9, 霊柩車がないっ!
「しかし、自分と瓜二つの人間の人間が死んでるって、まるで粗忽長屋の世界だわ」
「へぇ~、澪が落語たしなんでるなんて驚きだねぇ。
君の性格だ。 声優ラジオとか聞いてる口だと思ってたけど」
「私はどっちかと言うと、粗忽長屋より初天神が好きかな」
「じゃあ、今回の報酬は飴玉で支給するとしよう」
「ケチ!」
おいけホールで、お別れの儀が執り行われていた同時刻。
大村社長と神田のいなくなった事務所では、碧と澪は今回のミッションの準備を大急ぎで始めていた。
普段着の私服から、黒いスーツに着替え、背筋も襟元もシャキンとただす。
それでも余裕を持つことを、2人は忘れない。
こうして、おどけるぐらいのメンタルを持っているのだから。
「ま、落語談義は置いときましょう。
輸送方法も、御遺体の手配も済んだから、あとは車かぁ。
碧、霊柩車って、どこのガレージに置いてあるの?」
そう聞いた澪は、白いシャツの上から、ガンホルダーを慣れた手つきで装着し、肩ベルトを調整していた。
遺体輸送ミッションに銃は必要ないとは思うが、念のために、と彼女は用意していた。
澪の銃の腕は、天下一品。 法的な部分を除けば、ぶら下げていても問題はあるまい。
弾倉を確認し、ガンホルダーに仕舞うのは、グロック17。
世界中の法執行機関で採用されている、9ミリ口径のオートマ拳銃である。
スーツを羽織れば、準備完了だ。
「そんな特殊車両、持ってるわけないだろう……第一、棺桶を運ぶなんて、前代未聞なんだから」
「え、霊柩車ないの!?」
澪は気だるくも、何気にトンデモ発言をした碧に、思わず聞き返した。
あらゆるものを運んできた天使運輸。 遺体も運んだことがあると思いきや――
「依頼で死体袋運んだことなら何度か。 棺桶に入った遺体は初めてだよ」
「って、言い方……」
「だから霊柩車なんて、今の今まで買ったことないんだ。
さ~て、代わりの車を探すかぁ」
スカートの澪とは違い、碧はパンツスーツ。
短い髪と相まって、クールに決め込んでいた。
そんな彼女は指をポキポキと鳴らし書類棚に向き合うと、整然と並んだいくつものファイルから、所有マシンのリストを引っ張り出し、ページを素早くめくっていく。
荷物を積めるバンタイプを中心に。
それを隣から覗きながら、澪はしゃべりかける。
「そういえば、久根さん……だったかしら?
彼の方は大丈夫かな?
万が一、息子さんが帰ってくるなんてことがあったら――」
「ゴルティン共和国は、去年のクリスマス・クーデター以降、断続的な内戦状態。
外国人の退去が済んだ後、国外とを結ぶ定期路線も無いに等しい。
国境も軍の管理下に置かれてるし、すぐ帰国できるとは思えないよ」
「詳しいわねぇ」
感嘆する澪に、舌をペロっと出しおどけてみせる。
「ナショナルジオグラフィックの受け売りさ。
もっとも、共和国行は嘘で、日焼けした両手にマカダミアナッツでも抱えて帰って来られたりなんかしたら、即ジ・エンドだけどね」
ジョークを言いながらも、碧の視線と人差し指は確実だ。
なぞって車種やサイズを確認しながら、棺桶搭載可能な車種を選んでいく。
天使運輸は、彼女たちのプライベートカーだけでなく、様々なミッションに対応できる車を、少なくとも百台は置いているのだ。
スクーターから大型トラック、救急車、ホイールローダーも持っている。
それぞれが関西各所のシークレット・ガレージに保管されており、一部は横浜や東海地方にもあるという。
「三菱 デリカにシボレー アストロ、ワーゲン T2 ……行けるだろうけど、難しいなぁ。
運ぶのは、大企業創業者の御遺体が入った棺。
万が一、密葬の時にはなかった傷が、棺桶や御遺体にできるようなことがあれば、全てが水の泡になる。
その逆も然り。 間違えた方の御遺体にも傷はつけられない」
「となると、ハイエースか、ニッサン セレナくらいが無難な線ね。
だけど、その二台って……」
心配そうに顔を覗かせる澪に、碧は頷く。
「ハイエースは宇治の、セレナは北大路のガレージに置いてある。
車を取りに行って、竹田の本社会館に行くとなれば、かなり時間がかかってしまう距離だねぇ。
かと言って、天使突抜周辺のガレージにいるのは、さっき言ったワーゲンだけ」
「ルノー カングーなら、裏の立駐にあるけど、さすがに小さすぎるし。
かと言って、中型のエルフ・トラックを引っ張り出すのは、いくらなんでもオーバー」
それに、と碧は前置きして、こうも言う。
「今回は、高速道路を先行して逃げる相手を、時間差で追いかけなきゃいけない上に、御遺体を入れ替える時間も、そう長くは取れない。
イレギュラーなことが起きる可能性も加味すると――」
「安全に運べるのは勿論の事、それなりのスピードと馬力が必要になる、かぁ」
「スポーツカーならいけるが、バンタイプとなると、追いかけるには、ちょっと分が悪い」
碧はファイルを閉じ、大きく息を吐いた。
「どっかから手配するしかないねぇ」
「霊柩車を?」
「うん」
霊柩車は、一般の市販車を切断し、その車体を伸ばすという方法で作られており、レクサスやクラウンなどが、ベースとして使用されることが多い。
また、クラシックカー風の車をハンドメイドで手掛ける光岡自動車が、自社の車を霊柩車にして製造販売するケースや、自治体や葬儀社によっては、ハイエースやセレナなどの一般車両をそのまま霊柩車として運用するケースなどもある。
特に光岡自動車は、そのクラシックな風貌が人気を博し、2018年で国内の霊柩車シェアの20パーセントを占めると言われおり、台湾などにも輸出されている。
神田の話によれば、今回国光会長の御遺体を運ぶのも、光岡自動車製の霊柩車だという。
「山村葬祭から借りるの?」
「いや、万が一が起きた場合、依頼主に影響が出る。
隠密にやってほしいと私たちを頼ったんだ。 顔に泥を塗るようなことをしちゃあ最悪、天使運輸の存続に関わっちゃう。
他の葬儀屋の霊柩車も、同じ理由で借りることはできない」
八方ふさがりの状況に、澪は声を大きくする。
「じゃあ、どうするのよ!?
11時半には、取り違えた御遺体がおいけホールを出ちゃうんだよ?」
碧は冷静に、部屋の時計を見た。
午前11時15分。
あと15分で、国光家の手配した霊柩車は、京都市街を回り始める。
迷っている時間は無い。
かと言って、性急にワゴン車を出して国光会長の御遺体が傷つくことがあれば、山村葬祭だけでなく、天使運輸も信用を失いかねない。
ロータリーエンジン並みに脳みそをフル回転させ、碧はポツリと
「イチかバチか、頼んでみるかなぁ」
「頼むって……まさか、あの人に?」
「それしか、無いでしょ。 ま、なんとかなるって」
驚く澪に、行くぞと首を振って、碧は事務所を飛び出し、ガレージに停めたアルシオーネ SVXに飛び乗るのであった。




