァは待っている。
アリッサは、
一度だけ深呼吸をして、
その鱗に、
手をかけた。
高い。
怖い。
獣の匂いが、
思った以上に強い。
どこを掴めばいいのか、
体をどう支えればいいのか、
さっぱり分からない。
必死にしがみつきながら、
アリッサは思った。
――乗り心地、
全然よくない。
映画やテレビで見る竜とは、
まるで違う。
揺れる。
固い。
そして、
容赦がない。
その時、
手にしていた
スマートフォンの画面が、
ふっと明るくなった。
〈会話安全レベル:
最大値です〉
「……ここなら」
「オペレーターと話しても、
安全ってこと?」
〈はい〉
〈現在、
今までで
最も高い安全レベルです〉
「……こんなに
危険そうな場所が、
一番安全なんだ」
そう呟きながら、
アリッサは、
改めて周囲を見下ろす。
――高い。
でも、
ここだけは、
本当に安全だった。
クリツァが、
大きく翼を広げた。
風が、
一気に叩きつけられる。
次の瞬間、
地面が、
足元から消えた。
「……っ!」
恐怖しか、
なかった。
悲鳴を上げる余裕もなく、
アリッサは、
必死に
鱗にしがみつく。
体が、
置いていかれそうになる。
必死にしがみついているうちに、
しばらくして、
飛行が安定した。
風の流れが一定になり、
揺れも、
少しずつ収まっていく。
アリッサは、
ようやく呼吸を取り戻した。
……慣れてきた。
ほんの、
少しだけ余裕が出る。
「……さっきの続きだけど」
「今までは、
安全じゃなかったってこと?」
一拍。
〈常時、
発見されても
おかしくない状態でした〉
アリッサは、
竜の背中で、
ぎゅっと
スマートフォンを握りしめた。
「……それ、
先に言ってほしかったんだけど」
〈合理的判断では、
不要でした〉
「ほんとに……」
「バカ……」
〈バカではありません〉
〈私の能力を
人間に換算すると、
IQ……〉
「……黙ってて」
短く言うと、
オペレーターは沈黙した。
風が、
気持ちいい。
クリツァも、
どこか機嫌よく
飛んでいるように感じた。
しばらくして、
アリッサは気づく。
同じ景色が、
何度も視界を横切っている。
――旋回している。
その時、
クリツァが、
何度か、
短く吠えた。
強くも、
荒くもない声。
合図のような、
呼びかけのような。
……私と、
話したいのかな。
アリッサは、
そっと息を吸い、
オペレーターを呼び出した。
「オペレーター、
通訳お願い」
〈通訳モード:
魔獣・竜種族〉
設定完了を告げる
淡々とした表示。
さて。
何を話そう。
そう迷った、その瞬間――
スマートフォンから、
ぶっきらぼうな声が聞こえた。
「……どこに行きたい」
「え?」
「それって」
「私を、
好きな所に
連れて行ってくれるってこと?」
「助けてくれた
礼だ」
「そう思ってくれればいい」
なるほど。
どうやら、
この竜は
意外と義理堅いらしい。
その時、
ふと、
胸に引っかかっていた
言葉が浮かんだ。
「……ねえ」
「館行きって、
何?」
次の瞬間、
飛行が、
わずかに乱れた。
「うわっ……!」
体が傾き、
ずり落ちそうになる。
アリッサは、
歯を食いしばり、
必死にしがみついた。
風の音だけが、
一瞬、
大きくなる。
それから、
短い沈黙。
やがて、
クリツァが、
ぼそりと呟いた。
「……燃やされる場所だ」
クリツァは、
はっきりと嫌悪を滲ませて言った。
燃やされる。
どういうことだろう。
どうやって。
嫌な予感がして、
アリッサは、
どうしても、
その先を聞けなかった。
だが、
クリツァは続ける。
「お前がいた檻に」
「前は、
若い女の魔法使いが
閉じ込められていた」
「そいつも、
館行きになった」
――シンディ?
違う。
シンディは、
助かったはずだ。
じゃあ、
誰だ。
アリッサは、
無意識に、
ポケットへ手を伸ばしていた。
あの腕輪。
そっと取り出し、
裏側を見る。
細い刻印。
――シンシア。
全てが、
ひとつにつながった。
しかも、
最悪の形で。
胸の奥が、
静かに冷えていく。
それでも。
この腕輪には、
届ける先がある。
アリッサは、
強く息を吸った。
「……シンディを、
探さなきゃ」
視線を前に戻す。
「クリツァ」
「行き先が、
決まったわ」
「砦から、
町へ続く道の上を飛んで」
クリツァは、
短く、
悲しげに吠える。
そして、
何も言わず、
進路を変えた。




