その50【夢か、うつつか、朧鴉】
集霧院の工房には、一応、造った武器、刀や剣を実際に振える場所がある。
山側にある建物から、大きく建物を迂回して、再び、下がると、そこには試し場なる、単なるひらけた広場がある。
ここは工房の専門の場所であり、普段は滅多に使用はされていない場所であるが、特に秘密の場所というわけでもない。その証拠に、広場には普通に町の者の住宅が隣接していた、今は、3方向をその住居の塀によって囲まれている所謂行き止まりの土地だ。
そんな場所に、微水は今日花を連れてやって来ていた。そしてその後ろには、菖蒲を先頭に、工房の人間が数珠なりについて来ている。
「悪りぃいなかーちゃん、俺、普通の剣で斬らたくらいじゃ死なねーんだよ、だから、その剣を造ってもらったんだ」
と弾けるような笑顔で言う。まるで、今から楽しげな所に遊びに行くような、そんな表情だ。
でも、その長身から、自分の横を歩く今日花を見る目が少し曇って、
「嫌な役させることになってごめんな」
と言った。
そんな風に言う、自分の身長の2倍以上ある青い鬼の顔を、その眼をジッと見つめて、今日花は言う。
「いいわよ、そのくらい」
と、まるで小さな作業でも手伝うくらいの返しである。
「やっぱ、あんたら親子は凄いな、きっとあんたたちならなんでも殺せるよな、なんでも斬れる、もうちょっと早く現れてくれればよかったのにな」
そんな風に言う青鬼に、
「死ぬのはきっと痛いわね」
そう今日花は言った。
「しかたねーよ、でないと俺は終われないんだ、この町の連中も先へ行けねえ、やりたくないのはわかる、でも頼むよ、もう、かーちゃんしかいないんだ」
切々と鬼は語る。
そして、
「多月の!」
と自分達から距離をとって付いて来る菖蒲向かって声をかける。
「俺が死んだら、ちゃんと町を開いてくれよな!」
と声をかけた。対する菖蒲は、
「そんな事出来ません!」
と叫ぶのではあるが、どうしてか、二人並んで歩く今日花と青鬼微水の間には割っては入れないと思った。その場所は人が、どんなにこの町にいようと、この町そのものの考え方になろうと、そこに到達できない、不思議な意識と意図を感じてしまう。
だから、
「今日花さん、やめてください、微水様は大事なお方です!」
と、そんな言葉を何度も繰り返して訴えている。
そう言いながらも、こんな言葉では止まらないと言うことは重々承知な菖蒲である。
もう、いざとなったら力尽くで止めるしかないと、一応は持って来ていた、刀はある。
しかし、どう考えても、自分が前を歩く青鬼である初代の微水、そして、菖蒲にとって未だ底が知れない今日花に勝てるなどとは思っていない。
もし、今日花が、朧鴉で青鬼である微水を討とうとするなら、自分の命を差し出そう。
その刃と微水の間に自分の体を差し出そうと決意する菖蒲である。
いや、きっとそれは菖蒲ばかりではなく、ここにいる工房の女達もまた同じ気持ちであった。
ここは多紫町。鬼が造った町なのだ。
この町こどが微水であり、それは礎とか、根幹とかそんな生易しい存在ではない。
この町そのものが、この優しい鬼でできているのである。
おそらく、誰もが初代微水様の為なら命を投げ出す覚悟がある。
そして、それはまた微水も同じであった。
自分の存在が散ってゆくことで、この町は本当に幸せになると、そう思っていた。
自分の剣が切られた、そしてこの異常な強さを持つ親子。
何もかもが終わりに近いと言うことを微水は悟っている。
だからこそ、今、ここで自分は引こうと決めたのだ。
もう、なんの不安も心配も無い。
きっと自分がいなくてもこの町は大丈夫だと、そう思っている。
結局のところが、町も微水も互いが互いを思いやる、そんな心がもう何百年も彼等を縛っていると言う事実を知らない。
そうこうしているうちに、微水と今日花はその広場の真ん中付近に着いた。
空を見上げると、雲一つ無い大空。
死ぬには良い天気だと、微水は思った。
そこにゆるりと胡坐をかくかいて、
「じゃあ、頼むわ、かーちゃん」
と今日花を見て、言った。
「わかったわ、ちょっと待っていてね」
と今日花は朧鴉を振りかざす。
微水は、その瞬間を待ちわびるように目を閉じた。
まるで動かない。
全く何も来ない。
一体何をしているんだ、そう思って目を開けようとする微水に向かって、
「まだよ!」
と今日花にしては強い口調で言う。つまりは絶対に目を開けるなってことである。
そして、その耳には、周りにいた者達のざわめきが、菖蒲の息を飲む、そんな声すら聞こえて来る。
一体、何をしているんだ?
流石に気になる微水である。
そして、そんなタイミングで、今日花は言う。
「目を開けていいわ」
と、その小さな手は、微水の顔に触れて、グイッとその視線の方向に顔を向けられる。
眩しい世界。
目を瞑っていたせいもあって、光が撒き散らかされたそんな世界の中、そこにいる人影を見て、微水は息を飲んで驚く。
「いや、そんなバカな!」
微水は一度、今日花を見ると、その表情は穏やかに微笑んでいる。
「そんな筈ねえ、あいつはとっくの昔に死んだんだ」
まるで怒鳴るように言う微水に、
「ちゃんと見て」
と今日花が促すと、その視線の先を見て、大きな目をどんぐりの様に見開いて、初代微水は、青い鬼は言う。
「碧……」
それは二代目微水の名前。
今、鬼の微水は、手の届きそうな近くで、死によって距つ、幾久しく会うことができなかった、二代目微水の姿を見つめていた。
もう二度と会えない筈なのに、ここに居るわけがないとわかっているのに、二つの目から留めなく流れる涙が、余計にその懐かしい姿を朧げに見せていた。