34, 歪んだ深層心理
今回の事件の根底にあるのは、両親の教育、いや思想とも言うべきか。
息子を自分の操り人形に仕立て上げようとして失敗し、そのまま無き者にした過去。
栃尾が澪に語った独白が真実であるなら、彼を人食いクマに仕立て上げたのは両親だ。
神奈川県警の報告だと断りを入れて、鷹村は言う。
「栃尾の両親は最初、聴取には否定的だったが、昼前にようやく全てを暴露したよ。
自分の息子が殺人鬼になっていくことに、薄々感づいていたと。
そして、棗アザカが見つからないよう、遺体を深く掘り直したこともな」
彼らも共犯だったのか、と碧と澪は絶望の眼差しで、遠く新緑萌える東山を眺めて、息を吐く。
「世間体、ですか?」
「それもあるが、もう一つは老後のために、彼をなにがなんでも官僚にしたいという親の意向からだ」
栃尾も言っていた、官僚になり損ねたから、親に捨てられたという言葉。
しかし、栃尾家の両親は国家公務員というわけではない。
なぜ、そこまでこの一族は官僚にこだわるのか。
「両親は共に小学校教諭。 いずれ定年は来るし、退職金と年金だけでは、老後破産なんて言葉もある、今の日本で生きるには心もとない。
そこで、期待の息子の登場だ。
一流大学を経て、エリート官僚になり、どこかへ天下りすれば、そこに流れてくる税金をちょろまかして、老後の資金に充てることができる。
そんな人生設計を立てていた。
金の卵を守るために、両親は、その残忍さと凶暴性にふたをしたってことさ。
女子大生が死んでも、自分たち支出が減るだけの話。 そうも言ってたそうだ」
そういうことか。 碧は茶碗を縁側に置いて、どす黒い瞳を癒すかのように、庭園の景色を睨みながら口を開く。
「自分の子供を、魔法のキャッシュカードにしたかったと、そういう訳かい。
カネ、カネ、カネ……ま、私らの生きてる世界では、当たり前の話だけどな。
ただし、使い方はどうあれ、カネの重さを甘く見る人間は、私からすれば下の下。 人を教え導く人間なら尚更そう。
税金と小遣いの区別もつかない大人なんて、ビー玉の使い方も分からん赤ちゃんと同レベルの稚拙さだ」
「カネは命より重い、と言われてもか?」
「関係ないね。 命がなけりゃあカネは使えない。
まっ、なんにせよ、その両親は、かなり重い代償を支払うだろうねぇ。
ただ、他人のカネで幸せに暮らしたいと願ったばっかりに」
碧の言う通り。
市井の人々は残酷だ。
司法が寛容な裁きをくだそうとも、彼らは電子の海に、栃尾家のプライバシーを洗いざらい流し、あるいはゴシップをまとめた紙の束をコンビニで買い、その中身を口伝するだろう。
この先の苦悩を想像すると、身をつまされるが、碧たちにとっちゃあ、知ったことではない。
栃尾は腕時計を見ると、ゆっくり立ち上がった。
「さて、もういいだろう。 俺は捜査本部に戻る。
4つの県にまたがる大事件に発展しちまったんだ。
しばらくは家に帰れねぇだろうなぁ……のほほんとしてる、お前たちがうらやましいよ」
「ご苦労様です」
碧の軽い敬礼に、鼻で失笑。
右手をひらひらと振りながら、無鄰菴を後にした。
再び残された碧と澪。
空も庭も、先ほどと何もかも変わらない。
「さて、私らも事務所に戻るか」
「うん」
茶碗を横に置き立ち上がった碧と澪は無鄰菴を出ると、漆喰の壁が続く裏道をゆっくりと歩く。
人通りも少なく、木漏れ日の差し込む暖かい午後。
散歩には気分のいい時間だが、澪はそうではないようだ。
自信なさそうに、隣を歩く碧に声をかけた。
「ねえ、碧」
「ん?」
「私のJターン……どうだった? 碧の言う通りに、上手くできてたかな?」
「さあ?」
「さあ、って」
自分の相棒ながら、あっけらかんと返してきたその反応にイラつきを見せたが、次の碧の一言で、澪は我に返った。
「だって、あん時私の車、ヤツのハコスカに弾かれてスピンしたじゃん?
あとからやってきた警部と一緒に追いかけたから、気づいたときには澪、橋の上で止まってたもん」
「ああ……そっか……」
銃なら分かるが、車の運転となれば、自分の腕がよかったのかどうか分からない。
自信を持てとは言われたが、常軌を逸した男に追われ続けていた手前、果たしてあのテクニックが正しかったのかどうか。
俯き加減に歩く相棒に横目で気づき、碧は昔話を始めた。




