つかの間の休息
「美桜ちゃん!!」
体に衝撃が走る。目を開けるとマリアちゃんに押し倒されていた。身長が十センチ以上離れているマリアちゃんに抱きつかれたのだ。押し倒されても仕方がない。私の体幹がないのも問題だが、頭を打たなかっただけでも良しとしよう。
周りには犬飼先生、花梨さん、柏木さん、佐久間さん、翼さんがいた。焔くんも傍にいる。まだ二チームが戻ってきていない。どうやら一番最後ではなかったようだ。
「良かった、マリアちゃんもゴールしてたんだね。」
「もちろんだよ。」
「マリアちゃんってば一つ目のヒント見てすぐにゴールしちゃったんだよ。」
柏木さんが私の顔を覗きながら言った。やはりアリスのことに関してならマリアちゃんの方が何倍も詳しい。私が心配することではなかったようだ。
「美桜姉、大丈夫か……?」
柏木さんとは逆の方向から顔をのぞかせてきたのは、言わずもがな焔くんだ。
「私は全然大丈夫だよ。それよりごめんね、ゴールするの、ぎりぎりになっちゃって。」
「いや……無事ならそれでいいよ。オレ、何も出来なかったし、謝るのはオレの方だ。」
「そんなことないよ。ありがとう、焔くん。」
私がもっとしっかりしていれば、もっと早くゴールできたはずなのだ。余計な心配をかけさせてしまった。私のせいで焔くんのソウルゲージが減少してしまったかもしれない。私のゲージ残量を確認したら45.8で減少は止まっていた。
「美桜ちゃん、ちょっと休んでなよ。休んでたら少しずつだけど回復するみたいだし。」
「あ、ごめんね、押し倒しちゃって……」
「大丈夫だよ。」
マリアちゃんがどいてくれたので、起き上がりながら息を整える。軽くとはいえ、一時間近く走っていたので、さすがに疲れた。ソウルゲージを確認すると、柏木さんの言う通り、少しづつ回復していた。
しばらくすると竜貴さんと桐生さんも戻ってきた。二人が戻ってくる頃には47.2まで回復した。
二人は会話をしているが、私の位置では何を話しているか聞こえない。少しすると竜貴さんは会釈をして花梨さんの元に駆け寄っていった。
桐生さんはさすが警察官と言うべきか、あまり疲れているようには見えなかった。じっと見ていると桐生さんと目が合い、思わず急いでそらしてしまった。見ていたことがバレた。でもやはりどこかで見たことがある気がする。一向に思い出せないけど。
そしてタイマーがゼロになった。まだ茜さんと霧花さんが戻ってきていない。つまり二人は……もう死んでしまったのだろうか。この部屋にいても他チームの様子が分からないため、何とも言えない。みんながざわついていると、またどこからともなくドゥが現れた。
「はーい、時間切れです。お二人ともぎりぎりでしたね。あと少し遅ければゲームオーバーでしたよ。スペードのお二人のようにね。」
「二人は……茜さんと霧花さんはどうなったの?」
「まだ生きてますよ。ほら。」
ドゥが指した方を見ると空間が歪んで二人が現れた。霧花さんはアリスだったはずだ。走っていたからか息が切れていた。だがそれ以上に茜さんの様子がおかしい。横たわったままピクリとも動かない。顔色も真っ白で生気が感じられない。霧花さんが抱き起こす。
「あらら……ファーストゲームで話せないほど疲弊するだなんて、よっぽど弱いんですねぇ。本城さまのソウルゲージを分けて差し上げたらどうです?どうせどちらももうすぐ死ぬんですから。最後の言葉くらい残したでしょうし。」
霧花さんの返事すら聞かずにソウルゲージを分ける方法を説明しだす。淡々と、でもどこか楽しそうな口調で癪に障る。方法は端的に言うと、自分と相手の首輪に触ってどのくらい譲渡するか呟く、という簡単なものだった。魂を明け渡す方法にしては随分簡単で杜撰なもののような気もするが。
霧花さんはドゥをにらみつけると、茜さんの首輪に触れた。二人の周りが淡い紫色の光に包まれる。光が収まると茜さんの顔色はだいぶ良くなっていた。その分霧花さんの顔色が青白くなっている。身体が傾き、倒れそうになる。一番近くにいた私とマリアちゃんが慌てて支える。
「霧花さん!?大丈夫ですか?私のソウルゲージを――」
「やめなさい。」
首輪に伸ばした私の手をぎりぎりのところでつかむ。
「死にゆく者のために、文字通り命を削るのはやめて。敗者は消えて当然なのだから。あなたたちはあなたたちのために命を使いなさい。」
つかんだ手をゆっくりと放して笑いかける。それは雑誌や雑誌で見る霧花さんとはかなり印象が違って見えて。
もともと霧花さんはあまり笑わない人だと言われていた。雑誌やドラマでも笑っているシーンはほとんどなく、冷静な人物を演じていることが多い。メディアのインタビューで微笑を浮かべている程度だ。共演した子役と自然な笑顔で遊んでいるオフショットが、他の共演者によってネットに流され、一部でかなりの話題になったこともあるほど。
そうだ。そのときの笑顔に似ているのだ。
「一気に譲渡したから疲労が出たんですね。むしろ倒れていないのが奇跡なくらいですよ。さすがは本城さま。これもお母さまの教育の賜物ですかね?」
「……安い挑発ね。もうあの人のことはどうでもいいわ。死んだら関係ないもの。」
「そうですか。では主様に感謝しながら死んでください。」
何を言っているのか理解できないが、ドゥの雰囲気からバカにしているのは伝わってくる。自分のことを殺す奴に感謝などできるものか。私が言い返そうと立ちかけたとき、霧花さんが制止する。我慢して座りなおした。
そのとき茜さんが身じろぎして目を覚ました。寝起きの頭では周囲の状況を理解できなかったようだ。何回か辺りを見渡し、最後に霧花さんの顔を見て目を見開いた。
「き、りか……ちゃん、ごめん、なさい……ごめんなさい霧花ちゃん……私のせいで、ゴールできなかったんですよね……ごめんなさい……」
「茜さん、大丈夫だから。私は別に執着も未練もないから死んでも構わないの。むしろ茜さんのために頑張ろうって思っていたのだけど……私こそ力不足でごめんなさい。」
「そんなっ……霧花ちゃんが謝ることじゃないのに……」
霧花さんと茜さんがお互いに謝っていると、ドゥが手を鳴らして視線を集める。
「はいはい、それいたちごっこになるので後にしてくださいね。時間はとるので。それよりもゲームの進行をしますよ。」
座ってください、と先程の椅子に座ることを促された。全員が椅子に座ったことを確認するとドゥもアンティークチェアに座った。何もしていないのに首輪が作動し、ボードが現れた。左側のソウルゲージの下に、十二人の顔写真が縦に二列、横に六列に並んでいる。
「では結果発表に参ります。今回のゲームは『不思議の国のアリス』をモチーフに作らせていただきました。ゴールするためにはアリスと同じ行動をとり、不思議の国から脱出しなくてはなりませんでした。知らない方のために説明しますと、アリスは襲い掛かってきたトランプたちに向かって怒り、ある言葉を叫んで目を覚まします。」
ボードの右側で追いかけっこをしていたアリスとトランプが動きを変え、それぞれの動きをとる。傍には懐中時計を持ったウサギがたたずんでいた。
「アリスが放った言葉、つまりただのトランプのくせに、と言えば簡単にゴールできたわけです。ちなみに一番早かったペアは藍原さま、柏木さまのペアですね。十二分八秒でした。そしてゴールできなかったのは本城さま、入澤さまのペアです。」
左側にある霧花さんと茜さんの顔写真にバツがついた。その下には小さくGAMEOVERと書かれていた。
「処刑には準備がかかりますので、しばらく待機をお願いします。」
また視界が歪む。慌てて目をつぶった。ゆっくりと目を開くと、テーブルと椅子はそのまま別の部屋に移動していた。
先程のなにもない部屋とは違い、テレビやベッドなどがある。三つあるテーブルの上には、どこにでも売っているような市販のお菓子が入った籠が乗っている。そのテーブルを挟むように、四人は座れそうな大きめのソファが置いてあった。まるでどこかの休憩室のように感じた。
「ミニ、案内を頼みましたよ。」
「承知いたしました。」
ドゥがそう呟くと、後ろから声が聞こえた。振り返ると執事服を着た男の人が立っていた。ミニと呼ばれた青年は柏木さんと同じくらいの身長で、歳も高校生くらいのように見える。
ドゥはいつの間にか消えていた。ミニに気を取られているうちに移動したのだろう。ドゥが座っていたアンティークチェアも消えていた。
それを確認したミニは私たちの顔を見渡し、頭を下げた。そして自己紹介と説明を始める。
「ドゥクトゥスさまの執事を務めさせていただいております、ミニと申します。見ての通りここは休憩所となっております。ベッドで睡眠をとっていただいても、テレビを見ていただいても構いません。外部との連絡はできませんが、それでもよろしいのであればスマートフォンもお使いください。」
ミニが指を鳴らすと、テーブルの中央付近に十二台のスマホが現れた。そのうちの二つは私とマリアちゃんの物だった。
「あ、俺のスマホ……」
他のスマホはみんなのものだろう。竜貴さんが声を漏らした。
「お食事は指定されたものを提供いたします。ここでの待機時間は一時間となっております。ドゥクトゥスさまの準備が一時間以内に終わろうとそれは変わりません。次のゲームに進む方はしっかりと休息をとり、ソウルゲージを回復させることをお勧めします。ここでゲームオーバーとなったお二人には最期の時をごゆるりとお過ごしくださいませ。お食事を指定する際など、何かありました名前をお呼びください。」
では、と言ってドゥと同じく消えていった。それと同時にボードに一時間のタイマーが表示される。
一番最初に動いたのは霧花さんだった。茜さんを誘い、近くのソファに腰を下ろす。竜貴さんたちも別のソファに移動する。私たちも続いて移動した。
「霧花さん、茜さん、ここ座ってもいいですか?」
テーブルの数が三つしかないため、二人のテーブルにお邪魔することにした。さすがに竜貴さんたちの邪魔をするのは気まずい。かといって男性たちの輪に入るのもはばかられたため、消去法で二人のテーブルしかなかったのだ。
「え、と……霧花ちゃんが良ければ……」
「もちろん良いわよ、どうぞ。」
ありがとうございます、と会釈をして、霧花さんたちとは逆のソファに、マリアちゃんと並んで座った。思っていた以上に柔らかいソファで、自然と体の力が抜ける。
その瞬間、そこそこ大きな音でお腹が鳴る。私のお腹の音だ。恥ずかしさのあまり、一瞬で顔が熱くなる。
「す、すみません……」
「ここに来る前からかなりお腹減ってたし、仕方ないよ。何か食べよ?」
「そうね。せっかくだし何か食べましょう。」
「女子会みたいですねぇ。」
三人がフォローしてくれたおかげで少しずつ顔の熱は下がっていった。女子特有のノリで、何を頼むか相談を始める。
せっかくだから好きなものを頼んでやろうと、スマホで食べたかったものを検索する。
「しかしまぁ……最後の晩餐に何が食べたいですかっていう質問はよくあるけれど、自分がそれに当てはまるなんて思ってもみなかったわね……」
「ですね……私はそのときの気分で決めたいと思っていました。今は……ラーメンの気分ですね。」
そういいつつスマホを操作していた茜さんは、思った以上にがっつりしたラーメンの画像をおずおずと差し出してきた。少し前にネットで流行っていた、こってりだけど野菜が多めで、全体的な量は少なめだから女性でも食べやすいと言われていたような気がする。
私はジャンクなものが食べたくなったので、某ハンバーガーショップのメニューを、マリアちゃんは甘いものが食べたくなったらしく、ハワイアンパンケーキのお店のメニューを見ていた。
「私は……どうしようかしら。お母さまの方針でカロリーが低いものしか食べたことがないのよね……最後に食べたいものなんて……」
「ラーメン一緒に食べませんか?」「ハンバーガーはどうですか?」「パンケーキどうぞ!」
私たち三人の声が重なった。先程ドゥが言っていた、お母さまの教育。霧花さんのことはあまり知らないが、話を聞いた限りお母さんとはあまり相性が良くなさそうだ。こんな時くらい美味しいものをお腹いっぱい食べてほしい。
とは言っても霧花さんの好みがわからないので、私たちが頼んだものをみんなでシェアすることになった。
「ミニを呼べばいいんでしょうか……」
「お呼びでしょうか。」
「び、っくりしたぁ……」
茜さんが呟いた言葉を待っていたかのようにミニが現れた。心臓に悪いのでやめてほしい。
「申し訳ございません……そこまで驚かれるとは思わず……」
ドゥとは違い、申し訳なさそうな顔をしていたため、怒るに怒れない。それに霧花さんはともかく、茜さんも意外と平然としていた。私が過剰に反応してしまったのかもしれない。
「ううん、私も過剰に反応しちゃってごめんね。」
「いえ、高宮さまのせいではございません。人間はテレポートを使えないのを失念しておりました。」
やはりミニも人間ではないのだ。ドゥもミニも見た目はただの人間だが、この二人もいわゆる魔族、と呼ばれる部類のものだろう。もしかしたら二人とも悪魔なのかもしれない。悪魔と言えばツノやシッポがあったり、ヤギのような姿をしているイメージがあるが、それも人間の勝手なイメージなのだろう。もしくは自由に姿を変えられる、とか。
なんにせよ今考えるようなことではないのでご飯の話に戻る。
「小さいサイズのものをたくさん種類を用意する、ということですが……もしよろしければビュッフェ形式にしてもよろしいですか?もちろん指定していただいたものも準備させていただきます。」
私たちの会話を聞いたであろうミニが、提案をしてきてくれた。たしかにその方がいい。みんなの意見が一致した。それを見たミニは、少々お待ちください、と言って消えた。
数分後、テーブルの周りの空間が歪み、様々な料理が乗ったワゴンが現れた。私たちが食べたいと言ったラーメンやハンバーガー、パンケーキはもちろん、ステーキやお寿司などあらゆる料理がある。アイスやフルーツなどデザート系もあった。
「お待たせいたしました。人間……日本人に人気だと言われている料理を中心にお持ちしました。足りないものがあれば改めて申しつけください。」
それから、と言って私たちのそばで片膝をつく。少しためらったかのように見えたが、私の気のせいだったのか、そのまま続けた。
「皆様に魔法をかけてもよろしいですか?詳しいことは話せませんが、魔法で満腹にならないようにできるのです。必要なエネルギーには変換されるので栄養は補給できますが……」
思ってもいなかった提案に、思わず顔を見合わせる。ほぼ初対面でそんなことを言ってくるなど、怪しすぎるが、しかし目の前にいる存在は人間ではない。
多分嘘は言っていない。というかそんなくだらない嘘をつく必要がないのだ。本当に善意で言ってきている、のだろうか。
本音を言うと本当にそんな魔法があるなら試してみたいが……
「美桜ちゃん、試してみたいって思ってるでしょ。」
「……バレた?でもマリアちゃんも思ってるよね?」
「もちろん。本当に安全なら、ね。」
マリアちゃんはそう言いながらミニに笑いかける。が、目は全く笑っていない。
やはりこの理不尽な状況に怒っているのだ。自分を守るために、ごまかすために、周りに心配をかけないために、出来るだけ明るくふるまっているだけだ。
美人は怒ると怖い、普段怒らない人が怒ると怖いというが、本当だった。マリアちゃんが怒っているところなんて見たことなかったのに。
「強制はいたしません。安全も保証いたします。そもそも私はあなた方に嘘はつけないのです。ご主人様にそう命じられているので。」
その言葉自体嘘かもしれない。私たちには悪魔の主従関係などわからないし、ドゥがそんなことを命じるとも思えなかった。
「……私はお願いしようかしら。というかその提案、私のためでしょう?もうすぐ死ぬんですもの。そんなくだらない嘘までついて騙す必要なんてないでしょうし。」
「霧花ちゃんがいうなら私もお願いします。」
二人が受け入れるというならば、素直に、というよりかは二人を実験台にするようで嫌だったので、マリアちゃんと四人で魔法を施してもらうことにした。
「では失礼いたします。」
ミニが霧花さんに手をかざすと、淡い光が生まれた。そして霧花さんの身体に吸い込まれていく。見た目には変化がないが、これで完了なのだろうか。
「これで、終わり?」
「ええ、ただお腹いっぱいにならないだけの魔法ですので、実感はあまり無いかと……食べればわかると思います。」
茜さん、私、マリアちゃんの順で魔法をかけてもらった。確かになんの変化も感じず、ちゃんとかかってるのかわからない。ミニの言うとおり、食べれば分かるのだろう。とりあえずミニにお礼を言って料理を取りに行くことにした。
食べ始めてしばらくすると、なるほど確かにお腹がいっぱいにならないことが分かった。食べても食べてもお腹に貯まらず、なんだか変な気分になる。だが確かにこれなら沢山食べられる。
みんなでワイワイ楽しく食べていると、翼さんと焔くんが近づいてきた。
「美桜姉の横座ってもいいか?」
「少しお話させて頂いても?」
断る理由はない。三人ずつ向かい合って座る。
「美桜ちゃん、席変わりましょ。焔くんも仲良い子と隣の方が安心するでしょう?」
何か含みのある笑顔で、そう言って立ち上がる。焔くんの顔を見ると、少し赤くなった気がしたが、気のせいだろう。移動した結果、片側に茜さん、私、焔くんの順に、もう片側に霧花さん、マリアちゃん、翼さんの順で座ることになった。
それぞれ話をしつつ、それなりに楽しんだ。この後のことは、考えないように。それでも時間は止まらない。少しずつ0へと近づいていく。
ピピピピピと電子音が部屋に響く。
一番端のテーブルの傍にドゥが現れた。
「皆様、休息は十分取れましたか?では、お楽しみの時間です。」
処刑の時間だ。