22, 何故、澪を狙ったか
「一つだけ聞かせて。 なんで、私を狙ったの?」
「君に一目ぼれしたからだよ」
そう、どうして澪を襲ったのか。
栃尾の殺人が、捻じ曲がった愛の体現化であることは分かったが、ならばなぜ彼女だったのか。
どれだけ記憶を手繰り寄せようと、栃尾という名前は浮かんでこない。
それ以前に、ここ1年の間に、京都彩加大学がらみの依頼なんて、ひとつも受けていないのである。
「どこかで会った?」
「つめたいなぁ~。 僕と目が合った瞬間、気づいてくれたじゃないか。
覚えてないの?」
そう言われても、分からないものは分からない。
首を左右に振る。
栃尾は友達感覚で、軽く思い出させようと迫る。
「ほらぁ~、忘れちゃったの? つい今日の話じゃん」
「今日?」
「UJIカントリーサーキット」
今朝、碧とドラテクを練習していた場所。
何故? どういうこと?
あの朝、サーキットにいたのは2人だけだったはず。
その瞬間、澪はJターンを練習中、激しい嫌悪感に襲われたことを思い出した。
不快な獣の眼差し。 まさか、コイツが!?
「あのサーキット場には、僕もよく行くんだ。
京都でハコスカをのびのび走らせられるのは、あそこしかないからね」
すると、彼の話は、ハコスカへと脱線する。
外に停まった彼の愛車は、差し込む夕日に妖しく輝く。
「この車はね、三年前に僕が初めて買った車なんだ。 以来、時間があればサーキットで走り込んだし、ファンクラブにも入ってた。
何があっても手放したくない、大事な車さ。
でも、今朝行ったのは走るためじゃない。
ハコスカと同じくらい大事なエンゲージリングを、隠しておくためさ」
「なるほど。 アナタほどのサイコ野郎でも、警察に捕まるのは怖いんだ」
「僕は捕まっても構わない。 大事なのは、エンゲージリングの方だよ。
捜査だの鑑識だのって、見知らぬ男たちの手で、僕のお嫁さんの大事なリングが、触られ、汚され、犯されるのを想像すると、どうしてもガマンできない」
そう言いながら、栃尾は自分のポケットから、澪のロードスターのカギを取り出すと、ロックを解除。
鍵をそのまま、倉庫の床に放り投げると、トランクから標本の入っているケースを取り出した。
「だから、新京極のトイレで彼女を開放してあげた後に、その足で宇治のサーキット場に行ったんだ。
あの裏手には、使われていない古い倉庫があったからね。
そしたら、澪ちゃんたちがいた。
健気に運転を練習する姿、真剣な目つき。
僕は君に一目ぼれした。 君のエンゲージリングが欲しくなった。
そこから僕は、この車のナンバーから所有者、そして天使運輸の存在を知って、アプローチをかけたんだよ。
澪ちゃんと、2人きりになりたかったから」
「私のこと、澪ちゃんって呼ぶのやめてくれる?」
眉間にしわを寄せ、嫌な顔で睨みつける。
ラブストーリーは突然に、とはよく言ったものだが、こんなもん、嬉しくもなんともない。
「そんなこと言わないでよ。 これから暫く、2人で愛を確かめ合う中なんだから」
「ねえ、ひとりメルヘンしてるとこ申し訳ないけど」
「ん?」
「忘れたの? 私たちのルール。
私たちに嘘をついたら、それ相応の制裁を与えるって、ちゃんと説明したことを」
栃尾は、まだそれがハッタリだと思っているようだ。
「どうやって、するんです?
澪ちゃんは手を縛られてて、あのクソアマは、僕たちがどこにいるか分からない」
再びしゃがみ込み、澪と視線を合わせると、ロングスカートの上から彼女の太ももをさすり始める。
「そう、ココは今、僕たち2人だけの教会。
これから君は、僕と結ばれるんだ」
更に、ズボンの右ポッケからカッターナイフを取り出した。
チキチキと晒しだす刃先には、錆びた血がべったり。
昨日今日の被害者だけで、こうはならない。
大阪で殺された被害者も、このカッターで殺されたのだろう。
「僕のナイフと、君のエンゲージリングでね。
さて、最初はどこから切りつけようかな。
昨日の子は心臓をかき回したし、今朝の子は磔にしながら、おっぱいにお習字したし……。
やっぱ、僕が一目ぼれした……その淡くて美しい瞳を抉っちゃおうかな」
そんなことを呟きながら、うっとりと笑い、自分の世界に入り込もうとする栃尾。
澪は涙を浮かべて―― なんて、安い映画のようにいくはずがあるまい。
彼女は汚物を見る目で、彼を睨みつける。
こんな奴の欲望なんざ、満たしてたまるか、という確固たるものが、彼のほめたたえた瞳の奥に燃えていた。
「フッ」
突如、澪が笑った。
口角をわずかにあげて。
カッターをまぶたに当てていた栃尾は、その状況に笑顔を消して、顔をしかめた。
今まで殺した女の子の反応と、全く違う。
というより、これは僕の知っている小説通りの展開じゃない、の方が感情として正しいだろう。
不安だし不愉快。
「なにがおかしい……なにがおかしいんだよぉ!」
感情に任せて怒鳴りつけた栃尾は、思い切りカッターを振り上げた。
栃尾はまだ気づいてない。
でも、澪の耳に確かに届いていた。
ハコスカの時と同じ、砂利を踏み走る音が。
荒々しく近づいている。
「あなたには聞こえないのかしら?」
「なにっ?」
「大天使が高らかに吹き上げる、あの角笛のハーモニーが」
「なんだ! なにがいいたいっ!!」
澪は、自信をもって言い放つ!
彼のすべてを砕き割るために!
「最後の審判よ」
刹那!
パアーッ!
「なにっ!」
外から迫りくるクラクションに、栃尾はようやく気付いて狼狽。
慌てて倉庫を出ると、向こうから真っ赤なアウディ クワトロが、彼を引かんばかりの勢いで突っ込んできた。
間一髪、飛びのけたが、ハコスカの脇をすり抜け、その先の船揚げ場で横滑りしながら停車したクワトロ、その中から出てきた人物に、栃尾は更に青ざめてしまう。
「見つけたぜ、栃尾。 いや、ラスト・パンティ・キラーさん」
神崎 碧だ。
夕方の涼しい風に、幼さの残る茶髪のボブカットを揺らして。
「ひっ、ひいっ!」
「待てっ!!」
栃尾は急いで体を起こすと、ハコスカの運転席に飛び乗り、猛スピードでバック。
スピンターンを決めて、来た道を戻り始めた。
今なら、車に飛び乗って追いかけられる。
が、それ以上に大事なことは――。
「澪っ!」




