死への案内
「まずは首輪の機能から説明しましょうか。」
ドゥが座りながらそういった。思わず反射で首輪に触れる。さっきのような冷たさが返ってくるかと思いきや、気のせいかほんの少しだけぬるくなっていた。それが私の命を吸っているようで余計に気持ち悪さが増した。全員の首輪が振動した。目の前にホログラムのようなものが浮かび上がる。ホログラムの中央には何も映っていない枠縁が、右上には96.62という数字が表示されていた。
視線を逸らして周りを見ると、全員の首輪から光のボードのようなものが出ていて、まるでゲームのステータスボードを見ているようだった。そこで気付いたのだが、この光のボードはこちらからあちらは透けているのに対して、対面にいる犬飼先生のボードは透けていない。つまり正面からしかボードの内容は見えないのだ。
どうなっているのかわからないが、そもそもの話、科学ではなく魔術的なものに近いのだろう。アニメでは魔法具や魔道具と言われる類のもの。こんな状況でなければ大喜びしていたことだろうに。
「この首輪は皆様をサポートするものとなっております。右上に数字、中央に枠縁が表示されていますでしょうか。右上の数字は……こちらは後ほど説明させていただきます。中央の枠内にはこちらから説明をする際などに使用します。では次はデスゲームの説明に移ります。」
するとまた全員の首輪が僅かに振動し、枠内に早速映像が映りだした。
「デスゲームの内容は各フロアによって異なります。各フロアごとにゲームマスターがおり、ゲーム内容はフロアごとのゲームマスターに一任されております。このフロアのゲームマスターは僭越ながらワタクシが努めさせていただきます。」
ドゥはそう言いながら片手で軽くカテーシーをする。簡略的に行っただけのはずなのにかなりきれいだった。
「デスゲームを通じて皆様がゲームオーバー、つまり死に至るパターンは主に二つです。一つ目は先程言った、各フロアごとのゲームのルールに則った場合。もう一つは……右上の数字。これはソウルゲージ。わかりやすく言えばSAN値とHP……正気度と生命力を合算して可視化したものです。それが0になった場合です。」
全員が息を呑む。茜さんが特に狼狽えているように見えた。
自分の数字を見ると減少していた。現在は94.78だ。
「安心してください。回復する手段が無いこともないので。この数値は全員一律100から始まっていますが、減少率は人によって異なります。主に精神力の面では差が激しいです。気をしっかり保てば大丈夫です。図太く行きましょう。」
そんな事言われても精神的なことを操るなんて普通の人には難しいだろう。私なんかが出来るわけがない。そもそもこの数字は多いのか少ないのかどちらなのだろうか。まだ94.7というべきか。その回復手段とやらがいつあるかわからない以上、なるべく落ち着かなくては。ゆっくり落ち着いて深呼吸をする。
「あともう一つ。ワタクシ共には皆様がルールを破った場合や皆様に攻撃の意思があると思われた場合は、自己防衛として最大5までは削っていい権限があります。まあ物は試し、受けてみてくださいな。」
「えっ。」
ドゥが指を鳴らすと首輪が激しく振動し始めた。ビービーと派手な音も鳴り始めた。
その瞬間、形容しがたい痛みと気持ち悪さが全身に走った。脳をかき混ぜられているような、内臓を握りつぶされているかのようなそんな――
「がぁッ……ぁ……」
全員が椅子から転げ落ち、悶えている。
――死ぬ。
「あらあら大丈夫ですか?」
「とま、った……?」
数十秒、だったのだろうが、何倍にも思える時間だった。
「う……ぐうぅ……げほッ……」
途端に激しい吐き気に襲われ、吐きそうになる。胃と食道がうねる感触があったが、胃の中が空っぽなおかげか何も出てこなかった。ただ、それが余計に気持ち悪い。
「生きたまま無理やり魂の一部を奪われるというのは想像以上に気持ち悪いでしょう?まあワタクシどものルールに従っていただければ大丈夫ですよ。皆様の魂を奪うには主様の許可が必要なので、理不尽に奪われることはありません。主様は公平なお方ですので。」
「何が公平だ……無理やり連れてきてこんな扱い……公平だなんて笑わせてくれるね。」
桐生さんの言うとおりだ。これのどこが公平だというのだ。本当であれば今頃はレストランでマリアちゃんたちとご飯を食べているはずだったのに。こんな理不尽に連れ去った奴が公平?
すでに数値は86.45になっている。ショックと怒りのせいだろうか。現在も少しずつ減少している。
「それは仕方ありません。そういう契約ですから。」
「契約……?なんの?」
「もちろん我が主様との、ですよ。」
「なに、いって……」
そんなの身に覚えが全くない。悪魔が実在するのを知ったのですらさっき知ったのに、契約なんて交わしているはずがない。悪魔でもいいからとすがった時期でさえ現れなかったのに。今更になって契約があるからデスゲームをしろだなんて、意味が分からない。
「皆様との契約ではありませんよ。契約を結んだのは皆様の血縁者です。」
「……――は?」
「父母、祖父母、おじおば、もっと遠い先祖など。端的に言えば皆様は売られたんですよ。自分の魂を対価にしたくなかった方々に。」
「嘘……でしょ……どこが公平なんだよ!?ボクは……ボクはそんなことのために生まれてきたんじゃない!!」
柏木さんがテーブルに拳を叩きつけ泣き叫ぶ。柏木さんほどじゃないものの、ほぼ全員が動揺している。自分には何も関わりが無いのに悪魔に魂を売られるなんて……まるで奴隷じゃないか。
「公平ですよ。わざわざ生き残れるチャンスをくださっているのですから。他の悪魔だったら問答無用で殺されていますよ。主様は“ギブアンドテイク”を何よりも大事にされている方なのです。」
そんなこと言われても納得できる訳がない。今は叶えてほしい願いなんて無いのに。やっと今の環境を受け入れることができたのに。それを邪魔されたんだ。顔も知らないかもしれない人のせいで。
――でも私はそれに文句言える立場じゃない。ならば私がすべきことはマリアちゃんを無事に返すことだ。
そう決心してボードを見ると、数字の減少が止まっていた。現在の数字は83.68となった。
「納得できなくて結構ですよ。皆様が考えるべきことは自分が生き残ること、ただ一つです。せいぜい頑張ってください。ではワタクシのゲームの説明をさせていただきますね。」
再びドゥが指を鳴らした。またあれが来るのかと身構えたが、今度はテーブルの上にカードが現れただけだった。全部で十二枚あり、すべて裏になって伏せてある。見た目はトランプというよりはタロットカードに近い。
「早速ですが皆様一枚ずつ選んでください。あぁ、表の絵柄は見せあって大丈夫ですので。」
少しの間誰も動かなかったが、桐生さんが動いたのをきっかけに私たちも恐る恐る手を伸ばし、一枚手に取る。表には中央に『不思議の国のアリス』のアリスが、左上と右下に白いバラが描かれていた。トランプのようだったが、数字は書かれていない。
「そのカードには中央にアリスかチェシャ猫が、左上と右下にはハート、スペード、クローバー、ダイヤ、赤いバラ、白いバラのいずれかが描かれています。中央のイラストは役割を、左上と右下の絵柄は誰とペアになるかを表しています。一先ず絵柄が合う方とペアになってください。」
ドゥに言われた通りペアを探すべく、自分たちのカードを表にしてテーブルに置く。
ハート チェシャ猫:犬飼真人 アリス:鳥井花梨
スペード チェシャ猫:入澤茜 アリス:本城霧花
クローバー チェシャ猫:柏木柏 アリス:藍原マリア
ダイヤ チェシャ猫:佐久間陵 アリス:嶋倉翼
赤バラ チェシャ猫:猿渡竜貴 アリス:古谷桐生
白バラ チェシャ猫:津摩焔 アリス:高宮美桜
私は焔くんとペアになった。内容がわからない以上何とも言えないが、とにかく頑張るしかない。マリアちゃんと別ペアになってしまったことは残念だが、年上である私がしっかりしなくては。少しでも生存率を上げるために、ボートの枠内を凝視する。
「ではルール説明に参りますね。この後それぞれ別の場所に移動していただきます。チェシャ猫はモニター室へ。アリスは迷路へと移動していただきます。制限時間は一時間。ゴールできなかったペア、もしくは一番最後にゴールしたペアが最初の生贄になります。アリスの役割はもちろん迷路をゴールすること。チェシャ猫の役割はアリスをゴールへと導くことです。あとは移動してから説明させていただきましょうか。」
ドゥがまた指を鳴らした。ぐにゃりと空間が歪む。立ち眩みのような感覚だ。平衡感覚がわからなくなる。視界が暗転した。気がつくと生け垣の中に囲まれていた。移動、させられた。いわゆるテレポートだ。慌てて周りを見渡すが誰もいない。約五十メートル四方の空間に一人で立っていた。
生垣には赤いペンキが滴る白いバラが咲いていた。急いで塗ったかのようにムラがあり、中にはほとんど塗れていないバラもある。ひときわ目立っているのは金色に輝いている扉。まるで『不思議の国のアリス』の庭園だ。そして今は私がアリス。間違いない。ここでゲームが行われるのだ。
しかし迷路と言っていたのに入口らしきものが見当たらない。扉には取っ手すら無い。生垣に手を突っ込んでみようかとも思ったが、荊棘がみっちりと生えていて、怪我をするだけで終わりそうだったので辞めた。
垣根の真ん中には大きめの宝箱らしきものが置いてあったが、蓋を思いきり持ち上げようとしてもびくともしなかった。と、なるとあとは首輪に頼るしかない。テレポートしたときからボードは消えていたが、もう一度出せればなにか情報が得られるかもしれない。半分願いながらそっと首輪に触れる。すると首輪が振動し、ボードが出現した。
「NOW LOADING……?」
ボードの枠内にはそう書かれていた。ソウルゲージの数値は変わっていない。もう待つ以外無いように思える。仕方なく待つことにした。数分後、画面がようやく切り替わった。
「お待たせいたしました。候補者すべての方の首輪の起動を確認。こちらの準備も完了したのでゲームを進めさせていただきます。チェシャ猫はモニター付近のインカムを、アリスは箱の中のインカムを装着してください。ペアの方と繋がるはずですので試してみてください。」
ドゥに言われて箱に手を伸ばした。今度は力を入れなくても簡単に開いた。中にはインカムとレイピアが入っていた。とりあえずどちらも取り出してみる。
半年前までフェンシング部に入っていたため、レイピアの扱いには慣れているが、迷路でレイピアを使う場面が思い浮かばない。普通の迷路ではないのだろうが、戦闘もあるのであれば難易度も攻略法も変わってくる。最も悪魔が開催しているゲームの攻略法など、考えても意味はないのかもしれないけど。
そんなことを考えながら指示通りインカムをつけると、イヤホンから声が聞こえてきた。
「あー……聞こえるか?」
「焔くん?聞こえるよ。問題ない。」
少し気まずそうな声色をしている。ほとんどコミュニケーションをとらずにこんな状況になってしまったので、仕方がないといえば仕方がない。それに加え、年下の子と話す機会はあまりなかったので、どう接すればいいのか分からない。私がしっかりすべきなのだが……
「……さっきは話しかけようとしてくれてありがとな。役目はちゃんと果たすから心配しないでくれ。」
「えっ!?あ、いや、結局ドゥに邪魔されちゃったし、お礼言われることしていないよ。私も頑張るね。よろしく。」
なんというべきか言葉を探しているうちに、焔くんから話しかけてきてくれた。私が話しかけようとしたことに気づいていたようだ。本当にお礼を言われることなんかじゃないのに、かなり律儀な子のようだ。自己紹介のときはほとんどしゃべっていなかったので、緊張しているのかと思ったが、そうでもないように聞こえた。もうすぐ中学生とは言え、小学生にしては大人びている気もするが、その方が話しかけやすいからありがたい。
「皆様インカムは問題ないようですね。では次の説明に参ります。この後ゲームがスタートすると、アリスが居る垣根に迷路への入口が開きます。そこから迷路へと入り、ゴールを目指すわけですが、当然闇雲に進んでもゴールにはたどり着けません。迷路に散らばっているヒントを集めて脱出してください。ヒントがある場所はチェシャ猫のモニターに表示されます。協力しないと死ぬので頑張ってくださいね。」
枠内で説明に使われていたアリスとチェシャ猫の首が、落ちた。ゲームをクリアできなかったら、私たちもこうなると言いたいのだろうか。なんにせよ十二人の中から二人が殺される。集中、しないと。
「何か聞きたいことはありませんか?質問はゲーム中でも受け付けますが……」
数十秒の沈黙が流れた。
「無いようですね。では五分後にゲームスタートとします。ペアの方と作戦会議でもしててください。」
他のペアの様子は分からなかったが、誰も何も言わなかったのだろう。ドゥはそのまま進行した。画面が切り替わって五分間のタイマーがスタートした。
とりあえず焔くんと情報交換をするべきだ。インカムのマイクに向かって焔くんを呼ぶ。
「ん、情報交換だろ。オレがいる場所は……まぁモニター室としか言いようがないな。モニターが並んでいる部屋の真ん中に座ってる。モニターはついていないものの方が多い。一枚だけついているけど、それは自動的に……――ごめんなんて呼べばいい?」
確かにお互いの呼び方は決めていなかった。私は勝手に焔くんと呼んでいるが、向こうからしたら三歳も離れた知り合ったばかりの相手など、なんと呼べばいいのか分からないのは当然だ。呼び方なんてなんでもいいけど……
「私、弟が欲しかったんだよね。焔くんさえ良ければ美桜お姉ちゃん……とか……」
「お姉ちゃん……ねぇ。」
「いやなら別に呼び捨てでもなんでもいいよ!焔くんが呼びやすい呼び方で。」
少しの間沈黙が流れる。なれなれしすぎただろうか。
「お姉ちゃん、ね……じゃあ美桜姉、かな。」
「え、呼んでくれるんだ。」
思わず零れた一言に焔くんが笑う。顔が少し熱くなる。恥ずかしかった。
「えと、どこまで言ったっけな。……あぁそうだ。一枚だけついてるモニターは美桜姉の顔が自動的に追跡されるようになっている。だから美桜姉の視点が見えない。ヒントはゲームが始まってからじゃないとわからないみたいだな。」
やはり始まる前ではヒントに繋がるものはほとんどないようだ。案内役、というくらいだからヒントまでの道のりが記された地図でも出るのではないかと思うのだが。とはいえ次はこちらの情報を渡す番だ。
私からの視点が見えないのは少し厄介だ。ゲームが始まってからどうなるか分からないが、協力しなくては進めないのであれば私の視点からの情報も共有しなくてはならないだろう。
「私の顔が見えるってことは背後も見えてる?」
「ああ。」
「そっか。じゃあ私の後ろで何かあったら教えてもらっていい?」
さすがに後ろから襲われたら対処できない。焔くんが背後を見てくれているのであれば、私は前にだけ集中できる。
「保証はできないけどできるだけ気にするようにする。」
「わかった。距離とか細かいところまではわかんないよね。私が今居るのは約五十メートル四方の垣根の中。一つだけ金色の扉があるけど取っ手すら無くて開けられない。真ん中にはインカムとレイピアが入っていた箱が置いてある。武器が入っていたってことは、戦うこともあるかもしれないね。二年くらいだけどフェンシング部に入ってたから、レイピアはそこそこ扱えるつもりだよ。……私から渡せる情報はこのくらいかな。他に聞きたいことはある?」
「……今は大丈夫。ゲームが始まるまで時間がない。なるべく早く迷路に入るために入口に近づいておこう。」
焔くんの考えに賛成だ。ボードを見てみると残りはほとんど残っていなかった。入口がどこに現れるかは言われていないが、なんとなくは分かる。体力はできるだけ消費したくないので、歩いて近づく。
「……美桜姉?ドアの前じゃないのか?」
「ううん。扉の向かい側。多分こっち。」
「なんで?」
「焔くんはチェシャ猫。私はアリス。生垣には赤いペンキがついた白いバラ。ここは不思議の国のアリスをモデルに作られているんだと思う。作中で金色の扉を通ってバラの庭園に行くシーンがあるんだ。ちゃんと再現されているなら開くのは扉じゃなくて、扉の向かい側だと思うんだ。」
多分扉はアリスの世界観を表現すると共に、プレイヤーを騙すためのブラフだ。取っ手がないのも使用済みの扉だから。不思議の国のアリスを知っている方が有利な気もするが……
ゲームの内容もアリス絡みなら、マリアちゃんの心配はしなくていいかもしれない。マリアちゃんの方が不思議の国のアリスの話が好きだからマリアちゃんは大丈夫だろう。もっともマリアちゃんたちは違うフィールドかも知れないが。
「なるほど。確かに、アリスのストーリー関係なしにしても意地の悪いあいつがやりそうなことだ。美桜姉の判断に任せるよ。オレはただの案内役だし。アリスも詳しくないしな。」
焔くんも納得してくれたところで残り時間はもう十秒を切った。少しずつ緊張してきた。私の行動に焔くんの命がかかっている。
「ゲームスタートです。」
ドゥの声が無駄に響く。その瞬間、目の前の荊棘のツルが派手な音を立てて入口を作った。ボードのタイマーは一時間のタイマーに切り替わっている。
一時間後、誰かが死ぬ。それが焔くんにならないためにも、私は庭園に足を踏み入れた。