第147話【春夏さん、嬉しいよ!】
綺麗な手が伸びて来る。
白くて、長くて、優しい手。
そして、細く長い腕が、僕の首まで伸びてきて、僕の首と頭に優しくて、そっと巻きつき僕が思う以上の強い力で引き寄せられる。
懐かしいなあ、って思う僕は、そのまま何も抵抗なんてしないで、そのままに任せると、少し朱を帯びた透き通るくらいの肌に僕の顔を押し付けて来る。
素肌。僕の知ってる温度と、僕の知ってる質感。
すごく嬉しい。
そのまま僕は彼女に巻かれる様に密着するんだ。
僕の顔を、頭を抱える彼女は、僕の頭の上から、そっと囁く。
「ダメじゃない、秋くん」
って言う。
彼女に珍しくて、叱る様に言うから、でも、まあ、嬉しい。
その声が、その呟きが、言葉自体の意味なんてどうでも良くて、今、その言葉を聴けることが嬉しくて仕方ない。顔が蕩ける、頬が歪む、全体で言うなら嬉しすぎて、全身から力が抜けてゆく感じかな。でも唇は意識なんてしなくても、満足している表情を表す。もう、これでいいや。って思える。
それでもさ、居なくなってしまった事、今もまた勝手に消えようとしたことに関して、僕は、言い訳の一つくらいは聞いてやろうって、彼女のやろうとしていることを邪魔してるからね、そのくらいは聞こうって思って、強く強く抱きしめられる頭をなんとか動かして、その顔を見る。片目でしか見えなかったけど、その顔を見るとさらに力が抜けてしまう。
自分が今言おうとしてることも、本当にどうでもいいやってなる。
いつもの、いや、いつも以上の微笑みが僕の視線を迎えるから、もうどうでもいいやってなる。全身の力が抜けてしまうよ、ってでも、
「もう、いなくならないでよ春夏さん」
って言ったんだ。
もっと早く言えばよかった。
聞き分けのいい人間なんて演じるんじゃなかった。
今思えば、僕はあの時にこの言葉を言えばよかったんだよ。
僕は春夏さんに対して、もっと我儘いって、もっと駄々を捏ねて、言いたい放題言えばよかったんだ。それに対してたとえ春夏さんが困っても、いや、むしろもっと困らせるべきだったんだ。
だってさ、消える必要なんてないじゃん。
例えばそれが運命だとしても、それに立ち向かうよ僕、春夏さんがいなくなるくらいなら、僕はどんな奴でも、例えそれが世界だって敵にして戦えるよ。
そんな覚悟だから僕は春夏さんに我儘言ってもいい筈。
だから、
「混ざるの禁止」
って端的に言う。
これ命令だから、北海道魔王の命令だから。
ずっと頭を撫でてくれる春夏さんの手。僕はこの手の持ち主を一人しか知らない。僕が全てを委ねられる人。その正体がなんであろうと関係はないんだよ。
世界を平和に導く為って言われてもさ、そんなのこっちでやるから、そして、それは、誰の為じゃなくて、一人一人でやるべき事で、春夏さんがその礎に犠牲になる必要なんてないんだ。本当そう、みんなそう。
そう思う僕に春夏さんは言うんだ。まるで言い聞かす様に、静かにゆっくり言葉が溢れる様に僕の耳に届く。
「秋くん、北海道好きでしょ?」
って言うからさ、まあ、「うん」って答えるよ。
「北海道を守らないといけないって考えてたんだよ」
って言うから、
「たとえ、異世界が異世界のまま、魔物の人が魔物のまま北海道に居ても、北海道は損なわれないよ、そんな事の為に春夏さんが北海道に混ざって消えるなんて、間違ってる」
って叫ぼうって思って言おうとするんだけど、僕の顔はさ、春夏さんの生の胸に押し付けられてるからさ、せっかくだからさ、そのまま言おうとする僕は叫ぶことなんてできなくて、鼻と口から、かろうじてそんな言葉を漏らすことができた。
静流みたいに僕の意識だって読める春夏さんだから、きっと伝わる筈。
すると、春夏さんは、片手で僕の顔を自分の胸に幸せな形を保持したまま、もう片方の手で、僕の頭を撫で始める。