その30【父は悲しみに暮れその絶望は憎しみ変わる】
三爪家は、古くより本家でありこの町の歴史そのものとも言える多月家を代々支え、かつて、この町を、そして何より多月本家、さらにはこの町の守り神様とも言える微水様にすら反旗を翻した二肩家を許すきっかけを与え、つまりはこの町の為誠心誠意に尽くして来た。いわば、この町を影からもずっと支えて来た、そんな家系である。
だからこそなのかもしれない、ならばなのかもしれない。そして、これは余りにも、かもしれない。
今、三爪家の家長であり、つまりは 今、目の前に正座して座る三爪葵の父である。
娘はいいのだ。
しかし、しかしだ、隣の男はなんだ?????
彼、三爪の家長である朱鷺郎は、今初めて、目の前に実在し、そして尚認めるわけにいかないものの存在を見た気がいした。
そして、その存在はどう見ても、どこから見ても非の付け所もなく、自分を振り返ってみて自分がその目の前の青年と同じ歳の時、ここまで堂々としていられただろか?
当時の朱鷺郎は幼少の頃から健康の為に始めた空手(フルコンで極小流派)にハマりにハマって、ストリートファイトと称しては町でゴロツキや自分と同じ様な格闘家と渡り合って、つまりは『俺よし若干強いヤツに逢いに行く』という青年だった。
そんな青年も、世界を股にかけようと決心した日に、家に帰る途中に乱入して来た謎の格闘家に当時は再起不能の一撃を食らって倒されてしまう。
もちろん、彼は常日頃、「格闘家はスポーツ選手じゃねえ、どんな卑怯な事したった最後に勝てばいいんだ!」と豪語しているファイターだった。
つまりそれは正当な勝負なのだ。隙がある自分の落ち度だと今も考えている。
つまり、彼は不意打ちを食らった。
住宅街の曲がり角。
何者かが駆けてくる気配はしていた。
だが、その時は、近所の女性と思った。
軽い足音だった。
そして、確認した上での邂逅。
その相手は視認できる様な、そんな速度ではなかった。
まるで衝突の際に意識をそこに置いておかれるよな、そんな一撃。
あの技はおそらく『鉄山靠』。
しかもこの破壊力、ニノ拳いらずと謳われ、一撃必殺の李書文直系八極拳。
たったの一撃で吹き飛ばされる中、あの軽い足取りは、劈掛拳のものであったか? なるほど、 あの軽い足取りは軽身功のものであったか…… 劈掛拳で入って八極拳で極める。理想的な攻撃だ。自分もこれほどの格闘家に目をつけられる様になったのかと、死を意識できるほどの攻撃を食らいながらもどこか誇らしく、そして満足感もあった。これほどの使い手に倒されたなど、格闘家として、まさに一片の悔いなしな、朱鷺郎であった。
ただ、薄れ行く視界の片隅にどういう訳か食パンが見えた。
間違いなく口に咥えていた。
よほど慌てていたのかもしれない。
そして意識の途切れた朱鷺郎が次に目が覚めたのは、大きな病院だった。
どうやら助かった様だ。
話を聞けば、たまたま通り掛ったロールパンを咥えた少女にが通報して、救急車を呼んでくれたらしい。
そう、パンを咥えた少女が教えてくれた。
この時、朱鷺郎は思った。
この娘は誰だろう?
食われているパンが食パンではなくコッペパンだったので、おそらく初対面だと朱鷺郎は思った。
しかも見ず知らずのその少女は献身的に朱鷺郎の看病に当たってくれて、しかも健康保険など持ってない朱鷺郎の病院代まで負担してくれた。
なんとお礼を言ったらいいのか、とそう思う頃には既に朱鷺郎はこの少女に恋をしていた。
二人で過ごす何気ない日々、
そして時は流れて現代。
美しく凛としたかつての妻。
いつもパンを口に咥えたままの妻。
今も朱鷺郎の隣で、山崎パンのナイススティックを咥えて、微笑ましく前に座す娘と若い男を見つめていた。
そしてその妻によく似て美しく娘も成長した。
その娘は、この町の仕来りに従って男を連れて帰って来た。
その男、青年は聞けばこの年齢で自衛隊に勤めて、そして、現在の年齢では考えられないほどの階級になっているらしい。
つまりは将来安泰なのだ。
しかも、男の朱鷺郎から見ても、優しく頼りになりそうなのが本当に、訳も無く腹が立つ原因にもなっていた。
ちなみに、三爪葵と白馬勝已であるが、この二人、付き合っているという事実は全くない。
特に三爪の場合は、自衛官という職業と、秋の木葉の立場、そして北海道ダンジョンウォーカーとしての毎日に満足していて、ほとんど恋などに全く興味はないのである。
しかし、今回は皆、相手を連れて帰っている様なので、うるさい事を言われないうちに男を連れて帰っておこうと言う打算があった。
もちろん、白馬としては、そんな同僚部下に付き合った格好になる。ともかく、白馬と言う男は仲間思いなのである。
そして、その二人は、今の現状を確認する為に、瞬きと唇の動きで簡単なモールスを使ってやり取りをしているのである。
ちなみに発信は白馬から、内容は、「ちょっとお前の父親、おかしいぞ」である。
そして三爪からの回答は、「適当に折を見て現地から脱出します、話を合わせてください」
であった。
しかし、今現在とてもデリケートになっている、父朱鷺郎にとってはそれは正にアイコンタクト以外の何物でも無く、つまり、目で合図して、父親の前でイチャコラしていると受け止められている。
もちろん、今まさにはち切れそうな胸を押さえつける朱鷺郎である。
もはや既に目で語り合う様な関係なのか……。
朱鷺郎の心は絶望に沈み始める。
かつての葵の、小さかった頃の葵の笑い声が、朱鷺郎の中でリフレインする。
それは一瞬の逃避だったのかもしれない。
朱鷺郎は思う。
もう、立派な大人、そう、子供ではないのだ。と納得しようとする。
その時だった。娘、葵は言う。
「お父さん、私、白馬さんにこの町を案内したいの、二人っきりでちょっと歩こうかって、ねえ」
と白馬に合図する三爪の娘、葵。
「ああ、そうだな」
と白馬もそれに準じた。
そして二人は出かけて行った。
どこへなりとも、二人っきりにないたいが為に、娘は父を置いて、その男と二人っきりで出かけてしまったのだ。
それが、引き金だった。
なに父親の前で二人きりになるとか言う? ダメじゃん、何するつもりだ! いやだ、だめだ、いやでもそれが今の娘の幸せなんだ、俺の不幸が娘の!!!!!!
娘の幸せを願う父。
娘を独占したい父。
その両面が呪撃の様に爆発を繰り返し、やがてそれは出口を失っている為に、縮退を開始する。
つまり朱鷺郎の心に大きな暗黒が出来上がってしまう。
それは点となって、朱鷺郎の心にある幸せな思いも全て吸い込み砕いて行く。
「許さん!!!!」
と朱鷺郎は呟く。
「娘はやらんぞ!」
こうしてかつての格闘家、俺より若干強いやつに会いに行くがコンセプトだった葵の父は殺意(娘は絶対にお嫁になんかやらん)の波動に目覚めてしまうのであった。