22, 絶体絶命
コンクリートに重圧な音を反射させ、碧の目の前に姿を現したマシン。
白いフェラーリ F8 トリブート。
彼女らが瑞奉寺で見かけた、あのスーパーカーだ。
通路を走り、ハイエースの鼻先で静かに停車すると、運転席からこれまた、先ほど寺で見かけた、若い短髪の僧侶が降りてきたではないか。
「教祖様、お車をお持ち致しました」
「ご苦労でした、秀陰。
天満橋の方は、どうなっています?」
そう、名前を呼ばれた僧は、フェラーリに近づいた彼の質問に答える。
ハンドガンを握る右腕には、シルバーの腕時計が輝いていた。
デザインからしてクロノマスター。 60万円以上する代物だ。
他の仲間の腕も見ると、高そうな腕時計が、ベンツのヘッドライトでギラギラと輝いていた。
かくいう万念も、背広のポケットから腕時計を取り出すと、涼しい顔をして左腕に巻き付ける。
グリーンセラミック製の回転ベゼルに、プラチナをコーティングした目盛り、夜光塗料を配合した文字盤のドットインデックス。
碧は、心の中で叫ぶ。
「アレはロレックスのグリーンサブマリーナ・デイト!?
軽く80万は超える、高級腕時計だ。 ここにある車といい、こいつら……」
「地下エリアはゾディアックによって、既に制圧済みです。
警備員も催眠ガスで眠らせていますから、通報される心配もありません。
あとは、この車を駅に運び込めば、カタストロフィはもう成功したも同然ですよ」
「よくやりました。 いい徳を積みましたね」
「ありがとうございます。 教祖様」
頬を赤らめ嬉しがる彼を、万念は優しいまなざしで見下ろし、頭を撫でまわすが、感動もへったくれもありはしない。
腕を組み、ハイエースにもたれかかりながら、碧は2人の会話に割って入った。
「ふぅん、そのフェラーリ、アンタのだったんだ」
「そうです。 いい車でしょう」
「ええ、それは認めますよ。
でもフェラーリといい、アンタたち、羽振りがいいみたいだねぇ。
そこの秀陰ってやつがしてる腕時計見れば分かるよ」
彼女に指をさされ、秀陰は腕時計を嫌そうに、片手で隠した。
「軽く百万以上はする、ゼニスのクロノマスター オープン。
そんなもん身に着けてるってことは、相当な金額を信者から巻き上げてると見たけど?」
「それ以上喋るなら、本当に地獄へ送りますよ」
「万念、アンタもかい? スキューバって趣味の顔をしていないのに、サブマリンモデルとはねぇ。
フェラーリにロレックス、いかにもな成金で吹き出しそう」
「黙れって、言ってんだよ」
万念が静かにキレた。
銃を碧に、再度向けながら。
「オーケー、オーケー、黙っとくわ」
すると、秀陰がツカツカと早足で駆け寄ると ――。
「がはっ!」
碧の両肩をつかみ、その華奢な腹に一発、強烈な膝蹴りをかましたのだ。
その衝撃は、もたれかかっていたハイエースも一緒に揺れるほど。
下腹部を駆け抜ける激痛に、碧は思わずその場に倒れこみ、腹を抱えてえづいた。
「教祖様にナメた口を利くんじゃない。 このアバズレが!」
「こいつ……っ!」
続く暴言。
さすがの碧も、キレる寸前であったが、見下ろす秀陰の顔を、睨み返すことで、自分の中で噴き出しそうな感情を、なんとか抑えるのだった。
この状況で暴走すれば、周りにいる幹部たちに撃たれかねない。
汚物を見るような目で碧を見る秀陰の肩を、万念は優しくたたき語りかけた。
「秀陰、およしなさい。 私は何も気にしておりませんから。
それに、今ので爆弾が爆発したらどうするのです?」
「申し訳ございません。 教祖様」
「時間がありません。 防水シートの用意を大至急お願いしますね」
「承知致しました」
深々と頭を下げ、他の幹部へ指示を出しに行った秀陰を見送りながら、碧もようやく立ち上がった。
息を整え、ハイエースのバンパーにしがみつきながら。
「防水シート?」
「そうです。 コンクリートにあなたの血が、染み込まないようにするためです」
「どうあがいても、私は殺されるって訳か」
「ご心配なさらず。 相棒も我々が見つけ出して、同じ場所に送り届けてあげますから。
いや、送り届けるなど、運送屋の神崎碧に投げかける言葉ではありませんね。 失敬失敬」
うすら笑いを浮かべる万念に、碧のイラつきは最高潮に達しつつある。
その右手に銃さえなければ――。
そんなことを考えているうちに、ハイエースから少し離れた駐車スペースに、教団幹部たちがブルーシートを隙間なく敷き詰め始めた。
メルセデスのトランクから取り出したそれを、一糸乱れぬ連係プレーで広げて、並べて。
「さあ、中央へ」
車6台分のスペースに広がった、真っ青な空間。
銃で脅された碧は、くるりと万念に背を向けた。
ハイエースを取り囲んだメルセデスの間を抜け、幹部に見送られながら、防水シートの上を音を立てて歩く。
「こっちを向いてください。 小細工はナシですよ」
防水シートの真ん中で立ち止まった彼女は、ゆっくりと時間を稼ぐように振り向いた。
恐怖に涙することも、怒りに顔をゆがませることもなく、唇を甘く噛み、湿らせながら冷静に。
一方の万念は、シートの淵まで進み、右腕を伸ばして碧の脳天に銃の照準を合わせる。