15, この仕事をしている理由(ワケ)
午前0時10分。
ハイエースのエンジンが始動し、ヘッドライトが灯る。
碧は、自分の車から眠気覚ましのガムと、ブラックコーヒーの入ったカップを取り出し、ハイエースの運転席へと置いていた。
乗り込むとやはり感じるのが、足元の圧迫感だろう。
ハイエースは貨物車である。 荷台確保のため、エンジンが運転席ギリギリまで迫っているのだ。
悪い車ではないが、SUVやミニバンを運転するのとは、勝手が違う。
「向こう着くころには、足パンパンになってそう……」
そんなことを考えていると、ジーパンにワイシャツという服装に着替えた万念が、助手席に乗り込んできた。
服装が違うと、やはり雰囲気も違ってくる。
僧侶という特別な存在というより、どこにでもいる中年前の男性、といったとことか。
「お待たせしました」
「意外とオシャレなんですね」
「ありがとうございます」
などと“社交辞令”を交わしてから
「間もなく、0時13分です。 行きますね?」
「お願いいたします。
ああ、それかれ、くれぐれも安全運転で。
コトリバコに刺激を与えるような、無理な運転はしないでくださいね」
そう言った万念に、碧は車を後退させながら答えた。
「無論です。 それこそ、釈迦に説法というものですよ」
「失礼いたしました」
「では、発進します」
ギアをドライブに入れ、アクセルを踏み、ハイエースはゆっくりと発進。
若い僧侶に見送られながら、瑞奉寺をあとにした。
車はそのまま、山をくだり、京都市内を突っ切る。
交通量の少ない深夜。
街中を走っているのは、タクシーやトラックだけだ。
碧は、指示されたルートを守りながら、ただひたすら走り続ける。
気が付けば、東海道新幹線の高架を潜り抜けていた。
もう、京都中心部を出たも同じ。
制限速度を守りながら、南下していた。
次のポイント、田辺西インターに向けて。
「すごく上手な運転ですね」
「そう言ってもらえると、嬉しいです。
この交通量でしたら、4時前には河内長野に着きますよ」
「ありがとうございます」
万念との会話が突如として始まった。
車は国道1号を走行中。
名神高速京都南インターを過ぎ、宇治川に架かる橋を抜け、右上に自動車道の高架を望みながら、走り続けている。
「この仕事は、長いんですか?」
「というより、この仕事しか、したことないですよ。
アルバイトとか、会社勤めとか、人並みにお給料が入ってくる仕事なんて全然」
「そんな風には、見えないですけどね」
はにかんだ笑顔を見せて、碧はぽつりと言う。
「こう見えて、まともな人生歩いていないのでね……いろいろ、悪いこともしてきましたよ」
「……左様でございますか」
「それでも取り柄っていうものは、誰にでもあるもので、こうして好きな車の運転を天職に選んだってところです」
「しかし、どうして運び屋稼業なんて、やっているんですか?
運転が得意なら、タクシーや宅配のドライバーなんかも、あるでしょうに。
それこそ、給料も安定している職がいくつも」
万念の質問に、碧は瞬きをしつつ戸惑った。
そんなこと、今までに考えたことが無かったからだ。
「そう……ですね……」
この稼業を始めて、1年2年どころじゃない。
今まで数多くの修羅場を潜り抜け、多くの人とも信頼関係を築いた。
固定の顧客、同業者、警察、そして澪。
彼らのために仕事を?
否、それなら関係を一発で終えかねない“ルール”なんて作らなかったろう。
かと言って、自分のために仕事をしているつもりもない。
他人から見た自分の評価はそうじゃないかもしれないが、それでも自分を信じている。
じゃあ、なぜ、こんな仕事をしているのか――
「スリルとサスペンス、ってところですかね?」
「サスペンス……ですか?」
「まあ、おかしな話ではありますけどね。 ハハハ」
それも嘘だ。
身の危険を楽しむために、仕事なんてしていない。
確かに、危機迫るミッションになればなるほど燃えるが、そいつは動機としては後発だ。
碧は話題を替えようと、万念を気遣った。
「到着まで、まだしばらくかかりますし、もしお疲れでしたら、仮眠取っていただいても構いませんよ。
この後、お寺で封印のためのお経、読まれるでしょうから」
「神崎さんは、大丈夫なんですか?」
「私は、お手製のブラックコーヒーがありますし、ちゃんと仮眠もとってきましたから」
「ありがとうございます。 それでは、お言葉に甘えて」
「おやすみなさいませ」
万念は、シートを少し後ろへ倒すと、手を組んで目をつぶった。
車内は再び、沈黙に包まれたが、碧にはそっちが好都合だ。
〈どうして、運び屋稼業をやっているんですか?〉
万念から投げかけられたこの問いにだけは、なぜだろう、碧は答えられなかった。
どんな質問にも、適当でもいい、答えられるというのに。
流れる街燈、追い越すトラックのテールライトを見ながら、碧は無言で考え込んでしまった。
どうして、この仕事を続けているのだろう……。
澪の淹れてくれたコーヒーが、いつもより苦く感じてしまう。