第一話 魔法学
クランツはフラメナの魔法を見届けると、屋内へと戻り、分厚い本を数冊抱えてきた。
机の上に本を並べ、フラメナを椅子に座らせると、自身も向かい合うように腰を下ろす。
「フラメナ様が魔法学校に通わない以上、基礎的な学力も私が教える必要があります」
この世界では、七歳から魔法学校に入学することができる。
魔法小学校、魔法中学校、魔法高校、そして魔法大学──。一般家庭でも、小学校までは修了するのが通例であった。そのため魔法小学校までは、読み書きや計算といった一般常識の授業が中心で、魔法そのものを学ぶ機会は多くない。
つまり学校に行かないフラメナは、生活に必要な知識や技能をすべてクランツから学ばなければならない。
「わたし、勉強はきらいよ!」
フラメナはむっとして、ぷいと顔を背ける。
「……では、魔法はお好きですか?」
「……普通の魔法はきらい!」
「それでは、フラメナ様の魔法を元に授業を組み立てましょう。魔法と一緒に、読み書きや計算も学ぶのです」
「それって……おもしろいの?」
少しだけ興味を示したように、フラメナは問い返す。
「必ず面白くなりますよ」
クランツは穏やかに微笑みながら、信じ込ませるようにそう言った。
──こうして、フラメナの勉強が始まった。
「フラメナ様は、魔法学についてどれほど知識がありますか?」
「さっぱりよ!」
自信満々の顔で即答するフラメナ。なぜそんなに堂々としていられるのかと言えば、彼女が“勢いこそが全て”だと考えているからだった。
「では一からご説明しましょう」
クランツは椅子から立ち上がると、杖を振るって魔法を放つ。床の一角に黒い壁が出現し、その上に白い土のような素材で文字を書きはじめる。
フラメナは文字一覧表を開きながら、真剣な顔で読み取ろうとする。
「まず、魔法は大きく二つに分類されます」
【攻撃魔法】
【防御魔法】
「さらに細かく分けると、六種類になります」
【攻撃魔法】
・属性魔法
・召喚魔法
・使役魔法
・強化魔法
【防御魔法】
・治癒魔法
・空間魔法
「もっと複雑な分類もありますが、今日はこのあたりにしておきましょう。実際、多くの魔法使いが扱うのは属性魔法です。そして防御魔法を使える者は、攻撃魔法を使う者より圧倒的に少ないです」
魔法と聞けば、生活のあらゆる場面で使われていそうなものだが、日常生活に使われる技術は「魔活法」として別に分類されている。
「いっぱいあるわね」
「えぇ、何千年も前から伝わるものですから」
クランツは黒い壁へと向き直すと、文字を書きながら話す。
「魔法の使用には、当然ながら“魔力”が必要です」
魔力には大きく二種類ある。一つは体内に蓄えられた魔力、もう一つは空気中に漂う自然の魔力だ。
もっとも、実用的なのは体内の魔力である。
魔力を回復する手段には、食事や睡眠のほか、液状化した自然魔力を飲むという方法もある。この特別な液体は「魔液」と呼ばれ、かつて魔族によって開発されたものだ。
「次に魔力を使って魔法を発動、その方法についてです」
「それ、さっき言ってたやつでしょ……えっと」
「呼称と魔法陣ですね」
「なんで言っちゃうのよ!」
正式には、「呼称魔法」と「魔法陣展開法」と呼ばれている。
呼称魔法とは、その名の通り、魔法の名前を声に出して発動する方法。
魔法陣展開法は、魔法陣を描いて魔力の回路を完成させ、魔法を発動するもの。
低〜中級の魔法使いにとって、これらを使わずに魔法を発動することはできない。
呼称によって魔力を魔法陣へ送り込み、回路が完成すると、杖や魔導書、魔法球などを通して魔法が放たれる。
これらの工程を省略する技術が、「無呼称魔法」や「無陣魔法」と呼ばれる。
だが、短縮には当然デメリットもある。
本来の手順を踏めば魔法の出力は100%。しかし、呼称や魔法陣を省略すれば、出力は約25%低下する。
これは、定規を使わずに線を引くようなもので、どうしても歪みが出てしまうのだ。
ただし、熟練した魔法使いであれば、この誤差を抑えることも可能だ。中には90%近くまで出力を維持できる者もいる。
とはいえ、特に召喚魔法・治癒魔法・空間魔法においては、短縮は推奨されていない。
「また、魔法には二つの“強化発動法”が存在します」
【代力】
【詠唱】
代力とは、一度構築した魔法を保留し、さらに魔力を流し込んで“二重構築”を行う発動法。出力は200%に達し、奥義級の一撃に使われることが多い。
詠唱は、古代に使われていた発動方法。こちらも二重構築だが、非常に長い。最長で五分にも及ぶため、実戦では使用が難しい。
「この二つを組み合わせると、どうなると思います?」
「……すっごく強い?」
「まあ、大体合ってます」
呼称・魔法陣・代力・詠唱。すべての工程を完了させることで、出力400%の魔法が完成する。これは完全なるロマン砲であり、実戦で使われた例はほとんどない。
「次は“魔法等級”についてです」
「しらないわよ」
クランツは新たに黒い壁を出し、その上に文字を記す。
【魔法等級】
無級
下級
中級
二級
一級
上級
帥級
将級
君級
「君級が一番強いのよね!」
「知らないとは……でも正解です」
得意げに微笑むフラメナを横目に、クランツは説明を続ける。
「無級は一般人。下級から中級までは“低級魔法使い”と呼ばれ、努力次第で到達できます」
「じゃあ、わたしは何級なの?」
無級です。ただし、無呼称魔法と無陣魔法を扱える七歳など聞いたことがありません」
「ふふん、やっぱりわたしってすごいのね!」
「二級から上級は“中級魔法使い”。努力では届かない領域、そして、帥級、将級、君級はその級ごとに魔法の級が分かれています。ここら辺の魔法は選ばれた者の世界と言えますね」
「クランツは何級?強いんでしょ?」
「私は将級です」
「すっごく強いのね!」
「……上には上がいますから」
どこか寂しげに微笑むクランツ。彼は壁を消し、フラメナのそばへと歩み寄った。
「これで基礎の魔法学は終了です。応用については、また来週に行いましょう」
だが、フラメナはぽつりとつぶやいた。
「……でも、わたし、基礎魔法が全然使えなかったのよ」
いつもとは違う、不安そうな声だった。
「今の話って、全部“基礎”の魔法なんでしょ? わたしの魔法は、どれにも当てはまらないの。……変なものなの」
うつむくフラメナの肩が、小さく震えており、クランツはしばらく黙ってから、優しい声で言った。
「──無理に基礎魔法を教え込むつもりはありません」
「……え?」
「確かに基礎魔法を扱えなければ、この世界の大半の魔法は使えません。でも、それならば──作ればいいのです」
「……作る?」
「はい。魔法は、最初からこの世にあったものではありません。誰かが、必要に応じて生み出したのです。ならば、フラメナ様も、自分だけの魔法を創ればいいのです」
「そんなこと……できるの?」
「できます。フラメナ様なら、きっと」
その言葉には、嘘や慰めではない、確かな信頼があった。
フラメナは小さく頷き、はっきりと言った。
「……なら、作るわよ!」
その日は、授業が終わり次の日に魔法を本格的に鍛え始める。翌日は快晴で、エイトール家の中庭にてフラメナとクランツは朝から魔法の授業を開始していた。
「クランツ! 魔法って、どうやって作るのかしら!」
エイトール家の中庭には元気な声が響いていた。
「まず、名を定めなければいけません」
「名前?」
「魔法の名前は、【書き】と【読み】に分かれています。たとえば、下級魔法の――《水球|アラピル》」
クランツはそう言いながら、杖を中庭の池に向けて振る。すると、水の球体が放たれ、池に着弾してさざ波を広げた。
「この魔法は、水の球を飛ばすだけのものです。今は殺傷力を落としていますが、上級魔法使いが使えば、巨木をも破壊する威力になります」
クランツはいつものように黒い壁を展開し、白い土で文字を書き始める。
「このように、魔法は“書き”の意味である程度効果が推測できるのが理想です。そして“読み”についてですが、これは属性によって必ず含めるべき音が存在します」
「属性によって……?」
「はい。七つの属性、すなわち――火・水・風・草・土・雷・氷。それぞれに対応した発音があるのです。水属性の場合、必要なのは“ア”という音」
「うーん……“ラ”だと思ったのに!」
「惜しいですね。火なら“フ”の音です」
「それって誰が決めたのよ?」
「……由来は不明です」
「なによそれ」
「ともあれ、呼称についてはこれで一区切りです。次は――魔法陣です」
クランツは地面に赤い魔法陣を展開し、呼称して魔法を放つ。
「《火球|フライマ》」
赤い光が走り、火の玉が杖から放たれて空中で消えた。
「魔法陣、見えましたか?」
「すっごい模様だったわ!」
「複雑に見えますが、全て書く必要はありません。魔法使いは、既存の魔法陣を覚えて使うのが一般的です。しかし――」
クランツは少し間を空けて、微笑んだ。
「フラメナ様は“作る”必要があるのです。だからこそ、原理を理解してもらいます」
「む、難しそう……」
「ご安心を。簡単に説明しますから」
そう言いながら、再び魔法陣を展開。
「魔法陣は、足元・空中に浮かせる・手に貼り付ける――基本はこの三種です。魔力を用いて陣を描く。それぞれの線には意味があり、無意味な模様ではありません」
「……ふむふむ」
「では、描いてみましょう。まず、足元に魔力で丸い円を描いてください」
「こ、こう……?」
白く輝く線が地面に現れ、円を描き出す。
「次に、中心から星のように五本の線を伸ばします」
「む、むずかしい……」
「仕上げに、星の内部に三本の線を加えてください」
「できたわ……あっ、なんか光ってきた!」
「では、手に力を込めて、魔力を押し出してみてください」
言われた通りに魔力を解き放つと、フラメナの手から白く光る火球が放たれ――
「きゃっ!出た!?」
驚くフラメナ。すぐにクランツが水魔法で鎮火した。
彼女は目を輝かせながら、クランツを見る。
「見た!? 出たわよ! わたしも魔法が放てた!」
「ええ、立派な火球でした。しかも、フラメナ様は気づいていないかもしれませんが、発動の瞬間――魔法陣の線が急速に増えて複雑になっていましたよ。描いた簡易的な線を起点に、自動補正されていたのです」
「つまり……私にも出来るってことね!」
「その通りです。どうです? できそうでしょう?」
「これなら、わたしでも楽勝よ!」
そのとき、フラメナの心に確かな感覚が芽生えていた。
――これなら、わたしでも魔法使いになれる。
――こんなに魔法が楽しいなんて、いつぶりだろう。
「フラメナ様?」
「あっ……なに?」
昼食時、椅子に座ったフラメナは少しぼんやりしていて、スプーンを止めたままだった。
「どうかなさいましたか? 食欲がないのであれば――」
「あるわ。ちょっと考えてただけよ!」
「そうですか」
クランツが安心したように頷くと、フラメナは意を決したように尋ねる。
「ねぇ、クランツ。この世界で一番強い魔法使いって誰なの?」
「君級の中でも、さらに上位。三人の魔法使いが最強と称されています」
「三人もいるのに最強って、どうなのよ!」
「ええ……その通りですが、決められないほど拮抗しているのです」
「称号とかないのかしら?」
「ありますよ。その三名は――三界と呼ばれています。
虹帝。剣塵。魔王です」
「……誰かが一番強いって噂はないの?」
「噂では、虹帝が最強とされていますが……結局は状況次第でしょう。誰が勝つかは誰にもわかりません」
「ふーん……でも、決めた!」
ぱっと顔を上げるフラメナ。その瞳には、強い決意が宿っていた。
「わたしが、魔法の頂点に立つわ! 一番強い魔法使いになるのよ!」
小さな少女が掲げた、誰もが笑うような無謀な夢。
それは常識の枠から外れた魔法使いが、王座を目指す物語の始まりだった。
クランツはそれを聞いて笑いもせず真剣な顔でフラメナへと言葉を投げかける。
「――なら、なりましょう。夢を叶えずして、人生に花は咲きませんから」
「やっぱりクランツは、難しい言葉ばっかり!」
「そのうち慣れてくださいよ」