28, 最後の伏線
「こちらは大阪市です。 中央区一帯で、大規模な爆発事故が発生する恐れが出てきました。 住民の皆様は、速やかに区外の指定避難場所へ避難してください」
屋根にスピーカーを積み、がなりながら走る大阪市の公用車を対向車線に見ながら、碧と澪の乗るランサーセレステは、走ってきた谷町通りを南向きに戻っていた。
もう間もなく、この道路も大混乱に陥るだろう。
有珠雅教の連中は全員逮捕。
それはご都合主義の結末などではない。 所詮汚くとも浅い関係でしか結ばれていない教祖と幹部のつながりなど、そんなもんだ。
ガッチガチに訓練された傭兵でない限りは。
あとは警察の仕事で、運び屋の出番はこれまで。
「……ふぅ」
脳みそが決壊しそうなほど、あふれまくっていたアドレナリンも、段々とその湧出量を抑え始め、2人の顔も穏やかになりつつあった。
セレステも、制限速度を守り、ゆっくりと通りを走る。
空は既に明るく、間もなく日の光が差し込もうとしていた。
「あーあ、久しぶりにカネのなる仕事だったってのに……」
澪が唐突に愚痴をこぼす。
ほてった体を冷ますかのように、窓を開け、頬杖をつきながら外の景色を眺めながら。
「僻むなって。 命があっただけ儲けもんだよ?
ま、犬に噛まれたぐらいに思うことさね」
「まあ、そうなんだけどさぁ……」
ハンドルを握りながらクールを決め込む碧。
疲れや恐怖を微塵も感じない、いたって冷静な表情だ。
そんな彼女の名を、澪は呼んで口を開いた。
「ひとつだけ、分からないのよ」
「何が?」
「最後の条件」
「ん?」
「万念は瑞奉寺を、0時13分に出発しろって言ってたでしょ?
住職の偏執狂な考えだとか言って。
あの寺が教団の作ったハリボテで、住職も存在しないのなら、あの条件はいったい何だったんだろうなぁ~って」
そう。 コトリバコの正体や、適正ルートの思惑など、万念が仕掛けた“伏線の回収” は、おおかた済んだ。
が、しかし、この0時13分出発厳守だけは、どうしても分からない。
澪がこの話を持ち掛けた中、当の碧はというと、その答えを既に導き出していた。
「ああ、それはね――」
説明しようとした時だった。
着信音が、碧のイヤホンマイクを介して、鼓膜を鋭く震わせた。
警察から?
否。
ブルートゥースで繋いだスマホ。
ダッシュボードに置かれたそれに浮かんだ電話番号に、碧は血の気がサッと引いていく。
「万念 ――っ!!」
まだ、捕まっていなかったのか。
こそこそする必要は無い。
彼女はイヤホンマイクを切り、スマホをスピーカーにして、素っ気なく電話に出た。
「なんですか?」
『よくもやってくれたな。 アバズレどもが』
開口一声。 万念は碧に向けて、敵意剥き出しで吐き捨てる。
最初に出会った時の、やわらかい物腰はどこにもない。
『俺の教団を潰しやがって。 絶対に許さんからな。
どんな手使ってでも、お前らを殺してやる!
社会的にも、肉体的にもだ!
例え地獄の焔に焼かれてようと、何度も蘇る! 神は死なないっ!
有珠雅教を敵に回したことを、死ぬまで後悔させてやるっ!』
ここまで来れば、彼の文句は三流小説以下だ。
そんな脅し、碧たちには糠に釘。
なんにも効かない。
「威勢だけはいいねぇ。
呑気に起きたと思ったら、渋滞見てワーワー、パニクってたくせに。
……ああ、警察に仲間がいるから、そんな強気なことが言えるのかなぁ?」
『な、何の話だ?』
狼狽しながらしらを切る万念に、余裕のしたり顔で碧は言ってみせた!
「0時13分に瑞奉寺を出ろっていう、アンタの出した条件。
あれって、時間調整のためだったんでしょ?
田原町で行われた、抜き打ちの検問をかいくぐるためのね」
『何故それを!?』
図星。
軽く答えてみせた彼女は、隣で驚く澪にも分かるよう、その意味を細かく説明してみせる。
丁度車も、赤信号に引っかかった。
「今日の午前0時から2時間ほど、奈良から大阪に抜ける国道で検問があったのさ。
ずうっと待ちぼうけを食らってた、あのセブンイレブンがあった辺りでね。
こいつは奈良県警が、飲酒運転や改造車の取り締まりを行うための抜き打ち検問で、外部に知られることはぜったいに無いはずだった」
「碧、それって……」
「この情報がどうやら、漏れたんだ。
信者の中に警察官とお友達って言う奴が一人いたそうでな、そいつを介して、検問の情報が幹部のもとに上がったってわけさ。
他のルートでは検問をなんとかすり抜けることはできるが、こればかりは、自動車爆弾を安全に運べる別ルートを確保できない、という結論を教団は出した」
澪はそこまで説明されて、ようやく最後の疑問を解消できたようだ。
「なるほど。 検問を潜り抜けるために、万念たちが調整した時間が、あの0時13分っていう、中途半端な時間だったのね。
奈良市内をぐるぐる走らされたのも、検問が終わるまでの時間稼ぎ」
「そういうこと。
まあ、検問所でイレギュラーなことが起きたもんだから、時間通りに行っても渋滞に巻き込まれて詰んじゃったけど」
「万念が怒り狂ったのも、検問に引っかかりそうだったから。
……いえ、怒ったっていうより、ビビったってのが正しいかもしれないわね」
「おっ、言い得て妙だねぇ」
ここまで話されても、万念は僅かな余裕を見せている。
悪態は止まらない。
『馬鹿が。 例えそうだとしても、証拠はどこにも無い』
「バカはアンタだ」
スマホ画面には、電話番号とモノクロシルエットのヘッダーしか映っていない。
わざとか否か、してやったりと顔をにやつかせ、ダッシュボード上のスマホに顔を向けた。
子バカにするよう、鼻で笑いながら。
「気づかないか? なんで私たちが、そのことを知っているのか。
有珠雅教の切り札を、私たちが手にして、見せつけているワケ」
『……は? ……まさか、お前らっ!』
万念の声がみるみる震えていく。
「ご名答。
顔見知りの刑事を介して、問題の警官ってのを捕まえてもらったのさ。
当人は、友達がカルトに入信してるって知らなかったとほざいてるそうだけど、んなこと言い訳になんざ、なるもんか。
ああ、次いでに信者も、逮捕してるから。
今頃2人仲良く、かつ丼と取調べがセットになった、豪勢なモーニングをがっついてるだろうさね!」
万策尽きる。
もう、万念に残された手札は何もない。
自身の教団があるじゃないか?
それに関しては、澪が否定してみせた。
「それに、教団の後ろ盾も無駄でしょうね。
これだけの事件を起こしてますから、警察は総力を挙げて、有珠雅教を潰すでしょうね。
地下鉄事件を起こしたカルトと、同じくらいのスピードで」
『くう……っ……!』
彼の口から出る言葉は、もう無い。
あるとすれば、それは敗北の2文字だ。
「さて、どうするのかな。
大阪府警本部まで運んでほしいのなら、喜んで引き受けるけどねぇ」
『その必要はないさ』
「万念?」
『今度は代わりに私が送ってあげよう。 天使運輸。
遠い遠い地の果てに、な!』
捨て台詞と共に、彼の通話は一方的に終わってしまった。
「負け犬の遠吠え?」
スマホを凝視しポカンとする澪。
しかし、碧は彼の言葉の意味を、すぐに見せつけられることになる。
「いや、違う」
「碧?」
「あの野郎……私たちと刺し違える気だ!」




