30, ふたりの答え 終
あれから1時間後――
碧と澪の姿は、京都と大阪を繋ぐ国道沿いの、ファミリーレストランにあった。
日差しは、より高く差し込んでくる。
本日の功労者たる、ランサーセレステを臨む窓際の席で、碧は疲れからか、目を瞑り頬杖をついていた。
「お疲れ様」
席の横に立つ澪の声に、ゆっくりと目を開けた。
平日とあれど、店内にはそこそこ人が入っている。
「メロンソーダでいいんだよね?」
「うん。 ありがと」
碧は澪から差し出されたドリンクを貰うと、彼女は店の壁にぶら下がる大型モニターに目を向けた。
映し出されるニュース。 記者が中継する後ろでは、パトカーと規制線で塞がれたビル街が見て取れる。
『南海難波駅近くから中継でお伝えします。
現在も大阪市中心部では、大規模な避難指示と交通規制が敷かれ、朝の通勤時間帯を迎えた街は大混乱となっています。
私の後ろに見えます、大阪の大動脈、御堂筋は、大型の警察車両で塞がれ、車の往来は全くありません。
本日未明、大阪市中央区にある、シエスタ長堀地下駐車場に爆発物が仕掛けられ、数キロ離れた位置にある京阪天満橋駅が、武装集団に占拠されたとの通報が、複数入りました。
大阪府警はこれまでに、事件に関与したとして数名を逮捕していますが、詳しい身元は明らかになっておりません。
また今回の事件は、先月7日に発生した気象庁通り魔事件や、元信者たちとの金銭問題で取りざたされている宗教団体 有珠雅の焔教団が起こしたとの情報もあり、警察は――』
鷹村警部が奔走したのか、どうやら、天使運輸が事件に関わっているという情報は、今のところ出されていないようだ。
席に腰掛けながら澪は、スマホを取りだす。
「大阪はしばらく大変そうね。
中央区に住む11万人は区外に避難。 全ての道路は通行止めで、地下鉄も全路線が運転見合わせ。
環状線も止まってて、大阪中の駅や道がとんでもないことになってるわよ」
そう言って彼女が碧に見せたSNSには、駅の大混雑や、動かない車の列を撮影した写真がいくつも投稿されていた。
トレンドも大阪やテロ関係が総なめ。
今日一日、混乱は続くだろう。
「こりゃあ、大変だなぁ。 ま、私たちには関係のない話だけどね」
「あーあ、結局タダ働きだよぉ~」
車の中で愚痴り続けたはずが、再びぶり返したようだ。
が、澪は一転表情を明るくして、なにかを思い出したようだ。
「ま、いっかぁ。 前金がっぽり貰ってるし。
しばらくは、光熱費食費の心配はしなくていいわね~」
そう、万念から貰った前金の300万円。
お金はまだ、事務所の金庫に保管してある。
満足げに浮かれる彼女に対し、碧はいつもの口調で諫めた。
「澪~、前金に手ぇ、付けちゃだめだからねぇ」
「え゛っ?」
緩んだ頬は、すぐさま絶望で固まった。
「あのカネはたぶん、信者をだまして巻き上げたものだよ。
それを袖に入れたなんて知れたら、私たちも警察から共犯だと疑われかねない。
鷹村警部の話を聞く限り、捜査の指揮権は公安みたいだからね。
府警はどうにかできても、公安が相手じゃ、下手なことはできないよ」
「なんだぁ~ 結局、骨折り損のくたびれ儲けじゃない!」
命張った仕事が0円は割に合わない。
意気消沈するのも頷ける。
頬を膨らませ悪態をつく澪を、碧は優しく諭す。
「そう不貞腐れるなって。
私たちの仕事は金もうけ以上に、信頼第一。
京都に戻ったら、そのまま府警本部にお金、渡しに行くから」
そう言ってメロンソーダを口にすると、彼女は真剣な表情で、澪に聞いた。
「ところでさ、澪。
どうしてこの仕事してるの、って聞かれたら、なんて答える?」
「藪から棒に、どうしたの?」
いつになく真剣なトーンに、澪はどちらかというと半笑いでからかうように聞き返す。
「あの男に聞かれたんだよ。 運んでる途中にな。
恥ずかしい話が、そんなこと、真剣に考えたことなかったんだ。
確かに私たちの仕事は、世間が言う“普通”杓子からすれば、悪であり、異常。
自分たちの決まりで相手を選び、法外なカネを受け取る代わりに、命を懸けて荷物を運ぶ。
そこに正義は必ずあるわけじゃないし、みんなのためにとかっていう意識も百パーセントあるわけじゃない。
かといってカネが欲しかったり、スリルを味わうために、こんなことをしているワケでもない。
ぶっちゃけ、気づいたら、このありさまさ。
それこそ、ハローワークに並んでるような仕事をした方が、収入は安定するし、そのカネで、スカイダイビングでもした方がよっぽどスリルを味わえる。
名誉もプライドも後付けだよ」
碧は相棒の眼をしっかりととらえて、こう聞いた。
「それを踏まえて、澪に聞きたい。
どうして、こんな稼業をつづけているの?」
突然の質問に澪は戸惑う素振りは見せず、手にしたドリンクを一口。
「そうね。 人に言えない稼業に手を出したのは、最初はカネのためとか、スリルのためだったかもしれない。
こうしてお金に執着しているのが、何よりの証拠ってとこかな?
銃を握ったのも、そう。
先立つものがなきゃ、人間だれしも生きていけないし」
なるほど、と自分を納得させるように小さく息を吐いた碧。
グラスを持ち上げた時だ。
でも、という打ち消しに、彼女は顔を上げた。
「今は違う。
お金のためでも、スリルを味わいたいわけでもない。
私がこの稼業を、運び屋を続けてるのはね、正直な自分でいられるから」
「正直?」
「“イエス”は“イエス”、“ノー”は“ノー”。
今の世の中では表も裏も、そう言い切ることが何より難しい。
誰かに媚びて頭を下げて、みんなと一緒に嘘ついて、いらない責任背負って、信念を曲げて、心も体もすり減らして、生きながら死んで……ええ、そう、私たちを死に物狂いで追いかけてきた、あの哀れな幹部たちのように」
「……」
「そんなことせずに、自然体な自分のままで、今を生きていられることが、私にはなにより嬉しいの。
他人に合わせる必要なんてない。 私がやる仕事が不満なら、よそに行ってくれって、この稼業なら自信満々に言える。
人生いちどきり。 自分を濁して生きることは、もううんざりよ」
自分に言い聞かせるように、澪もまた、碧の眼をしっかりと見て答えた。
「私は、私自身のために、そんな私を信じてくれる人のために仕事をしてる。
それ以外に信じるものなんて、なにもないわ。
たとえそれが、神様相手でも」
「澪……」
「それが私の答えかな?」
碧は、ハッと気づかされた。
あの後、大阪に着くまで悩みに悩みつづけた回答。
ヘッドライトに照らされた、真っ暗な国道の白線。
カフェインで冴えわたった脳みそでも、全く出てこなかった。
流れつづける、断片的な思考に全てを求めずとも、そこにあったんじゃないか。
なにを馬鹿みたいに悩んでいたんだ。
差し込んだ朝日に照らされた澪の影が、天使の羽のようにみえた。
「ところで、碧はなんて答えたの?」
「私は……」
答えようとしたタイミングで、ウェイターが注文した食事を運んできた。
銀鮭を中心に白米、味噌汁、漬物、小鉢。
健康的な定食を前に、美味しそうね、と嬌声をあげる澪に、碧は頬を緩める。
もう、呪縛は解かれた。
自分がこんな稼業を続ける理由。 それは――
「仕事終わりに、とびきり美味いメシを食べたいから、だったかな?」
「なにそれ」
想像しなかった答えに、おもわず澪は笑ってしまい、それにつられて碧もフフッと笑みをこぼした。
もちろん、そんなことは答えていない。
でも、碧にとっては、万念への答えが嘘であった。
正直な自分でいたい。 澪に対する彼女の精いっぱいの答えだったのかもしれない。
それを表すように、飲みかけのグラスを碧は掲げた。
「これからもよろしくな、相棒」
きょとんとした澪も、碧の屈託のない穏やかな表情に応え、箸を置いてグラスを掲げた。
飲みかけの、オレンジジュースが入ったグラスを。
「こちらこそ、相棒」
チン……
グラスどうしを打ち付ける繊細な音が、席に響く。
客が増え始め、騒々しくなってきた店内にか細く消えていくが、それでいい。
天使の心を優しく潤すことができれば、それでいいのだ。
第一章 コトリバコ編 終。




