その70【勝者の凱旋】
今、真壁秋の姿を待つ、自分の気持ちは一体、どんな形をしているのだろう?
多月蒼は、家の門の外をジッと見つめてそんなことを考えてた。
かつて、蒼は敗れた。
北海道の地、いやダンジョンだから、地中で、いとも容易く自分より年下の少年、真壁秋に敗れた。
それはもう完膚無きまでに、どんな言い訳もできずに、あの時、真壁秋の中に、「しまった!」と言う自らが侵してしまった過ちにも似た制動がなければ、蒼の五体はバラバラになっていただろう。
蒼は特別な人間だった。
周りにいる人間が、全員、高い戦闘能力を持つ隠された町に生まれ、その血統からも大きな才能に恵まれ、幼少の頃から、古今無双などと呼ばれていた。
飛び抜けた才能は、自然に皆を遠ざけ、彼女自身に戦う意味さえも失わせていた。
友人や知人と戦う時、常に手加減をして対峙する。
そんな馬鹿らしさから、急に動きを止めてしまったり、隙だらけになったり。
結果として試合では負けが込み始める。
どうして負けたかは知っている。
そこに斬撃を走らせると、相手は即死する。
その場所を見つけてしまうと、どうしても手が止まる。足が動かなくなる。
結論から言うと、蒼は気がついていた。ここにいても弱さが自分を襲って来ると、ただ心技体共に脆くなってゆくばかりだと。
だから逃げた。
北海道の地に、逃げ出したのだ。
それが多月蒼の現実だった。
私はここではこれ以上強くはなれない。いや違う、もっと戦いたい、これも違う。自分でありたい、だから自分を存分に出したい、つまり自分でいたい。
それは渇望であり、欲望だった。
揺るぐことのない一つの個としての自分。
もっと早く、そして力の限り一撃を打ちたい。
そんな蒼にとって、北海道ダンジョンは最高の環境だった。
人が死なない。どんなに戦っても誰も死なない。大怪我をして、瀕死になろうとも、ギルドに連れて行けば、魔法スキルさけ使えば、瞬く間に人は蘇る。
全くのノーリスクで、簡単に生き返ってくれるのだ。
そして何より強者が多い。
当時、蒼は葉山静流との対戦を申し込む直前まで行った事もあった。
かつては『爆流の刃』と恐れられ、第二の『殲滅の凶歌』と呼ばれていた彼女との対決は、ダンジョン内は夢のカードとまで言われていた。
その時に、初めて彼女を見た時、異様にして独特な気配に圧倒された事があった。その気配は人と呼ぶにはあまりにも歪で、だからと言ってモンスターというわけでもなく。それはまるで異質なものが組み合わさって、葉山静流という袋の中に押し込めた様な、冷たい肉と血が、ザラリと蒼の肌を撫でた。
強い。
たった一点において、葉山静流は蒼の正に理想だった。
何度か遭遇するものの、戦いにはならなかったが、目の前にいる自分よりも年下の少女は、化け物に見えた。
蒼はその時点で歓喜する。
どう挑もうかを考える。そしてその手段によっては自分の死が明確に見える時もあった。
そんな時、自分の組織に潜り込んだであろう裏切り者をあぶり出していた時に事件は起こる。
あの時、蒼の指示ではピックアップして何人かの人物を拷問しろと指示を出したはずだったのだが、どう言うわけか切れ者の椎名だ一人処刑されることになってしまっていた。今にして思えばそれすらも当時、ダンジョン内をかき回そうとしていた異造子たちの肝経だったのではるが、当時の蒼には知る由もない。
だから、蒼は、彼女は椎名は違っている。それは自分の意思を伝えに行こうと思った時に、彼は現れた。
扉の向こうから軽快に聞こえる軽い足音。
誰もものでもない、知らない足音、そして室内にはわずかな血の匂い。
戦闘が終わった独特の雰囲気があった。
何より、中からあの葉山静流の、一度体感したら忘れないあの異様な気配が漂っていた。
この時蒼は思う。先手を打たれた。つまり、もうすでに葉山静流に襲撃を受けてしまっていたと、そう勘違いしたのだ。
だが、違う、今扉に向かって小走りで駆けて来る人物は葉山静流ではない。
つまり仲間だ。
戦闘を終えて、ほっとしている、しかし焦る気持ちを漏らして近づいてくる人物。
扉に掛かる手、ゆっくりと開き始める。蒼は、この時迷わず一撃を入れる為に、空に飛んだ。
確実に首を落とすつもりの一撃は、彼女の持っていた浮き鴉ごと葬り去られた。
その時、蒼は思った。的確にその首をもらったと。
浮いた鴉は確かにその人物の首に触れていたのだ。
もうこの時点で勝敗は決している。動くことのない勝利を蒼はその刃を体に受けて尚、そのあまりの早い速のために気がつかなかった。
互いに驚いている顔が対面する。
あの時のお屋形様の表情は今でも覚えている。
自分で私を切り刻んておきながら、とても驚いた顔をしていた。
そのまま、大量に出血して意識を失う蒼は、まるで眠りにつく様に倒れる体を彼に支えられる。
次に気がついたのは、ギルドの保健室だった。
無事だった椎名と、真っ青な顔をしている五頭が、自分の身に起こったことを教えてくれた。
その事実の前に、蒼は、負けた事が嬉しかった。
葉山静流よりも遥かに高き頂きを目の前にしたのだ。
あの人なら自分の全力を受け止めてもらえる。
自分の中にある全部を出せる。
気持ちの上では、その感情は恋愛で言うところの一目惚れにも似て、また、例えて言うなら、絶対に壊れる事が無い、おもちゃを手に入れたと言う心情にも似ている。
今は多月の屋敷の中で、過去になってしまったかつてを思い出すと、蒼は呼吸すらするのが辛くなる。こんな感情、どう表現していいのか皆目見当もつかない蒼でもあった。
そして、耳や目などよりも早く、あの時、自分を刻んでくれた、今はもうない傷跡が切なく響く、それは彼が近づいて来ていることを教えてくれる。
蒼は屋敷から外に出る。
そして、屋敷の門から続く道を見つめる。
また、あの軽快な足音が聞こえて来る。
そして同時に、焦りと不安。
今日は一体、何を焦っているのだろう?
そして、その感情を抱く少年は、門から屋敷へと向かって来る。自分に近づいて来る。
目の前に立つ真壁秋。
そこに待つ多月蒼に向かって、胸中の不安を小さく漏らして言う。
「僕、これで蒼さんと戦えるんだよね?」
屋敷の玄関先には多くの人間が出ていた。
皆、一眼、この奇跡を起こした少年を、見たかったのだろう。
みんな驚いている。
真壁秋の強さに驚愕している。
蒼は鼻が高かった。
見たか、これが私のお屋形様だ。
そう言い出しそうになるのをジッと押させて、真壁秋に蒼は言った。
「はい、優勝はお屋形様です、ですから御前試合のお相手を、本日、最強のお屋形様にお願いします」
すると彼はニッコリと笑って、
「喜んで、蒼さん、楽しく戦おうね」
と言われて、まさに天にも登る気持ちの蒼出会った。
ああ、またこれで戦える。弾けてしまいそうな、そんな気持ちも体もしっかりとぶつけられる。
まるで、初恋に焦がれる少女の様な、そんな蒼でもあった。