第一話『世界の中心にて』
女「聞いたことがあるかしら? 世界の果てって、結構優しいところらしいわ」
少女「『死に損ないは宙を浮く』第一話『世界の中心にて』」
少女「将来、将来。……私の将来。わからない、わからないよ。一体私はどこへいくの? このまま生きていていいの? 違うよね。人の許可じゃなくて、私の意志。もう、終わりにしたいんだ」
少女「ここから飛び降りて、ミライとか、キボウとか、難しいこと全部無くなってしまえば良いよね。実際、そうするべきなのは確かなんだから」
少女「ふふ、ふふふ。やっぱり可笑しいな。普通の人には薬にしかならないはずの、未来と希望が私を苛んでいるんだから。そして、本来は害毒の終わりが私の安らぎになっているんだ。ふふふ。こんなに面白いのは、ふふっ、いったい、何時以来だろうね」
少女「思えば私の人生、今まで心の底から笑ったり、驚いたり、悲しんだり、喜んだり、生きているって言う実感をしたことがあまり無いよね。毎日同じことをして、死にたいなあって同じように夢を見て。こんな人生には、早くピリオドを打たなきゃいけないよね。続けても苦痛を引き伸ばすだけで、意味なんてないんだから」
少女「でもね、足が竦んじゃう。私に度胸がない所為だよね。ばかだなあ」
少女「あと一歩、あと一歩を踏み出すだけで、私の体はばらばらのこなごなになってくれるのに」
屋上のドアが開くひどく重苦しい音
ハイヒールだろうか。誰かの足音がこつこつと軽快なリズムを紡ぐ
女「退いて」
少女「どうしてですか? いえ、まず、貴方は何者なんですか?」
女「さっきから見ていたけれど、貴方、柵に手をかけてからうじうじうじうじと。三十分は経っているわね。そういうの、見ていて鬱陶しいのよ。だから、そこを私に譲りなさい。廿八米(28m)を初速零重力加速度九・八米分秒の二乗(9.8メートルパーセコンド二乗)として空気抵抗は無視すると……、そうね、二・四秒もあれば事は済むでしょう。貴方はその間、ただそこを退いてくれればいいの」
少女「嫌です」
女「そう。でも、その二秒と少しだけの恐怖すら我慢出来なかった貴方にそんな事を言う資格があるのかしら? 深呼吸でもしたらどう? あ、ブラを外すといいわ。締め付けがない方が落ち着けるわよ」
少女「ご忠告痛み入ります。深呼吸とブラジャーですか、分かりました。すう、はあ……。ですが、心配は無用です。……今なら飛べます。躊躇いなく」
女「随分と虚勢を張るのね。なかなかに格好いいと思うわ、膝が大笑いしているところなんか特に、ね」
少女「なかなか馬鹿にしていますね。初対面で。こんなに失礼なんて。親の顔が見てみたいものです」
女「そんなもの、いたらこんなところには来はしないわよ」
少女「……そうですね。わかってて聞きましたが、あなたも……」
女「そうね。変なことを聞いた罪悪感で、場所を代わってくれないかしら。最近、お上が変なところで精を出してしまって、死に場がなかなかにないのよ。全く、世知辛い世の中になったものね」
少女「ああ、建築法改正ですか。ビル所有者に柵の強化や改修を義務付ける。おかげで、こうして飛び降り出来るような古いビルも殆どなくなってしまいましたからね。確かに世知辛いものです。ですが、今回は残念ながら、他の場所をお当たり下さい」
女「そんな場所、あると思って?」
少女「世界の中心、ここトウキョウを死ぬほど探し回って一つでもあれば大変僥倖ですね。それはもう、宝くじに当たっちゃうくらいに」
女「そうね……、そうよね。……いいわ。自殺前にこんな手間な真似はしたくはなかったのだけれど、力ずくでも、明け渡してもらうわ」
少女「ちょ、止めて下さい。頭大丈夫ですか? もしかして、地球はまあるいとか、宇宙船地球号は動いているとか言っちゃう系の人ですか?」
女「お生憎様。頭はいたって健康よ。これだけ科学技術の発展した現代において、ガリレオ=ガリレイが証明した天動説と、地球平面説を否定する気は一切無いわ」
少女「強く腕を掴まないで下さい、痛いです。痣になっちゃうじゃないですか。なんですか? 私が飛んだあとじゃ駄目なんですか!」
女「貴方だってそれは言えるでしょう。私はぐちゃぐちゃになった人のホトケに飛び込むなんて文字通り死んでも願い下げなのだけれど」
少女「ちょ、や……」
耳を劈くような火災警報機のベル
女「火災?」
少女「がぶっ!」
女「痛っ! あ、こら、卑怯よ」
少女「がぶううう!」
女「分かった、分かったわ。一時休戦。痛いのは嫌よ。……ちょっと待って、やっぱりなにか焦げ臭くないかしら。あ、火があるのなら煙草を吸いたいわね。残念なことに、さっき吸った時にライターが切れたのよ。まあ、この機会にまた禁煙でもしようかしら」
少女「そういえば……、いえ、例えこの廃ビルが火事だったとしても、火元が私か貴方しかいないじゃないですか。一体どこから火が出るんですか? 適当なことを言って私を油断させる気でしょう。その隙に私の先に飛び降りようとする腹心算。そういうの、知ってますからね」
女「どうでもいいから下!」
少女「下? え、あっ!」
燃え盛る炎。轟音がその近さを伝える
女「ここで争っていてもしようがないわね。私と二人仲良く焼肉になるなんて、貴方も御免でしょう?」
少女「……そうですね。ポンプを忘れたマッチポンプさんに言われるのはどうも腑に落ちないですが、私も烏さんかカニバリストさんの夕餉として食卓に並ぶのはとても嫌です。やむを得ません、ここは協力しましょうか」
女「逃げるわよ!」
少女「こっち、非常階段があります!」
鉄の階段を駆け抜けるけたたましい足音
少女「下から火が……、高いところってこういうところが不便ですね」
女「そうね。もう高いところはこりごりだわ」
少女「さっきまで好き好んでそんなところにいたじゃありませんか」
女「それはお互い様でしょう?」
少女「こんな危ないところに居るなんて、私たちは馬鹿か煙なのでしょうか?」
女「少なくとも、まだこんがり焼かれてはいないから、煙は違うようね。もっとも、数分後にはそうなっているかもしれないけれど」
燃え盛る火、轟音
少女「駄目です! この階段は使えません! 他のところ……、建物内部を探しましょう!」
女「エレベーターはいま鉄の棺桶よ。それに、建物の内側はもうとっくに馬鹿じゃない方の高いところ好きでいっぱいよ」
少女「なら、」
女「そうね、飛び降りるわよ」
少女「正気ですか? いきなり地動説唱えちゃったりしませんか?」
女「大丈夫よ。階段のおかげである程度下にはいけたし、多分ね」
少女「どうして、大丈夫って言えるんですか! この高さ、失敗したら私たち心中ですよ!」
女「いいえ、助かるわ」
少女「どうして!」
女「自殺って言うのはね、もっと、浅ましくて、もっと、独り善がりなものなのよ」
少女「え……?」
女「…………」
少女「…………」
女「それに、私は女と仲良く心中する趣味なんて、欠片も持ち合わせていないもの!」
風を切る音。二人の馬鹿が、地上へと投げだされた。
少女「浮い、てる」
少女(でも、このままじゃ、死んじゃう。なんとか、しなくちゃ。そうだ、ポケットに……、)
布製の何かが引っかかり、ぶちっと切れた
どさっ
ついさっきまで空にあったものが墜ちる鈍い音
少女「だ、大丈夫、ですか……?」
女「…………」
少女「え、えと。私の所為で……、」
女「……自殺じゃないって、言ったでしょう?」
少女「え……。生きてる? 生きてますよね。大丈夫ですよね」
女「ああ、もう。本当に大丈夫よ」
少女「本当に、ですか? 嘘じゃありませんよね」
女「平気よ、平気」
少女「それなら良かったです。
って、私はどうして死にたがりの心配なんかをしているのでしょうか。馬鹿らしい」
女「とりあえずは、助かったわね。四肢不随とか、ギリギリ死なないレベルの怪我になったらどうしようかと思ったわ」
少女「はあ……」
女「それにしても……、まさかAAのブラに助けられる日が来るとは思わなかったわ。あの時、貴方がブラジャーのワイヤー部分を見事に手摺り部分に引っかけて衝撃を吸収したのね。本当に奇跡的だわ。AAカップハードワイヤーwithパッド。バストサイズに悩んだいたいけな少女の涙ぐましい努力が、奇跡的に実を結んだわけね。方向は別だけれど」
少女「余計なお世話です!」
女「あれを見なさい」
少女「…………」
少女「わ、私のブラが、衆目に晒されて火炙りに……」
女「…………」
少女「…………」
女「よく燃えるわね」
少女「燃えていますね」
女「貴方のブラも」
少女「…………」
少女「……あのビル、天国へ繋がっているって、専らの噂だったんです」
女「そのようね。たぶん、トウキョウ最後の法令違反建築物よ。他の国でも似たようなものらしいわ」
少女「私、この隣のビルに住んでいたんです。128号室。それで、この噂を……、」
女「奇遇ね、127号室よ。お隣さん。もっとも、私は噂関係なしに隣が古いビルだったから飛び降りが出来ないものかとあの屋上に来ただけだけれど」
少女「そうですか」
女「…………」
女「よく燃えるわね」
少女「燃えていますね」
女「貴方のブラも」
少女「……たぶん、私のお家も」
女「嘘?」
少女「ほら、あれ見て下さい。燃えてますよね。私のお部屋も貴方のお部屋も、みんなみんな」
女「……頭の頭痛が激痛よ」
少女「はあ、これからどうしましょうか」
女「決まっているわ」
少女「そうですね」
女「死ぬわ」
少女「首吊り」
女「尊厳ある人間としてパスね。赤の他人に下の処理をされるのは生理的に無理よ。リストカット」
少女「なかなか痛そうですね。焼身?」
女「出来るならとっくにあの可愛いブラの代わりに火炙りになっているわね。薬物」
少女「成功率に不安がありますね。太宰とか嫌ですよ」
女「そうね、命を絶つことすら出来なかったら、惨め過ぎて死にたくなるわ。死ねないのに」
少女「全財産はあの揺れる赤の中。もう身一つで何も残っていない。これだけ人生の最後として申し分ない状況なのに、前世からの業なんでしょうか。意思に逆らって、体が勝手に苦しがって死ねない。どうしてこうも人の性と言うのは、ままならないものなのでしょうね」
女「……分からないわ、なにも」
少女「そうですか」
女「…………」
少女「…………はあ」
女「溜息を吐くと、幸せが逃げるわよ」
少女「こんな状況で、逃げるほどの幸せなんて残っていないので、ご心配なく」
女「…………」
少女「はあ…………」
女「…………」
少女「…………」
女「それはそうと、聞いたことがあるかしら?」
少女「なにを」
女「『世界の果て』」
少女「『世界の果て』?」
女「そう、世界の果てって、結構優しいところらしいわ」
少女「どういう意味ですか?」
女「世界の果ては分かるわよね。円盤状で平らな地球の周りを太陽が回っている。その地球のいちばん端っこのこと」
少女「当然です。小学校で習いました」
女「その世界の果ては、崖状になっているらしいの。……ねえ、そこから飛び降りることが出来たならとても素敵だとは思わない? 永遠に届かない深淵。そこにはきっと、痛みも悲しみもないわ」
少女「ふむ……、」
女「どうかしら。前のオトコに押し付けられた借金がある私にも、骨無しチキンハートの貴方のような死にたがりにも御誂え向き極まる提案だと思うのだけれど」
少女「成程、分かりました」
女「…………」
少女「貴方、馬鹿ですね。それも、地上廿八米の古いビルとかを好みそうな」
女「…………」
少女「そして、最高にクールです!」
女「…………!」
少女「行きましょうか、世界の果てとやらに。聞いてしまったからには、たとえ貴方が意見を翻して行かないとしても、私が一人で世界の果てへ向かいます」
女「分かったわ。文無し一人では限界があるし、旅は道連れとも言うわ。私が死ぬまでの少しの間だけ、文字通りの道連れ、付き合ってもらうわね」
少女「いいえ、私が死ぬまでの間だけで充分です。私が死んだあとは、自殺の意思を翻すのも一向に構いません。勝手に生きてください。勝手に死んでください」
女「AAクラスの胸と度胸しか持ち合わせていなかった貴方に言われるのは甚だ心外よ。私はどうあっても死ぬわ。貴方の柔な決意と一緒にしないで」
少女「AAなのは胸だけです! もいちど噛み付いてあげましょうか?」
女「悪かったわよ。ごめんなさい。貴方の噛み付きは地味に痛いのよ。……ほら、思い出しただけでまた死にたくなったじゃない」
少女「そうですね。どうせ数年後にはこの世にいないであろう文無し自殺志願者二人組が争うのはただただ無意味です。時間の無駄です。ですから、これからはほんの少しだけ、少しだけの期間、仲良くしましょうか」
女「そうね。高いところ好き同士、友好的にいきましょう? まずは、貴方の名前を教えてくれないかしら」