閑話5−3【茉薙と躾と常識と……】
だからこそ、トイレなどの躾はとても苦労したし、事実、男性用小便器の使用方法については、流石に父親にお願いしたくらいだ。
そんな雪華の日常に襲いかかってくるジェンダーな苦労を他所に、茉薙とは言うと、あの時戦った真壁秋といいペッタンコは強い。多分、その括りで行くと雪華も相当強いのではと確信にも近い憶測をする茉薙であった。そしてこの体を持った今、今ならあの真壁秋にも勝てるのではないかと、そんな野望に胸を高鳴らせる茉薙でもあった。
ともかく茉薙は、以前とは違う、全く誂えた様にこの体はしっくりと来ている。
だから素直に雪華に感謝はしている。であるがしかし、毎日毎日本当に煩い。
もう、黙っていてほしいと茉薙は思う。
雪華は美人で優しくて、なんでもしてくれて教えてくれる。でも、ちょっと間違えたり、失敗したり、忘れたりすると、とてもうるさい。
茉薙には茉薙の言い分もあるのだが、言い返しても絶対に勝てない。茉薙が言うことに対して、雪華は無敵に言い返して来る。何を言っても、どう言い逃れようとも、絶対に雪華は許してくれなくて、何がダメで、そしてどうするべきかを徹底的に的確に言ってくる。
しかも、静流の時の様に黙っても、例えば泣いても許してはくれない。
静流はそんな事しなかった。茉薙が困ると、『いいよいいよ』って優しく言ってくれた。静流の中に隠れてしまうと(茉薙にとっては静流の中で黙る事)、そのまま何も言わずに、待ってくれた。
でも雪華は違う、絶対に逃してはくれない、謝るまで許してくれない。
だから仕方ない、茉薙は怒られる事は好きでは無くて、また、怒る雪華も苦手だった。
だからこうして茉薙は物理的に逃げ出しているのだ。あの怒っている雪華の声が聞こえなくなるくらいの距離を保とうとしているのだ。
走り出して、もう南区を超えて豊平区に入っていた茉薙は横断しようとしている目の前の交差点の信号が赤になっているのに気が付く。
「あ、止まらないと雪華に怒られる」
と素直に信号を待つ、すでに躾の一部、特に自分や他人にとって命に関わる様な事、社会的な事についての刷り込みは終了している。
信号を守って、他の歩行者の邪魔にならない様に、それでも急いで、雪華に捕まらない様に警戒しつつ、茉薙は走って、今、北海道ダンジョンの浅階層の地下一階、スライムの森に到着していた。
今日に限って人気は全くなかった。時間帯のせいだろうか、全くの人気が無い。時期的に新人やら修学旅行生やらから季節を外れると、人の居ない時の方が少なく無いが、ここまで人がいないのも珍しい。
そんな中で、今まさにギルドの本部から出て来る者がいる。
「あ、茉薙じゃん」
そう声をかけるのは、ギルドの任務として、これから浅階層の見回りに行く水島だった。そろそろ、このダンジョンにも本州から来た、迷子が迷い込む季節にもなって来ている。そんな中で、浅階層の割と行きやすい所への、あらかじめの点検、注意喚起のポスター等がきちんと貼られているか、見やすい位置にあるか、立ち入り禁止の看板は機能を果たしているか等、割とギルドにとっては日常業務の一つである。
「あ、茉薙先輩チワッす」
と言うのはその水島の後ろを着いて来た、最近ギルドに入って来た、本州からのスカウト組、百目 紺だ。今年ようやくダンジョンに入れる歳になって、北海道にやって来た女子だ。