閑話休題1ー3【さあ行こう!】
もし、彼女が普通の少女なら、こんな招集には絶対に応じないだろう。
知らない人間にとってダンジョンは未だ未知な場所なのだ。しかも、一番頼りになる組織であるギルドの窮地とあっては、初心者として、普通なら参加どころか避難を選ぶ。
しかし、雪華には事情がある。それは彼女にとって野心といってもいい。
だから、絶対に行くんだ。と雪華は思う。
「戦うばかりがダンジョンじゃない」と言うギルド広報の方の言葉。でも雪華はその言葉に微笑むばかりで返事はしなかった。
よく考えてみると、『戦わない』とは一言も言ってはいない、言ってはいないけど確かにうまい言い方だとも思える余裕は若干でてきている。
そして雪華は小さく呟く。
「私は戦うんだ」
決意を秘める小さな声。横を見ると、この一緒の生活空間で、いつも同じような話題で盛り上がる、親友とも呼べる存在の奏。
事が起こってダンジョンに対峙しようと言うその時に、こんなにも自分と違う事にある意味、嫉妬すら感じてしまっている。
スカウト組って、こんなに違うものなの?
ダンジョンにはモンスターがいる。
多分、それは人より強い。
そして、何より、モンスターは皆、人に敵対する存在として例外なく襲いかかってくる。そんなダンジョンに入ろうとしているのに、こんな状況で、奏は嬉々としているのだ。
まるで、真夏の海水浴で海に着いたばかりの子供のように無邪気に気が急いて抑えていないと今にも海に飛び込みそうなそんな気持ちだとわかる。
そんな無邪気さが、凍える雪華の心を柔く溶かして行く。
怖さが和らぐ。
緊張が解きほぐれて行く。
「すぐにタクシーを呼ぶね、急いで行こう」
と雪華は答える。
よし、私は行くんだ。
いつだって決めていた。
強くなくたっていい、怖くたって、泣いたって、ダンジョンウォーカーになるんだ。
それを思い出した時、不思議なほど勇気が湧いて来た。
だから急ぐ。
彼女の家の位置から考えれば、ギルドの緊急呼び出しに、いちいち、バスと地下鉄を使って行っていられない。
彼女たちは学校指定のジャージ姿に、一応、ローブ、これは耐火でケプラーが織り込まれた、刃物にも対抗できる、そこそこの金額がするものを雪華の父親が2人に中学生になる前に、お祝いの品の1つとして彼女たちに与えたものだ。
未だギルドの装備が与えられていない彼女達は、腕章をする。それは、例のマントを持たない新人ギルドの象徴でもあるのだ。
その腕章をしばらく見つめると、少しだけ勇気が添付された気がする思いだ。
気が付くと、雪華の隣で奏も同じ様に自分の腕の腕章を見つめていて、だから、視線を互いに移した時、くすっと笑い合える二人でもあった。
ローブを素早く羽織ると、それぞれの獲物、雪華は杖、奏は細身の木劍、準備が整う頃には、家の外にはタクシーが着いていた。
その頃には雪華はすっかり覚悟ができていた、心はそれほど動揺をしなくなっていたが、ベッドに座っていた彼女は立ち上がる時に、思わず尻餅をついてしまう。
「あれ?」
と雪華は言う。まったく自覚がない。
膝がガクガクと笑っているのだ。
本当に、体って正直。
「もう、何やってるのよ」
と差し出す奏の手もまた震えていた。
「怖いわよ、悪い?」
なんだ、一緒だったんだ。
「ううん、私はもっと怖い」
正直に言える相手がいる事が嬉しかった。
雪華は思う、奏でがいてくれてよかった。1人だったら、間違いなく自分の心は折れていたと言う自覚がある。自分はそんなに強くない、でも奏がいればお互いを支え合える。
もし彼女がいなかったら、このスタートラインにすら立てなかったかもしれない。
そんな少女たちは、隠しようもない恐れを抱き、ほんの一握りの勇気を互いいに灯して、北海道ダンジョンに向かう。
奏は純粋に、認められた自分の能力を試すため、そして、雪華は自身が課す存在からの義務のために。
全ては自分の為だと言うことを自覚しながら、ふと思うのは「ノブレス・オブリージュ」と言う言葉。かつてあの人が雪華に向かって言った言葉を思い出した。
「違う、私たちは貴族じゃない、ただの成り上がり者だ」
そう呟く。
そして、
「でも、義務はあるんだ」
タクシーの扉が閉まる頃にはすっかり覚悟が決まっていて、足の震えも小さくなっていた。「大通り4丁目ゲード前までお願いします」
そう言って深くシートにもたれかかる。
いよいよ始まった。
雪華にとっての北海道ダンジョンが、唐突に開始されたのだ。