その31【落ちた化生、ムスメヲウバワレルカナシキチチ】
僕らが多月の屋敷に戻ってみると、そこには黒山の人だかりが出来ていた。
辰野さんたちもいる。そして、
「なんだ、来たのか真壁」
とその黒山の人だかりの中にあって、腕組みして、多月の屋根を見つめていた白馬さんが、僕に言ってきた。
そういえばこの人達も来てたんだね。
そう思いつつ、白馬さんの視線に合わせる僕は、今お世話になっている多月のお屋敷、外見が3階建てなんだけど、屋根が瓦なんだよ、北海道は寒冷地だから、瓦ないんだ、低温と氷で割れてしまうのと雪があるからね。
で、その瓦の屋根の上に人影が見えるんだ。
なんだろう、人っていうか動きがちょっと普通にモンスターっぽい。
三角屋根の瓦の急斜面を、そういう生き物だね、って動きで四足歩行というか、張り付いてる、虫みたいな動きをしてる。
「ムスメハヤラン……ゼッタイ二ヤルモノカ……」
なんか呪いのかかってそうな言葉を呟いて、カサカサ動いてる。と言うかなんだこれ?
「お父さん! 早く降りて来て! 大丈夫、私、お嫁になんて行かないから!」
ってこの野次馬の中の最前列で三爪さんが叫んでる。
唖然と見ている僕に気がついて、
「お屋形様、すいませんお恥ずかしい所をお見せしています」
と恥ずかしそうに言うんだけど、一体これは何?
僕の疑問に、スッと横に現れた蒼さんが、
「アレは、『ムスメヲウバワレルカナシキチチ』です、愛する娘を嫁に取られることにより、暗黒面に堕ちてしまったのです、もうああなると、こちらの言葉は届きません、以前は、私の母の時ですから、二十年前ぶりの出来事です」
そっかちゃんと名称があるんだね、しかも事例もあるんだね。大丈夫なの? って聞こうとすると、
「ああ、婿殿、ここは大変危険です、どうか屋敷の中にお入りください」
って蒼さんのお母さんが駆け寄って来て言うんだ。
改めて、屋根の上の三爪さんのお父さんを見るんだけど、まあ、確かに危ないねえ、パッっとした見た目だけど、あれ、人外の戦闘力を保有してるのはわかる。どこの深階層のモンスターだよって見た目。今にも口から火を吐きそう。
「この町を守る為に、町の力を吸い上げて能力を拡大してますから、大変危険な存在です、何よりこちらの言葉も届きませんし」
と焔丸くんが教えてくれた。
「ねえ、真壁、撃っちゃう?」
と葉山の奴、腰のバルカを指してどこか嬉しそうに僕に言って来るんだけど、地元のトラブルは地元に任せたほうがいいから、「余計なことしちゃダメだよ」って言っておいた。
しかも、町の住人なら、倒してお終いってわけにも行かなし、怪我はし仕方ないとしても、命まで奪うわけにも行かないから、その辺の加減が必要だよね、アレ相手にね。
「麻酔銃とか?」
「自身の身よりも大切な物のために限界を超えてますから、一種のトランス状態で、麻酔の類は効きません」
と蒼さんが教えてくれた。
うーん、厄介だね。
第一、もう、その大切な娘の言葉さえ届かないのだから、どうしようもないじゃん。
「このまま監視を続けて、屋根の上から降ろさないようにして疲れるのを待つしかないんじゃない?」
一応、提案してみた。
すると、
「いえ、あの三爪家の家長は、無尽蔵な体力の持ち主ですので、強化されている彼が倒れる前にこちらが疲弊します」
一番ゾンビになってはいけない人がゾンビになってしまったみたいな話になった。
そんな僕の前で蒼さんのお母さんは、
「最悪、腕の一本二本は覚悟して、できれば足を奪って身動きを止めます」
とスッとその手に持った日本刀を抜く。綺麗な直刃。その銘は『伎燕』16代微水の作品らしい。
「五頭家と四胴のものはいますか?」
あ、五頭さんとさっきの四胴の女の子、僕の回復を見守ってくれてた女の子ね。
「はい、ここに」
って声を揃えて言ってた。
「動きを止めた後の事はお願いしますよ」
と言う蒼さんのお母さん、怪我の回復役の存在を確かめてから、一つ深呼吸して、事に当たろうと思った瞬間の出来事だった。
屋根の上から、その『ムスメヲウバワレルカナシキチチ』は、よりにもよってこっちに向かって飛んで来た。
早、で、本気でこっち狙ってる。
ああ、いや、違うなあ、あ、このコースはまっすぐに、
「え? 俺か?」
まあ、そうだよね、そりゃあ奪う対象に攻撃は向くよね、まあ、白馬さん頑丈そうだしヒーラーもいるみたいだし、即死しなさそうだから大丈夫か、って思ったら、『ムスメヲウバワレルカナシキチチ』は白馬さんに突っ込み接触する瞬間に、真横に飛んで行った。
蒼さんのお母さんが刀を振るう暇もない間に、そのままトラックに跳ね飛ばされたみたいに、道路に激しく転がって行き、角のガードレールにぶつかって止まる。
そして、その後はピクリとも動かない。
「きゃああ、あなた!」
あ、あの人が三爪さんのお母さんだね。
「あはは、結構飛んだね」
と言うのは菜箸を手にした僕の母さんだった。
「死んだ?」
って思わず聞いてしまうと、
「やあね、ちゃんと手加減してます、でも脳が揺れてるから、二、三日は寝かせておいたほうがいいかもね」
と、蒼さんのお母さんに向かって言った。そして、
「倒してしまってよかったんですよね?」
と、あまりの唖然ぶりに、少し不安になったのか、母さんは尋ねてみると、
「は、はい、あ、ありがとうございました、で、それで? あれ?」
とか、かあさんの顔と母さんが持っている菜箸を交互に見て、わかりやすく取り乱す。
すると母さんは、
「ああ、ごめんなさいね、持って出てしまって、きちんと洗っておきますから」
と、妙にトンチンカンな事を言ってた。
「い、いえ、お構いなく」
そう言うのが精一杯な蒼さんのお母さんだった。
気がつけばみんなかあさんの周りに集まってる。
ただ一人、自分の夫を飛ばされた三爪さんのお母さんだけが、未だ意識を取り戻さない夫を抱きかかえ、揺り動かしている。
あ、だから脳震盪起こしているからそっとしとかないと、て、葉山が言いに言ってくれた。
よかったね、これできっと三爪さんのお父さんも暗黒面から帰ってこれるよ。
「これがお前の日常なんだな」
って白馬さん。
いや、もう、そんな目で見ないでってば。なんか恥ずかしい思いの僕だったよ。