12, 煽り運転
「殺そうとした?」
倉門が大きな声を上げ、上司の鷹村と顔を見合わせた。
穏やかじゃない。 栗生の話を聞こう。
「彼は、大学生のお兄さんとイベントに参加していた、ある女の子に猛烈にアタックしていたんです。
それだけでも、ドン引きでしたけど彼女、ブレザー姿の女子校生だったんです。 なんでも、寝坊しそうになって、慌てて着替えたら、いつもの制服だったとかで。
いい年した兄ちゃんが、JKなんてナンパするかぁ、って、他の参加者と一緒に呆れてたんです」
「その兄妹の車も、ハコスカですか?」
「いえ。 ホンダ シティの初代モデルで、確か堺から参加してたんだったかな……なので、私たちとは面識がありませんでした。
綺麗な赤い車でした。 きっちりメンテしていて、車愛にあふれてましたよ」
ホンダ シティは1981年に登場した軽自動車で、その中でも86年まで生産された初代モデルは、特に人気が高い。
背の高い屋根に丸目ライトというオモチャのような見た目に、折り畳みバイクが積める荷室が大きな話題を呼び、当時のキャッチフレーズ “シティはニュースにあふれている”と共に、一大ブームを巻き起こした。
「で、彼のナンパがあまりにもしつこすぎて、シティのオーナーのお兄さんが、遂に怒って、取っ組み合いになる寸前になってしまったんです。
その時は、運営さんが飛んできてくれて、騒動にはならなかったんですが、問題はイベントが終わった後でした。
高速道を走行中、偶然私たちのハコスカを、そのシティが追い抜いたんです。
岡山から堺に帰る道ですから、まあ、急いでいたんでしょう。
その瞬間、彼のハコスカが突然、ウィンカーも出さずに追い越し車線に入ると、ものすごい勢いで、ビートを追いかけ始めたんです」
「あおり運転ですか」
倉門の言葉に、はゆっくり頷く。
その顔には、フラッシュバックしているのか、脂汗がにじむ。
「昼のこともあるし、これは、ただ事じゃないと、私たちも、彼の後を追いかけました。
相手は軽自動車、それも今のように、事故っても完璧に安全とういう車ではありません。 ハコスカに詰められれば、どれだけの恐怖か。
ましてや、乗っているのはついさっき、執拗に付きまとっていた男。
私らもやめろ、という意味を込めて、後ろから彼のハコスカに向かって、クラクションとパッシングを繰り返しました。
ですが、止まる気配はありませんでした。
そして目の前で、最悪の事態が起きたんです」
何が起きたのか、想像せんとも分かる。
特に鷹村は、天使運輸と関係を持って以降、こういうクラシックカーについて、にわかながらも、ある程度は理解していた。
馬力は今のGT-Rには程遠いが、ハコスカがシティを全速力で追いつめたらどうなるか、分からない方が《《にわか》》というものだ。
「2キロほど、後ろから車間を詰めて煽り続けたかと思うと、走行車線に逃げたシティに幅寄せし、インターの分離帯に激突させたんです。
出口にトラックがいたのと、恐怖でハンドルを切り間違えて、事故ったと言ってました。
綺麗な赤い車は、横転して大破。 信じられないことに、彼のハコスカは何事も無かったかのように、その場から走り去ったんです」
滴る汗を袖でぬぐい、悲劇は終わりへ。
「私は野際を、その場に残し、彼のハコスカを追いかけました。
何とか進路をふさぎ、次のサービスエリアへ。
車を降りた瞬間、私は目を疑いました。
彼、スマホで電話しながら車を降りてきたんです。 それも相手は同じKSFの仲間で、お子さんが明日手術するという人でした」
「じゃあ彼は、煽りながら、電話をかけていたと、そういうことですか?」
「あとで、その人に聞いたら、間違いないと。
目の前で車が事故った、と、他人事のように言っていたそうですから。
彼は、まだ大学生の子が運転する車を事故らせながら、子供の手術の様子を気に掛ける言葉を投げかけ、励ましていたそうですよ」
あまりの出来事に、鷹村も唖然とするしかない。
どういう神経をしていたら、そんなことができるのか。
「電話を終えた途端、問い詰める私に、彼は顔を向けました。
それまでの笑顔を消して、こう、カクンと、能面みたいな無表情を。
そして私の顔面を、思いっきりぶん殴ると、呆然としてる私に、彼は確かに言ったんです。
“野際はどこだ? メシにしたいから、さっさと呼べ” って」
もう、何も言えない。
「結局、私たちの車は旧車で、誰もドラレコをつけてなかった上に、当時周辺には他の車はいませんでした。
ハコスカの調子が悪かったという彼の証言がまかり通り、大した罪にはなりませんでしたよ」
「で、シティに乗っていた兄妹は?」
「妹さんは左腕を折る重傷で、当時パニックで泣き叫んでいたそうです。
お兄さんは無事でしたが、事故後、車は廃車に。
親しかった方によると、民事の方も示談成立で終わったそうですが、妹さんは今も、事故のショックで精神科のカウンセリングに通ってるといいます」
「ひどい話だ」
そこまで話し終わると、柏田が差し出した水を、栗生は一気に飲み干した。
コップを持つ手が、終始震えている。
「しかも事故後、他の旧車オーナーたちの話から、彼が今回以外にもイベントで、主に女子校生や女子大生に対してナンパまがいのことをしていたこと、信号無視や割り込みなどの交通違反をしていたことなどが分かり、我々も、そんな人をメンバーにしてはおけないとして、KSF出禁にし、その名前もOB欄から永久追放という措置を取ったんです。
それでも、あんな奴を出したってことで、今もクラシックカー愛好家の間から、鼻つまみ者にされているんですけどね」
しかし、鷹村たちにとっては、これほどまでの収穫は無い。
彼の凶暴性、残忍さ、なにより10~20代女性に対する偏執的なアプローチという点で、かなり重要な証言が取れたのだから。
鷹村は倉門に指示を出す。
「倉門。 至急岡山、兵庫両県警に連絡して、確認取れ」
「半年前に発生した、ハコスカとシティの接触事故、ですね?」
「ああ。 それと、そんだけの事故を起こしているなら、指紋を採取されているはずだ。
データベースから奴の指紋を探し出して、向日、新京極両現場で採取された指紋と照合しろ」
「了解! 科捜研にも連絡入れます!」
倉門はスマホを取り出しながら、事務所を後にした。
「この写真、お借りしてもよろしいですか?」
「どうぞ持っていってください。 このオーナーズクラブ、唯一の黒歴史ですから」
冗談ぽく言う柏田の目は笑っていなかった。
アルバムから抜き取られた写真を、再度見て、鷹村は聞く。
「最後に改めて確認しますが、防犯カメラ映像のハコスカと、シティをあおったハコスカは同じなんですね?」
「ええ、間違いありません」
「そのハコスカのオーナーが、この人?」
鷹村は写真を指さすが、2人はそれを見ずとも、眉をしかめて、忌々しい彼の名を口にする。
「そうです。 栃尾 滉一です」
サメのステッカーが貼られたハコスカの前に立つ、オーナーの男。
30代後半くらいの、人当たりのよさそうな男。
そう、彼こそ、女子校生2人を惨殺した殺人事件の容疑者。
「ナンパで落とせなかった女子校生を、殺そうとした……か」
そして、今まさに、天使運輸に依頼をしてきた栃尾、その人であった。




