その28【百目家 月が綺麗です】
百目家では、物事の確信と言うか新しい門出に近づいていた。
もちろん、それは早るご両親の気持ちというか、少しでも娘に幸せになってもらいたいと言った親心の蒸気カタパルト並みの射出にも近いフライイングでもあった。
それは……
「式の日取りはいつにしよう?」
と言う内容だ。
夕食の時の、紺の両親の申し出に、口に入れたアマゴの塩焼きを吹き出しそうになって、目の前にあった、割と楽しみにしていたイノシシチャップ(ポークチャップみたいな物、多紫町では割とポピュラーな食べ物)をダメにしかけるほどの衝撃を受けてしまう。
「お、お父さん、そんなのまだ早いから、びっくりするじゃない!」
慌てる紺にに続いて、
「そうですよお父さん、まず段階を踏んでね、一歩一歩よ、まずは婚約よね?」
と言う母も、父親の着地点から若干記録が伸びなかった程度には突っ走っている。
「さあ、どうぞ」
と、間の悪さを埋めようとして、水島とビールを注いで来ようとする。
「母さん、まだ早いよ、水島先輩は!」
と、言う娘の言葉に、
「何か早いの? 三爪さんのところは、ご主人が意識不明の時に外堀を埋めて、婚姻届を出していたって言うわよ」
いや、それ犯罪だから、公文書偽装だから、と、蕨の味噌汁をすすりながら水島は思うが、決して口には出さなかった。と言うか、特に母親の方の必死さが伝わって来るから、ここは黙っておくべきたろうと言う判断をしていた。
「もう! 母さん、水島先輩は未成年だよ」
「だから、結婚って話を飛ばさないて、ここは婚約をね、そうですよね水島くん、ささ、一杯」
紺の母や決して非常識な方でも増してDQNでもない。増して普段から未成年にガチのビールを勧める様な人間ではない、テンパっているのだ。
自分自身もまた、ここにいる主人と出会い、結婚に至るまでは苦労していると言った、母的心情が、娘を慮る気持ちが、どんどん母を追い詰めて行く。
「母さん、水島先輩はビールダメだって!」
と堪らず叫ぶ紺に、母は、あ、そうか、って顔して、
「日本酒はどう?」
って真顔で聞いて来る。
「母さん!」
と、昨日からこの調子である。
そんな水島に、そっとジュースを注いてくれる父親は、
「すまんな、母さん嬉しいんだよ、水島くん」
と小さな声で、水島にだけ聞こえるようにそう言った。
もちろん、驚いてはいるものの、特に嫌な気分になったりはしていない水島である。
そして、イノシシチャップを一口頬張って、
「美味いです、これお父さんが獲ったんですか?」
「ああ、矢で追い詰めて、最後は剣だ」
「すごいっすね、大きなイノシシって、熊並みに強気って聞きます」
すると、紺の父親は、子供の様に破顔して、
「そうか、北海道にはいなのかね?」
「ええ、ヒグマと狐、あと狸しかいないって知り合いが言ってました」
ちなみに彼にその情報をもたらしているのは言わずもがな、真壁秋その人であった。
水島は正直な少年である。
もう、バクバクとイノシシチャップを頬張っている。
「じゃあ、水島くん、今度、私と一緒にイノシシ狩り行かないか?」
と言われて、
「いやあ、足で纏になっちまいそうですね」
「構うもんか、なあ、紺、お前も一緒ならいいだろ?」
とか言う、そんな自分の旦那と北海道から来た少年の顔を交互に見ながら、目頭が熱くなって来る母であった。
そんな様子を見ながら、何か、団欒な、新しい家族の形の様に思えて、そしてその思い立った自分の思考が堪らなく恥ずかしくなって、でも悪くないなあ、とそんな風に思うと自然に会話に笑い声が溢れてしまう、そんな紺であった。
そんな団欒も終わって、客間に案内されて、
「もう、寝るっすか、先輩?」
と聞いて来る紺に、
「いいよ、布団くらい自分で敷くよ」
と遠慮する水島に、
「先輩、ベッドっすよね? ちゃんと和布団、敷けるんですか?」
と、いつもの、ギルドにいる時みたいな、普通に憎まれ口を叩ける自分がちょっと嬉しい紺であった。
同時にこうも考えてる。
水島は、この少年は、自分が後輩だから、こうしてここにいてくれるんだな、と、きっと私が後輩として甘えればなんでもしてくれそうな、そんな水島がどこか大人に見えてしまう。
いや、確かに水島は前よりも若干肩幅とか広くなった気がする。
さっき、自分と父と仲良く話している姿は、どうしてか、頼り甲斐のある立派な男に見えた。どうにもかくにも嬉しかった。父が自分の相手を認めてくれた気がして……。
「なんだよ?」
いつの間にか紺は水島を見つめていた。
「どうした?」
もう一回聞かれて、我に返って、
「う、うわ! いや、なんでもないっす」
と後方に飛んで距離を取る、で構えてしまう。
本当にどうにかなりそうだった、もう、気持ちが、言葉が溢れてしまいそうになる。
その言葉が、どうしても言いたくて、でも、ダメだ、とも同時に考えてしまう。
だって、ここでそんな事言っても甘えてる、その延長線上になってしまいそうで、それは違う気がして、でも実際は勇気が出なくて……。
紺は、雨戸を閉める為に、一度、客間の窓を開く。
その窓の向こうには、曇天の空。そして、白く輝く月が見えた?
その光景は、水島からも見えていて、紺と仲良く、
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となる。
よく見ると、その月には細くて長い棒が取り付けてあり、その棒は、地上から伸びている。そして、その棒には手が、母の手がついていて、その手を追うと、もちろん母の体と顔があるわけで、そこからちょっと離れたところから、父がその月に光を当てていた。
その母の唇は、『月が綺麗ですね、言いなさい!』と繰り返し紺にメッセージを送っている。必死な形相で、それはもう一
生懸命さは、ここから見える水島にも伝わって来る。
百家の紺と母にとってみれば唇の動きだけで、内容を知ることなど雑作も無いことであった。
そして、父は、紺と水島の視線に気がついた様で、軽く会釈する時に、若干、月に当たる光がずれてしまって、慌てて直していた。
「なあ、あれなに?」
と水島は尋ねる。少なくとも知らない土地だから、自分の常識だけが全てではないから、そう言ったことはギルドで、そして北海道ダンジョンで嫌と言うほど学んでいる水島でもある。
「さ、さあ、も、もう休んでください、先輩」
と窓を閉めてとっとと布団を敷いて、紺は出て行ってしまう。
「じゃ、じゃあ、先輩お休みなさい」
と障子戸を閉めて、数秒後、
「母さん、何してるの!」
外の方で紺の怒鳴り声が聞こえた。
何をしたくて、何を伝えたいのかさっぱりわからない水島ではあったが、それでも良い家族だな、と、それだけはわかった。
だから、誘われるがまま来てよかったとそう思う水島だった。