7. 研究員からの依頼
AM11:00
京都市南区
カムロホテル京都八条口
東海道新幹線開業以降、JR京都駅南側の玄関口として機能し続ける八条口。
2016年には、八条通の混雑解消や、バリアフリー化などを目的に行われていた再整備工事が完了し、より近代的で使いやすい駅前として生まれ変わった。
そんな八条口側には、商業施設やホテルが集中している。
碧と澪が呼び出された、カムロホテル京都八条口もそのひとつだ。
近くのコインパーキングで合流すると、フロントロビーを抜けて、エレベーターで5階へ。
512号室の扉を、軽く二度ノックした。
「ああ、天使運輸の方ですね?」
しばらくの沈黙の後、ドアの隙間から顔を出したのは、スーツを身に纏った30代後半と思しき男性。
その第一印象は、決して悪くなかった。
少し丸みを帯びた顔は、愛想笑いだろうと、それは心からの笑顔のようで、何度も軽く頭を下げる姿も、その人の内面を映しているかのようだ。
「そうです。 天使運輸の神崎です」
「同じく、朝倉です」
「すみません。 わざわざご足労いただきまして」
彼に促されて部屋に入る2人。
礼儀正しい口調にも、碧たちは悪い印象を受けなかった。
3人用なのだろう、ソファベッドの置かれた広い部屋で、テーブルをはさみ、ソファ側に立った碧に対して、男は懐から名刺入れを取り出す。
「早速ですが、私、こういうものです」
礼儀正しく、碧に両手で差し出した名刺には、中央に大きく、所属と名前が書いてあった。
京都彩加大学自然環境学科 特任研究員 栃尾 滉一
「彩加大の研究員……ですか」
「ええ。 といっても去年、大阪の大学から転任してきた新米ですけど。
京都彩加大学は、環境省と固有生物保護に関する研究の協定を結んでおりまして、その関係で、我々の研究室も主に、琵琶湖や淀川水系の生態系を中心に、調査・研究を行っております。
特に琵琶湖は、2000年代にブルーギルやブラックバスなどの特定外来生物によって、在来種による独自の生態系が破壊しつくされかけた過去がありますので、琵琶湖の環境保全というのは、我が国の環境問題でも、トップクラスの懸念事項なのですね。
ですの、生態系の維持を手伝うために、こういう研究を日々しているワケです」
「なるほど。 それで、運んでほしいもの、というのは」
長々とした栃尾の言葉を、これ以上広げまいと、碧は早速、確信に切り込んだ。
「おふたりは、チャネルキャットフィッシュ、という生き物をご存じですか?」
そう聞かれ、澪は首を傾げた。
「デビルフィッシュは知ってるんだけどなぁ……」
「なにそれ?」
「タコの別名」
「へぇ。 よく知ってるねぇ」
「こないだ、アニマルプラネットでやってたの」
「マジで?」
と、いつもの与太話もほどほどに。
長々とした横文字の水中生物の正体を、碧は知っていた。 タコの別名は知らなかったのに。
彼女は、咳ばらいをして説明する。
「またの名をアメリカナマズ。 1970年代に食用として日本に持ち込まれた、北米原産のナマズですね?
在来種を食い尽くすだけでなく、網を食いちぎられたり、漁師がケガをするなどの人的被害や、感染症の媒介など、かなり厄介な影響をもたらすため、2018年に緊急対策外来種に指定されていたはずです」
碧の博識に、栃尾も目を見開き驚く。
機械だけでなく、生物の知識も脳内に蓄えているとは、おそるべし神崎 碧。
「そのとおりです。 追加の説明も要らないでしょう。
そのチャネルキャットフィッシュ……まあ、長いのでアメリカナマズとしましょう。 主に河川の中~下流域や湖沼に生息しておりまして、滋賀県では瀬田川流域と上流の天ケ瀬ダムで、繁殖が確認されていました。
つまり、琵琶湖への本格的な侵入は、確認されていなかった訳です。
ですが……」
「琵琶湖で、遂に個体が確認された」
栃尾は重く頷く。
「ええ。 それも瀬田川河口を飛び越え、近江大橋より北の北湖と呼ばれるエリア。
釣り人が近江舞子沖で吊り上げたものを持ち込んだことで、その事実が判明したんです。
もし、琵琶湖で本格的な繁殖が始まっているとするならば、自治体と協力して対策を取らなければいけない。
そこで天使運輸さんには、研究室に持ち込まれた標本2体を、長浜市にある国立琵琶湖生態研究所へ、可及的速やかに運んでほしいのです」
依頼は分かった。
関西の水瓶と呼ばれる琵琶湖の生態系破壊は、巡り巡って我々人間にも多大な影響を与える。
特に相手が、これ以上の繁殖は阻止必須とされている魚類ならなおさらだ。
だが、ひとつの疑問が生じる。
わざわざ、運び屋を雇うほどの緊急事態なのだろうか。
京都から滋賀・長浜まで、JR新快速電車で70分、名神高速を使えば2時間以内で行ける。
いくら資金不足とはいえ、大学側が、そこまでの輸送費や車の提供を渋るとは思えなかった。
碧は、そのことを口にした。
「要件は分かりました。 しかし……私たちの力を借りることなのか、と。
気分を悪くされたのなら、謝ります。
ですが、私たちはいわゆる、裏の運送屋です。
今の話を聞いている限りだと、緊急ではありますが、大学側が運んでも問題ないように思えてなりません。
私たち、天使運輸が運ばなければいけない理由が、他にあるのでしょうか?」
すると、栃尾は眉をひそめて、怪訝な表情を碧に送った。
「話したくない、って言うのはダメですか?」
「私たち天使運輸は、依頼を引き受ける際、3つのルールが依頼人との間に守られるかどうかを重要視しています。
意思疎通を取れるか。 報酬に対して誠実か。 そして、私たちに話した事柄、依頼内容に嘘偽りは無いのか、 です。
このルールが守られない場合、私たちは依頼を引き受けませんし、仕事が行われた後、依頼の中身に嘘があった時には、最悪、制裁を加えます」
「制裁だなんて、おおげさな――」
「それが、私たちの条件。 大げさに言えば、御法に触れるってことなんです」
「……」
ルールを知らなかったのか、それとも、碧の圧に押されているのか、一笑していた栃尾は両手をぎゅっと握り、膝の上で震わせていた。
「なので、もし私たちに依頼したいのなら、答えてください。
どうして標本を、イリーガルな手段で運ばざるを得ないのかを。
それでも話せないというのなら、今すぐに立ち去ります。 私たちも、あなたからの依頼を忘れますから」
じっと彼の目を捉える、碧の視線。
押し負けたように、栃尾は大きくため息をついて、懐から何かを取り出した。
四つ折りの紙か。
片手で開いて、それをテーブルの上に置いた。
「他言無用でお願いしますよ。 昨夜、研究室の扉に挟まれていたものです」




