第77話【消した筈の傷】
こちらが気がついているのも気にもせずに、じっとこっちを見ているんだ。
何をしてくるわけでもなさそうなんだけど、
「どうします、俺行って話をつけて来ますか?」
なんて角田さんは言ってくれるんだけど、春夏さんを見るとなんの動きもないから、おそらく僕に危害が及ぶ事態ではないと思う。この辺の感覚には春夏さんは敏感だからね、でも未だに葉山さんをあそこまで敵視する理由がわからないけど。
「固執ですかね」
と、桃井くんがそんな事を言った。
そうかも、彼の言葉が一番この状態にしっくりと来た。
ひとまず相手が何かを仕掛けてくるつもりもないならこちらも何をするつもりもないんだよね。
でもまあ僕の周りに新しい問題ができてしまった事は間違い無いけどね。
って、そこまで思って最後にチラッと多月さんの顔が、ちょっと陰ったその顔が見えたんだよ、その時丁度彼女も僕から視線をそらして、多分この場から去ろうとしていたんだと思う、その時彼女の、多月さんの横顔がん目深に被ったフードが揺れて僕の視界が捉えたんだ。
気がついたら、僕、多月さんの前にいた。
多月さんがそうしたんじゃ無い、僕が近づいたんだ。
「な!」
多月さんはそんな声しか出せなかった。その次の語継がれる前に目深に被ったフードを捲られ僕にその顔を掴まれてその小さく端正な顔、頬を曝す様に見つめられる。
「やめ、離せ」
暴れる多月さん、そんな彼女の頬にはクッキリと首に向かって走る刀傷。
おかしいだろ、この前ちゃんと治療した筈だよ、確かに僕は彼女の顔を切った、でも治したよ、というか、あの場所あの時に五頭さんに治療してもらった筈なんだ。
あ、そうか、五頭さんだよ、五頭さん。
「五頭さん! 五頭さん、いるんでしょ?!」
そう僕は叫んだ。自分で笑っちゃうけど絶叫に近い。
そしたらさ、本当に出てきたんだよ五頭さん、あの巨体をどこに隠していたのか、人混みの中から、五頭さんがズズウっと姿を表した。
当てずっぽうの勘に過ぎなかったんだけど、多月さんがここにいるって事は五頭さんもこの場にいるって思ったんだ。
僕は、何かを言いたげな五頭さんの事なんて構わず言う。
「この前はちゃんと治したよね、特に顔だけは完全にさ、傷なんて残ってなかったじゃん」
この時、もっと違う考え方もあったんだよ。僕と戦って怪我して治療した後に、また何らかの戦いを経て多月さんは傷を負ったって考えるのが普通何だろうけど、残念、僕にはそう思えない確信があった。
だって、僕が斬ったんだ、間違いない。あの感触を僕の手は忘れない、あの感覚、そして剣の軌跡を忘れるはずが無いんだ。彼女のこの傷は僕が負わせたものだ。僕は彼女の頬を走る傷を指でなぞりながら、正確には跡が残るように治った傷である事を知った。皮膚の色が違う。多月さんの顔には目立ちすぎる傷跡に心が痛んだ。
そして、その一瞬に僕はかつて無意に刻んてしまった、忘れることなどできない『あの手』を思い出して、思わず叫び出しそうに散り散りに心を乱れさせてしまっていたんだ。
血と、自分が斬った確かな感触を思い出して、止められない、その時の拙い自分を責めようもなくて、ただ、どうしてか、湧き上がる理不尽と不理解に叫び出しそうになっていたんだ。