第二話『世界の中心から少し外れたところ』
少女「『死に損ないは宙を浮く』。第二話『世界の中心から少し外れたところ』」
女「いっ、いつつ……。ああ、骨なんて数百本あるから一二本くらい無くなっても大して困らないと思っていたけれど、骨折がここまで痛いなんて聞いていないわよ。クレーム入れる窓口なんてないのかしら?」
少女「ありません。どうしてもと言うならば、鏡に向かって苦情でも何でも入れてくださいな。まあ、受身を取った手と足一本。あの状況を考えれば、人体にある二百六本の全てが粉微塵にならなかっただけ上々の出来でしょう。でも、自殺志願者なんていつか自分勝手に死んじゃう存在なんかを庇わなくても良かったんです。だって、その所為で、」
女「馬鹿ね。それを言えば私も自殺志願者よ。それに、あの時庇わなければ、今肩を貸してくれる人がいないじゃない」
少女「物事の順序が逆です。私なんかを連れて行こうとしたから……、」
女「結果論なんて、とてもどうでもいいことなのよ。今、肩を貸してくれる人がいることに比べればずっとずっと、ね。死にたがりなら覚えておきなさい」
少女「ですが、私を助けなかったという机上の並行世界。明らかにその方が望ましい未来です」
女「違うわ。いまがあって、いまは充たされつつある。ある時は空気のような希薄なもので、ある時は地球を回るお日様のようにあたたかなもので。それだけが事実で、それだけが真理よ」
少女「詭弁です。それも結果論です」
女「どうかしらね。でも、結果は瑣事なのよ。分かりやすいように結果論を使うとすると、私たちの前にある死という結果は変わらない。だから、何をしても同じ。死の途中で結果論という概念を出す事自体がナンセンスなのよ。そうね、どちらかといえば虚無主義に近いかしらね。水商売を営んでいた身としては、こういった理屈とか抜きの考え方の方がしっくり来るのよ」
少女「……水商売、ですか」
女「そうよ」
少女「…………」
女「…………」
少女「……そうですね。まだ、納得は出来ません。ですが、一つ言えることがあります」
女「なにかしら」
少女「一般的に、こんなに暑い中、命の恩人だからと言って私の肩に全体重を押し付けるように寄りかかって何時間もかんかん照りの砂漠を目印なしで歩かせる人は命の恩人などではなくて、修羅か悪鬼でしょう」
女「たしかに。それは言えてるわね」
少女「……あのですね。自覚を持ってください。持っていなければ、かなりの重症ですよ。暑さでおつむがやられたのですか?」
女「分かっているわ。いろいろと悪いと思っているけれど、トウキョウの横の国とはいえアラーブも久しぶりだし、道を忘れてしまったのよ」
少女「ようやく分かりました。案内すると言われたからいままで従ってたのに。今からは私が先導します。幸いにもこの辺の地理には明るいので、目印のあるところまで移動します」
女「とても助かるわ」
場面転換・マスカット邸
長男「リヤドお前! とても我慢ならない。どうしてこの俺がこの妾腹ども如きに指図されなければならないんだ!」
三男「親父とおふくろ、それも一番目のおふくろの血を受け継いでるってことは、これカイロお兄ちゃんハゲデブ確定じゃないかな? うわこれまじでウケるよね。やっぱモテモテの僕が一番優秀じゃないかな。モテない残念な人たちには家なんて継げないよ」
次男「君達は馬鹿か。いや、知ってはいるが確認だよ。いつぞやのテスト、私は59点だったが、カイロ兄さんにサナア君、一体君達は何点だったかな? 21と13点だったじゃないか! 真に優秀な人間にこそ機会は与えられるべきだ。家を守る為には頭脳明晰な私に遺産が多く配分されるのは自然な事じゃないか」
三男「でも、リヤドお兄ちゃんはさあ、本当に家を継ぐ気があるの? 女の子に免疫ないじゃん。知ってる? 知らないだろうねー。リヤドお兄ちゃんだもんね。大丈夫? 子作りって、服を脱がせなきゃ始まらないんだよ」
次男「な、何を言っている。女性の服を脱がせるなんて……、馬鹿なことは言うな!」
三男「馬鹿なことじゃないよ。生命の神秘だよー」
長男「その点、俺は婚約者がいる。リヤドなんかと一緒にしてもらっては困る」
次男「なっ!」
三男「でもさあ、あの子絶対カイロお兄ちゃんのこと好きじゃないよねー。態度で分かるもん。最初から一番遺産を手にしやすいカイロお兄ちゃんにしただけであの子に子供とかそんな気はないよ」
長男「その時はその時、札束で頬を打てばすぐにゆるくなるさ。態度もなにも、な」
三男「その考え方古いよー。ここアラーブ王国でも最近世間の目が厳しくなってきたし、カイロお兄ちゃんも運の尽きかなあ」
長男「そういうお前だって、この前彼女への貢物の等級を少し落としたら一週間ほどシカトを食らっていたそうじゃないか。それに彼女の移り変わりも速い。確かに女は星の数ほど居るが、無限に居るわけじゃないんだぞ」
三男「ど、どうしてそれを……」
複数の足音、闖入者
女「ここも随分と賑やかになったものね」
召使「ええ、お恥ずかしい限りです」
女「いいのよ。こういうのだって私は全く構わないわ。醜くて好きよ」
召使「マスカット様がお待ちです、奥へどうぞ」
石油王「おお、来てくれたか、リカ。お前にはちょっと見苦しいものを見せてしまったな」
女「お久しぶりね。マスカット」
石油王「そこの子もなかなかにめんこい顔つきをしている。何方かな?」
少女「このお方は?」
女「私の水商売をしてた頃のお得意様。ちょい石油王のマスカットよ」
少女「ちょい?」
石油王「しがないってことじゃな。そうじゃな、人に名を尋ねるときは私から名乗るのが礼儀というものか。ご紹介の通り、ちょい石油王のマスカットじゃ」
少女「私はエリスと申します。マスカットさん」
石油王「そうかそうか。して、リカ、エリスさん。お二方は一体何用でこちらへ参られたのかな?」
女「マスカット、貴方に会いによ」
石油王「だとしたら嬉しいのじゃが、あるんじゃろう、何か。何か現金のお前をここまで動かすだけの理由が」
女「流石ね、マスカット。伊達に長く生きてはいないわね。……実はね、ひょんなことで手足を折ってしまって。怪我が治るまでこちらに居させてくれないかしら」
石油王「何だ、そんな事か。それくらいなら構わないぞ。もちろん金もとらないし、医者だって最高のものを呼ぼう。お二方の逗留中の身の安全、貞操の安全は私が保証する」
女「ありがとうね」
少女「どうもありがとうございます」
石油王「ふむ。その代わりと言っては何じゃが、お願いがあるのじゃ、聞いてはくれまいか?」
女「内容と報酬によるわね。特に後者が重要よ」
石油王「実はな、リカ、お前がいなくなった後も、私は女遊びを止められなかったよ。こうして腰を壊してベッドに釘付けになるまではな。こんな風に寝たきり、遊びも禁止となると気も滅入る。持病も悪くなった。もう、私は長くない。医者はそう言っていた」
女「それで、あの様なのね」
石油王「そうじゃ。だから、頼む。私はこれ以上息子達がいがみ合っているのを見たくはない。あいつらは私に似て、とびきりの馬鹿だが、生みの親からしてみればなかなかに可愛いものなんだ。依頼料、と言っては何だが、ほれ、このダイヤの指輪でいかがかな?」
少女「うわ、おおきい」
女「マスカットが持っている宝石類でもこれは一番良いものよ。私にはこんなものくれなかったのに」
石油王「で、どうかな。三途の川に半分浸かってしまった老人のお願い、どうか引き受けてはくれないか」
少女「……あの、この件、しばらく考えませんか? どうにも厄介な気がしますし、」
女「いいわ。そのダイヤを寄越しなさい。その依頼、このリカが引き受けたわ!」
石油王「有難う。リカ、また、夜中に私の寝室に来てもいいのじゃぞ」
女「貴方の努力次第よ、マスカット。特に寝室に良い宝石をたくさん用意する男はとても魅力的よ」
少女「…………」
少女「大丈夫なんですか? きちんとアイデア、あるんでしょうね?」
女「大丈夫よ。大船に乗った気でいなさい」
少女「その船が泥舟じゃないって、私、信用しますからね」
長男「それで、忙しい俺達をわざわざ呼び出した理由とは?」
次男「それは私も気にはなりますね」
三男「別に。どうだっていいじゃない。どうせ大したことじゃないだろうし」
女「私は昔の貴方達を知っているわ。あの頃から仲はあまり良くなかったけれど、困難に直面した時は、三人がそこそこ団結して事に当たっていたわ」
女「でも、最近の貴方達は、遺産遺産とただいがみ合うばかり、言動が目に余るわ。母は違えど同じ父の血を分かった兄弟としてもっと家の為になろうと思わないのかしら。少なくともそのような態度では誰も家を継ぐには値しないわ。そのため、兄弟仲を修復するまでの間、マスカットの名において、遺産は差し押さえさせてもらうわ」
長男「差し押さえ? あんたが?」
女「そうよ」
三男「笑わせるね。どうせそう言ってこの人は全部自分の懐に入れようとしているんだよ」
次男「ご明察! サナアにしては珍しく頭が回るじゃないか」
女「なっ!」
長男「所詮は腐れ親父の愛人の一人。卑しい女はやっぱり考えも卑しかったな」
女「ふざけないで! もう、こうなったら何が何でも遺産を掠め取ってみせるわ、愛人の権利よ!」
次男「事実婚にもなっていないのに権利もへったくれもないだろう!」
三男「お姉さん顔だけは良いのに、怒った顔物凄く怖いや。皺が増えるよ」
女「あ? 同じ事をもう一回言ってみなさい! 二度とそんな口をきけない体にしてあげるわ」
三男「お姉さんのお仕置き? なんだろう、いやらしい意味かな。僕年増はちょっと……、」
少女「……これだから嫌だったんです」
少女「私から提案があります」
長男「この前の年増と同じことを言うだけだろ? オウムのように」
女「こいつらあとで絶対に泣かせてやるわ」
少女「違います」
次男「へえ、じゃあ、どんなことかな?」
少女「要は貴方達が健全に公平に競い合えば良いんです。他の兄弟と協力するのも良し、他人を蹴落とすのも良し」
石油王「それはそうじゃ。それはそうなのじゃが、方法は……」
少女「遺産を隠しましょう、この広い敷地の何処かに。そして、マスカットさんにはそのヒントを暗号として作って頂きます。そして、マスカットさんがおかくれになった後に、暗号を公開し、正々堂々競い合ってください。ルールは簡単、最初に遺産を見つけた人の総取りです」
次男「成程、極めて合理的だ」
三男「ちょっと待って、それだとリヤドお兄ちゃんが有利じゃない?」
長男「確かに」
少女「そうかもしれません。ですが、カイロさんにサナアさん、お二人は、本気でリヤドさんが自分たちより賢いとお思いで?」
三男「…………」
長男「…………」
三男「それもそうだよね! リヤドお兄ちゃんだってテストの平均は40点台だし」
長男「確かに。そういえばあいつも馬鹿だったな」
次男「なっ!」
石油王「ちょっと待ってくれ、私のようなボケ老人に難しい暗号など作れない」
少女「大丈夫です。私は古今東西の暗号に精通しています。三人が力を合わせないと解けないものを作れるようにお手伝いします」
少女「よろしいですか?」
長男「構わん」
次男「私の優秀さが世に知られてしまいますね」
三男「いいよ。今回のは公平だしね」
石油王「息子達が納得するのなら、私はそれで充分だ」
次男「これで三ヶ月だ! どうして何も見つからない!」
三男「ま、ここの何処かにある。探すしかないじゃん」
長男「……仕方ない。お前達と手を結ぼう。遺産は等分だ」
次男「……そう、ですね。遺産が見つからない以上、止むを得ません」
三男「しょーがないなあ。あの子の思惑通りなのがちょっと癪だけどね」
女「マスカットの死後、どうなる事かと思ったけれど、なかなか上手く行ったじゃない」
少女「そうですね。こちらの出発の準備はどうですか? 怪我の方は?」
女「遺産のことは心残りだけれど、怪我も完治。出発には何一つ問題ないわ」
少女「では、行きましょうか」
女「そうね。忘れ物はないかしら」
少女「そうですね、一つだけ」
女「何かしら?」
少女「ああ、たいしたものではないのですが。あれです。……マスカットさんが遺してくれた、宝石の山のことですよ」