29, 天使vs万念 ~谷町筋最終決戦~
自分たちを殺すと遠回しに、かつクサいセリフで言い放った万念が刺し違えるとは、どういう意味か。
フロントグラスの向こうを見て、ハンドルをぎゅっと握る碧を見て、澪も恐る恐る、その方向へ目を向けた。
「っ!!」
まっすぐ伸びる片側4車線の谷町通り。
分離帯は背の高い木と鉄製の柵で、歩道は長いガードレールで区切られ、一方通行のレーンとして、彼女らの行く手を導いていた。
その道に突如現れた真っ白いマシン。
碧らの乗るランサーセレステと顔を合わせるように、道路を逆走せんと停まっているそいつは――
「フェラーリ F8 トリブート。 万念の―― っ!」
「そうさ、澪。
アイツは力づくで奪い上げた、何もかも失って、手錠をかけられるのも時間の問題だ。
思いつく限り、組織犯罪処罰法に銃刀法、道路交通法違反。 おまけに私らへの殺人教唆と凶器準備集合。
そこに詐欺や殺人罪も加われば、無期か、最悪死刑は免れない。
だから最後に、私らに復讐しつつ、あの世に逃げるつもりなんだろうよ」
「迷惑な話だこと。
そんなに死にたいなら、一人山奥で首でも括れっての」
ごもっとも、とセリフを吐きながら、碧は大きく深呼吸。
目を瞑り、神経を全集中させていた。
この先何が起きるのか、詳細に書かなくとも分かる。
一直線の道路に向かい合う2台の車。 やることはひとつだ。
「さて、どうしよっかねぇ。
目の前にいるマシンは、アクセルを踏めば3秒で時速100キロまで加速できて、最高時速は340キロ。 新幹線のぞみ号より速いときた。
こっちは半世紀前の車で、お世辞にもスーパーカーとは言えない」
「言いたいことは分かるわよ、碧。
私も“映画みたいな死に方”は御免だわ。
かと言ってここで逃げだせば、狂ったアイツが何をしでかすかわからない。
おとなしく追いかけて自爆してくれればいいけど、もし大阪のどこかに、私たちも知らない爆弾を仕掛けられていたら……町ごとお陀仏」
「だよねぇ」
八方塞がり。
2人とも頭をポリポリと掻き、歩行者信号に目を向けた。
横切る青信号が点滅を始める。
もう、時間がない。
「……やるしかないか」
「うん。 このままナメられたんじゃあ、私ら天使の名前が泣くわね」
「もう一回、私のテクに命預けてもらうけど?」
「今更そんなこと聞いてどうするの?
出会った日から、私は碧のドラテクに、ずうっと命預けてるわよ。
これからも、世界が終るまで一生ね」
お互い微笑みながら見合う顔。
自信と一抹の恐怖を含んだ微笑み。
頷いた碧は、キリっと背を正し、前を向く!
「よしっ、いっちょやりますか! 神殺しの大罪ってやつを」
「のった!」
「つかまってな!」
エンジンをふかし、パッシングして、眼前のフェラーリを挑発する。
お前の誘いに乗ると言わんばかりに。
万念もその様子を見て確信したのだろう。
パッシングすると、威嚇するようにV8エンジンを唸らせた。
2台の差は3ブロック。 逃げ場はない。
アクセルを踏んで、唸りあうエンジン音が、街中に響き渡る。
遂に自動車用信号も色を変えた。
この一瞬で、全てが終わる。
青……黄……赤……―― 青!!
正面を照らす信号機が一斉に青を照らした直後、ランサーセレステとフェラーリは、同時にギアを入れ替え、アクセル全開!
タイヤを豪快に鳴らし、相手の鼻先へ向けて一直線に走り始めた!
距離の縮まる2台。
フェラーリの加速力が勝り、セレステに鋭いフロントが迫ってくる。
狂ったように歯を見せギラリと笑う万念。
碧は機械のように無表情で、それでいて殺意を全開にした漆黒の瞳を向けていた。
お互い、それは余裕の表れか、それとも恐怖を隠す演出か。
エンジン音が近づき、段々と互いの姿が鮮明に見えてくる。
ヘッドライトの輪郭、フロントグリルの形状、ナンバープレートの数字 ――運転手の顔。
勝負!
狂気のまなざしとポーカーフェイスが、コンマ数秒車の速度を超えて今、互いの視界に突っ込んだ!
眼球の中に押し込まれる狂気は、神経より早く脳の内部を壊していき、そして!
「うわあああああ!!」
ドライバーの悲鳴と共にハンドルを切ったマシンは、そのまま分離帯の柵に激突し、宙を舞う。
スピンをかけながら、青空に向かって。
高速度のチキンレースを制したのは――
「堕ちろ、ペテン師」
純白のボディを崩し、朝日に輝く破片の雨を飛び散らせ、天高く舞い上がるフェラーリの下を、ハンドルを切ることなくアクセルを踏み続けたランサーセレステが潜り抜けた。
碧と澪。
彼女たちに、恐怖は無かった。
あったのは、自分たちが必ず勝つという自信、いや、信心とでも表現すべきか。
急ブレーキをかけ、振り返った2人が見たのは、街路樹の枝を折りながら、反対車線に叩きつけられた、万念の愛車。
着地したはずみにバウンド、ひっくり返りながら滑走した金属とアルミの塊は、フェラーリだと指摘されても分からない程に壊されつくしていた。
ガードレールにぶつかって止まったころには、エンジン以外原形をとどめておらず、ガソリンの臭いが立ち込める醜悪なオブジェと化していた。
その中に人間がいるなど、考えたくもない。
「正当防衛だよね?」
「向こうが逆走してきたんだ。 当然でしょ」
急停車した車からドライバーが駆け寄るのを見て、碧と澪はその場をあとにした。
助けようなどという情は、かけらもない。
ミラーも見ず、ただまっすぐ、目を覚ました大阪の街を駆け抜けていくのだった。




