9, カルト教団 有珠雅教
あれから数時間後――
夕焼けは段々と濃く、空は彼方から漆黒に塗り替えられ始めていた。
京都タワーもライトアップされ、商店や街燈にも仄かに電気がつく。
天使突抜の事務所。
碧は戻ってからずっと、瑞奉寺やコトリバコ、万念の言う交通事故について調べ続けていた。
お寺に関する収穫はゼロ。 コトリバコについても、ネットや関連書籍以外の情報は得られなかった。
市役所にでも出向いて、登記簿を覗けばなにか分かったかもしれないが、あいにく間に合わなかった。
――が、予想外の事実がここで浮かんできたのである。
「まいったなぁ……万念の言う事故は、ハッタリじゃなかったかぁ」
なんと、単独事故が起きていたのは事実だった。
4日前の午後6時、姫路市内の山陽道で、ミニバンがダンプカーに追突し炎上。 運転していた30代の男性が死亡していたのだ。
神戸新聞のウェブ記事。 事故現場を捉えた写真も添付されているし、信憑性は確かだろう。
が、しかし、男性の年齢も名前も、記事には記載されていなかった。
記事も「警察は、詳しい事故原因を調査している」とのテンプレで終わっている。
「もしかして、コトリバコも眉唾じゃないってことか?
んえ~……だったら、あのメルセデスはいったい何だったんだ?」
天使突抜の事務所。
テーブルの上にノートパソコンと本の山を積み上げ、ソファに倒れこんだ碧。
髪をくしゃくしゃをかき乱す彼女のもとに、澪がドアを体で押し開けながら現れた。
湯気の浮かぶトレーを手にして。
「碧、夕飯出来たよ~」
「ありがと。 メニューは?」
「しめじと舞茸の和風スープスパゲティ」
「お~! そりゃあ美味そうだ!」
碧の気分が、地獄から天国へ。
スイーツもそうだが、料理も澪の十八番だ。
和食、洋食、中華、トルコ料理。 なんでもいける。
本とノートパソコンを脇にどかし、スペースを開けたテーブルに、彼女の作った料理が並ぶ。
キノコがふんだんに使われたスパゲティ。
おだしの香りに、刻み海苔がのっているのもうれしい。
「いただきます!」
「どうぞ~」
向かいに澪が座り、手を合わせて夕餉をいただく。
パスタを一口。 キノコとだしのほんのりとした優しい味わいが広がっていく。
「おいしい!」
「ありがと」
いっときの日常。
半分ばかり食べ終えたところで、澪が切り出した。
「さっき、京都日報にいる知り合いの記者から返事があったわ。
あの瑞奉寺についての、ね」
「んで、どうだったの?」
碧もフォークを置いて、彼女の話を聞く。
「あのお寺、有珠雅教の関係者が出入りしてるそうよ。
どうやら誰にも知られていない、教団施設の可能性があるみたい」
教団の名前に、彼女は聞き覚えがあった。
「それって、最近話題になってるカルト教団の?」
「ええ、そうよ。
正式には有珠雅の焔教団。 昨今の不景気や戦争による政情不安、そんな世の中の閉そく感に、もがき苦しむ人々につけこんで、急拡大している新興宗教団体。
教祖は年齢性別一切不明、幹部ですら正体を口にしない謎の人物 X。
世界の終末を告げる最後の審判、カタストロフィが起きると説き、信者を洗脳して多額の献金を集めているっていう話よ」
そこまで話すと、この先は碧が話を継いだ。
「去年の6月、だったかねぇ。
教団に金払い続けて病んだ男が、カタストロフィを食い止めるためとか言って、気象庁にダンプで突っ込み、5人を殺した事件。
あれで一躍、名の知れたカルトの仲間入りを果たした訳で」
「全国で被害を訴えている元信者や家族は約百人。 その中には献金だけじゃなく、共同生活をしていた道場での暴行や性被害を訴えてる人もいるわ。
目下、警視庁と警察庁が捜査中よ。
政府も、将来的な解散請求の提出を見据えて、水面下で動き始めたらしい。
最も、どちら様も教祖Xが誰なのか分からないから、てこずってるみたいだけど」
「さっすが文屋さんだ。 情報が早いことで」
感嘆しながら、食べかけのスパゲティに手を付け始める。
そんな碧に、澪は逆に聞いてみた。
「で、そっちは?」
「姫路の事故は本当に起きてたよ。 運転手がひとり死んでる。
けど、被害者が寺の檀家かどうかは分からない。
それよりも、万念が出した最適解っていうルート、これがどうにも気持ち悪いんだよねぇ」
「ちゃんと見てなかったけど、どんなルートを走れって言ってるの?」
碧が手渡した紙は、ネット上の地図をコピーしたもので、その上から赤い線で道路がなぞられていた。
「えーっと……京都市内を抜けて、そのまま南下。
田辺西インターからバイパスに入って、2つ先の精華学研インターを降りる。
その後はぐるーっと奈良市内を西へ走り、生駒市に入って北上。
山を越えて、大阪交野から第二京阪道に乗る。
門真JCTで近畿道、松原JCTで名阪へと走り、藤井寺インターで降りる。
あとはひたすら、河内長野まで一般道を南下、と。
……え? なにこれ?」
澪は地図を凝視しながら、その奇異なルートに嫌悪に似た違和感を受けた。
自動車道に乗ったかと思えば、すぐ一般道に降りたり、市内をぐるぐる回り続けたり。
とてもじゃないが、“最適”と呼ぶには程遠い。
「な、変だろ?
ざっと計算してみたけど、このルートの所要時間は3時間半ぐらい。
高速道を使えば、深夜で車の数が少ないってことを考えると、これの半分で到着できる。
人ひとり死んでる呪物なら、すぐに運んで除霊したいって考えるのが普通のはずさ」
「コトリバコの封印はまだ仮で、危険なことには変わりないっていう、万念さんの言葉とも矛盾するわね」
頬杖をつき、相変わらず地図とにらめっこの澪。
自分が作ったパスタが冷めていくことを、頭の外に置いたまま。
「なにかあるんだよ。 このルートでなければならない理由が、なにか」
相棒の手料理を完食。 碧はごちそうさま と手を合わせて、彼女に言った。
「明日、市役所に行って、瑞奉寺の登記簿を見てこようと思う。
最近動かしてない車の、メンテも兼ねて。
あの寺が教団の持ち物なら、なにか手がかりがあるはずだからさ」
「そうね。 私も時間ギリギリまで、教団について手当たり次第に調べてみるわ。
目的地だって言ってる千早縁納寺についてもね。
もしかしたら、このお寺も大阪の教団支部の可能性があるわ」
「だな。 よろしく頼むよ、相棒」




