33, 無鄰菴 ―捜査のその後
――翌日
PM 1:15
京都市左京区
無鄰菴
碧がアウディを引っ張り出した、シークレットガレージの近く。
水道橋で有名な南禅寺の南側に、風流な屋敷がある。
無鄰菴と名付けられたそこは、内閣総理大臣 山県有朋が建立した別荘。
その庭園は琵琶湖疏水を引いて川を流し、更に奥にそびえる東山をセットとして、一つの絵画のように見せる佇まいから、近代庭園の傑作と謳われ、日本の名勝にも指定されている。
また、母屋の隣に建つ洋館は、日露戦争開戦前の外交方針について、伊藤博文らとの会談が行われた、歴史の舞台としても貴重である。
そんな無鄰菴母屋の縁側に、並んで座りながら抹茶をいただく碧と澪。
のほほんとした、戦士の仮初の休息を、綺麗な風景を眺めながら噛みしめていた。
「いい天気だねぇ」
「そだねぇ」
あたまは空っぽ、遠い目。
吹き抜ける風、雲ひとつない青空が広がる庭に、脳も眼もほぐれるというものだ。
「昨日、たくさん食ったねぇ」
「そだねぇ」
「ワイン二本も空けちゃったねぇ」
「そだねぇ」
「赤字だねぇ」
「……それは、言わんでくれ」
懐だけは、どうやってもほぐれないが――。
さて、天使の勇敢な活躍により、連続殺人犯 ラスト・パンティ・キラーこと栃尾滉一が逮捕されると、ニュースは朝も昼も、この話ばかり。
事件系や暴露系を扱うユーチューバーたちも、それをコピーした内容を話したり、自分なりの推論を並べたりと、もはやこっちから情報遮断しなければ、いやでも目に入る状況であった。
事件が事件だけに、当たり前なんだろうが。
「にしても、遅くないか?」
「捜査で忙しいんだと思うわよ。
碧も見たでしょ? あのパンツの数。 多分、過去のデータベースとか洗い出してるはず」
実は、2人がここにいるのは情報デトックスというのもあるが、鷹村から、天使同盟の証明書を手に入れるためでもあった。
警察と天使運輸の間に結ばれる不逮捕契約、天使同盟。
その実行は、“天使”と記された交通違反の赤切符が発行された瞬間から行われ、この用紙こそが、同盟締結の証拠となる。
しかし今回は、緊急を要するために口約束で行われ、事件解決と共に、碧が鷹村に用紙を求めたのである。
「来たよ、碧」
「ん?」
噂をすれば。 建物の影から右手を挙げ、颯爽と鷹村が現れる。
新品のシャツにくたびれたスーツのアンバランスさを見るに、家に帰れず、徹夜だったのだろう。
そんな彼は、碧に赤切符を差し出すと、ゆっくり彼女の隣に腰をおろした。
「遅れて済まない。 さっきまで神奈川県警と、捜査報告会議してたもんでな」
突然出てきた他県の警察。
「神奈川農協?」
「あれだけワイン飲んどいて、よくもまあ、“あぶない刑事”観る余裕あったわね」
「肝臓強いのが取り柄だから……って、そんなことはいいさ。
タカ…あ、いや、警部。 神奈川県警が出てきたということは、ヤツが澪に喋った内容は、眉唾じゃなかったってことですね?」
鷹村は頷くと、この後警察が正式に発表することだが、と前置きしたうえで、捜査情報を先行して教えてくれた。
「今朝早く、神奈川県秦野市内の雑木林で、女性の白骨死体が見つかった。
こっちの科捜研でDNA鑑定を急がせているが、着衣や持ち物の名前から被害者は棗アザカという、東都大学に通っていた20歳の女子大生であることが判明している。
この子が当時、高校受験を控えていた栃尾の家庭教師だったらしいんだが、同時期に行方不明になったんだ」
「じゃあ、栃尾が言ってた最初のお嫁さんって――」
「彼女で間違いないよ。
おまけに見つかった雑木林は、栃尾の実家のすぐ裏で、その家の物置から、血でさび付いた牛刀が見つかってる」
顔をしかめた澪だったが、碧は、あることに気づき、鷹村にストップをかけた。
「ちょっと待ってください!
さっき白骨のDNA鑑定を、こっちでやってる、って言いましたよね?
神奈川県警じゃなく、どうして京都府警が?」
「彼の自宅を家宅捜査したところ、出てきたんだ。 額縁に飾られた、どの被害者のものとも合致しない、女性ものの下着。
それもかなり古くて、血がべっとりと付いたヤツがね。
調べると、その下着は2000年代初頭、神奈川、静岡、山梨に展開していたローカルチェーンの衣料品店でしか販売されていなかったものだと分かったんだ。
棗アザカの下宿先は同じ秦野市内にあり、実家は静岡の掛川市。
状況から見て、この下着は行方不明の棗アザカのものだとにらんで、目下捜査中というわけさ」
驚きに表情を固めた2人を横に、鷹村は運ばれてきた抹茶を一口すする。
彼もまた、この時間がつかの間の休息だった。
「並行して、あのジュラルミンケースから見つかった下着の持ち主も捜査中だが、こっちはヤツが、ご丁寧にラベリングしていたもんで、速やかに進んだよ」
「10枚ほどありましたよね? 中には小さい女の子のものらしきやつも」
澪の言葉に、鷹村は静かに頷く。
「正確には14枚。 今回の事件の犠牲者を抜けば、9枚だ。
そのうち3名が死亡し、事故として処理。 残る6名は、ケガを負い、傷害事件として扱われたものの未解決となってる。
栃尾は大学を卒業するまで実家暮らしだったそうだから、その間に襲われた被害者の下着だったんだよ」
「というと、ヤツは高校生の時から女性を襲っていたと!?」
「ああ。
朝倉の言ってるパンツの持ち主だが、栃尾が殺害を自供してる。
10年前、街で偶然見かけた小学生女児にひとめぼれし、その後公園のジャングルジムで殺したそうだ。
場所は東京都町田市。 警視庁が事故として処理してたよ」
すると鷹村は、リストだ、と言って被害者の情報と、事件発生場所がまとめられた一枚の紙を、澪に手渡す。
下から上へ、瞳を動かしながら、その情報をひとつずつのみこんだ澪は、あることに気づく。
9件全ての事件が、小田急沿線で起きていたことに。
鉄道マニアの彼女は、納得した。
小田急電鉄は、神奈川県小田原市と東京の新宿を結ぶ私鉄で、秦野にも駅がある。
おそらく高校・大学生で、車を容易に運転できなかった栃尾は、小田急電車を使って女の子を襲っていたのだろう。
そして、警視庁と神奈川県警という、ふたつの、そして犬猿の仲と噂の警察の管轄を巧みに行き来することによって、これが同一犯だと気づかれずに、犯行を重ねることができた。
その上幸か不幸か、警察もまた、下着が盗られているにも関わらず、情報共有することなく、事件性なしと結論付けるポカをやらかした。
すべてが栃尾に味方し、凶悪なモンスターが社会に放たれたということなのだろう。
そしてまた今、彼の中に眠っていた歪んだ野獣が放たれ、未来ある少女の命が奪われた。
ため息混じりに、澪はリストを返した。
「なるほど。 御立派な履歴書ですね」
一方、抹茶をすする碧の眉間には、しわが寄っていた。
お茶が濃いから? そうではない。
「警部。 ヤツの両親はなんて言ってるんです?
栃尾の言い分を聞く限り、彼らにも非があるように見えるんですが」




