第百三十六話 鬼凶の方位 Ⅴ
「お母さん! 今日も帰るの遅いの!?」
「ごめんね……お母さんやること多いのよ」
虹帝のネル・レルスタミッドは世界最強の魔法使いとしての顔と、母親としての顔、そして世界最高峰の大学であるエデル大学の魔法教授でもある。
この日は娘のメアと夕食を食べる予定であったが、
大学の方で講義の代わりを頼まれてしまった。
「もういい! 今日もお父さんと食べるから!」
「あっ……」
娘のメアは十五歳、ネルはこの頃寂しい思いをさせてばかりで大きな罪悪感に呑まれていた。
ネルのことは「もう知らない」といった素振りで自室へと走っていくメア、ため息がネルの口から漏れる。
ネルの夫であるノアルトは、
中央大陸の城に仕える剣士でありなかなか強い。
そんな彼はネルより多忙ではなく、育児なども彼の方が多くこなしてきた。
任せっきりなこの状況をどうしようか、
メアとはどう関わろうか、そう連日悩んでいる中、
ネルの元にある一報が届く。
「防衛戦争……」
その内容はネルの悩みを加速させるものだった。
またメアとの時間が取れなくなってしまう。
……母親失格、って言葉が身に染みるわね。
メアの面倒はノアルトが見てくれるだろうし、
心配はいらない……
私って本当に迷惑ばっかかけてなにも返せてない。
母親として子を最優先にできてないなんて……
思い切って一旦色々休もうかしら……
ネルが防衛戦争へと向かう当日。
家の前でノアルトとメアに別れを告げる。
「……」
メアはかなり怒っているようで、
口を開かない様子だった。
苦笑いするノアルト、ネルはそんなメアへと優しく話しかけた。
「ごめんねメア。お母さんまた仕事だ……
だからさ、帰ってきたらメアの大好きなスイーツたくさん食べに行こっか。お母さんも仕事ちょっと減らしてみるから、我慢してくれない?」
そんなネルの言葉に、興奮気味でパッと笑顔を見せるメア。
「ほんと!?」
「ほんとよ。ご褒美はたくさんあるからいい子にしてるのよ」
出発前、ネルはメアとは仲直りができた。
「いってらっしゃい!!」
そんな言葉がまだ耳元に残り続けている。
私は死ぬ。
自分が作り出した黒い球体に呑み込まれて死ぬ。
見た感じ怠惰も一応持っていけるはずだけど……
闇属性での自爆は相手だって想定外よ。
勝つためにはこの方法しかない。
私の全力をぶつけても怠惰の魔法を越えることはできなかった。
私自身、世界最強だなんて言われてるけど、
結局後方からの魔法が得意なだけで、いざ近接戦が増えると他の君級の方が強いわ。
死ぬだなんて……なにが約束よ……
また破ってるじゃない……
でも不思議となぜか、悔しさとかはない。
もし怠惰がこれで倒されなくても、ユマバナが確実に倒してくれる。
でも一つ……ただ一つ気がかりなのは……
メアだ。
私が世界一大切にしているメア。
またメアを傷つけてしまった。
世界最強なのに何も成せない。
約束の一つすら守れない。
私は……
ネルはユマバナを見て思わず笑みが溢れた。
最期は一人じゃなかった。
戦士としては一番の死に方、
親としては最低な死に方ね。
もし、メアにもう一度会えるなら。
もっと遊んであげて、もっと色々教えたかった。
もっと抱きしめてあげたかった。
死に顔くらい、笑顔で逝きましょう。
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黒い球体が消え、中から一人分の両足が出てくると、再生を終えそうなフェゴが出てきた。
「あの魔法使いには驚かされてばっかりだー
つくづく思うぞー……そっちが攻めてくれたから倒せた。後方から魔法を放たれてたら負けたぞー」
ユマバナは地面に膝をつき、顔を俯かせ肩を震わす。
「ネルさん……」
レイテンは驚きと喪失感に挟まれ、
静かに名を呼ぶことしかできなかった。
クラテオは絶望しながらも立ち上がり、
杖を強く握ってフェゴを見る。
魔王側近は死ぬまで全力を出せる。
魔力は削れただろうが、依然不利なのはこちらだ。
するとフェゴが歩き出そうとした瞬間、
戦場へととんでもない量の冷気が一瞬流れた。
それと同時にフェゴからしたら馴染み深い魔力が、
ポツリと消えたように感じる。
「……あぁ? え、負けたの?」
フェゴが驚いた顔でユマバナたちから目を逸らす。
ユマバナはこの冷気が大好きだ。
「エクワナ……」
ユマバナはエクワナが勝利したことを、
フェゴの発言によって確信し顔を上げた。
その他の二人も、凍獄班が嫉妬に勝利したことを察する。
「おじいちゃん……」
レイテンの心に不安と喜びが満ちる。
生きているのだろうか、誰も死んでいないだろうか。そんなことを考えてしまうのだった。
「ユマバナさん……俺たちも勝たなきゃダメですね。
あいつらが勝ったんです……俺たちも意地見せる時なんじゃないすか」
クラテオはそう言ってユマバナの隣に歩いてくる。
「偉そうに……妾は元々その気じゃ!
あー、もうほんっとネルは自己中で我儘じゃぁ!
妾たちに全て託して死におった……
じゃが……親友として、戦友として!
あやつに今から勝つぞ! 妾たちが勝たんで誰がやるんじゃぁ!!」
ユマバナは一気に闇を足元から溢れさせ、
闇がユマバナの体を少しずつ纏い始める。
「……たった三人でなにができるんだー?
諦めて帰ってもいいんだぞー……私は追わないしお前たちも生きて帰れる。悪い話じゃないだろー」
フェゴが提案するが、クラテオがそれを却下する。
「もう一人死んでるんだ。
ここで退くほど無様な生き方はしていない。
お前もわかってるはずだ。この戦いはどっちかが死ぬまで続く……何を今更戦いを拒絶している」
フェゴは足を踏み鳴らし、再び大きな円の中に、
九つの円が描かれた魔法陣を展開した。
「なら……殺してやるからかかってくるんだなー」
フェゴから感じたことのない殺気が発せられた。
本気となった彼女の力が今、発揮される。
だが、仲間の死と仲間の勝利を知ったこの場の三人は、士気が最高潮へと達する。
「五黄殺・終日」
魔法陣が一気に複雑な線を増やし、
丸い円に派手な模様がつき始める。
九つの円のうち、中心に立つフェゴを軸に展開された魔法陣。五黄殺と聞いて先の魔法がくるかと思っていた三人だが、魔法は放たれなかった。
代わりに八つの円の上に作り出された青と赤の複製体、色の配分は四対四であった。
「分身……?」
「違う。あれは魔力で作られた複製体じゃ!」
レイテンが困惑するのを横目に、
ユマバナがそう言うと複製体たち八体が、杖を空に向けて構える。
フェゴ自体、あまりもう余裕はない。
被弾こそ少ないものの、致命傷はすでに三度受けている。
魔法を扱っての戦い方故に魔力消費も大きい。
半分切るか切らないかほどの魔力量だ。
闇属性自体、私とは相性が悪いんだよなー
それにさっきの道連れ攻撃……魔力自体は減らなかったけど、体の再生が遅くなってるなー
なんで遅くなってるかわかんないけど……
とにかく長引くと色々、私が不利になりそうだー
早めに……この三人を倒して休憩しなきゃなー
働きっぱなしは疲れるからなー
複製体の八体から放たれる赤色と青色の光線は、空へと昇っていき、三人は思わずそれを目で追う。
「クラテオ、あやつは任せたんじゃ」
クラテオはそれを無言で把握し、ユマバナとレイテンは、空の光線が大量に分裂するのを目にした。
空を埋め尽くすほどの赤青の光線。
レイテンは杖を構え、魔法陣を展開する。
「水天浴!」
杖から放たれる太い水の線。
それは一定の高さまで昇っていくと、一気に広範囲に水が広がり、赤い光線のみを打ち消した。
地上へと雨粒のように水が落ちる中、
青い光線へと向けてユマバナが魔法を呼称する。
「黒礱多」
杖から放たれる闇は棘のように形を変え、
青い光線へと一つずつ闇がぶつかり、全てを打ち消していく。
一方、クラテオは追撃を放とうとするフェゴに対し、波を作り出して妨害を行う。
一連の攻撃を全て防いだ三人。
フェゴは杖を振るうと複製体の全てを一気に動かし、赤と青の光線をクラテオへと向かわせる。
早っ……! 間に合うか……俺の魔法発動
クラテオは眼前に迫る光線へと向け、
水の壁を下から作り出して光線を防ぎ、青い光線は体を動かして避ける。
「クラテオ変わるんじゃ!」
「っ!」
クラテオは足から水を放出して後ろへと下がると、
ユマバナが走ってフェゴへと接近していき、闇の槍を手に持ちながら魔法陣に立ち入る。
その時フェゴは口角を上げた。
「やっぱりそうするよなー」
「?」
魔法陣が突如、青く光った。
「暗殺剣っ!」
複製体の足元から水の剣が溢れ出し、
ユマバナの体へと迫った。
切先が腕に触れた瞬間、ユマバナは水の剣に呑まれて姿を消した。
「……?」
フェゴは困惑した。
魔力が完全に水の剣の中から消えたのだ。
「闇魔法はのう……全てを呑み込む性質がある。
呑み込まれたものを放出する場があれば、簡単に後ろを取れるんじゃよッ!」
フェゴの背中をユマバナは強く押し、
闇を手から放出して槍のように変形させて体を貫いた。
「っぁ……!」
再び与えられた致命傷。
フェゴの再生が行われるよりも早く、
ユマバナは追撃を放とうとしていた。
その時、再び魔法陣が光った。
「……ユマバナさんッ!!」
レイテンの声が戦場に響き渡る。




