その43【今日花無双】
まるで、今日花の前に自分の首を討てと言わんばかりにがっくりとその頸椎を晒す。
「いいかしら?」
そう今日花が声をかけることには既に相手に戦意などは皆無だった。
そんな事が繰り返され、今日花の歩いた後には、多くの挑戦者が首を垂れて、あまりに強大な力の前に未だ惚けていると言った具合だ。
その今日花はと言うと、
「みなさん、お強い人、多いんですね」
と後ろを歩く菖蒲に微笑みかける今日花であるが、
「え?」
と思わず、何を言っているのだろう、この人は的な声が出てしまう。
ほとんど、初手で決まってしまう。何よりこんな決着は見た事がなかった。
特に、勝ち負けに執着する人も多いこの町だ。
なかなか、一手のみで引きさがる人間も少なくない。
特に最初の百舌家の家長などは納得するまで掛かって来るし、何度負けても挑んで来るし、しかも隙を狙って来るので、一度の勝負が日数を隔て、時には月をまたいで争うこともある。なかなかに勝に卑しい人物として有名である。
もちろん付き合いはあるので、それほど嫌な人間でもないし、ただ勝負になると人が変わってしまうのだ。
それが、たったあれだけで、負けを認めるなんて、そして今もまだガッカリとうなだれている。
そんな光景を見ながら、菖蒲は今の自分の感情を決めかねていた。
と言うよりよくわからない。もちろん驚きはある、しかし心の底から湧き上がるこの感情はなんだろう、ふと気を許すと口から笑い声も溢れてしまう、だから喜びなのだろうか? それとも可笑しさ? いや寧ろ恐怖、畏れかもしれない、ともかく判断がつかない。でも、こうして前を歩く、清楚で可憐でとてもあんな大きな子供の母親には見えない婦人が、もはや人に見えないのもまた事実であった。
そして今もまた誰かが挑み、負けている。
感心するのは、最初は止まって相手をしていた今日花であるが、今は普通に歩きながら相手をしている。しかも普通に歩くペースがまるで崩れていない。いや、ちょっと早いかもしれない、だから付いて行く菖蒲も置いていかれそうになる。
そんな菖蒲を気遣って、
「ごめんなさいね、ちょっと歩くのが早かったですね」
と言って謝ってから、
「娘が心配なモノで、お恥ずかしいです」
と言いながら、また一人屠った。
「いえ、まあ、はあ……、ですよね」
と、合わせはするものの、この目の前に広がる光景に、脊髄反射で声を出すだけの返事になってしまう。
ここまで来ると、もう別世界の住人、いえ神? 寧ろ武神? 降臨を目の当たりにしているかの様な気がして来る菖蒲でもある。
本当に、強いってなんだったっけ? なんて迷走もやむ終えない。
だから、ついフラットになる感情は聞いてしまった。
それはこの親子が来てからの疑念だった。
「あの、やっぱり息子さんもお強いんですか?」
その言葉に、
「いえ、まだまだですよ」
いや、だって、あなたが産んで育ててるんですよね? と喉まで出かかってしまう。
と言うか一瞬でてしまいそうになる、でもその前に、
「あの子が初めてヒグマを倒したのは、4歳の時ですからね、母親として、せめて幼稚園に行く前にそのくらいは、ね?」
と逆に尋ねられて、北海道民ではない菖蒲もヒグマくらいは知っているので、野生会最強の人って事実くらいは知っているので、なんて当たり前の事を尋ようとして自分が恥ずかしくて、良かった言わなくて、と安堵するものの同時に、これ違う。もう全然違う。きっとこの町であっても強いとか弱いとかの、そう言う話はできない人かもしれない。
この親子、強さの基準がちょっとおかしい。
まるで、身長の話をしている最中に宇宙の広さを諭される気分にも似ていると、自分の生み出した比喩に至極納得する菖蒲であった。
ジッと見つめる菖蒲に今日花は、
「奥さんも、やります?」
と菖蒲の一応にと片手に持っている刀を見て言ってもらえるけど、
「いえ、そんなもったいない、私は……」
と一歩引いて言われる今日花だった。
わずかに歩くコンビニまでの距離。
腕に自信のある多紫の女達を歩く速度で殲滅して行く今日花。
多紫の町は静かに今日までの価値観を歩く速度で壊されて行くのであった。