10, お願い
事務所を飛び出した碧と澪の姿は、十条のシャンディ・ガフ・モーターにあった。
デジャヴか、約1時間前と同じ、長尾社長のスカージアの隣にアルシオーネを止めると、そのままスタスタと小走りで、事務所に飛び込んだ。
「長尾さん!」
丁度、事務所の奥でノートパソコンをいじっていた長尾は、何事かと顔を上げ、飛び込んできた2人を驚いた表情で迎え入れる。
「碧君! 澪君!」
席を立ち、慌てて向かってくる長尾を待つ間に、2人は壁にかかっている時計を見た。
11時23分。
もう時間が無い。
クールな碧にも、焦りの色が見えるていた。
腕時計の盤面を、右手人差し指でトントン叩く。
めったに見せない、碧の癖だ。
「いったい、どうしたんだね」
「大至急、長尾さんにお願いしたことがあるんです!」
真剣な眼差し、いや、それ以上に瞳の奥底にある切迫した、そして鉛のように重苦しいものを感じとると、長尾は鼻で大きく息を吐く。
「その表情は、可及的速やかに車を調達してほしいって感じだな?」
そのとおりと碧は頷き、間髪入れず言い放った。
「至急、霊柩車を調達してほしいんです」
「霊柩車?
まあ、それ自体調達するのは簡単だ。 簡単だが……」
長尾は、そう含みながら碧たちを見る。
メンテナンスをとおして、長く彼女たちと親交を深めている彼だ。
碧たちの求める“裏の裏”まで、しっかりと理解しているよう。
「2人の天使が用意してくれと頼んできてるんだ。
当然、その霊柩車に条件もあるんだろ?
この車種がいいとか、宮型のを用意してくれ、とか」
これもまた、そのとおり。
「可能であれば、聞くぞ」
碧は、可能であれば、でいいんですが と前置きして、長尾に霊柩車の条件を突きつけた。
「クラウン以上の馬力と加速性能と、棺桶を傷つけない安定性を兼ね備えた霊柩車」
「はぁ!?」
腕を組み聞いていた長尾は、碧の言葉に耳を疑った。
「今回私たちが追いかけるのは、最低でも20キロ先を、時速80キロで走り続けいて、しかも、10分しか停車してくれない相手。
そいつに、最高級の棺桶を届けます。
この条件をクリアできる心臓と足を持っている。
欲を言えば、そんな霊柩車を使いたいんですよ」
相手の眼を見て、直訴する碧と澪。
それを聞くと、長尾は首の後ろに両手を持っていき、うなだれるように考え込んでしまった。
「んな……碧君の言う条件ってやつをクリアできるのは、GT-RかタイプS並みのスポーツ性能を持つ車しかないじゃないか!
レクサスならギリ行けるかもしれんが、俺の周りに、それベースの霊柩車持ってる知り合いなんぞおらんし。
ダメだ……無茶苦茶すぎるぞっ!」
弱音を吐く長尾。
だが、碧には妥協できる時間も余裕もない。
言葉を選びながらも、語気を強めて、彼に迫る。
「無茶苦茶なのは、重々承知しています!
長尾さん、形も車種も年式も問いません!
個人が趣味で作ったようなものでも結構です!
棺桶を猛スピードで、しかも安全に運べる、そんな霊柩車、ありませんか?」
瞳を潤み、力強い眼力で迫る碧に、澪も加勢する。
「私からも、お願いいたします。
京都イチ車に詳しい長尾社長ならと思い、ここへ来たんです!」
具体的な仕事内容を聞くのは、野暮だ。
それは長尾も承知している。
ひとつ、はっきりしていることは、2人が本気だ、ということ。
彼女たちに背を向け、少し考えると首だけ振り向き、碧に改めて聞く。
「車種も形式も問わないんだな?」
「はい」
長尾は何も答えることなく、自分の事務机へと向かい、引き出しから一本のキーを取り出した。
「あのセレステだがな、実を言うと驚いているんだ。
激しい走りにしては、損傷が少なかったからな。
普通なら、あんな走り方すれば廃車になっててもおかしくない」
「え?」
「それだけ、碧君のドラテクが良かったということだ。
荒い運転なのは、変わりないけどな」
そこまで言うと、手にしたキーを碧へと放り投げる。
アンティークな十字架のキーホルダーがぶら下がる、比較的真新しいそれは、まぎれもなく車のカギであった。
「君たちの本気と、ドラテクを信じることにする。
ついてきなさい」
事務所の中へ入ってこい、と言わんばかりの手招き。
状況は分かったが、意図がくみ取れず呆然と顔を見合わせた碧と澪は、恐る恐ると仕切り扉を抜け、長尾の後を追いかけるのであった。




