その49【二代目微水作 朧鴉】
その時、その工房にいる全員は手を止めて、今日花が何の気なしに振り続ける朧鴉のその軌道を見つめていた。
その今日花はと言うと、このどう扱っても、例えば箱から取り出そうとしても、形を維持すらできない剣を振って、
「剣ね、でも複雑かしら」
今日花は、この朧と呼ばれる鴉を構成する小さな破片の一つ一つを見る様に観察しながらそう呟いた。
2代目微水が唯一残したとされる、鴉が今、舞っている。
これは奇跡かそれとも夢か……? そう初代微水、青い鬼は思った。
そして蘇るのは、二代目微水のその姿と声。
あの時、彼女は言った。
「わかった、あんたが死んでしまえるくらいの武器を作ったげる、びっくりしなさいね」
それを頼んだのは、青い鬼自身。
2代目の微水は、青い鬼であった初代の微水にとっては特別な人だった。
赤子の頃から知ってる。
歳をとって死にやがった。
誰にも言ったことはない。でも青い鬼は、その時泣いた。「ふざけるな!」と言って怒った。「なんでだよ!」とふさぎこんだ。最後に残った悲しみを抱いていつまでも泣いていた。思い出し黙り込むとあの時の気持ちが出てきてしまうから、そばにいる今日花に話す。
「変わった奴でさ、この町を裏切った奴に為に、寝る間も惜しんでセッセとつまんねえ、刀や槍作ってさ」
「俺が刀匠の技を教えてやったら、代わりに、人の一生を見せたあげるとか言いやがってさ、マジふざけてるだろ?」
と悪態を付くが、もう泣きそうな顔をしてる。
この町は、と言うか里は、一度は公開される機会はあった。しかし、それは里の多くのものの意見によって、良いとはされなかった。
ここには青い鬼があり、その鬼はずっとこの町を守ってくれてきた。当時、巷では悪い鬼の噂もあって、鬼は時の政府の討伐の対象になっていた。何より、この里においては、まるで鬼を神の様に、時として家族の様に取り扱う為に、里全体が討伐の対象になりかねない。鬼というだけでも、恐怖や憎悪の対象とされていた時代なのだ。
だから、鬼の為にも、この里をそのまま維持しようとする人間が大半だった。
つまり、鬼のおかげでできたこの町は鬼の為に町を閉じたのである。
そのことについて、微水としても、よくは思っていなかった。
自分の存在が足かせになっている、そう考えるのが自然だろう。
だから、初代は二代目に言う。
「なあ、お前が俺から得た技術を使って、俺を殺せる剣を作ってくれないか?」
青鬼は基本死ねない。
当時の技術では殺すことはできない。
どんなに怪我を負ってもたちまち再生するし、首だけでも生きていける。
その恐るべき生命力は、遺憾無く発揮され、この町を守ってこれた。
だが、今、それが足かせになってしまっている。
自分がいるかいる限り、この町に鬼がいる限り、この町はずっと閉じたままになる。
そう思うと寂しい。
寂しくて、そう思えてしまう。
「あいつは何したかったんだろうな? 人の一生なんてもう何度も見てるって、だって、俺だけ一人でずっと生きてんだ」
乱暴な言い方なのに、まるで怒鳴る様に言っているのに、今日花はそんな青鬼の顔を、ニコニコしながら見ていた。
まるで、あいつみたいだ。
そう微水は思う。あの二代目みたいだって思った。
あいつは俺の子供でも、兄弟でも、ましてや親でもない。
でも、死ぬまで、息をひきとる瞬間まで一緒にいてくれた。
みんな、別れるのが辛いからと、一定の距離を置く微水に対して、どこまでも当たり前に接して来て、普通に喋って、自分の老いを堂々と見せてくれて、その死を、自分に見てくれ、ずっと見てくれって懇願した。
「どうしていいかわからないこんな俺に『ありがとう』とか言いやがんの、なんだよ、それ? おっかしいだろ?」
大きな初代微水の声に、いつの間にか集まった、仕事をほっぽり出していた工房の人間は、ただ何も言わずに見守っていた。
立派な鬼で、この町の守り神、この集霧院の刀匠の祖にして、この町の象徴であるこの鬼が、まるで子供の様に、今日花にその思いの丈をぶつけている。
その感情がしぼんで行く最後に、微水は言う。
「もう、嫌なんだよ……」
がっくりと肩を落とし、そして、今日花に懇願する。
「だから、もう終わりにしたんだ、俺の剣を切った奴なら、あいつの朧鴉を使えるだろ?
、だからあの坊主のかーちゃんでも一緒だ、なあ、俺を斬り殺してくれよ」
微水の願いに、工房はまるで水を打ったように静かになる。
どこからか聞こえて来る水滴が水面を打つ音。
その静寂は永遠に続くと思われた。
しかし、今日花の声がその静けさを裂いて進む。
「何? あなた死にたいの?」
言葉とはまるで相反する表情は、普通の今日花である。ちょっと小首を傾げている。
その言葉にまるですがる様に、
「うん、もういいや、そしたらここにいる連中も外に出れる、この閉じた町が終われるだろ」
と言った。嬉しそうにそう言った。
「ダメです微水様!」
そう言ったのは、多月の家の家長である菖蒲であった。
実は、あの朧鴉を使う事の出来る人間が現れたと、工房から連絡を受けて、今急いで屋敷から駆けつけたのである。
もちろん、その使用者が今日花と聞いて至極納得している菖蒲であり、その駆けつけた場所ではこんな話になっていた。
微水の言葉を聞いて、思わず出てしまった言葉である。
しかし、微水は、にっこりと笑って、
「悪い、俺、今日、死ぬわ」
と、まるでどこかに遊びに行く子供の様な、そんな表情で言った。
そして、何かをいいかける菖蒲、すがりつく様に、微水に近く、何か言わないと、止めないと、流行る気持ちが前には出るものの言葉にはならない。
思わず助けを求める様に見る今日花の顔は、菖蒲もほっとするくらいの笑顔で、言うのだ。
「好きにさせてあげましょうよ」
「え? でも、それでは微水様は……」
その微水様とは言うと、
「ありがとうな、かーちゃん」
と満面の笑み。
そして今日花は言う。
「ここじゃダメね、もっと広くて明るい場所がいいのだけれども」
と自分の希望を言って、工房の人間に希望の場所を選定させていた。
「ダメ! ダメですって、うちの町の神様ですよ!」
と叫び、
「本当にダメです微水様……」
崩れる様に、膝を折り、こんな大事な事を、どうして急に、思う自分自身もまた微水様の気持ちを察する事の出来なかった無様をただ後悔するだけだった。