21, 狂気に満ちた男
守山市内にある廃マリーナでは、相変わらず、澪と栃尾の攻防戦が繰り広げられていた。
依然と彼女は、両手を縛られたまま、依頼人だと思っていた殺人鬼に見つめられている。
もしもしピエロ行きだったら、どれほどよかっただろうか。
勇気を振り絞り、澪は訪ねる。
「どうして、こんなことをするの? なんで、こんなに大勢の女の子を殺したの?」
こういう場面では、至極正統な質問だ。
栃尾は何と答える気か。
「殺す? なに言ってるの?」
キョトンと言った具合。 丁寧な言葉使いもなくなり、友達と話すかのように、グイグイ距離を縮めて語り始めた。
「あれは僕が考えた、愛情表現。 世界中で僕しか思いついていないし、誰も真似していない、愛の告白なんだ。
世界で誰よりも、あなたを愛してる。
それを言葉じゃなくて、行動で示せるし、相手も分かることができるんだ。
例えそれで死んだとしても、最後に愛を囁いてくれたのは僕だけなんだから、天国から僕のことをずうっと、想ってくれるはず。
どう? 素晴らしいことでしょ?」
狂ってる。
栃尾の声は弾んでいた。
なのひ表情も、瞳の瞳孔も、普段会話する人間と変わりがない。
ザ・サイコパスという姿ではないのだ。
それが、とても怖い。
「愛? 未来ある子供を殺して、大勢を不幸にすることが、愛だって言うの?」
「君みたいな、裏社会の人間が、そんな安いセリフを吐くだなんて……まったく失望だよ。
愛が深いゆえに、相手の命を奪うなんて話、図書館に行けば沢山みられるじゃないか。
小説にだって、そう書いてある。
私は、そうやって愛を学び、自分だけの愛情表現を見つけたのさ」
「まるで、人と一切触れあわなかった、って言いたいみたいね。
生物学と一緒で、研究に研究を重ねて、歴史的大発見をした、とでも?」
すると、栃尾は一瞬顔を晴れやかにした。
ニコっと、すがすがしい笑みを浮かべて。
「わかるかい? 僕の凄さを?
失望したなんて言葉、前言撤回しよう。 そう、私は全てを独学で見出した凄い人間なんだ」
なにかスイッチが入ったのか。
栃尾は立ち上がると、グルグル歩き回りながらペラペラと、理解者と決めつけた澪に向かって、演説を始めたのだ。
「僕の両親は、先生だったんだ。 毎日他の子に勉強を教えていたから、一緒にいる時間はほとんどなかった。
そんなお父さんとお母さんの間に生まれた僕は、誕生した時から、ある使命を持ってたんだ。
私立の幼稚園、小学校に入って、一流中学高校を受験して、国立大学に入って、国家公務員試験を受けて、霞が関の官僚になって、省庁の関係企業に天下る。
天下り先に流れる税金で、お父さんとお母さんに親孝行する。
それが、僕の生まれた意味だって教わった。
だから僕は、1歳の時から勉強を始めた。
30分で九九を覚えられなかったら、マグカップで何度も殴られたりしたなぁ。
歯の磨き方も、お買い物の仕方も教えてくれなかったけど、全部本を読んで覚えた。
小学校を卒業するころには、全国模試も1位、日本国憲法も暗唱できたくらいなんだ。
でもね……中学受験失敗しちゃった」
澪は気づく。
いや、気づきたくなかった。
過去の話をすればするほど、彼はどんどん幼くなっていく。
閑話休題か、右手の親指を立てて口元に持っていくと、カリカリと爪を噛みだし、やがて口の中にこぼれたそれを、ゆっくり噛んで、ゴクンとのみこむ。
背筋を冷たいものが走る。
最初に出会った時の、物腰低い雰囲気は、もう無くなっていた。
「県内1位の学校を受けたのに、落ちちゃって、2位の学校に入っちゃった。
そしたら、お父さんもお母さんも口をきいてくれなくなった。
ご飯も用意してくれない日もあったし、お洋服も買ってくれなかったから、万引きした。
そこから、たくさんたくさん勉強して、一流の高校、一流の大学、受かっても同じだった。
税金を払う子は用なしだ、って。
けど、一番大変だったのは、勉強じゃなくて、お友達や恋人の作り方。
だって、誰とも遊んでも口をきいてもいけないって教わって生きてきたから、どうすればいいか分からなかったんだもん」
気づいているのか?
口調がどんどん子供になってやしないか。
目に見えて狂い始めた。 澪の恐怖ゲージが一層引き上げられる。
「お友達をつくろうとしても、どうしていいか分からなかった。
かわいい女の子がいても、どうやって、大好きだよ~って伝えていいか分からなかった。
だから僕、図書館に通って、本を読んで、必死に勉強したんだ。
本を読んで勉強すると、答えが見つかるでしょ? だから、人との付き合い方もみつかるんじゃないかなぁって」
「それが、人殺しか」
「うん!」
無垢な笑み。
「あとは、他の子の見よう見まね。
あ、それでも最初は失敗しちゃってね、階段から突き落としたり、花瓶を投げてみたり。
学校が事故だって言ってくれたから、良かったけど。
それでも、ケガした子、お友達になってくれなくてね。 言葉に出さないと、お友達って作れないって分かったから、その後は、お友達になろうって、声かけた」
そんなことで、友達の作り方なんて学ぶな。
突っ込みたくても、澪に余裕がない。
ここまでネジのぶっ飛んだ野郎は、久しぶりすぎる。
羊たちすら、チビって沈黙しちまいそうだ。 現に澪は沈黙してるが。
「でも不思議だね。 お友達の作り方って本を読んでも大抵一緒なのに、好きな女の子に自分の愛を伝えるって、いろんな方法があるんだもん。
まるで、国語みたい。
でも、ある小説に、胸がドキドキする愛の告白の仕方が書いてあったんだ。
好きな女の子を連れ去って、体をナイフで切り刻みながら、愛してるって言い続けるの。
女の子は泣きながら感謝の言葉を述べて、最後にふたりは結ばれるんだ。
純白のパンティっていう、エンゲージリングを両腕に通して。
もっとも、その小説だと、浮気相手のエンゲージリングは、オシッコでびちゃびちゃだったから、通すのが大変だって書いてあったけど……本当だったなぁ」
澪の身体を、ぞわっとするものが走った。
首筋をネズミが這うような。
彼女も気づいたのだ。 自分が何を運ばされていたのかを。
「ま、さか……あの標本って……」
「うん。 ナマズの標本はハッタリ。
あの中には、僕のお嫁さんの、エンゲージリングが入ってるんだ。
昨日好きだよって告白した女の子が漏らしちゃって。
おかしいよね? オープンキャンパスで僕のところに来た時、上目遣いで話を聞いていたのに、告白したら、嫌だ嫌だって、死にたくないって」
もう、これ以上聞きたくない。
こっちが狂いだしそうだ。
「そう思うと最初のお嫁さんが、いちばんよかったなぁ」
「……最初?」
「高校受験のお勉強教えるので来てくれた、大学生のお姉さん。
とってもオトナな女の人でね、長い黒髪がとっても綺麗なの。
だから、大好きです、僕のお嫁さんになってくださいって勇気を出して言いながら、牛刀で首とおっぱい刺したんだ。
でも、最近告白したこと違って、なぁんにも言わなかったんだよ。
僕の部屋に大の字に倒れて、口をパクパクさせて。
あれって、私も大好きだよ、ひとつになろうって意味だよね? ウフフっ」
もう無理。
歯を食いしばり、相棒の到着を願いながら、これ以上の狂気から話をそらすために、もうひとつの本題に入ることとしよう。




