7話 ケンイチワールド:巻きつる草とスライムの朝
目を開けると、そこは懐かしくも温かい、心の草原だった。
——ケンイチワールドに、帰ってきた。
体の内側からじわじわと魔力が満ちるような感覚と共に、視界が鮮やかになる。草の香り、心地よい風、空の青さ。すべてが、現実よりもずっと「生きている」感じがする。
「よし……今日は、MPが3か」
ステータスを確認すると、確かにMPが1増えていた。これで、ようやく仮説が立証された。1日ごとにMPの最大値は1ずつ増え、眠ることで全回復する。つまり、ここに来るたびに、少しずつ自分は強くなっているのだ。
「ちゃんと1残して戻った甲斐があったな……」
ふと現実の記憶がよぎる。元気な姿を見て泣いてくれた家族、何度も心配そうに声をかけてきた看護師さん……。そのすべてが、魔力が戻ったことによる奇跡だった。そして、この心の世界こそがその鍵。
「じゃあ、今日はMPを2まで使うことにしよう」
意気込みながら視線を草原に向けると、何かが違っていることに気づいた。
目の前の草原に、幅4センチほどの草がない小道ができている。その道は2メートルほど続いており、その先頭には、小さな青い身体が、ぷるぷると微かに揺れていた。
「……ミニレッサースライム!」
懐かしいような、愛おしいような気持ちが胸に広がる。そう、最初に召喚した仲間。心の世界に最初に現れた、命ある存在。
「お前、何してたんだ?」
ケンイチがしゃがみ込み、近づくと、スライムの身体がぴくりと震えた。そして、じっと見ていると、スライムが接している地面の草が、じわじわと茶色く変色している。
「……食べてる?」
そう、それはまるで、スライムが地面の草を“溶かす”ように取り込んでいるように見えた。
「……おいしい?」
何気なく問いかけると、スライムは身体を小さく震わせた。それは、返事のようにも見えるし、単なる反射のようにも見える。けれど、ケンイチはその震えに、ほんの少しの“喜び”を感じ取った。
「……よかった」
笑みがこぼれる。この世界で最初の命が、ちゃんと生きている。食べて、動いて、反応してくれる。なんて幸せなことだろう。
だが、ふと不安がよぎる。このまま草を食べ続けたら、草原がなくなってしまうのではないか。
「……あ、そうか。植物、増やせるんだった」
ケンイチは、心の中で“植物を召喚”と念じた。
【召喚可能な植物一覧を表示します】
浮かび上がるリストには、いくつかの植物名が並んでいる。とはいえ、まだMPも少ないからか、選択肢は少ない。
その中で、ケンイチの目を引いたのは——
【巻きつる草】
なんとも想像をかき立てる名前だ。雑草以外を召喚してみたかったケンイチは、これを選ぶことにした。
「召喚範囲……そうだな、スライムの身体くらいのサイズで……」
そう念じながら、スライムのすぐそば、剥き出しの土の上に巻きつる草を召喚する。
——MPを1消費しました。
地面から、じわじわと緑色の蔓が生えてくる。まるで、命が芽吹く瞬間を早回しで見ているようだ。数秒後、しっかりと根を張った巻きつる草が、小さく、しかし存在感を持って現れた。
「……ちゃんと出た……!」
思わず笑みがこぼれる。鑑定スキルを使って、さっそく巻きつる草の情報を確認する。
【名称:巻きつる草】
【レア度:1 品質:★2】
【効果:普通の蔓よりも強度がある。上に載った生物に蔓を伸ばし、自分の周囲の土に栄養がいくようにする草。但し、蔓を延ばすスピードも遅く、力も弱いため、生きている物を捕まえることは出来ず、死んだ生き物に巻きついていることが多いため、危険はない。土に含まれる魔力で強度が上がるため、現在品質は、低い。】
「へぇ……品質★2か。ちょっとは、魔力が含まれてるってことなんだな」
ケンイチは目を細めて土を見つめた。この心の世界——通称「ケンイチワールド」は、現実世界と異世界ユーランドの間にある場所。今はまだ草原だけだが、召喚スキルや魔力によって、少しずつ生態系が生まれ始めているのだ。
巻きつる草の説明には、「死んだ生き物に巻きつく」とあったが、スライムが興味を示した様子はない。よく見ると、草がわずかにスライムの方へ蔓を伸ばそうとしているが、明らかに遅く、可愛らしいほどだ。
「……これなら、安心して使えそうだな」
草の生命力、スライムの食事、そして、魔力による影響。それらが、目に見える形で少しずつつながっていくのが分かる。現実世界では味わえない「創造の喜び」が、ここにはあった。
「さて、今日はもう1回……MPを使えるな」
残りのMPは1。これを使って、もう一度巻きつる草を召喚することにした。
「今度は……この2メートルの、草がなくなった地帯に」
草を食べられた痕跡の残る道沿い、約2メートルのスペースに意識を集中する。想像するのは、同じ巻きつる草。ただし、少し密度を上げ、地面を覆うように。
——MPを1消費しました。
またしても、地面がわずかに震えた。そこから、巻きつる草が、ゆっくりと生えてくる。やがてそれは、地表を蔓で覆いながら、同じように根を張って土と魔力を吸い始めた。
「……よし。ちゃんと出たな」
近づいて鑑定してみると、前回と同じ品質★2の巻きつる草であることが確認できた。
「同じ場所、同じ植物なら品質に変化はなし……って感じか」
だが、召喚のサイズや密度は意識した通りに変えられている。つまり、「植物召喚」は、召喚する範囲や密度に応じてある程度細かく制御できるということだ。
「これは、めっちゃ有用だな……!」
ケンイチの頭は、もう次のステップに向かっていた。
「草ばっかりじゃなくて、水場があれば……魚とかも呼べるかもしれない。花が咲けば、昆虫も増える?それを捕食する鳥も?いや、でも食物連鎖が崩れるとまずいし、バランスを取らなきゃ……」
——ああ、ワクワクが止まらない。
心の世界は、まるで白紙のキャンバスだ。自分の思いと魔力で、いくらでも塗り替えていける。こんなにも、自由で、可能性に満ちている場所があるなんて。
ケンイチは、改めて自分のユニークスキル《ケンイチワールド作成》を思い出した。
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【ユニークスキル:ケンイチワールド作成】
心の世界「ケンイチワールド」において、MPを消費することで様々なスキルやオブジェクトを創造・強化することができる。
可能な操作には以下が含まれる:
・新たなスキルの取得(鑑定など)
・植物、モンスター、地形(火山・洞窟・水場など)の追加
・環境やエコシステムの進化
・異世界ユーランドとの連携によるイベント発生
このスキルこそが、ケンイチの鍵。魔力不足で苦しんでいた自分が、ここでなら「創造主」にも「冒険者」にもなれるのだ。
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「よし、あとは……この巻きつる草を、スライムが食べてくれるかどうか」
ミニレッサースライムは、ケンイチの視線に気づいたのか、ぐるりとこちらを向いた。そして、ぷるりと震えながら、先ほど召喚した巻きつる草に興味を示し始めた。
——くにゅ、くにゅ、ぬる……
「食べてる……?」
巻きつる草の一部が、粘液の中に吸い込まれるように消えていく。少しずつ、少しずつだが、確かに分解されている。
その様子は、どこか神聖で、優しかった。
スライムが小さく震え、ほんのわずかに体色が透明度を増したように見える。もしかして、満足しているのかもしれない。
「……ああ、なんか、いいな」
ケンイチは、静かに腰を下ろして、草原に寝転がった。空は相変わらず青く、雲がゆっくりと流れている。遠くで、風が巻きつる草を揺らしている。
自分が創った世界で、生き物が、呼吸して、食べて、喜んでいる。そんな当たり前のことが、ケンイチには、たまらなく尊いものに思えた。
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「……さて、今日はもうMP使えないし」
スライムの食事を最後まで見届けたケンイチは、ゆっくりと目を閉じた。
現実世界に戻れば、両親と妹が待っている。検査結果も気になるし、体調も観察され続けるだろう。でも——
「絶対に、また来るからな。俺の、ケンイチワールド」
微笑みながら、ケンイチは夢から醒めていった。